Fate | ナノ
これの後日談





「よっ。修復の進捗はどうだい」


慣れ親しんだ声に、思わず頬が緩む。
直ぐさま振り返れば、白くてもふもふとしたものが体当たりしてきた。受け止めきれずその場に倒れると、べろべろと生温かくねっとりしたものが顔中を這っていく。
初めてされた時は思わず悲鳴を上げたが、今では慣れたものだ。
ぽんぽんと体を軽く叩いてやり大人しくそれを享受していたが、主人の諫める声が上がると彼──白銀の狼は耳を垂れさせて、見るからにしょんぼりしつつも私から立ち退いていく。
その可愛らしい姿に思わず抱き締めて撫でてやれば、悲しみはと何処へと飛んで行ったのか、彼は嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振った。

「いやー、悪ィ悪ィ」と笑いながらやってくる主人には反省の色が見えない。
主人は、この少しやんちゃでありつつも言うことは素直に聞き、反省するこの可愛い狼を見習うべきである。


「キャスターの方のクー・フーリンさん」
「いい加減、その長ったらしい名前で呼ぶの疲れねーのか?」
「クー・フーリンさん、と呼んだだけで一体何人のクー・フーリンさんが振り返ると思ってるんですか」
「へーへー」

長髪は結ばずに下ろしたまま、槍ではなく杖を担ぎながらぶらぶら歩いてきたのは、ケルトの大英雄だった。
見るからに暇そうなオーラが溢れ出ている。

別名『出会う度、「槍が欲しい」「一狩り行きてえ」「槍作ってくれねえ?」と駄々を捏ねる方のクー・フーリンさん』。


「聞いたぜ。聖女の嬢ちゃんがやっちまったんだって?聖女ってのは手が早くていけねえ…」
「ええ、まあ」

一カ所に集められた瓦礫は、日頃主を愛し信仰しましょう云々と言っている聖女マルタが生み出した物だ。
彼女は陶器のように滑らかな肌を赤く染め上げながら「ベオウルフさんとのドリームマッチがほにゃららで……」とか細い声で説明してくれた。
あまり触れられたくない様子だったので、根掘り葉掘り訊ねることはせずにそのまま修復に至る。



「お前も雑用ばっかで大変だなぁ…手伝ってやってもいぜ。こんな修繕なら一分で終わる」


そう言いながら人差し指を突き立てて悪戯っ子のように笑うクー・フーリンにゆっくり首を振る。そうすると彼は唇を尖らせ拗ねた表情に変わった。

人差し指のみを突き立てる行為。

これは「直したお礼に一回口でも頬でもいいからキスさせろよ」の意だ。
キスをするなどとんでもない。
この英霊にそういった好意は寄せていなければ、飢えてもいない。

キスなんてされようものなら、クー・フーリンを愛する女王メイヴに息の根を止められてしまう。


「んなお堅いこと言うなよ。ほら──…おっと、危ねえな」


私の肩に腕を回そうと、彼の手が私に触れるか触れないかのところで青髪のドルイドはぱっと私から離れた。
眉間に皺を寄せ、難しそうな顔で私を見るその瞳にはどこか深刻さが入り混じっている。
何かしてしまっただろうか。
汗臭さはない筈だ…昨日は軽くだがシャワーは浴びた。
もしかすると肩にフケでも付いて…?!
彼の視線も気にせず肩周りを手で払い、何も付いていないことを確認していると「ナマエ」と心なしか硬い声音で呼ばれた。


「はい?」
「お前、最近誰かに触られたか?」
「誰か?」
「誰でもいい。接触したのか?この数日、誰と話して誰に触られて誰と寝たか、正直に答えろ」
「寝た…?!何ですか突然。誰とも寝てないです!私はサーヴァントと寝る趣味は──」
「いいから。オレは真面目に訊いてんだよ」


いつもとは違う剣幕に、思わず口を噤む。お互いに黙り込む中で「きゅうん…」と悲しげな狼の声が廊下に響いた。

これは、答えないとまずい。

巫山戯ようなら、多分その杖でぶん殴られる。昨日ならまだしも、三日前や四日前のことなんて早々覚えている筈が無い。二日前の朝食を思い出すことすら危うい。そんな渋い顔の私に、キャスターの方のクー・フーリンさんは爽快な笑顔でぶんぶんと杖を振った。

本当にクラスはキャスターなのかと疑いたくなるような動作に思わずたじろいでしまう。
思いっきり物理で殺る気満々じゃんか…。


「脳に強い刺激があれば思い出すかもしれないぜ」
「刺激が強すぎて私の記憶は元より命が保証されないですね……ええと…」
「……五」
「えっ」
「五数える前に思い出さねーなら手始めに一撃かます。四」
「えっ…!えーっと、えっとえっと確か、確か三日前は〜〜……」

昨日の朝ご飯も何だったか微妙に思い出せない脳みそに三日前の出来事なんて──…………。


……………そういえば。



「アンデルセンさんが締切三日前だった筈」

作家系のサーヴァントが集まって合同誌を作るとか、何とか。そして今日がその締切の日だ。彼は朝から消滅してしまいそうな程やつれて、そして目がぎらぎらしていた。
そんな見た目は子ども、頭脳は大人なサーヴァントを見た巌窟王は私に「コーヒーをやれ」と顎で使ってくれやがったのだ。お前がやればいいのではという旨の言葉を懇切丁寧にオブラートに包んで返してやると「それは俺のやることではない」と断られた。
相変わらず腹の立つ復讐者である。


「で、お前は何してた?」
「朝は…アンデルセンさんにコーヒーをあげてから紅茶を飲んで…………あっ、隣でバーサーカーの方のランスロットさんがアーアーとか何か呻いてましたね」
「それはアーアーじゃなくてアーサーって言ってんだよ!!そんで?」
「一日ドクターとダ・ヴィンチちゃんの所を行ったり来たりしてその日はめちゃくちゃ疲れて寝ました」
「二日前」
「う〜ん…………」
「三、二…」
「わ、わーっ!!……あっ、バーサーカーの方の坂田金時さんが酒呑童子にからかわれて一騒動あった!」
「…ああ、あれか」
「壁が壊れたのでその修理を」
「そして?誰かと接触は?」
「……巌窟王が見物してましたね。あいつ、いっつも喫煙室で吸わないでわざわざ私の前で吸うんですよ。喫煙室作った意味が分からなくなりつつあって…何なんですかね?自分が常識ないことアピールしたいのかな?」


巌窟王がマナーのなっていない喫煙者であることや、私に向かって煙を吐き出してくる失礼極まりないことは、誰にも言っていなかった。思い出すと腹が立ってきたので、ここぞとばかりに洗いざらいぶちまける。するとキャスターの方のクー・フーリンさんは「それだわ」と私を指差した。

それとは。

「お前、変な呪いかけられてるぜ」
「の、呪い?」

なんじゃそりゃ!!
絶句する私をよそに、キャスターの方のクー・フーリンさんは淡々と解説を始めた。


「原因はその吸ってた煙草の煙だな。口から煙を出す時に魔力を含ませてお前に吹き掛けることで呪いをかけてるんだろうよ。へえ、ふうん。成る程ねぇ」
「ええ……そんな…」

  
あいつ、私に黙ってそんなものをかけていたのか!

いや、例え「俺は今から呪いをかけるぞクハハ」と宣言されてもそれはそれで困る。だが事後報告でも呪いをかけていることを言わないとはどういうことだ。
そもそも事後報告でも呪いなんてものを英霊よりも遙かにか弱い人間にかけるなんて、サーヴァントはいかれポンチしかいないのか?

……そもそも皆いかれポンチだったから歴史に残ったし英霊になれたんだよ。


脳内で一人ツッコミをした後、途方に暮れているとキャスターの方のクー・フーリンさんが私を見つめながら自身の顎に指を添え、考えるような仕草で「その呪いだけどよ」と口を開いた。


「呪いとは言ったがな、そうヤバいやつじゃねえ。かけられた本人には害はないし、実際にこの数日間は何もなかっただろ」
「確かに」
「呪いの範囲には入るんだが、こりゃあどっちかーっつーと──……うーん。まあ、見てな」


彼は私に向かってそっと手を伸ばしてくる。
先程は反射的に私に触れることを止めた、ごつごつとしており杖を持つ術者とは言い難いその手が、あろうことか私の胸へと伸びる。「ちょっと」と静止の声を上げようと唇がその言葉を形作る瞬間、バチッ!と何かがショートしたかのような大きな音が目の前で鳴り響いた。
咄嗟の判断で、なけなしの魔力を腕に集め盾にすることで衝撃に備える。
だが衝撃はなく、その代わりに何ともいえない焦げた臭いが漂い始め、鼻腔を変に擽った。


「…………チッ。思ってたよりもこいつぁやべーな。思いっ切り焼けちまったじゃねーか」
「え………うわっ!!大丈夫ですか?!」


眉間に皺を寄せるキャスター、クー・フーリンの右腕は無残にも広範囲に渡って爛れており、所々皮膚がだらりと垂れ下がっていた。

焦げた臭いの正体は、彼の腕の肉が焼けたことによるものだった。

間違いなく大怪我だというのに、キャスターの方のクー・フーリンさんはこれといって痛がることもなく「すっげえ威力」と感心したように自身の腕を観察している。少しは痛がって欲しい。


「…結構ヤバいやつだったな?」
「見ればわかります」
「呪いには様々な種類があるが、分かりやすく言うと対象人物を守る類のもんだ。きっとこれは、お前を敵から守る為にかけたんだろうよ」
「敵……キャスターの方のクー・フーリンさんにエネミー反応はないと思うんですが」
「…お前になくても、“アレ”にはあると判断されてるっつーことだろ。害虫だとでも思われてんだろうよ。……変な奴に好かれて大変だな?」
「好かれるも何も立派な嫌がらせじゃないですか。人によっては飛んだ通り魔ですよ」


今の私は、一部の英霊やスタッフによっては歩く地雷なのだ。
どうしよう。何かの拍子にキャスターの方のクー・フーリンさんの如く火傷をしてもらっては非常に困る。被害者によっては私の生命が危険に晒されてしまう可能性もあるのだ。
ただえさえ私のような末端の末端であり、雑用の手さえ借りなければならない事態になるほど人材不足のカルデアなのに、これ以上頭数を減らしてしまうようなことがあってはならない。
瓦礫の修繕は一先ず中断し、ドクターに報告と相談するのが最優先事項だろう。
そう考え、インカムに手を伸ばした時だ。


「…………ぐ……」


「──え?」


飄々としていたキャスターの方のクー・フーリンさんが、突然その場に膝をついて蹲ったのは。


彼の武器でありアイデンティティにもなっている杖がからりと乾いた音を立て床に転がる。狼が直ぐさま駆け寄り、主を心配するかのようにくんくんと高い声を上げて鳴いた。呆気にとられ、ぽつりとドルイドの名前を呼ぶも返ってくるのは呻き声だけだ。

左手は右腕の火傷を庇うように添えられている。
その火傷は先程よりも酷くなっている…ような気がした。よく見ればじわりじわりと範囲が広がっているではないか。
愕然として声が出せない私を安心させるように、クー・フーリンは脂汗を滲ませながらも不敵に口角を上げた。


「ったく、キャスターで現界しておきながらこのザマとは情けねえ…やられた。抜かったぜ」
「っ、でも、キャスターだったら治せますよね。こんな傷くらい…ルーンで……」
「さっきまで連続で種火集めに駆り出されてたからなぁ……生憎、体力も魔力も殆ど残ってねえんだ。これから魔力供給しに行くつもりだったんだけどよ……歩ける気力も全部奪われちまった」
「そんな…!」


なんてことだ。 


私に触れて何が起こるであるということは薄々分かってはいたものの、こんな重傷の傷を負うとは流石の彼も予想していなかったのだろう。
油断か、慢心か。今はそんなことどうでもいい。
肉の焼ける臭いが、辺りを漂う。
このままいけば、私の所為でキャスターであるクー・フーリンがこのカルデアから消えるという最悪の事態が現実になってしまうかもしれない。予想だにしていなかった展開に、脳が追い付いてくれない。心臓の動悸が、激しくなっていく。手足が震え、呼吸が乱れた。

…そうだ…マスターの所にいけば、今よりはマシな状態になる筈……!


「キャスターさん、しっかりしてください!今、マスターのところにいけば、スキルで何とか持ち堪えられるかもしれない…!悪いけどマスターとドクター呼んできて!」


狼にそう命じれば、白銀の狼が一目散に駆け出し見えなくなっていった。運んでいる途中にマスターが来れば、その場で回復させてもらわなければ。


彼を抱えようと肩に手を掛けた瞬間、先程のことを思い返して思わず手が止まる。

今の私が触れれば、またこの英霊に傷を負わせてしまう筈だ。…だが、触れても火傷が酷くなるわけでも、ショート音が鳴ることもなく、キャスターの方のクー・フーリンさんは変わらず痛みに顔を歪めているだけだった。

私から触れる場合であれば、呪いは発動しないのかもしれない。
…何だろうその無駄に優しい仕様は。
ツッコミは後回しにしておいて、相手の手を取りぎゅっと握り締める。そうすればクー・フーリンは握られた手を見てから私に視線を移した。


「ある程度の治癒を施してからマスターとドクターに診てもらって──」
「いや」

焦り混乱する私を宥めるように、彼は空いている方の手を上げながら言葉を遮る。

「……ナマエ、お前から接触出来るなら…魔力供給を頼んでもいいか?」
「……え」
「魔力さえあれば治るし、何とかなる。…そう時間もかからねえ。今お前に下手に魔力でどうこうされるより、俺自身が魔力を使った方が勝手が分かるからやりやすいんだよ」
「え、と………」
「……ぐッ…」
「!!」 
「……ナマエ、魔力供給は口から唾液を流し込むんだ。それしか方法は、ねえ………オレが消えないうちに、はやく……」


迷っている内に、火傷が彼の体を蝕んでいく。

迷っている暇などなかった。相手の上にのし掛かり、肩を掴んで固定する。ごくりと喉を鳴らし、潤んだ赤目の彼と向き合った。「失礼します」と一言断りを入れれば、ゆっくりと閉じていく瞼。端正な顔にそっと近付き、薄く色付いた唇に触れようとした。





その時だ。







「───白い毛玉のネコ目イヌ科イヌ属の哺乳動物が喧しいので来てみればなんですか、これは。接吻は不衛生行為であるということを知らないのですか?直ちにやめなさい。唾液が床に垂れたらどうするつもりです。人間によっては唾液には一兆もの細菌が含まれているのですよ。このカルデアの一部を不潔域に汚染させるのはやめなさい」


突如背中を引っ張られ、体が宙に浮いた。重なる直前だった唇は柔らかいであろうそれと触れることなく離れていく。宙ぶらりんのまま振り返ると、細い腕が私の服をがっしりと掴んでいた。光の宿らない桃色の瞳が、睨むように私を見ている。その横で狼が控え目に尻尾を振り、彼女とは対照的にきらきら輝く目で私を見上げていた。「凄い人を連れてきたよ!褒めて褒めて!」と言いたげな目をしているその子からは、消毒液の臭いがぷんぷんと漂っている。


この場において適役ではありつつも、とんでもない英霊が召喚されてしまった。


「ナイチンゲール女史!いや!あのこれは違くて!魔力供給を──」
「魔力?まったく、司令官と言い貴女と言い、医療行為にオカルトなど不必要だと何度言えば分かるのです。接吻で傷が治るとお思いですか?舌を用いた接吻を十秒行っただけで約八千万もの細菌が交換されたという結果も報告されています。不潔です。極めて不潔です。私の嫌いなものです。閉ざされた場所ではなく、公共の場で行うというのも理解に苦しみます。今すぐ消毒を──」

「キスしたら治るってクー・フーリンさんが言ったんです!」

鞄からアルコールを取り出そうとする女史に大声で叫べば、仏頂面の天使は私を見て、それから未だ地面に伏せるキャスターの方のクー・フーリンさんを見下ろした。
彼はというと、先程の苦痛に満ちた表情は失せ、着々と広がる火傷はそのままに何故か血の気が引いていた。どうやら状態は悪化しているようだ。


「接吻で完治すればこの世に医者も看護士も存在していません。私が足を踏み入れていない今までの戦場で、あんなにも死人が出ることもなかった」
「へぶっ!」

怪我人をロックオンしたナイチンゲール女史の行動は早い。
ぺいっと元気な私を床に投げ捨てれば、キャスターの方のクー・フーリンさんの元に駆け寄りしゃがみ込んだ。その途端、慌てたように彼が起き上がり両手でぶんぶんと手を振り、まるで女史に診られたくないと言わんばかりに診察を拒絶する。

…今まであんなにも重症の言葉がぴったりで、言葉を発するのもやっとだったのに。


なんていうか。


凄くぴんぴんしている………。


「おい、オレは何ともねえ!これくらい自分で治せ──」
「怪我人は黙っていなさい。死にたいのですか?」
「ぐぅっ!……こ、殺す気か…」

バーサーカーによる問答無用の腹パンに、クー・フーリンは掠れた声を出しながらツッコミを入れた。
文字通り怪我人を黙らせた女史は、テキパキと慣れた手つきで体に触れて様態を確認していく。そこに別段焦った様子は見られなかった。

「私は治します。貴方を殺してでも。安心して下さい。…………ゆっくりとしたスピードで広範囲に火傷が広がっているものの、心拍数と呼吸以外の数値に異常は見られません。健康そのものです。今のこの状態で、命に別状はありません」


「………えっ」


女史の下した診断に、どういうことかとキャスターの方のクー・フーリンさんに視線を投げる。さっきはあんなにも死にかけた様子だったし、キスで魔力供給をしないと駄目、死ぬ、とも言っていた。
私の問い質すような視線を避けるように、さっと顔を背けるクー・フーリン。


「貴女が無駄に接吻を施し、細菌交換を行う意味もないということです」
「…唾液飲まないと死ぬって、この英霊が」
「それは、真っ赤な嘘です。唾液で火傷が治癒するなど有り得ません」


何だと。


「…騙してたんですか」
「いや、ただちょーっと魔が差したっつーかよ!ほら、最近メイヴが来てから雁字搦めで、刺激が欲しかったっていうかその、ラッキースケベ狙ってたっつーか」
「騙してたんですね…」

わたわたと弁解を始める奴に、先程の死にかけた様子は欠片も見えない。完全に私を騙す為に、全身全霊をかけて演技をしていたのだろう。主演男優賞を狙いにいけるくらいの演技スキルを使って…。
白い目で見る私に「これはヤバい」と思ったのか慌てて弁解の言葉を続けようとするキャスター、クー・フーリンの前に“クリミアの天使”が立ちはだかった。
 

「貴方には虚言癖の疑いがあります。火傷の治療も兼ねて、虚言癖の治療も行わなければいけません。一先ずは火傷の広がりを抑えるために消毒します」
「痛ッてえ!!!」


じゅわっ!と小気味よい音を立てて、火傷に消毒液がぶっかけられる。
いつもの私なら止めに入っているが、今の私には彼に特別慈悲など持っていない。涙目で震え、助けを求める視線に気付かない振りをして主の痛がる姿に首を傾げている狼の元へと近寄った。


「ご主人は火傷と嘘吐きを治してもらうみたいだから、壁の修繕が終わったら私の部屋でごろごろしようね」
「ナマエっ!嘘吐いて悪かった!謝るから助けてくれ!死ぬ!このままだとオレマジで死ぬから!!」
「この場での治療は衛生的とは言えませんね……私の治療室で行います。付いてきなさい」
「い、嫌だッ!」
「患者は医者の言うことをきくものです。暴れる患者には、荒療治ですが──」
「ぐッ…!」

くんくんと鳴いて私に擦り付く狼を撫でて眺めていれば、ケルトの大英雄の鳩尾に重い一撃が叩き込まれる。法螺吹きの彼は呆気なく落ちてしまった。ぐったりとしたその成人男性の体を軽く抱える女史は、私を一瞥すると特に何を言うこともなく去って行く。

去って行く背中を見送る図。先日と微妙にデジャヴするこの感覚に思わず溜息を吐く。違うのは見送る人数が二人であることと、隣に狼がいること。そして辺りを副流煙ではなく、消毒液の臭いが充満していることだ。


「…部屋でごろごろする前に、シャワー浴びないといけないね」

消毒液臭いのを、そのままにしておくわけにもいかない。
人間の言葉を理解する賢い狼は嬉しそうに尻尾を振り、自分も手伝うよと言いたげに瓦礫を咥えて穴の開いた壁に駆けていく。私に呪いをかけて楽しもうとしたり、私を騙してキスを狙おうとする下心なんて欠片も見えなかった。


「なまえさーん!ごめん、ちょっとベオウルフとマルタ姐さ……マルタにお説教してたんだ。ゴールデンが、兄貴の狼が俺を探してたって言ってたんだけど……何かあった?」
「マスター」

困り笑顔で手を振りながらやって来たマスターは、消毒液臭さに首を傾げて「ナイチンゲールが来た?」と訊ねてくる。キャスターの方のクー・フーリンさんの無様な姿を事細かく説明しては、きっと少なからず幻滅してしまうだろう。


「……朝にダ・ヴィンチちゃんのお手伝いをしていたら、もう魔力が残り少なくて。修繕を手伝ってもらえませんか?」
「俺もそんなに得意な方じゃないけど、喜んで」


そう言ってにこやかな笑顔を浮かべる彼にも、下心は見えない。見えるのは私を助けようとする、ただただ純粋な人助けの心を持つ人だった。


「………マスターの爪の垢」
「…つ、爪の垢?」
「煎じて飲ませりゃ少しはサーヴァントの皆、良い子になりますかね」
「はは、ならないよ。なってたら皆こうやってサーヴァントになんかなってないって」
「そりゃそうか」


だがしかし。キャスターのクー・フーリンと巌窟王に限っては、少しばかり改心してくれなければと思うばかりである。


シック・オア・シック