Fate | ナノ
「ちょ、ちょい、綺礼聞いて」
「……」

ただいまの言葉もなく綺礼の部屋に入るなり、しゃがみ込みワインを片していた彼に飛び付くと、綺礼は表情こそ変えなかったものの、どことなく雰囲気が不機嫌なそれに変わった。いつもなら「あっどうもすいませんでした〜」と謝りながら乾いた笑い声を出して離れるが、今はそんな余裕も暇もなかった。綺礼の腕を掴む手が今まで見たことがないくらいに震えているのが何だか笑える。あははははと笑い声を漏らす私の尋常じゃない姿を察してか私の手を振り払わない辺り、幾らか気遣ってくれてはいるらしい。身につけているコートのお陰で上手く抱き着くことが出来ないのがもどかしい気がするが、脱いでいるほどの余裕は残念ながら今の私には露ほどもなかった。

「さっき、さっきね…と、通り魔にあった」
「…通り魔?」
「そう」

こくこくと頷けば、綺礼は少しだけ眉間に皺を寄せる。無言で話の続きを促され、私は大まかな事情を説明することにする。

街でうろうろ迷子になっていたら軟派そうな男に声を掛けられ、案内されてついて行けばいつの間にか路地裏に連れて行かれ、気付いたら腹部を刺されていた。とりあえず男には綺礼から教わった護身術をお見舞いしてダッシュで走り、気付いたら教会の目の前にいた。

説明し終えると共に、綺礼は私が着ていたコートをこじ開けて腹部に手を当てる。お気に入りの服は真っ赤な血で染まっている上に、ナイフで刺された所為で穴が開いてしまっているが、そこに傷はない。若干血が足りないのでふらつく程度の被害だ。あと何故か異常に気分が高揚していて常に笑みが漏れる。

「塞いだのか」
「ナイフ抜かれた時にすぐ治した…」
「ならば何故私の所に来る必要がある?」
「怖かったから慰めてもらおうと」
「………私の歪んだ性癖を知りながらそのようなことを求めるお前が理解出来ないな。そんな芸当を本心から出来るわけがないだろう。現時点で私は恐怖によって笑うお前を美しく感じている。何故恐怖からの解放を促すような行動を私がしなければならない?」
「………」
「………」
「………綺礼」
「………」

そっと名前を呼んで目の前にある彼の顔を見つめる。暫く見つめ合って無言の攻防戦を繰り広げた後、綺礼は私の背中に手をあててゆっくり撫で始める。どうやら折れてくれたらしい。

綺礼の大きな手がいったりきたりと、偽りの慰謝が繰り返されていくうちに自然と私の目からは涙がぼたぼた流れ落ちていく。ナイフで突き刺された時も、醜い傷を治した時も……無我夢中で綺礼を求め、教会への帰り道を走っていた時だって流れることのなかったそれは、綺礼の手によって堰を切ったように溢れ出ていった。

「怖かったのか?」
「…怖くないわけがない…」

魔術師として優れていなければ今頃私は路地裏で死んでいたのかもしれないのだ。恐怖を感じない人間がいるとするならば、そいつはきっとどこかが狂っているに違いない。

「お前をここまで恐怖に突き落とした者には感謝をしなければならないな。とても良いものが見れた」
「………」
「慰めの言葉を求められた覚えはないものでな」

そう言って私の髪の毛を一房掬いとり口づけを落とした綺礼は、今日も変わらずに直しようのない完全な歪みの矛盾を、いつになく繰り返していた。

それをあなたは幸せと呼ぶ