62-継承
別の世界の2028年4月
透により天与呪縛による寿命の縛りを解除された世那は39歳を迎えていた
「ママー、私の髪留め知らない?」
洗面所から聞こえるその声に呆れたような顔をした世那は朝食を並べていく
「昨日脱衣所に置きっぱなしだったでしょ」
「あー、本当だ!さっすがママ」
「はいはい、調子いいこと言ってないで早く食べなさい」
ひょこっと姿を現したのは今年18歳になる悟と世那の娘
悟譲りの白髪に世那譲りの赤い瞳
髪型は世那を真似て伸ばしているとのこと
女の子らしくコスメや流行りなどに敏感で、野薔薇とはよくお買い物と称した散財ツアーを行っているらしい
かつての世那を彷彿とさせる髪留めが動くたびに揺れている
「あれ、パパは?」
「もう食べたよ」
ソファに腰掛けテレビを見ていた悟は娘の問いかけにそう返した
時間にルーズなところは悟似なのか、どうやらマイペースのようだ
「今日から三年生でしょ?そろそろ遅刻癖どうにかしなさい」
「えー…だってパパが咎められないくらいなら別に良いって」
それを聞いた世那がキッと悟を睨みつけるが、悟は慌てて目を逸らし砂糖たっぷりのコーヒーに口をつけた
娘を溺愛している悟はかなり甘い、世那が見ていないところで甘やかすので少し我儘な子に育ってしまった気がしてならない
彼女の師匠に当たる傑も「悟が全てを台無しにする」と言っていたほどに甘いのだ
「あーあ、今日からまた寮生活…ママのご飯食べれないの辛いよ」
「寮母さんのご飯美味しいでしょ
それにたまには自分で料理もしないとね」
「はぁい」
不服そうに返事をした娘だが、時計を見て慌てたらしく急いでご飯を平らげてバタバタと準備を始める
休暇の間こっちに帰ってきていただけで荷物は少ないはずなのに手間取っているのでまだまだ手がかかると世那と悟は目配せして笑い合った
透の言った通り二人の子供は透ではなかった
未来が変わったことで違う世界線へとなってしまったんだろう
それでも二人は自分の娘を大切に、愛情を持って育てた
娘には透の話も伝えているが、ピンときていないのか「お伽話みたい」とケラケラ笑うのみ
普通はそう思って当然だろう、けれど確かにあの一ヶ月半彼はこの世界に存在した
彼がいたからこそ世那は今生きている
「今年であの子も透くんと同じ年だね」
「そうだね、まだ子供だと思ってたけどもうそんな年だ」
あの時は同じ年齢だったが、今思えば娘と変わらぬ年齢の透が母親を救うために過去へと来たのだから勇敢である
二度と会うことはできないが別の世界で今も生きている彼のことを思うと心が暖かくなっていく
「そう言えばあの懐中時計の呪物は見つかった?」
「うん、もう既に高専で厳重保管してるよ
あとあいつが言ってた裏ルートで取引されてた宝生の目もね
ただ例の護石だけは見つからないんだ…もしかするとあれは透のいた世界だけの話なのかもしれない」
「そっか…」
世界線が異なればあるものも変わり、当たり前も変わる
悟はこの世界がとても平和であることに透の力を感じていた
両親思いの彼は別の世界の自分達に笑っていてほしいと願った、それは巡り巡って恩恵としてこの世界にもたらされている
「(なんて、らしくないな)」
非現実的なことを考えていた悟は自嘲気味に笑うが、準備が出来たであろう娘が駆け寄ってきたので思考を中断する
「パパお待たせ!」
「ん、じゃあ世那行ってくるね」
これから任務のため高専に向かう悟、その悟と一緒に高専へ飛ぶ娘
世那は今日は休みなので二人を見送る
「いってらっしゃい、二人とも」
どうか今日も元気に怪我なく過ごしてほしい
そう祈りを込めて世那は笑顔を見せた
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2031年4月
透は世那の仏壇を前に手を合わせていた
昨年ようやく傑の元での教師補助を終え、今年からいよいよ教鞭を取ることになる
そのことを報告し、目を開けた透は穏やかに微笑む母親の遺影に同じように微笑みかけた
「母さん、見守っててね」
挨拶を済ませ玄関へ向かうと、リビングから悟がひょこっと顔を出した
「送ってあげようか?」
相変わらず時間にルーズなようで、寝起きそのものの父親に苦笑いするも今日がどういう日かを知っているので咎める気にはならない
「いいよ、父さんは母さんとゆっくり話してからおいで
それにもう転移は使いこなせるからね」
「ハハッ、気遣いありがとう」
「じゃ、お先」
シュッと姿を消した透
高専へ飛んだであろう息子の成長を見守ってから悟も準備を始める
いつまで経っても世那のように美味しい料理は作れないが、透が作る料理は心なしか世那の味付けと似ている気がする
透の準備してくれていた朝食を食べ、いつもの服に着替えた悟は世那の仏壇の前に座った
今日は世那の誕生日であり命日でもあるため多少遅刻しても許されるだろう
学長になった傑が煩いかもしれないが最優先は昔から変わらず世那なのだ
「世那、透は元気だよ
立派に育ってる…僕とオマエの子だもん、心配いらないね」
穏やかにそう語りかける悟
そんな彼は気がつかない、傍にいる世那が微笑んでいることを
「透を立派に育ててくれてありがとう、悟」という世那の声は届かない
それでも良いのだ、自分の遺した二人が平穏に暮らせているならそれでいい
世那は安心した顔で悟を見送った
自分は何もできないがずっと見守っている
死ぬ前に透と交わした約束を世那は今も守っていた
高専へと飛んだ透は傑と共に廊下を歩いていた
悟が遅れることを伝えれば呆れていたが、今日は仕方ないと観念した様子
「それより、今日からいよいよ初勤務だね、緊張してるかい?」
傑の問いかけに透は顔色一つ変えず余裕そうな表情のまま「まさか」と答える
「傑よりは上手くやってみせるよ」
「言ってくれるな」
かつて自分が受け持った生徒が今度は教師になると言うのだから感慨深い
正道も自分や悟を見た時にこんな気持ちだったのだろうかと思いを馳せるが、「傑」と硝子が呼ぶ声がしたことで意識を戻す
「お、透も一緒か」
「やっほー硝子」
「今日から教師だろ?頑張れよ」
「ありがとう」
にこりと笑う透は相変わらず襟足を伸ばしており、唯一悟との相違点であるが今は反発心によるものではないことは見て取れる
「じゃあ行ってくるね」
「「行ってらっしゃい」」
教室へ向かって歩いていく透の背中
幼い頃からずっと見てきた親友の子がこんなに大きく立派に成長したことに硝子と傑は微笑む
透は前を向いて歩いている、それが嬉しくてたまらない
教室の前で一つ深呼吸をした透は扉を開けた
高専は和風な造りのためガラガラと木製の扉が擦れる音がし、中にいた生徒達の目が一斉に透へ向けられる
その視線を感じつつも透は黒板の前に立ち、生徒一人一人を見ていく
どの子も優秀そうな未来ある呪術師達
自分が守りたいものの中に今日からこの生徒達も追加されたことが少しむず痒い
きっとどこかで見ているであろう親友達を安心させるためにも上手くやっていこう
前を向いて、正しく生きて行こう
そう決意した透は口を開く
「はじめましてキミ達の担任の五条透だよ、よろしく」
にこりと微笑んだ透の姿
その様子をどこからか見ていた、北人と綾は安心したようにその場から姿を消した
桜の花びらが舞う
出会いと別れの季節がまた巡る