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したり顔の男がいた。
うんざりするくらい見慣れた顔だ。いやな大人の顔だ。嫌いだ。煩い黙れと言うけれど、春の言うことをそいつが聞いてくれた試しはあまりない。
しゃべりたいだけしゃべって、勝手にいなくなる。
モガミソーイチは勝手な奴だった。
『三門に来て、良かったろ?』
良かったんだろうか。むしろ知らないでいた方が楽ちんだったんじゃないだろうか。
けど春はもう知ってしまった。
春の世界を救ったヒーローを見つけてしまった。
***
「何を逃げ回っている」
「……藪から棒にどうしたの風間くん」
大学の大講義室のすみっこで居眠りをしていたら頭をノートらしきものでひっぱたかれて起こされた。
「迅を避けているな」
「剛速球のストレートだね」
「のらりくらりと逃げるな」
「・・・・風間くん、私は今とても困惑しているんですよ」
机になついて言い訳する。今まともに顔をあわせたら爆発する。心臓が破裂する。どうしようもないじゃないか。この気持ちがわかるか君に、と逆に問い詰め返したい。
あの写真一枚で、確実に自分の未来が変わったのは未来視しなくてもわかっているのに、未来視もちの迅が視たら。恥ずかしい。
何故未来が変わったのかを聞かれたら答えられない。あの写真は墓場まで持っていく覚悟だ。
あの頃の自分は黒歴史だ。小学生のくせに、つんけんして、どうせ世界は滅ぶのになんで頑張るの?とか思っていたのだ。自分勝手で、酷い子供だった。
「ユーイチくんに視られたらもう・・・もう・・・・ううっ」
「仕事がたまっている。さっさと諦めて出頭しろ」
「出頭て」
「先日の少女の遺体の件も。追悼式をする話が出ている。献花をする人間を誰にするか、会議で話が出ているお前が仕切るべきだろう」
「・・・・今日は顔出す」
「そうしてくれ。だいたい何をいまさら照れているんだ」
「ハーフハーフだったのが8:2くらいになったの」
「朗報だな」
「・・・・何の話かわかってる?」
「ボーダー就職の話だろう。言っておくがすでに10:0の決定事項だ。つまらんことでうだうだ悩んでないで給料分の仕事をしろ」
「まだ学生なのに・・・」
「働け」
「真木ちゃんからもそれ言われた・・・冬島さんの気持ち超わかる。女子高生つよい。こわい。けど、かっこよくて惚れる」
21歳は微妙な年だ。成人してるが、まだ完成された大人じゃない。ぐだぐだ言ってて許されると思う。悩んでたっていいじゃないか。答えを出すのは先延ばしにしたい。
新しい未来に一歩を踏み出すのは、とてつもなく恐ろしいことだ。
ボーダーにいる子たちは、だれもかれもちょっと大人すぎやしないか?もうちょいモラトリアムしよ?
風間に連れられてのそのそと大学から久しぶりのボーダーに出頭した。すぐさま根付に捕まって、春は尋問をあれこれ受ける羽目になる。仕方ない。彼女を見つけたのは春だから、口裏会わせについてはしっかりしておく必要がある。
渡された慰霊式典には何と城戸司令も出席するらしい。ボーダーは日々、三門市に貢献しているし、過去の犠牲者を忘れないでいるというアピールにもなるだろう。
メディア対策室が動くなら嵐山隊も引っ張り出されるのだろうか。
弟や妹を可愛がる彼に、幼い子供をパフォーマンスのように追悼慰霊させるのは、嫌なものだ。
「久しぶり春さん」
後ろから声がした。
「・・・ユーイチくん」
振り返りたいが、動けない。顔を合わせると、何を口走ってしまうかわからない。いろんな情報が頭の中をぐるぐる回っている。慣れた感覚のはずなのに、酔ってしまいそうだ。
思わず撤退しようとそのままダッシュしかけたら、横にいた小型かつ高機能な同期に邪魔された。素早く伸びてきた足が、春の足をひっかけて、盛大に頭から床にダイブする羽目になった。
「ぐはっ」
床に懐いていると「だいじょうぶ?」と迅が笑いをこらえながら覗き込んできた。さっと顔をそらす。今あの、顔を、平静では見ていられない。
「喜べ迅。八嶋の永久就職が決まりそうだ」
「え、春さん結婚すんの?」
「違う!絶対違う!なんでそんな言い方するの風間くん?!」
「悩んでいるようなのでどうすべきかを相談した。症状を伝えるとそれはいわゆる”マリッジブルー”だと言われたぞ」
「誰に相談したの?!」
「林藤支部長だが」
愉快犯に相談してどうすんだよ、と春が叫んだ。あまりまだ林藤と絡みはないはずだが、と考えて”ソーイチ情報”なんだろうなと推測して迅は笑った。
「マリッジブルーは新しい環境への不安からくるそうだ。話し合いと気分転換、そして適度の諦め、経験者のアドバイスが肝要らしい」
「気分転換に仕事を進めてくるあたりが風間くんはおかしい」
「さっき学食で昼を奢った。あれで割と機嫌よくなっていただろう」
「・・・・わたし安上がりだな」
「それは確かに。もう少し自分に価値を置くべきだな」
「風間くんに褒められて、る?素直に喜んでおくべき?」
床から膝をついて春が置きあがる。迅が横にしゃがみこんでいて、風間は呆れたように腕組みをして仁王立ちだ。
「呆れている」
「ストップ風間さん、これ以上ダメ―ジ食うとほんと春さんがちでへこむから」
「・・・扱いが容赦ない」
「手心を加える必要がない相手だと思っているからな」
「それはそれでちょっとうれしいような?」
迅が「妬けるなぁ」と茶々を入れた。
ボーダーは春にとってやはり新鮮な場所だった。年上だらけの組織に長らく所属してきたせいもあって、こういう同級生とのやり取りはしているだけで感動する。
自分より年下だった名探偵も、あらゆるスペックが上すぎてちっとも先輩面はできなかった。ボーダーには後輩もたくさんいる。というか後輩だらけだ。
若すぎる組織にはやっぱり二の足を踏んでしまうのだ。
これまでは、なんだかんだで守られて甘やかされていた。庇護してくれる人がいた。
親離れしなくてはいけないと分かっていても。
視線をずらして迅を覗き見る。青い瞳が春をまっすぐに見ている。いや、視ている。
迅悠一が破顔した。
それを正面から見てしまって春は、心の中で白旗を上げた。無理。無理です、負けました。ヒーローに勝てるわけがない。
「・・・・うれしそうですねユーイチくん」
「うん?そりゃね。未来が動いてる」
「きっちり確定させておけ」
「迅、了解」
「何をどう確定させるっていうんだ・・・もう無理。ほんといっぱいいっぱいです。これ以上苛めるのよくないと思う」
「………春さんはボーダーに就職するよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
未来視の副作用を持つ迅悠一はにこやかに言い切った。
ぐうの音も出ない。さあ、どうかなー?なんてもう言えない。春もわかっている。ソノトオリだ。
春は、間接的にとはいえボーダーの誕生にかかわっているのだから、気が付いたら放っておけるわけがない。
あの日、あの少年は、近界にさらわれるはずだった。
ボーダーの存在も、大規模侵攻への備えも、すべては未来視を持つ少年から始まるのだ。
春が視ていた世界の終わりは、少年がさらわれた先の未来だった。
あの日、少年はさらわれず。
ボーダーは誕生し、未来視によって大規模侵攻に備えていた。
世界の終わりは回避された。
「・・・・わたしの第六感もそういってた」
そのあと城戸司令のところに連行されて、正式な手続き書類一式を笑顔の本部長から手渡された。
それでもまだぐずぐずと愚痴っていたら、風間にとどめを刺された。
「”We're all over 21, footloose and fancy-free.”だろう」
大好きな映画の名台詞を持ち出されてはぐうの音もでない。そのとおりだ。
――自分の意志でやったことだ。
と意訳されているその一言は直訳すると、『我々はみんな21歳を超えている、自由気ままだ』だ。
言い訳するな、ということなんだろう。映画ネタでくれば春を簡単に黙らせることができるとあって、手段を選ばず努力を惜しまぬA級の鑑である風間は時間を作っては映画観賞に勤しんでいるらしい。
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