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これの後日



彼女はバトルサブウェイで働きだした当初から、一人の鉄道員と仲が良かった。それは今でも変わらない。別にそれはいい。女性が数人しかいないこの職場でいつも彼女は一人でぼそぼそとモップを動かしていたから、むしろ良い傾向だろうと思う。ただ、一ついただけないことと言えば恋人の位置に立っている筈のわたくしが、圧倒的にその鉄道員より会話もスキンシップもないということだろうか。



電車の運行状況が表示されている電子ボードを眺めながら、こつこつとペンを片付けなければならない書類の上で軽く叩きながらわたくしは一つ溜息をついた。なまえに会ってお話がしたい。この時間帯ならなまえは今頃スーパーシングルトレインのホームでせっせと清掃をしている筈だ。なまえの一週間の仕事内容は大体頭に入っている自分が気持ち悪い。ストーカー気質な自分に呆れてしまいつつも、誰かわたくしをそこに連れて行って欲しいと思ってしまう。だがスーパーシングルで戦闘をする機会なんて月に一、二度あったら良い方だ。多分誰も挑戦する客はいない。だから今日は仕事に熱心な態度でこなしているなまえには会えそうにない。……元より仕事中に会えたことなどほとんどないが。
もう一度深い溜息をつくと「ボス」とわたくしを呼ぶ声がしたので苦い顔のまま振り返る。そこにはなまえと仲の良い鉄道員のクラウドが数枚の書類を持ってわたくしを心配そうに見ていた。

「顔色悪いですよ。少し休んだ方がええんちゃいますか?」
「大丈夫です、何のご用ですか」
「あ、はい。戦闘被害にあって破損しとる電車のまとめ報告書なんですけど」
「分かりました。確認しておきます」

用件はこれだけかと思ったが、クラウドは立ち去ろうとはせず、何か言いにくそうにもごもごと口を動かした。いつもならはきはき喋る彼なのに一体どうしたというのだろう。

「言いたいことがあるなら言って下さいまし」
「……えっと…、この間のピカチュウの件なんですけど」
「ああ、それですか」

なまえが暴れん坊な迷子のピカチュウを保護したのはそう前の話ではない。あれから彼女がゴミの処理をしている途中ゴミ箱の中から空のモンスターボールを見つけ、迷子ではなく捨てられたのだということが分かってからは引き取り手募集の旨が書かれた知らせの紙をギアステーションやライモンシティ全域に貼りだした。そこまでは何ら問題はなかった。ピカチュウが珍しいとのことでピカチュウ見たさに寄ってくる人間が何人か現れたが、全員が全員ピカチュウの気性の荒さに怯えて逃げ出してしまったのだ。今では誰もピカチュウを見に来ようとはしない。保護しているわたくしとしてはそろそろジュンサーさんに預けたいなというのが本音だった。遂に引き取り手が現れたのかと期待を込めてクラウドの話に耳を傾けたが、彼の口から零れた言葉は意外なものでわたくしは「はい?」と聞き返してしまった。

「えっと、だから、ピカチュウを引き取りたいと。なまえが」
「……彼女が?」
「はい」
「なまえは?」
「なまえはー……今はどっかで掃除してるんやないですかね」
「……どうして貴方が言うのです?こういうことはなまえがわたくしに言いに来るべきでしょう」
「なまえは今日お昼上がりでそのまま急ぎの用事あるから帰る言うてたんで、里親立候補が出る前に代わりに俺がボスに言っとくよう頼まれたんです」
「そうですか。分かりました。後日彼女ときちんと話し合うことにいたします。ご苦労様でした」
「あ、ハイ」

クラウドは一礼すると早足で部屋を出て行く。彼の後ろ姿を見送りながらわたくしはなまえのことを考えていた。どうやら今日の彼女は早引きらしい。今日はもう会うことが出来ないのかと思うと胸が苦しくなると同時に憤りを感じた。その憤りはもちろん彼女にではなく、自分自身の馬鹿さ加減にだ。わたくしとしたことが何たる失態…!今月の社員の勤務日程管理はクダリだった為にきちんと完璧になまえの勤務日程を把握出来ていなかったようだ。今度からクダリが管理を担当する月であってもなまえの日程だけは確認、暗記しておこうと心に決めてわたくしは先程クラウドがなまえに頼まれた言伝を頭の中で繰り返していた。
なまえがピカチュウを引き取る、と。あんなにも自分の顔を引っ掻かれていていたのに、どうしたら引き取ろうという気持ちになるのだろう。お優しいなまえのことだから、一向に引き取り手の現れないピカチュウのことを気の毒に思ったのかもしれない。流石わたくしが見込んだ女性だ。わたくしときたらこの数日なまえの頬やら腕やらを傷つけた電気鼠をいかに効率的な方法で処分しようかそれだけを考えていたのに…。
なまえと毎日少しだけでも一緒に過ごすと、必ずどこかでなまえの新しい部分を知っていけるのがとてつもなく好きだった。恥ずかしくて手を繋ぎたがらない所や、朝は低血圧な所為かあまり喋りたがらない所、仕事熱心なお陰でわたくしと約束しているお昼の時間に少し遅れてしまう所…他にも素敵な所はたくさんある。クラウドと話す時の彼女の表情はとても生き生きと輝いていて、思わず見惚れてしまう。例え、わたくしがクラウドより話す回数が少なくとも、あの笑顔が見れることが出来ればわたくしは幸せなのだ。

明日はピカチュウの件でなまえと話せる機会が出来た。今から楽しみで楽しみで仕方がない。もしいつかなまえの住むマンションに行くことが出来たなら、彼女とピカチュウが触れ合う姿を見ることが出来るだろうか。この間なまえのマンションに行って良いか尋ねた所すっぱりと断られてしまったから、いつ行けるかは分からないが。(以前に何度かわたくしとクダリの家に来ないかお誘いをしたのだがその日は用事があるとかで断られてしまったこともある。)そもそもなまえはあんな乱暴なピカチュウと共に生活が出来るのだろうか。十万ボルトで部屋がめちゃくちゃになってしまわないか、ポケモンと一緒に暮らす上での心得を知っているだろうか。やはりここはなまえの手を取り足を取り教えてあげるべきでは…?

唸っているとぱたぱたとシンゲンが小走りで部屋に駆け込んで来た。しゃがみ込んで息を整える彼の元に駆け寄るとシンゲンは苦しそうな表情を浮かべながらわたくしを見上げる。何か急ぎの用なのか、どこか焦っているように見えた。

「ハァッ…ノ、ノボリッ サン… シングル…トレインニ、…挑戦者 来マシタ、ヨ」
「! 分かりました。今行きます」
「…フゥ……無線…繋ガラナイカラ、焦ッチャイマシタ…」
「え?……ああ、すいません。気付きませんでした」


無線にも気付かない程思考に耽っていたらしい。ここまでわたくしを悩ませるなんて…なまえは全く罪作りなお方だ。

その後わたくしはシングルトレインに乗って、バトルを終えるまで悩み続けた。そしてその結果、わたくしは彼女にピカチュウを渡しがてら彼女のマンションに寄って色々教えて差し上げようという考えに行き着いたのだった。

後日クダリがわたくしより先に彼女と出会い、ピカチュウを渡すことになることになりクダリに残業を頼むことになるのはまた別の話にございます。

あゝ、きみよ