My Blue Heaven | ナノ
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「春さん、一生のお願いしてもいいですか」と荒船は言った。
「勿論だよ荒船君・・・荒船君の頼みを私が断るわけないじゃない!」

がしり、がしり、と拳をあわせ、腕をあわせ、手を叩きあって一連の動きをおえる。これは最近みたアメコミ映画でキャラクターがやっていたしぐさであるが、特段二人は打ち合わせをしたわけでもない。最初に拳を合わせた段階で映画好きには暗黙の了解ともいえるルーティーンを彼らはこなしていた。

「FBIのジャケット本物・・・!」

つい先ほどまで春が来ていたジャケットの背中にはFBIと大きく文字が躍っている。それに袖を通した荒船は、噛みしめるように言った。

「やばいっすね」
「暖かいよねーソレ。秀兄のを借りパクしてきちゃった。私のも家にあるよ」
「着てたんですか、男物を」と穂刈が呆れたように言った。
「大きいと下に着こめるしね」

うっかり着て帰ってきてそのままになっているが、これがやはり着慣れているせいか、オペ制服の上にひっかけてボーダー内部をうろついていたら高校生組に捕まったのが数分前のことだ。外国に憧れるお年頃の彼らは、アメリカである意味もっとも有名な組織のロゴに、春の想定以上に食いついている。
荒船は感動に打ち震えている。そんなに良いものか?と春にしてみれば普段着なので、きょとんとしてしまうが。
荒船にあらゆるFBIが出てくる映画タイトルを羅列されて納得した。確かに。身近すぎて気づかなかったが、FBIは映画やドラマの花形だった。

「帰ってきてから春さんずっと着てるじゃん」
「あったかいんだよコレ。それに秀兄のだから縁起がいいでしょ。無敵だからねあの人。これ着てたらスタンド能力みたいに秀兄パワー働きそう」
「春さんさぁ、開発室に影響受けすぎ」

呆れた顔をしたのは出水である。映画オタクなのはもともとだが、最近は開発室でアニメも見ている。作業の合間にそれぞれ好き勝手に上映会を始めるから、時折春もおすすめの映画を流させてもらっている。

「国近ちゃんにもあれこれ薦められた。けど、これを着たら百発百中、世界中のスナイパーから《銀の弾丸》と呼ばれるスーパースナイパーたる赤井秀一がスタンドで現れる!!だったらいいのにね」

「今なら東さんにも勝てる気がするようなしないような」

「しっかりしろ荒船、気のせいだそれは」

「いやイケる!イケるよ荒船君ならば!!」

「春さん、東さんの怖さ知らねーから・・・」

「・・・・・出水くん、秀兄の怖さ知らないから」

顔を見合わせる。互いに怖いものを思い浮かべているせいで、眼が半目で、思わず笑ってしまう。実際二人が同じ条件でやりあうことになったら。春としては経験値の分だけ赤井に分があるだろうと思っている。年の功は馬鹿にできない。が、やってみないことには勝負というのは分からないこともある。仮定の対戦の想像だが、割合その場は沸いた。東さんだって負けてない!という高校生組の言葉に、彼が厚い信頼を受けているのがわかった。

「ま、百発百中ってのは俺のモットーとは違いますけど、あやかっときたいし荒船さん次は俺にお願いしまーす」と千発百中のTシャツを着た射手は言う。


「待て、俺だ次は」

「ちょっとまった、私もそろそろ寒いんですが!」

荒船たっての願いとあってジャケットを差し出したけれど、ジャケットが温かいばっかりに、下に着ている服を薄着にしているので肌寒い。S級作戦室はなぜか今、空調が故障中なのである。

「トリオン体なればいいじゃないっすか」
「うるさいトリオン馬鹿。よくないと思うなーすぐトリオンに頼るの!」

すぐに機械に頼るんだから、と愚痴をいうお年寄りはきっとこんな気分に違いない。ボーダー隊員はすぐにトリオンに頼るのはよくない癖じゃないだろうか。意識改革を求めたい気分だ。

「せっかくだし俺にも着させてくれよ春さ〜ん」

春の後ろからのしかかる当真は長い手足を持て余しているのか、春の髪をいじくっている。春は彼を困った猫だと思っている。まったく手に負えない。

「当真くん、必要なくない?」
「ご利益ありそうじゃん」
「お賽銭を要求したら儲かるかな」とふざけると、どこから取り出したのか、ひょいと飴玉が渡された。

S級作戦室の空調の調子が悪いこともあいまって、めんどうぐさがりの春はそのままジャケットを防寒着代わりに愛用していた。それを着させてもらって写真をとって待ち受けにすると的中率が上がるらしい、なんてまことしやかな噂が狙撃手界隈でまたたくまに広まったものだから、S級作戦室は大賑わいだった。








本部のメディア対策室は寄りつく人間の少ない部署だ。広報部隊である嵐山隊は、仕事の関係でこちらにもロッカーがある。
あそこに近づくとすぐに広報に引っ張り出されて酷い目にあう、というのが大方の隊員の認識だ。
そこから、珍しい顔が出てきた。


「・・・迅?」
「よう、嵐山!」とぼんち揚げをいつものように片手にもって、空いた手を迅はあげた。

「こんなところで珍しいな、暗躍か?」
「・・・・いや、うん、そんなとこ」
「春さんか」
「え」

迅は暗躍に関して尻尾をつかませることはほとんどない。嵐山に言いよどむなら、ここ最近なら春に関することで百パーセント間違いない。
まいった、と迅が頭をかいた。

「佐鳥が面白い話をしていたんだが、もしかしてソレ関連か?」
「ご明察。ま、その話じきに立ち消えるから、興味あるなら早い方がいいよ嵐山も」
「春さんが帰ってくるってわかって、嬉しいけど面白くないって顔だったのはそのせいなのか?」

迅がそっぽを向いた。図星だったらしい。
『春さんにFBIのジャケット着させてもらいましたっ!』と佐鳥に見せられた写メを思い出す。正確に言えば『FBIの、敏腕スナイパーで、《銀の弾丸》なんて恐れられる、赤井秀一の』ジャケットである。だからこそ、スナイパー界隈で話題になったのだ。

「このままほっとくと、あれが春さんの通常装備になるんだよ」と嫌そうに迅がいう。

なるほど、それは迅にとって面白くないに違いない。迅は春に《ボーダーの春》になってほしいのだ。《FBIの春》という未来を回避させたいと思っているのに、馬鹿でかいFBIの文字が躍るジャケットを愛用されると、避けたい未来を見せつけられている気分なのかもしれない。

「だが、それがどうしてメディア対策室につながるんだ?」

その問いに、迅はそのうちわかるよ、と答えなかったが。
迅が去っていくのを見送って、メディア対策室に入ると打ち合わせをしている根付と、職員が嵐山を呼んだ。荷物を取りに来ただけだったが、呼ばれて断る発想は嵐山にはないので「なんでしょう?」と近づいた。

「これは大事な質問だから正直に答えてほしいのだけど、」と女性職員が言った。この人は根付にかなり信を置かれている人物である。嵐山隊のイメージ戦略を一任されているといってもいい。某アイドル集団のおっかけで、ライブツアーを始めると彼女の姿は本部から消えるとか、一度に数か所にいられるトリガーを使っているらしいとか(彼女はただの職員なのでそんなトリオン消費が激しそうなトリガーが使えるはずはないのだが)まことしやかな噂が飛び交っている。
とにかく優秀な人だ。その人の言う『大事な質問』に答えるべく、嵐山は背筋をのばして身構えた。


「嵐山君は普段、シャンプーやリンスはどこの使ってる?」


はい?と返さずにいられたのは、ひとえにメディア対策室で鍛えられ続けた結果である。突拍子もない質問はメディアにもされるので慣れた、という側面もあるが。嵐山は問い似対する答えを出すべく風呂に並べられたそれらを必死に思い出そうとして、挫折した。19歳男子大学生は、実家住まいなので備えられているものを、そのまま使っている。

「・・・・すいません、一度家に戻って調べてきてもかまいませんか?」

「本部ではどうしてるのかしら?」

共用のシャワールームでのことを聞かれてこちらには答えられると胸をなでおろす。

「備え付けのものを」

つまりは支給されたもので、そちらならすぐにでも調べがつくはずだ。
ふむ、と女性職員は根付と顔を見合わせた。

「実はね、ボーダーの隊員の保護者から『子供から煙草の匂いがする』、と相談の電話があったのよ」

なるほどそれはゆゆしき事態だ。ボーダーでは部隊を組んで行動するが、その際に年齢層は特段指定されているわけではない。大学生と高校生が同部隊、というのは珍しくない。
昔は本部のどこでも好き勝手に大人たちが吸っている姿を見かけたものだが、低年齢層が増えるにつれて、本部では分煙がすすめられあちこちに喫煙スペースが設けられた。

「匂いって怖いわね・・・私としたらもういっそ分煙どころか禁煙にしたいのだけれど、上がね」と口惜しそうに職員さんが歯噛みする。上層部は喫煙者が多いのだ。
そこで何故、洗髪料にいきつくのかと嵐山は不思議に思ったが口は挟まない。

「でね、さっき迅くんが来てて相談したんだけれど、『嵐山はいい匂いがするって女子から評判いいけどね』って言ったものだから」

「はぁ」

すんすん、と鼻をならす。自分ではイマイチよくわからない。

「しつれいしまーす」と今しがた迅が出て行った扉から、顔を出したのは春だ。
女性職員は瞬時に眉間にしわを寄せた。

「ちょっと八嶋さん、こっちへ」と指で呼び出すのに、春は不穏な気配を感じ取ったのか、冷や汗をかいている。嵐山の横に並んで立つ。

( ……あ。 )

鼻先を、かすめた匂いに嵐山が目を少しばかり見開いたのを、女史はみのがさなかった。

「あ、あのですね、わたしちょっとばかり根付さんに提出の書類を持ってきただけででしてね」

「貴方、喫煙者だった?」

「へ?いや、吸いませんけど」

一体何事だと隣の嵐山に春がしきりにアイコンタクトで助けを求めた。メディア対策室の職員は本部内でも有数の精鋭部隊であるので、圧力に押されるのも無理はない。だが嵐山はすっかりそれに慣れてしまっているので、イマイチ春の焦りは伝わっていない。


「深呼吸をして」と言われ、春は大きく息をすい、そしてはいた。はてなマークが頭から飛びまくっている。

「で、何か気づいたことは」
「ええっと、空気清浄器買い換えたんですか?あ、それとも新発売の香水つけてるとか?」
「臭うわよ」
「え」

机から消臭剤を手に取ると、ジャケットに向けて容赦なく噴霧させた。勢いがありすぎて、春はむせ返っている。思わず反射で距離をとった嵐山が、即座に状況を再把握しなおし春の背をさすった。

「げほっ、うぅ、え、なんでこの扱い?え?ゴキジェットだった今の?害虫駆除的な?」
「違うぞ春さん、これはただの消臭剤だ」

とはいえ、突然噴霧するのはよくありませんよ、と嵐山が注意したが、突然じゃなくても遠慮したいと春は思った。

「におう?」
「煙草臭いのよ。そのジャケット!まったく、FBIは禁煙と程遠いみたいね」
「あー、いや最近は禁煙の波きてますよ向こうも」

これが噂のFBIジャケットか、としげしげと嵐山は眺めている。

「佐鳥たちが着せてもらって喜んでいたなぁ」
「予約待ちができてきて、なんだかもうよくわかんないくらい人気だよ…これを着てから狙撃訓練行くと命中率がアップするとかしないとかいう」
「ははっ、それは人気が出るはずだな!」
「それよ!!」

ずびし、と女史は春を指さす。

「煙草臭いのを未成年にほいほい着せない!匂いがうつるでしょう!!!」

「え」

「苦情があるのよ・・・・未成年が煙草臭いって。大事なお子さん預かってることだし、そのあたりはしっかりしておきたいでしょう?」

「・・・・そういえば、」

春は黙り込んだ。先日、S級作戦室のソファでうたたねしていた迅を起こした時に「ボス?」と寝ぼけ眼で支部長に間違われたのを思い出していた。すん、と春はもう一度鼻をならした。
先ほどはちっとも気にならなかった煙草の匂いが、やけに鼻についた。

「嵐山君のさわやかさを見習うように」

「・・・・・八嶋、了解」


嵐山はその一連の流れを横でじっと見ていた。


「春さん」と神妙な顔をして考え込みだしている春を呼ぶ。なーに?と春はすぐに気をとりなおした風で返事をしたが、おそらくまだ悩んでいるはずだ。この人は意外と上手に隠し事をする、というのが嵐山の春への認識だ。

「良かったら、俺にも着せてもらっていいか?」

FBI捜査官にあやかりたい、というわけでもないのだが、佐鳥たちが楽しそうに話していたのだ。
女性職員は嫌そうな顔をしていた。禁煙派筆頭である彼女の講義を受けて久しいので、多分自分は愛煙家になることはないだろうなぁと、かすかに煙草の香りを残したジャケットを借りながら19歳のボーダーの顔は思った。


(諏訪さんあたりは、大変かもな)


「さすが嵐山君・・・何を着ても似合う」と春が言う。

その横で先ほどまで渋い顔をしていた女性職員がカシャリとシャッターをきった。

「ねぇ八嶋さん、これ次回の広報にのせてもいいかしら?」

それはFBIに問い合わせてみた方が、と春が半笑いで答えていた。

女性職員は驚くべきことに、その助言を実行したらしい。「貴方の名前だしたら一発でオッケー出たわ」と勝手に仲介に使われていたのに驚いた。ボーダー怖い、とやりて職員の手口に震え上がる。後日、ボーダーの会報の表紙をFBI服姿の嵐山が飾った。正直こんな爽やか青年は一人だってあの組織にはいなかった気がしたけれど、こういう理想の具現化は悪くないなぁ、と仲介料として会報をもらったし、そこには嵐山のサインがあったのでプレミアものである。割とミーハーな嵐山隊ファンである春は思わぬご褒美に大変喜んだ。










匂い、というものを意識したことがあまりなかった。
すん、と鼻をならす。自分からする匂いは、自分の、というよりも『赤井』の匂いだ。赤井の煙草の匂い。昔から当たり前のようにあったものだったから、気づかなかった。
少し貸したくらいでそこまで匂いはうつったりはしなかったかもしれないが、未成年の教育によくない影響がある、というのは自分というサンプルがあるのでよくわかった。
煙草は体に害がある。わかっていても、それを吸う人の隣で育ったので『まぁ、いいか』くらいに思っていた。

嵐山の隣にたって息をすうと、確かにいい匂いがするなと思った。誰だったか、嵐山さんはどこのシャンプー使ってるんだろう?とオペレーターの子たちも話題にしていた理由が、その時漸く理解できた。
恐らく、女性職員に言われただけではそこまで意識はできなかった。嵐山准という人の、影響力は確かに広報向けだと改めて実感する。

S級作戦室に戻って深呼吸をした。ジャケットの煙草の残り香が、まだする気がした。嫌いな匂いではない。ではないけれど。迅に間違われた件をまた思い出す。
あれはちょっと嫌な気分だった。煙草を吸う女性が悪いとは思わない。吸いたい人は吸えばいい。けれど。
一度匂いというものを意識すると、人それぞれに匂いがある。嵐山からはただの市販品を使っていてもお日様みたいなさわやかな匂いがするし、加古はどこかの香水を気に入ってつけていて少しばかり艶めいている、諏訪や唐沢からはそれぞれが好みの銘柄の煙草の残り香がした。

深呼吸をした。
深く息を吸い込むと、確かに煙草の香りがする。もう春にはなじみすぎてしまって、意識したこともなかった匂いだ。

煙草臭い、と言われればそうかもしれないな、と一度気にしだすととてつもなく、気になった。だって、嵐山はすごくさわやかな匂いだったのだ。
若さと言うやつを感じた。

目を閉じて、深呼吸をする。
そういえば、迅はどんな匂いがしただろう?と考えたところで顔が瞬間湯沸かし沸騰器のように熱くなった。なんでそこに迅の名前を出したんだ自分は。だがどうにも、アメリカから戻って以来どことなく迅がよそよそしい気がしている。帰ってきた日は確かに結構嬉しそうにしてくれていたはずだ。ひいき目なしに、そう、思った。迅との約束だけを何度も頭の中で繰り返していたから、たった数日間なのに数年ぶりの再開のような大袈裟なハグをしてしまったことに引かれたのだろうか。匂ったのかもしれない。煙草文化はまだまだあちらでは一部根深い。

気になると、どうにもならない。
春は早急に手を打つことにした。




***




「FBIジャケットはどこやったんだよ八嶋」

煙草をくわえた諏訪がつまらないです、という顔をした。

「え、家にあるけど」
「んだよ、俺も着させてもらおうと思ったのによ!」
「・・・・あー、うん。諏訪くんが着たいならまた持ってくるけど」

ソファではなく床に座り込んだ春は、空色の半纏を着こんでいた。

「ジャケット見に来て、半纏着られてた俺の気持ちがわかるか八嶋」
「いや、知りませんけど?!そもそもこれはねー、ユーイチくんがくれたの!ケチつけたらいかな諏訪くんといえど許しませんので」
「つか噂じゃ、ここで撮影会できるんじゃないのかよ」

向かいのソファに座る。別段高校生たちのようにキャッキャとはしゃぐ歳でもないが、海外物のミステリにも頻繁に登場するFBIは、諏訪にとっても好奇心をそそられるのだ。実物を見れるときいてわざわざ顔を出したというのに、とんだ無駄足になった。
迅からもらった、という半纏はもふもふとしていて見るからに暖かそうだが機能性に特化しすぎていて、おしゃれという意味では減点著しい。そして、そのカラーリングはまさしく迅の隊服の色で。おいおい露骨だなアイツ、と諏訪は半目になった。
一方の春はお気に入りの半纏をよいしょと羽織りなおした。ふわりと、いい匂いがするのに顔がゆるむのは仕方ない。

「撮影会が予約制になったあたりからもう収集つかなくなってきたから、封印した。さすが秀兄のジャケット・・・魅惑のFBI敏腕スナイパーは本体じゃなくてもモテる・・・・すごかった。それに、」

春はここで一度口を閉ざした。
諏訪が片眉をあげる。じとり、と諏訪を見ている春は深々ため息をついてから「S級作戦室は全面禁煙になりましたので」と灰皿を差し出した。とりあえずは灰皿を差し出しているけれど、今後は完全撤去予定であることを通告した。

「は?いきなり何だよそりゃ」
「だって半纏に煙草の匂いつくし」
「リ○ッシュしろよ」
「やだ、ありのままの香りを大事にしたい」
「・・・・半纏から迅の香りがするとか言ったら殴るからな」
「さ、すがにそんなことは、というかユーイチ君の香りってなんだ・・・・」

「暗躍の香りだろ」と、とりあえず突っ込んでおいた。諏訪に他人の恋愛に首を突っ込む趣味は無い。からかうのも面白いが、この二人に関して言えば胸焼け必死なのが冬島ルートで伝わってきているのでノータッチを決め込んでいる。
同級生でも風間あたりは、かなり積極的にくっつけてしまおうと動いているので、たまに諏訪も面倒事に巻き込まれるが、自分からは足は突っ込まないぞと決めている。

目的が果たせないとなれば、もはや用はないのだが、人の出入りが多いこの作戦室にはあちらこちらから差入れも舞い込んでいるので、テーブルの上には菓子が溢れ返っている。少しばかり食っていくか、ととりあえず煙草の火を差し出された灰皿におしつけた。

「暗躍の香りって・・・なんだそれ。とにかく禁煙だから」
「へーへー。ったく、禁煙禁煙。せちがらすぎんだろ」
「ごしゅうしょうさまです」

FBIのジャケットは後日大学で羽織らせてもらったので、ひとまず満足である。









「唐沢さん、そこに貼ってある紙に書いてある文字何かわかります?」
「漢字だね。勿論読めるよ」

なら実行しろよ、という突っ込みはしない。どうにも逆らうとよくない相手、というのはいるものだ。春はそれを経験上よく知っている。
だがしかし、黙っているつもりもなかった。やんわりと、ほんとうに伺うように「女性に気を使わせるのは交渉の手としたら最悪だと思います」と言った。

「嫌いじゃなかったでしょう?」
「気が付いたんです」

灰皿をそっと差し出した。

「煙草の匂いってなかなか落ちないし、厄介なんですよ」

口を引き結んで、春は腕組みをした。

「そのうち灰皿も撤去しますから」

「それは穏やかじゃないなぁ」

「できればボーダー本部内を全面禁煙にしてほしい・・・あ、せめて開発室とか火器厳禁にするべきじゃないですかね?」

狙いはS級作戦室だけにとどまらないようだった。これは中々に厄介な事態である。愛煙家は肩身が年々狭くなる。
赤井秀一は確かヘビースモーカーではなかっただろうか。そして彼の隣にいることの多かった彼女は、喫煙に関して言うならば概ね肯定的だった。自分で吸うようではないから、好きではないのだろうけれど。

「で、そもそもは何故?迅くんと何かありましたか」

「・・・・べつに、そんな、関係は」

「何かありましたか?」

「・・・・寝てるユーイチ君起こしたら・・・林藤支部長と間違われえて。煙草の匂いがしたからてっきり、って。たぶんFBIのジャケット着てたせいなんですよね。あれには煙草の匂いしみついてるだろうし・・・・私、慣れ過ぎてて気づかなかったんですけど」

がっくりと肩をおとす。
リセッシュしても、洗濯しても、なんだかまだ煙草の匂いがする気がしたジャケットはお蔵入りにした。

「女の子らしいにおいとはいえないよなって、その、」
「私は好きですが」
「喫煙者は黙ってください」
「酷い世の中だ」
「嵐山君からは何だかさわやかな香りがして胸がキュンてしたので、やっぱり大事ですよ匂いって!」
「君だって嫌いじゃないくせに」
「ぎゃあっ、煙吹きかけないでくださいってば!」
「八嶋君も女の子だなぁ」
「は?最初から女の子ですよ?!」
「やれやれ」

やれやれ、はこっちの台詞だと思う。









メディア対策室に広報の仕事の確認で顔を出すと、春がいて、嵐山はまた珍しい人と会うなと思った。この間も出くわしたけれど、もともと春はあまり広報にはかかわりがないのでこの偶然の鉢合わせはとても珍しい。一度ならともかく二度目だ。


「暖かそうな半纏だな春さん」

「これ着て出歩くなと今しがた根付さんに叱られたところだよ・・・S級用にパーカーの実装を考えてくれるって話にはなったけど」

「そうか、それは良かったな!」

「うん?まぁ、確かに良かった、のかな?けどせっかくユーイチ君にもらったのに・・・」と春は口をとがらせて不満げだ。

少なくとも、春のための隊服めいたものができるわけだ。迅はもしかしたらここまで視ていたのだろうか。FBIのジャケットをいかに脱がすかを考えていたはずだから、遠まわしの作戦が功をそうして、狙い通りにいったわけだ。

「春さんは今日はどうしたんです?最近よく会いますね?」

「根付さんに書類の書き方を聞いてて」

「書類?」

「めんどくさい書類が色々あって、唐沢さんにも聞いてるけど、書類仕事は根付さんの方が根回し早いからって」

「随分と急いでるんですね」

「あー、うん。その、決心が鈍らないうちにと思って」

春が照れくさそうに頭をかいた。
そしてその書類がなんなのか聞いて、嵐山は心の底から「良かった」と思ったのだ。
迅はきっと喜ぶだろう。


「あ、でもこれ内緒ね?根付さんに手続きのやりかた聞いてるから、ここよく顔出すかもなので嵐山くんには言うけど」

「なんでです?」

「え、なんかこう照れるし。いまさら感が、あるというか」

「知ったら喜ぶと思うんですが」

「え、なんで?誰が?」

「迅が、ですけど」

「・・・・よろこぶかな」

「喜ぶでしょう」

「・・・・いやでも、うん。手続き途中だしね。終わったら、まぁ、言うよ」

「太刀川さんは知っているんですか?」

「いや知らないよ、何故太刀川くん?」

「仲がいいから」

「・・・それなら風間くんに先に相談するかな!」


なるほど、そちらの方が優先度は高いのか、と納得した。
でもふっと浮かんだのだ。太刀川さんは知っているのかな、と。二人でいるのを、本部だけでなく大学の構内でも見ることが多いからかもしれないが。それが何とも苦い気持ちになる。嵐山としては春と迅が一番の仲良しでいてほしいわけで。なかなかそのあたりがうまくいかないものだなと思っている。


「とにかく内緒ね」と春がいい、わかりました、と嵐山は頷いた。









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