Fate | ナノ
これの続き

段々遠ざかっていくコートを着た少女の後ろ姿に手を伸ばすが、少女はオレを振り向きもせずに街の通りに飛び出して見えなくなった。この路地裏には、もう、オレしかいない。

……逃してしまった。
今までに一番切り刻みたいと思った少女を。
いや、確かにオレはあの少女を、少女の腹を刺したんだ。刺して、一度どんな反応をするか見たくて──……少女の赤く煌めく赤い水を見たくて勢いよくナイフを刺したところは良かった。ところが、おかしなことにナイフを抜いてもコートが赤く滲むことはなく。吐血することもなく。コートが厚過ぎて刺さらなかったのかと一瞬思ったが、間違いなくオレはこの少女の肉の感触を味わっていたし、血は出ている、と確信にも近い思いを抱いていた。
一度コートの中を確かめようと一端ナイフを抜いてれば、苦痛に歪んでいた顔は直ぐさまこの状況に似合わない不機嫌顔に変わり──気付いた時にはもう遅く、次の瞬間、少女の履いたブーツが腹にめりこんでいた。



「どうなってんだ…?」

内臓の悲鳴を上げている。視界が覚束ないまま、ふらふらと体を揺らしながらいつも使っている「パーティ会場」へと戻ることにする。呼吸が上手くできずに咳込めば、先程吐いた名残である胃液が手についた。……今のオレ全然COOLじゃない。

それにしても、吐くなんていつ振りだろう。小さい頃高熱によって苦しんで以降何事もなく健康体だ。何もかも久し振りだらけだ。吐いたのも、人間を逃してしまったのも……人に、しかも女にあんなにも鋭い蹴りを入れられたのは初めてだけど。
未だダメージの残る腹をさすりながら、薄暗い階段を降りていく。ゴミを蹴散らしていきながら芸術作品を展示している場所に辿り着けば、旦那がいつになく背中を丸めて水晶を覗き込んでいた。聖処女、だっけ?そんなに見てよく飽きないよなぁと思うけど、決して口には出さない。口にだしたら、彼女がいかに素晴らしいか延々と語り始める可能性があるからだ。

「おや、リュウノスケ。調子が悪そうですね」
「旦那、聞いてくれよ。ヘマやっちゃった」
「ほう…珍しいですね」

旦那と目があった瞬間、今までずきずきと痛んでいた腹の痛みが嘘みたいに消えた。魔術を使ってくれたみたいだ。やっぱ旦那って何でもできるんだな。すごいや。
すぐ横にあった芸術作品のポケットをまさぐって出てきたハンカチで汚れた口元を拭う。手は後で洗うことにしよう。

「もしかしたら人生の中で一番の最高傑作になるかもしれなかったのになぁ」
「リュウノスケが惜しがるくらいですから、さぞかし素晴らしい人間だったのでしょうね」
「…うーん。別にそんな……普通だったんだけど、なんかすごく気になったんだよ、旦那」

取り立て顔が良かったわけじゃない。何処にでもいそうな顔立ちだった。一般的。平凡。そういう言葉がよく似合っていた。それなのに、視界に入った瞬間、何故かオレは思ったのだ。「あの少女を芸術品に変えて、一生愛でていきたい」と。

「リュウノスケとその少女が運命で繋がっていたならば、再び相見えることが出来るでしょう。会えなければそれまでの運命だったということです」
「そっかぁ。また会えたらいいけど、人生そんな上手くいくものかな」
「現に私とジャンヌが巡り会えているではありませんか。リュウノスケ、今はただ運命が結び付く時を待つのです」
「旦那…」

旦那はそう言ったきり、また水晶を覗き込んで聖処女が云々と呟き始めてしまった。旦那が言うならそうなのかもしれない。とりあえずは時間が経つまで他の芸術品を作ることに専念しよう。旦那特製のブレスレットもあることだし。
水道の蛇口を捻って、手に付いている胃液を洗い流しながら少女のことを考える。逃がした魚は大きかっただけかもしれないけど。



それでも。


あの時、仕留められなかったのが。


…………本当に、残念だなぁ。

There is what wants to love you.

120426 加筆修正