My Blue Heaven | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




19-3


八嶋春は、猫に似ていると言ったのは太刀川だったか。
餌をやってもなかなか懐かない。うっかり手を出せばひっかかれるし、懐いたと思ったら逃げていく。確かに気まぐれな猫のようだ。
この猫が欲しいな、と迅は思った。こんなに何かを《欲しい》と思ったのは久しぶりだった。――たぶん、風刃以来だろう。
野良猫ではない。とても甘やかされた箱入りの猫だ。血統書とかついている奴。
とてもではないが、迅が買えないタイプの猫だと、わかっているけれど目の前にいるとどうしても欲しかった。



春は波のある人間だ。機嫌がいいとき、悪い時、という単純な波ではないから厄介だ。一言で表せば調子の波、と言うやつなんだろう。気分ではなく、体の、能力の問題。
迅がそれを知ったのはつい最近のことだ。春が迅たちを、迅を避けているのにはすぐに気が付いた。誰もいないS級作戦室の前で、じっと何度も扉をにらみつけたのは記憶に新しい。勘のいい人だから、迅がくる一歩前にいなくなる。
なぜ?どうして?と疑問ばかりがつのった。誰を視ても、答えはわからない。迅に視えるのは映像だけだ。感情を読み取れもしないし、過去も視えない。


だから、その日、春と出くわしたのは全くの偶然だった。








「、ぁ、、、」

―― いたい、たすけて、だれか、と、言っている気がした。小さな呻きと一緒に飲み込まれていくのがみえるみたいだった。
S級作戦室の扉を開けようとして、その横に蹲っていた春を抱え上げ、端末を操作して誰も入ってこれないようにした。
迅の腕を春がつかんでいる。まるで溺れる人間が藁にでもすがるみたいだ。つかむ、といよりもいっそ縋るというべきかもしれなかった。

いたい、いたい、いたい、たすけて。言葉にはなっていないけれど、全身を抱え込んで守ろうとするみたいな春は確かにそういっているんだと思う。
泣いている。息がうまくできないのか、何度かつっかえるようにひたすらに両腕に縋られる。

「しゅうにぃ」と呼ぶから、口は開かない。
もう一つ春が口にした名前も、迅には誰かはわからない。


ほら、やっぱり足りていない。
春が呼ぶのは海の向こうの人で、迅たちじゃない。春の一番、深いところに、誰も入れてもらえていない。
視界が涙で滲んでいる春は目の前にいるのが誰かなんてわかっていない。
暴れる体を懐に抱え込んで動きを止めた。既に一度加減を知らない春の手が迅のみぞおちをついているがトリガーをオンにしてトリオン体になる余裕さえ見つけられない。

肩口に頭をのせて、耳元で「春さん」と名前を呼ぶ。聞こえてないだろうけれど。

S級作戦室は基本的には自由に出入りができてしまう。門戸を広くしてさまざまな隊員と親しくさせるのが目的のひとつだからだ。
だからすべてにロックをかけた。誰も入ってこれないように。これは春も知らない設定のひとつだ。


「……、春 」


赤井が呼ぶように、敬称を取り払って名前を呼んだ。
春、春、と繰り返して。
そうして一晩中、泣いて泣いて、泣き疲れて春の意識が落ちるまで、迅は春を抱えていた。
翌朝、何事もなかったように、S級作戦室の仮眠用ベッドに春を寝かせてその場を去った。じわりと、痛みを感じて服の袖をめくりあげると春のつかんだ手の跡が迅の両腕にのこっている。
かすかにひっかいた爪痕もついている。
すぐに袖をおろして、しばらく共用のシャワー室は使わないでおこうと決めた。誰かに突っ込まれると面倒だ。


あれは誰の悲鳴だったのか。
あれは誰の痛みだったのか。
あれは誰の涙なのか。


迅にはわからない。
遠目に見かけた春は今日もへらりと笑っている。昨夜見たものが幻のように。いつもどおりだ。記憶封印措置でもされたみたいだ。
じわり、と腕が痛む。あれは夢じゃないと思い出させる。
唐沢に、キスをした春を見て、この人はこんな風に甘えるんだと思った。煙草の香り一つで間違えてしまうくらいに、べた甘。
八嶋春を甘やかしたくなる男の気持ちが、迅にも痛いくらいにわかった。
だってどんなに酷い波に飲み込まれて魘されても、一言だって春は弱音を吐きはしないのだ。全部全部、飲み込んで。一言もこぼさない。ただ、泣いて、うずくまって。泣くことですら罪であるかのように思っているのか。飲み込んだものをひとつ残らず吐き出してしまえばいいのに。

春はあれを視られたくなかったのだ。だれにも。
だから周りから少し距離をとった。一人で痛みをこらえているのを、想像するだけで胸がきしむ。春は猫に似ている。猫は死期を悟ると姿を消すというけれど、春もきっと同じことをするに違いない。一人で痛みを耐えるように。
頼ってくれればいいのに。自分たちを、自分を。海の向こうの誰かよりも、すぐそばにいるのに。

春の顔を視たときにみえた未来をどうするべきか、と考えた。どうすることがより最善に近づくのか。その”最善”だって誰にとっての最善かはわかったものじゃないけれど。

春がいなくなってしまう未来はまだ消えないし、少なくとも消えない未来は迅にとっての最善には程遠かった。




***





「ユーイチくん」

S級作戦室のソファに座っていたら、後ろから声をかけられた。ソファの背もたれに腕をのせて振り返る。

「春さん、ぼんち食う?」

口を開きかけた春をせいして、さきに迅が言った。春が、答えあぐねている。こっちにおいで、と手招きすると素直に春がよってくる。ソファの後ろにたった春は背もたれに手をついた。

「あのね、」
「うん」
「私、その、とても面倒な奴でして、あの、えっと、なんといったらいいのか、あれなんだけれども」

うん、とまた迅は根気強く相槌をうった。
うんうん、頷き相手の顔を見ながら未来を視ている。こういうところが三輪に嫌われる原因なんだろう。春はぎゅっとこぶしを握り、必死に言葉を絞り出す未来が視えているから、迅はその瞬間をじっと待っていた。

「っ避けてて、ごめんね」
「うん、すっごいさびしかった」

ストレートに言うと、春が衝撃を受けたような顔をする。そんな顔をしなくてもいいのに。目を見開いた春は今にも切腹してお詫び申し上げますと言い出しそうだ。

「避けられまくる前にさ、レンタル始まったら一緒に見よって言ってたDVDがデッキにセットされてます」

そしてテーブルにはポップコーンと、コーラが用意されている。じわ、と春の瞳が涙でにじみかける。慌てたように春が目をこすった。

「特等席がおれの横にあるけど、どーする春さん」
「・・・・おじゃましたいです」
「どうぞ」と二人掛けのソファの隣をたたいた。恐る恐る、春が隣にやってきて、座った。
両ひざをぴったりとくっつけて、その上に握ったこぶしをのせ神妙な態度だ。

迅は気が付かないふりをして、DVDを再生させた。

「・・・・・ユーイチくん、」と春が小さく迅の名前を呼んだ。ん?と返事をする。

「ありがと」と春が鼻をスンッとすすって、言った。



(ああ、かわいいな)

弱弱しくて、でもその弱さを隠そうと必死で頑張っている。知っているよといってあげたい。隠さなくても大丈夫だよと。でも告げた瞬間また逃げ出してしまう未来が視えたので黙っていた。

「おれ、春さんのヒーローらしいしね」
「・・・・うう、いつまでも甘やかしちゃだめだってば。私ほんとめんどうだよ?私のヒーロー大好きだけど、ほんとはわかってるんだよ。ヒーローはろくな死に方しない人ばっかりだ。いつまでもユーイチ君をヒーローにしてたんじゃだめだって」
「お役御免される方がおれは寂しいけどなー」

甘えてほしいのに、とは言わなかった。

「ほら、映画はじまるよ春さん」
「・・・・・ありがと、」とまた、春が言った。
「どういたしまして」と迅も言った。これで、ひとまず仲直り、だ。喧嘩していたわけじゃないけれど。

隣で、かすかに震える人の手を握りたいのを、ぐっとこらえて映画を見た。
少なくとも、今、この瞬間に八嶋春を甘やかすことができるのは迅だけで、海の向こうにいる誰かではないのだ。







prev / next