仲秋の名月 2


 ぐつぐつと煮込まれる白い玉を眺めながら、ノーチェは終焉の戻りを今か今かと待つ。
 数分前に飾りを取りに行った男は、ノーチェに団子の存在を任せて部屋を後にした。「三分茹でたら出していい」の言葉を忘れず、小振りの時計を見つめること三分。茹だったそれをザルに移して、冷やすために水に晒す。
 粉と水を混ぜて、適度な固さになった生地を丸め、湯に入れるだけでできるものなのかと、彼は団子を見つめながら思った。白くて丸いそれは、五センチほどの大きさに統一されている。どれもこれもまるでばらつきのない大きさに、ノーチェはつい、終焉の完璧さに感心すらした。
 白くて艶が目立ち、粉っぽさなど見た目では分からない。まるで満月を模した団子を摘まみ、じっくりと眺めると、本当に月に見えてきてしまう。
 不思議な風習があるものだな、と彼は台座の代わりに用意された皿にそろ、と移し、飾る。どう盛り付けるのが正解なのか、ひとつ置いたところで扉の開く音がして、ほっと安堵の息を吐いたのは言うまでもない。

「どうだ、上手くできていそうか?」

 そう呟きながらノーチェの傍らに寄り添う男に、彼は頷きをひとつ。大して食べたことも、見たこともあるわけではないが、不味いことはないだろう。
 白く艶めく丸い形のそれを見て、終焉は「こんなものか」と物珍しそうに呟いた。不思議なことに、男は和菓子の類いを作ったことがないようだ。
 好奇心が刺激されたかのように人差し指で軽くつつく姿を、ノーチェは珍しいものを見る目付きで見守っている。
 終焉曰く月見団子は下から上にいくにつれて、数を減らしながら縦に積み上げるそうだ。その形は三角形と形容しても過言ではないようで、ノーチェの目元にある模様を一目見てから、軽く微笑む――ように見えた。

 男はノーチェに関するもの全てを好ましく思っていることが窺える。特に彼がニュクスの遣い≠ナあることを中心に、ノーチェの存在を肯定するように殆どのものを好いているように見える。
 唯一終焉が気に食わないと思っているのは、彼が奴隷であるということだけだろうか。

 ノーチェは終焉が自分の目元の模様を見ていることに気が付いて、何気なく手で顔を覆い隠す。特に嫌な気持ちも、相手からの視線が威圧的なわけでもないのだが、ほんの少しの気恥ずかしさが胸に募るのだ。
 彼が自分の顔を隠したことに、終焉は「むぅ」と唸り声を上げた。しかし、すぐに仕方ないなと呟き、団子が盛り付けられた皿を手に持つ。
 使った道具の片付けは後回しに、男は彼を手招いた。
 リビングへ至る扉を開けたあと、テーブルや椅子を素通りしていく終焉の後をノーチェは歩く。

 「お月見」と呼ばれるその行事は、名の通り月を鑑賞しながら収穫に感謝をする出来事のようだ。この街には収穫祭という行事があることから、どうにも月見をする風習はない。ひとつの季節に同じような行事をするくらいなら、規模の大きい方へと力を入れる傾向にあるという。
 ――しかし、一部の人間は、月を眺めることもあるのだと終焉は言った。
 例えば自分自身。例えば外から来た人間建ち。教会≠フ面々や森に住むリーリエなんかは、月見をすることがあるという。

 エントランスへ着く前に呟かれた話に、ノーチェは「へぇ」と生返事をした。丁寧に靴を履く終焉に、「裸足で外に出るなよ」と言われ、渋々与えられた靴を履く。
 相変わらず雑用を押し付けられることもなく、開かれていた扉から夜空が広がる外へと足を踏み出すと――ほんの少し冷えた風が、頬を撫でた。

「わ……」

 思わず感嘆の息が洩れる。思えば、夜が更ける前の時間帯から、外に出たことなど、滅多にないような気がした。――それこそ、花祭りや夏祭り以来ではないだろうか。
 ノーチェが見上げた先にある夜空は、一点の曇りもない満天な星空を湛えている。周りに街灯や街の灯りなどないお陰か、普段なら見えないような小さな星の瞬きでさえ、彼の瞳に映る。
 何かの本の表現では、星の瞬きを金平糖と例えている描写があった。それも強ち嘘ではないと、彼は思う。
 赤や黄色、青の輝きが、ぱちぱちと弾けるように見えていた。
 その中で一際輝く満月が、これ以上にないほど眩しく思えたのは言うまでもない。
 特別大きく見えるわけではないが、どうも普段より綺麗に見えてしまうのは、終焉がやたらと知識を吹き込んだからだろう。
 「おいで」と低く呟かれた言葉にハッとして、ノーチェは視線を下ろす。暗闇に溶けかける世界で咄嗟に男を探す素振りをして、漸く視界に入れたとき、彼の思考が僅かに止まる。

 月明かりに映える黒髪が、風に揺られてさらさらとなびく。月光を反射して艶に見える光が、まるで川の流れのように穏やかに見えた。
 たおやかに流れる髪の黒が、終焉の白い肌をより際立たせる。恐ろしいと思えるほど白く、綺麗だと思えてしまうその顔に、彼の胸の奥が騒ぐ。
 そこにあるのは不快感――ではなく、胸を躍らせるほど、穏やかな既視感がほんのり囁いていた。

 ――綺麗だ、と言えば、この人は嫌な顔をするんだろうか。

 ――そんな疑問が、ノーチェの足を止めていた。
 それを男は不思議に思ったのか、それとも微笑ましく思ったのかは分からない。ただ、穏やかな口調でもう一度「おいで」と言った顔は、誰よりも優しく、まるで月明かりのようだった。
 招かれたノーチェが向かう先にあるのは、手入れの行き届いた庭にある白いガゼボだ。終焉は普段通りの足取りで小さな階段を上り、白い椅子に座りながら皿をテーブルに置く。
 随分と丁寧に置いているのか、型崩れのしないそれを見ながら「器用だなぁ」なんて思って、彼は椅子を引いた。
 カタン、と夜の下で小さな音が鳴る。よく見れば、白い家具の上にはルフランでは見慣れない植物が飾られていた。小麦色にもよく似た辺鄙へんぴなものだ。
 これは何だろう、なんて手を伸ばすと、僅かに柔らかな肌触りを感じる。
 この辺りでは見慣れないものであることは確かで、試しに「これは?」と終焉に問い掛ければ、男は答える。

「確か、ススキ、だったかな」
「ススキ」
「そう、ススキ。月見で飾る植物だそうだ」

 リーリエに分けてもらった。――そう言って終焉はまた珍しそうにススキを凝視して、人差し指で軽く穂先をいじる。ひらひらと軽く揺れる穂先に、男は一瞥したあと、興味を無くしたかのように惜し気もなく視線を逸らした。
 月見という行事が、終焉にとって珍しいものであることを、彼はそれとなく理解する。いくつかの知識は口から出てきているが、とうの本人は行事そのものに参加したような記憶がないのだろう。
 それでも月を眺める日を設けたのは、終焉の隣にノーチェがいることが大きな要因だった。
 どうやら東の方に群生している植物らしい、と口を添える。その口振りはやはり、大して興味を持っているようには思えなかった。

 月見をするからといって早めにとった夕食の量は、普段より少なかった。朝食に利用するであろう食事に、ほんの少し物足りなさを覚えたのは言うまでもない。
 ――だが、夕食の後に設けた僅かな時間を堪能するのに、満腹になるのは控えたかった。
 早めの入浴も済ませて、珍しく髪をドライヤーで乾かされ、風邪を引くことのないように徹底された予防に、彼は満足感を得る。習慣とは恐ろしいもので、終焉に世話を焼かれることが何故だか心地好く思えてしまった。
 後にデザートだの何だのが来るものかと思っていたが、終焉の月見に対する謎の熱意は、食後の甘いものを用意することはなかった。
 そんなに楽しみなのかと頭を捻るが、終焉が楽しみにしているのは月見ではないことは彼にも分かる。今日一日でノーチェは何度も男の視線を感じていたのだ。
 男はあくまで「月見に対して心を躍らせている」のではなく、「ノーチェとの月見」を酷く楽しみにしているのだろう。
 それ以上でも、それ以下でもないことが、男の様子から窺えているのだ。

 終焉の話にノーチェは「そうなんだ」と呟く。そのまま、男が白玉に手を付けるのか、付けないのかを見守る。
 ガゼボの下にいるのだが、ほんの少し差し込む月明かりはテーブルを照らしていて、白いそれらが輝いているように見える。少し眩しい、なんて心中で呟きを洩らしながら男の動向を見守ると――終焉が静かに唇を開いた。

「綺麗だな」

 ぽつりと呟かれた言葉に、ノーチェは瞬きをする。
 男の視線は彼の顔から、僅かにそれてテーブルの方へと向けられた。
 今宵は満月――また瞳のことかと思い、ノーチェは「いつものとあんま変わんないだろ」と口を溢す。
 月の満ち欠けによって瞳の色が移り変わる他、特別な子となど何ひとつとしてありはしない。視力が良くなったり、身体的な面で力が向上するわけでもない。
 ――ただ少し、何かをしたいという欲求が顔を覗かせるだけだ。
 そんな満月を終焉は何度も目にしてきた筈だった。今日に至るまでの日も、絶えず瞳を眺めてくるほどだ。そこまで珍しいものでもないだろ、と彼は呟いたのだ。
 ――だが、終焉から紡がれた言葉は、ノーチェの意思に反するものだった。

「ノーチェが綺麗だと言ったんだ」
「……は…………?」

 しれっと紡がれた言葉に、彼はとうとう目を丸くした。
 綺麗なんていう言葉が自分自身に合っているとは思えないノーチェは、ほんの少し眉を顰めて「何言ってんの」の口を洩らす。
 終焉は絶えず無表情という真顔のまま、「何か可笑しなことを言ったか?」と首を傾げてみせた。自分は可笑しなことを言った覚えはない、思ったことを言ったまでだ――と言いたげな言動に、ノーチェは頭を抱える。
 綺麗なのはアンタの方だろ――なんて言いかけて、先制を奪われた。

「瞳はもちろん、月明かりを受けるその髪がやけに綺麗だと思ったんだ」

 白い髪が星屑のように煌めいて、風に揺れる度に輝いているように見えた。
 何の恥じらいもなく、無表情のまま終焉はノーチェに告げる。金に染まる瞳こそが夜空に浮かぶ満月と、白く輝く毛髪が星のようだと、口説き文句のように言った。
 聞けば耳が痛くなるような言葉に、ノーチェの方が恥ずかしさを覚えてしまう。「あんま言わないで」と小さく洩れた言葉に対して、終焉が「そうか」と頷いた。

「今でも十分綺麗なんだが、冬はもっと綺麗だろうな。空気は澄んでいるし、夜空ももっと星が見える。ノーチェには冬がよく似合うと思っているんだが――」
「だからもういいってば」

  飽きもせず恥ずかしくも思わず、男に対して綺麗だと何度も紡ぐ終焉に彼はぐっと口許を歪めた。恥ずかしさが頬を染めているようで、冷えた空気が僅かに心地いいと思えるほど、体が火照る。
 端正な顔立ちの、女と同じくらいに綺麗な顔を持つ男に褒められることがこんなにも恥ずかしいなど、思ってもみなかった。
 ノーチェに言われて言葉を止めた終焉に対し、彼は珍しく顔を逸らしながら手の甲を頬にあてがう。風とは違い、すぐに同じように熱が伝わってくるが、動揺を隠すような心理で体が動いた。どうして自分がこんな気持ちになるのかを疑問に思いながら、彼はちらりと終焉を見やる。
 終焉はノーチェから視線を逸らし、白玉を指先でつついていた。指先に伝う柔らかな感触に好奇心をそそられたのか、意を決してそれを摘まみ、口許へ運んでいるのが見受けられた。

 この人に綺麗だと言ってみればどんな反応をするんだろう。

 ――そんな疑問が再び脳裏によぎるが、くさい台詞を言えるほど、彼の精神は強くはない。もしかしたら、奴隷ではなければ言えたのかもしれないが――そんな未来、想像できるほどの前向きさは未だ持ち合わせていない。
 そう思案するノーチェに対して終焉は白玉を一口。もっちりとした柔らかな食感と、低反発に何を思ったのか眉を顰め、咀嚼する口を疎かにする。軽く口許に手を当てて神妙な面持ちをするものだから、彼はつい、珍しいものを見たと目を丸くした。
 気に食わなかったのか、それとも食感が苦手だったのかは分からない。疎かになった咀嚼を繰り返す度、終焉は眉間にシワを寄せて、「む……」と小さく言葉を洩らす。
 あまりの表情の変化に「これならこの人は死なない」と記憶しながら、ノーチェも白玉にゆっくりと手を伸ばした。
 柔らかな弾力が特徴的なそれに、彼は口をつける。味はない。抵抗もそれほどではない。食えなくもない、なんて思いながら食べ進めると、漸く呑み込んだであろう終焉が溜め息を吐いた。

「何というか…………ん……独特な…………」

 不思議な食感だな、と呟く男は尚も口許を押さえ、もごもごと口を動かしている。味については何も言わないことから、特に分かる何かがなかったのだろう。
 かくいうノーチェも、咀嚼して飲み込んだあと、味の物足りなさを覚えてしまって、「んー……」と洩らす。普段から終焉の手料理を食べている影響が、今ここに来て出ているのだと思うと酷く厄介に思えた。
 万が一男の元から離れることがあれば、酷い贅沢ものだと罵られること間違いないだろう。
 ――そんな懸念点から、彼は食事を繰り返しながら、味に慣れるように自分を言い聞かせる。食べられるだけマシだと、傷んでいないだけ贅沢だと、何度も頭に叩き込んだ。
 甘くもない白玉は、終焉にとってはただのもっちりとした無味無臭の、不思議な食べ物でしかないのかもしれない。その証拠に、男はひとつ食べ終えてからというものの、全く口にする様子を見せなかった。

「気に食わないんだ……?」

 ――試しにそう問い掛ければ、終焉はバツが悪そうに「ん……」と頭を掻いた。
 私はあまり好きじゃないな――そう言って視線を月へと向けると、僅かに微笑む。その表情は普段よりも遥かに柔らかく、優しく。
 ――何故だか、胸の奥が騒ぎ立てるような不快感を彼は覚えた。
 何だろう、とノーチェは軽く首を傾げる。ついこの間、リーリエに好きだの愛だの、言われた所為で妙な感覚に捕らわれてしまっているのだろう。

 好きとかそういうのわかんねぇし。

 自分の考えを振り払うべく、ノーチェは首を横に振った。
 その行動を見て不思議に思った終焉は「どうした?」と問う。月から視線を逸らしてノーチェへと向けられた瞳が、片方だけ月のように輝いていた。
 初めて「お揃いだ」と言われたあのときのことを、彼は今でも覚えている。
 こちらからも言ってみるべきだろうか――そう思っている間に、終焉は再び嬉しそうに口許を緩めて笑っていた。
 ノーチェと片目の色がお揃いだという点において、男が喜びを覚えているのだ知るのは、それほど時間を必要としなかった。

 ――嬉しそうなら別にいいか。

 なんて思いながら、ノーチェは終焉が手を付けようとはしない白玉に再び手を伸ばした。

◇◆◇

 教会≠フ庭は広く、手入れには数時間ほど掛かってしまう。枯れ葉が舞い落ちれば、その分掃除に時間が掛かると、誰もが嫌そうな顔をするほどだ。
 そんな庭の一画で声を上げているのは教会≠フ面々だった。

「レイニールさんの手作り……!」
「女性の手作りが食べられると聞いてやってきました」
「何か! お手伝い致しましょうか!?」

 わらわらと集るように集まって、レインの周りに集う人間に、ヴェルダリアは顔を顰める。普段挑発するように八の字に下げられる眉が、眉間にシワを寄せて苛立ちを露わにしていた。
 数歩離れた場所にレインがぼんやりと立ち竦んでいて、両手には見慣れない台座と白玉がピラミッド状に詰まれている。そして、集まってくる男達に遠慮がちに微笑んで、ちらりと後方を見た。
 視線の先にいるヴェルダリアがあからさまに不機嫌になっている。それが、彼女にとって良くないことであるのは確かで、悩ましげに眉尻を下げた。

「集るんじゃねえ! 散れ!」

 唐突にヴェルダリアが荒々しく声を上げると、レインの周りに集まっていた男達は「うわ、出た!」なんて言って、そそくさと離れていく。その際にレインの手元にあった団子を奪い去って、そそくさと用意されたテーブルへと走っていった。
 彼らがナンパ目的ではないことはレインは重々承知している。だからこそ、何食わぬ顔でレインの隣に並ぶヴェルダリアに対して、少女のように頬を膨らませて見せる。
 「悪い人達ではないんですよ」――なんて言いたげな視線に、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。

「そんな顔したって俺は気に食わねぇんだよ」

 溜め息がちに言葉を吐いて、レインの燃えるような色合いの髪を軽く撫でる。どう見ても口説き目的にしか見えないから、なんて取って付けたように言うが、レインは頬を膨らませたまま彼の手から離れていった。
 彼女は悪意に疎く、基本的には人を疑う性格ではない。それを十分に理解してヴェルダリアは辺りに警戒を配らせているのだが、肝心の本人はそれすらも気が付いていないようだった。
 レインが向かう先にいるのは先程の教会≠フ面々で、いそいそとススキを飾る彼らに混ざって飾りつけをする。今夜は酒を飲んでもいいだとか、この白玉は絶対に美味しいだとか、他愛のない会話が聞こえた。
 冷えてきた風を頬に受けて、レインが風邪を引かないかだとか、あいつら近すぎるとか、何気ないことを考えていると――後方から声を掛けられる。「やあ」と、無感情な声色が、ヴェルダリアの耳を擽った。

「フラれたのかい」
「は?」

 ふらりと現れたモーゼに対し、再び険悪な顔をすると、男が笑う。「言っただろう、勝手に集まってくるって」と続けて言えば、安直な男達の考えが分かって彼は小さく舌打ちをする。

 思えば疑問だったのだ。モーゼがレインを手招き、地下にあるキッチンに招いたときに嫌な予感はしていたのだ。
 月見団子なんてものを作ると言って、作業をレインにやらせることを聞かされた男達は。こぞってモーゼに詳細を訊ねた。月見とは何ですか、なんていう言葉がヴェルダリアの耳に届く。
 月を鑑賞する風習だとモーゼは本を携えながら言っていた。モーゼ自身、月見というものを熟知しているわけではないようだ。ただ、本に載っているものに興味を示して、実践してみようという気持ちにでもなったのだろう。
 十五夜と呼ばれる満月を見上げながら、月に似ている白玉を食べるんだ、と言えば、周りは参加すると口を揃えて言ったのだ。

 午後八時近くの夜の空には、随分と綺麗に輝く満月が爛々と輝いている。辺りには星屑がチカチカと小さく瞬いているが、街の灯りに押し負けて、一望することは叶わなかった。
 街から離れた場所の森に行けば、夜空の星も全て目にすることができただろう。
 レインが作ったらしい団子に集るのは片手で数えられる程度の、数人の男達。その男達がレインが作った団子を口にして、何やら涙を流している。安直に言えば、彼らは女との関わりのない人間達なのだろう。
 ふて腐れた顔を見せ付けられたヴェルダリアは、声を張り上げることを諦めてモーゼへと耳を傾ける。「お前が思うようなことなんて全くねえ」と言えば、「それは勿体ない」と予想外の言葉を掛けられた。

「恋はいい。空っぽな自分を満たすのに打ってつけだよ。恋は盲目、なんて言葉があってね。相手以外のことなんて全く考えられなく――」
「うるせえ」

 得意気に語るモーゼに一喝して、ヴェルダリアも軽く月を見上げる。
 予想に反してモーゼはそれ以上のからかいを口にすることもなければ、何か重要な話をするわけでもない。ただ、「そうかい」と呟いて、片手に携えていた酒を軽く呷る。
 夜はいい。余計な雑音が聞こえないから。
 ――今日ばかりは騒がしく、耳障りな声が離れた場所から聞こえるものだから、彼はあからさまな溜め息を吐いてみせた。

「――まあ、今日は適当に過ごしておくれ。やりたいことがこれからあるんだ」

 トン、と肩を叩いて、モーゼはその場を後に踵を返す。目的地は勿論教会だ。恐らく、あの棺へと向かうのだろう。
 暢気だな、なんて呟いて、ヴェルダリアは視線を月から下ろす。すると、小柄な影がこちらへ近付いているのが見えて、腰に当てた手を下ろした。
 軽く駆け寄ってきたのは白玉をひとつ、手に持ったレインだ。アメジストのように瞬く瞳を彼に向けて、携えたそれをぐっとヴェルダリアに押し付ける。どうやら食べてくれと言っているようで、キラキラと輝く瞳はまるで夜空に浮かぶ星のようだった。
 先程ふて腐れたような顔をしていたのを、彼女は覚えていないのだろうか。僅かに期待した視線がヴェルダリアの視線に絡み付く。――だが、今ここで断れば、再びふて腐れてしまうのだろう。
 ――というよりは、悲しそうに肩を落とすのかもしれない。
 どうしたものかと視線をレインの向こうへと向ければ、男達が「受け取れ」「食べてやれ」と囃し立てていた。まるで野次馬のような存在に、ヴェルダリアがとうとう嫌そうに口許を歪める。

「……仕方ねぇな」
「……!」

 そう言ってレインの手元に収まる白玉を、ヴェルダリアは口へと運んだ。
 それを見守ったレインは嬉しそうに目を輝かせて、再び男達の元へと駆けていく。まるで報告しているかのような光景は、兄妹のそれとよく似ているように見えた。
 口へと運んだ団子を咀嚼して、彼は再び空を仰ぐ。

「……これ、あんま好きじゃねえな……」

 小さく呟かれた言葉を、聞く人間は誰一人としていなかった。


前項 - 次項
(58/83)

しおりを挟む
- ナノ -