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これの後日


バトルサブウェイで働く従業員の勤務時間帯を決めるのは、ぼくらサブウェイマスターの仕事。といっても、あまりにも人が多いから、毎月の勤務を一から決めることはない。ある程度は決まっているから、従業員の「この日は非番にして欲しい」とか「この日は出勤するから、こっちの日を休みにして欲しい」とか要望の書かれた紙を見ながら決める。休みをとりたがる人が多い時はちょっと大変。けど、毎月毎月微調整程度。だからこの仕事はぼくでも出来る。

今月の勤務表はぼくが考えた作ったから、来月はノボリ。今月もあと一週間と少しで終わる。そろそろノボリは「来月の勤務表が出上がりました」ってぼくに勤務表、見せてくるはず。ぼくらはお互いに、完成した勤務表を相手に見せて確認してもらうのが暗黙の了解だった。



***



今日の勤務も無事終了。あとはノボリが地上に上がってくるだけ。サブウェイマスターだけが着ることを許されるコートを脱いで、ワイシャツだけ。ネクタイは鞄に突っ込んだ。本当はスラックスを少し捲りたいけど、シワが出来ちゃうから我慢する。


「……あっつい、あつい」


ぱたぱた手をウチワ代わりにしながらノボリを待つ。ノボリ遅い。あの書類、今日が期日じゃないやつなのに。ほんとマジメ。ノボリが地上に上がる頃には、ぼく、とける使ったバニプッチみたいになってるかも。バニプッチっていえば、最近アイス食べてない……帰りにアイスクリーム食べたい。今からヒウンアイス買いに行っても売ってるわけないし。コンビニ寄りたいって言ったらノボリ怒るかな。



「クダリ、お待たせしてしまい申し訳ありません」
「あ、ノボリ」
「先に帰っていてもよろしかったのですよ」
「ううん、ひとりで帰るのつまらない。ねえノボリ。そんなことより、ぼく、アイス食べたい。コンビニ寄りたい。だめ?」
「構いませんよ」


ぼくを待たせたことによる罪悪感か、ノボリは反対することもなくコンビニ行きを許可してくれた。ノボリ優しい。「ありがとう」って言ったら、「今日は暑いですからね」って返される。うん、今日は暑い。今日は今年一番の暑さだって、クラウドが言ってた。だから日が暮れてもむしむしする。じっとり汗がワイシャツとくっついて、気持ちが悪い。早くシャワー浴びたいけど、その前にアイスが先。ぼく、ストロベリーのアイスが食べたい。


「ノボリは何か食べる?」
「…わたくしはチョコ──………いえ」
「?」

ノボリの動きが一瞬止まり、右手を顎にあてると、何か考えるように目線を下に向ける。ぼくが不思議そうに首を傾げて眺めていたら、「モーモーミルク使用のまろやかバニラアイスが食べたいです」なんて、ぜんぜんノボリらしくない商品名を挙げた。ノボリ、アイス食べる時は必ず苦い感じの味を選ぶのに。なにがどうしてそんな甘そうなアイス食べたいなんて思ったんだろう。ぼくの何か言いた気な気配を察したのか、ノボリは軽く咳ばらいをして「ほら、食べたいのでしょう。お代はわたくしが持ちますから」とぼくを急かした。

………うやむやにしようとしてる。




***




コンビニで用を済ませた後、適当にベンチに腰掛けて食べることになった。知り合いのトレーナーに軽く手を振りながら、ぼくらは同時に座って、同時にアイスの封を開ける。別に意識してるわけじゃないのに、不思議。

冷気が出ているストロベリーアイスを口に含みながら、ちらりとぼくと同じ顔をした兄を見遣る。
そこにはいつも以上に仏頂面を深くしたノボリが親の仇みたいにバニラアイスを睨んでた。ほんの一口、囓ったあとが確認できる。


「……ノボリ、大丈夫?」
「………ええ…たいへん、美味しゅう御座います…」


…ぼく、味はきいてない。


「今日のノボリ、珍しい。いつもは抹茶、それかブラックチョコレート。わりと苦い系が好きなのに。今日はバニラ。しかも濃厚そうなやつ」
「……気分です」
「気分?」
「…わたくしが気まぐれになってはいけませんか?」
「全然」


ぼくが左右に首を振れば、ノボリは無言且つゆっくりとした動作でバニラアイスを舐め始める。あ、ぼくも食べないと溶けちゃう。


「……やっぱり暑い時はアイスだね」
「…そうですね」
「暑い時に氷タイプいると便利だよね」
「…そうですね」
「……シンゲン、チリーンとグレイシア持ってる。チリーンの鈴の音聞きながらグレイシアにくっついてひんやり。きっと涼しい」
「…そうですね」
「………明日も暑い?」
「…そうですね、暫く猛暑が続くと天気予報でやっておりました」
「ノボリ、ぼくの話聞いてたの?」
「…?聞いてましたが…」



「そうですね」しか言わないから、てっきり聞いてないと思ってた。

「心ここにあらず、って感じだったから」
「ああ…アイスが美味しいので、つい夢中になっておりました」
「そう言うけど、あんまり減ってな──」
「クダリ、垂れますよ」
「…あ!」


垂れそうになるアイスをべろりと舐め取り、大きく口を開けてぱくりと一口味わう。頭がきーんとするけど、すっごく美味しい。
体が冷たいものを欲しがっていた所為か、アイスはあっという間にお腹の中に収まってしまった。
「ごちそうさま」とノボリに言えば、ノボリは無言で、少し溶けかけのアイスを差し出してくる。

…………?


「このバニラアイス、とても美味ですのでクダリもどうぞ召し上がり下さいまし。わたくしは満腹ですから、全て食べてしまって構いません」
「いいの?」
「ええ。溶けてしまわないうちに、どうぞ」
「うん、ありがとう」


ノボリが買った「モーモーミルク使用のまろやかバニラアイス」。後味が濃くて、ノボリが好きそうなやつじゃないなと思った。ぼくはこういうの好きだから、ストロベリーアイスみたいにぺろりと平らげちゃったけど。




***




アイスを食べ終えて、他に寄り道をすることなく家に戻った。今日の食事当番はノボリ。お手伝いは要らないっていうから、ぼくはボール磨きをすることにした。ノボリの分のボールも磨くから、そこそこの量になる。ボール磨き専用のスプレーとタオルを引き出しから取り出していると、キッチンの方からぼくの名前を呼ぶノボリの声が響いた。


「なぁに?」
「来月の勤務表、作成しましたのでチェックの方お願いします!」
「うん、わかった」



一旦ボール磨きはあとにして、ノボリの仕事用鞄を漁る。ノボリは勤務表を黒色で透明なファイルに綴じてる。ちなみにぼくは白色で透明なやつ。分厚い資料の間に挟まれたファイルを取り出して、一番上に綴じられていた勤務表を一面見渡す。勤務表は鉄道員、清掃員、サブウェイトレーナー@AB…って具合に分けられてる。うちの職場は従業員多い。点検には、「鉄道員以外のサブウェイトレーナーが、きっちり一日の労働時間内に勤務を終えられているか」「要望に沿えているか」を重点的に見る。勤務表の下に綴じられていた要望用紙と見比べながら、一人一人点検していく。いくらバトルが好きだからって、あんまりやり過ぎるとやっぱり疲れちゃう。皆にはきちんと休んでもらって、疲れを癒したらまた頑張ってバトルして欲しい。それがぼくとノボリの希望だから。


ヨシマサはこの日休みなんだな、って思いながら鉄道員の勤務表を見終わって、清掃員の勤務表をめくる。
カマナリは来月小旅行に行くって言ってたから、多分この連休中に行くんだと思う。お土産頼まなきゃ。



………。



「……?」


今まで滞りなく文字を追っていたけど、途中ふと違和感が胸に湧き上がったから、次の勤務表をめくろうとする手を止めてまじまじと見ることにする。
あれ……この子、シングルとスーパーシングルの掃除ばっかり。基本的に日替わりでシングル、ダブル、マルチの掃除するのに。この子……なまえって子は、見事にシングルオンリー。
そう希望でもしたのかな?
要望用紙を探してみるけど、彼女の要望用紙は見当たらない。特に希望はないみたい。




「ノボリ」
「出来上がりましたよ。食べましょう」


良い匂いが漂うキッチンに行けば、丁度ノボリは皿を持って食卓テーブルに行こうとしてるとこだった。今日はペペロンチーノだ。ノボリの作るペペロンチーノ、美味しい。皿を受けとって、二人同時に椅子へ腰掛ける。「いただきます」って言って早速食べ始めるノボリに、ぼくはもう一度呼びかけた。


「ノボリ」
「何でしょう。早く食べないと冷めてしまいますよ」
「あのね。さっき、清掃員の勤務表、確認した」



一瞬、ノボリの体がびくりと大きく揺れた。…けど、何事もなかったみたいにまたもぐもぐ食べ始めた。



ノボリ、ぼくが言いたいこと、気付いてる。ゼッタイ。


「…確認ありがとうございます。明日事務の方に提出して参ります」
「まだダメ。気になる点、一つあった」
「はて、どういった点でしょう?わたくし、気になります」
「なまえって子の担当トレイン、全部シングル系のトレインになってる。おかしい。ダブルとマルチも担当してもらわないとダメ」


言いながら思い出したけど、なまえ、前に捨てられたピカチュウを引き取った子、だったはず。クラウドの前では普通に笑ったり色んな表情見せるけど、ぼくとノボリの前では表情硬い。きっと、ぼくとノボリのこと、あんまり好きじゃないんだと思う。


「どうしても駄目…ですか?」
「ダメ。そういう規則をつくったのはぼくら。ぼくとノボリが規則を守らないと、一緒に働く人達に示し付かない。どうしてノボリはこの子だけをシングルだけに担当させたの。理由ある?」


じーっとノボリを見つめれば、ノボリは暫く目を泳がせていたけど、ぼくの視線に耐え切れなかったのか俯いた。冷めたら美味しくなくなっちゃうから、フォークに麺を絡ませながらその様子を観察する。
ノボリの顔、赤い。
もしかしてなまえのこと、好き?
でも、なまえはぼくらのこと、嫌い。


これってつまり、ノボリの片想い。


「…………です……」
「え?なに?」


ノボリの声、小さくて全然聞こえない。


「………少しだけでも、お話したいのです。話す時間が…ないものですから」
「………」


ノボリは、なまえのことが好き。
前になまえがピカチュウを受け取りに来た時、休憩中だったぼくが相手をした。その後ノボリは、なんだかちょっとむすっとしてて、ぼくに大量の書類を押し付けて残業させられた。怒ってるのはバトルに負けたからだと思ってたけど、それは違う。せっかくなまえと話せる機会を、ぼくがとっちゃったから。だからちょっと怒ってた。



「ノボリの気持ち、よくわかった」
「クダリ…」
「なまえと少しでも一緒にいたいっていう気持ち」
「クダリ…!では──」

「でも、仕事に私情を挟むのよくない。ぼくが誰かを好きになって、仕事サボる。ノボリ、きっと怒る。それとおんなじ。違う?」



そう言ったら、ノボリはがっくりとうなだれた。ノボリのしようとしてたこと、ぼく知ってる。「職権濫用」っていう。そんなこと、ノボリがしようとするなんて思いもしなかった。


「ぼくが修正する。残り確認したら、ぼくが提出するから」
「…………はい」


ノボリ、マジメ。恋の力ってすごい。恋なんて、したことない。恋をしたら、どうなるんだろう。ぼくがぼくじゃなくなる?その人のことしか考えられなくなる?
すっごい気になる。でも、恋することで仕事に不純な感情を持ち込まなきゃならなくなるなら。

ぼくは、恋なんてしたいとは思わない。







翌日、修正した勤務表を事務の人に渡したら、ノボリが恨めしそうにぼくを見てた。仏頂面なのは変わらない。ぼくだけにしか分からない表情の変化。それはノボリも同じ。ぼくの表情だって、ノボリにしか分からない。

もしぼくに恋する女の子がいたとしたなら、その女の子はぼくの笑顔に隠れちゃった感情の色、分かってくれたりする?

そう考えたら、胸のところがじりじりして、なんだかとっても寂しくなった。



愛やら戀やらすべて宇宙みたいに不可解だ