Fate | ナノ
「──では、少し出てくる。ナマエ、くれぐれも不備のないように」
「はい。お気をつけて、先生」

そのまま出先で事故って死ね。
そう言葉には出さずとも私が何を思っているのか自ずと伝わったのか、目の前にいるクソ野郎は少し顔を歪めて何も文句を言えない私を嘲笑うと部屋を出て行った。馬鹿っ広い部屋は静寂に包まれ、物音一つしない。ソラウ様はケイネスの野郎が出ていく前に何も言わずに出ていってしまった。つまり、この部屋には私一人しかいないということだ。その事実を実感したところでこぼれ落ちた溜息は間違いなく安堵によるものであり。常に気を張っていなければならない状況から抜け出せたことが非常に喜ばしい。

…やっと日本に来てから一人になれたような気がする…ここ数日間を振り返れば、よくこの修羅場空間を血反吐を吐かずに耐えられたなと自分で自分のタフさに驚くばかりだ。ケイネスとソラウ様は離婚間近の熟年夫婦並に冷めているし、自分に興味がないソラウ様に苛立ちやら憤りを感じるケイネスは自分の仕事を私に押し付けて八つ当たりはしてくるし、この聖杯戦争中少しでも仲良くなれたらとソラウ様に声を掛ければ総スルー。そして常時流れる沈黙。これは辛かった。辛いってレベルじゃねぇ。っていうかこの部屋人が居ても居なくても常に静かだったな。まぁ人の気配がないから快適なのは違いないけど。

目の前のテーブルに積まれた書類から目を逸らして私は自分のキャリーバックからケイネスや同期の前では決して出すことのない携帯電話を取り出してソファーに座り込む。携帯の電源を入れれば数十にも渡る着信履歴と数十通のメールに頭が痛くなった。宛先は言わずもがな「Waver Velvet」一色だ。きっと奴は、急に目の前から姿を消し、会ったと思ったら暢気にケイネスの部下を務めている私を問い詰めたいのだろう。申し訳ない気持ちが込み上げてくると同時にケイネスに対して殺したい感情が沸き上がってくるのを感じながら、着信履歴にずらりと並んでいる悪友の元に連絡をとろうと通話ボタンに指を這わせる。否、這わせたつもりだった。気付けば手の中に収まっていた携帯電話が消えていた。それと同時に後ろには先程まではなかった人の気配がある。……てっきりケイネスかソラウ様について行っていたと思っていたが、どうやら最初から私は一人ではなかったようだ。はじめから、ケイネスが部屋を出ていった瞬間から私は監視されていた。結局私が一人になれる時間はどこにもなかったってことか畜生。

私は後ろを振り返り、携帯を奪い取った犯人であるランサーを睨みつける。大体からして、こいつなのだ。この呼吸することさえも躊躇してしまうような修羅場を生み出した原因は。ランサーがランサー──ディルムッド・オディナ──ではなかったら少しはこの聖杯戦争中の生活もまだマシだったに違いない。ランサーがディルムッド・オディナだったから、ソラウ様はランサーに魅了され、それを見たケイネスがランサーに良い思いを抱く筈もなく。一体どこの昼ドラだ。昼ドラはドラマとして見るから面白いのであって、こんな目の前でどろどろと愛憎の念が入り混じる経過を見たところで何も面白くはない。くそ。中途半端に板挟みになっているこっちの身にもなれよ色男。
睨まれた彼はいつもの真面目な表情を変えずに口を開いた。

「これは主の命令だ。ご理解頂きたい」
「……私がウェイバーに連絡をとらないように?」
「ええ。貴女は魔術師の端くれでありながら電子機器を所持しているのでこちらの居場所やサーヴァントの情報を漏らす恐れがある。貴女様が電子機器に触りだしたら取り上げろと」

携帯持ってるの知ってたのかあいつ…今まで隠そうと頑張っていた私の努力はいずこへ。

「そんなことしたらケイネスに殺されるじゃん。生存報告するだけだよ。みすみす殺される選択する程私は馬鹿じゃないよ」
「…命令だ」
「…あ、そう」

今の私はいってしまえば人質だ。ウェイバーがケイネスにうまく手出し出来ない原因の一つになっているのが心苦しい。……まずウェイバーがケイネスに手を出す度胸があるのか分からないんだけど。実質人質みたいなようなもの、といった方が正しいか?まぁそんなことはさておき。
…ウェイバーが聖遺物を持ち出していつの間にか日本に飛んでいたとは露知らず、ケイネスからの聖杯戦争への連れ添い要請に嬉々として承諾していなければ、と今でも思う。あれは嬉々なんかじゃなくて危機の間違いだった。後悔などしたところで私がケイネスの人質になっている事実は変えられないのだが。

「失礼なことを言うようだが」
「……何すか」
「主からお頼みになられた仕事を片付けたら如何だろうか」
「ああはいそうですね。……ランサーもやる?」
「やりたい気持ちは山々だが、主の仕事に関わることはそれに関わる者である貴女がやられた方がいいかと」
「…ああはいそうですね。……あー……紅茶でも飲んでからやるかな」
「それは俺が。貴女はどうぞお仕事を」

ランサーは私を一瞥すると携帯を片手に簡易的につくられたキッチンの方へと歩いていく。ああ、携帯が…。

「ランサー、携帯は置いていって。傍にないと落ち着かない」

ランサーは立ち止まり、振り返ると不機嫌顔で言葉を零す。

「……貴女が敵陣に連絡を入れることを阻止する為に俺は此処にいる。先程の説明でご理解いただけなかったか?」
「…連絡しないって」
「貴女の言葉は八、九割が虚言であるから信じるなと主が申していた」
「はぁ?あんのクソ野郎…」
「主の雑言罵倒はやめて頂きたい」

なんだか少々ポンコツ気味のロボットと話をしているみたいだ。忠義もここまで貫かれると過保護とか庇護とかそんな言葉の方が合っている気がする…。
どうしても携帯をランサーに持っていられるのは落ち着かない。英霊の馬鹿力でいとも簡単に砕け散ってしまう代物だからだろうか。頼む。いや、頼みますと念をこめて英霊を見つめると、彼は眉間に皺を数本つくったものの、少し経ってから無言で私の目の前まで来ると携帯を突き出した。

「どーも」
「……………」

無言で今度こそ私の前からランサーが消えた瞬間ピピピと長らく聞いていなかった電子音が私の手の中で鳴り響く。相手は勿論ウェイバーだ。っていうかウェイバーしかいない。一瞬通話ボタンを押そうかと思ったが、先程のランサーとの会話で私は連絡はとらないと固く公言してしまっている。人に嘘を付いてしまうのは自分の性分に合わない、が、相手は時計塔という小さく広い空間の中で苦楽を共にしてきたウェイバーだ。もしかしたら心配してくれているかもしれない…。鳴り止まない電子音が私に早くどうするか決めろと急かしているようだった。キッチンの方を見るも、こんなに音が鳴り響いているのに、一向にランサーがやってくる気配はなかった。

………あー、もう、どうにでもなれよ。

駆け足で寝室に駆け込み、鍵をかけてベッドの上に座り込む。声が漏れないよう気休め程度ではあったが、朝起きてからそのままになっていたぐちゃぐちゃのタオルケットを被り、急いで通話ボタンを押した。

「もしもし、ウェイバー?」
『っ!!ナマエ!今まで何してたんだよっ!っていうか、お前何であんな奴と一緒にいたんだよ?!そして連絡しても出ないし!』
「ごめん、なかなか一人になれなくてさ…っていうかお前は何しに聖遺物盗んでるわけ?お陰でこっちは人質だよ!」
『人質…?どういうことだよ?』
「人質っていうか…、ウェイバーが迂闊に自分に手出ししないようにっていう牽制の意味で連れられて来られたのかもしれない」




「大部分が不正解だ」
「っ…!」
『……ナマエ?』

タオルケット越しにそう囁かれ、上手く反応が出来ない内にランサーは私を後ろから抱え込み、私の携帯を持つ手を搦め捕るように掴み、ゆっくり携帯を閉じた。抵抗出来るような暇も、空気もなく。私の手を掴んでいない方の手でタオルケットを肩まで下ろし、ランサーは耳元で冷たい声を発する。

「主の言う通り、貴女には虚言癖があるようだ。目も離せられない程のお転婆ぶりは目に余る」
「……返す言葉もないです…っていうか、どうやって部屋入ったの…」
「そのようなことなど俺にとっては容易なこと。それをお忘れなきよう。…………先程貴女が敵陣に申されていた──主が何故貴女をわざわざこの聖杯戦争の地に連れて来たのかということだが、」

急に変わった話題に私は思わず後ろにいる彼を振り返る。思ったよりも顔近いのが気になるが、気にしないことにしよう。ランサーも気にしていないみたいだ。

「魔術師としての歴史が短い家系の生まれである貴女が、何の因果かその辺の一般的な魔術師と違い、驚くべき程の膨大な魔力を持ち、しかも大量に消費したとしても一日経てばほとんどの魔力が戻ってしまう特異な体質を持っているからだ」
「……成る程」
「もし仮に現在俺の魔力の供給源であるソラウ様に何かが起こり、その供給が絶たれれば主は無理矢理にでも貴女を次の供給源として使う算段だ…尤も、主がソラウ様を危険に晒すようなことはしないと思うが」
「…それを私に話す理由は」
「大きな勘違いをしているようなので訂正を。…先程の貴女の仮説は、主は貴女がライダーのマスターと懇意であることは逆に利用出来ると踏んでいるからあながち間違いでもしれないな。貴女を人質にとって脅すほどの脅威なんてライダー陣営には欠片もないがな」
「…ああそう」

そうだね。ケイネスがウェイバーを怖がる理由なんてないね。むしろウェイバーがケイネスを怖がるよね。…そしていつになったらランサーは私を解放してくれるのだろうか。

「あの、」
「?」
「放して欲しいんだけど」
「残念だがそれは出来ん相談だ」
「え」
「貴女は俺に嘘をついて敵陣に連絡をとった。それが如何なる内容でも俺は貴女に罰を与えなければならない」
「それは…ケイネスからの命令?」
「無論だ」
「──うわっ」

突然足の関節と背中に手をまわされ、持ち上げられる。……俗に言う姫抱きだ。タオルケットはそのままに、驚いて思わず落としてしまった携帯はぼとりと寝室の床に落ちた。

「ば、罰って何をするの…っていうかこれやめて欲しいんだけど」
「…どうかご容赦いただきたい」

姫抱きについてはスルーのようだ。騎士として女を無下に扱うのは──例え主に刃向かっているような女だとしても出来ないらしい。彼はリビングにある、先程まで私が座っていたソファーに私を優しく下ろした。手つきはとても丁寧だが、私を見下ろす目の色に温かさは見えない。

「暫くここで大人しくすることを希望する」

ここでまた携帯を取りに行ったら何をされるか分からない。騎士たる彼が暴力にものをいわせるようなことはしないだろうが、ここは従った方が身の為だろう。素直に頷く私を見てランサーは再びキッチンへと向かって行ったので、一緒に寝室から運び出されたタオルケットを畳みながら暫く待っていると、湯気の立つカップをのせたトレーを持つ彼が戻ってきた。格好が戦闘服ではなくギャルソンが着るような給仕服だったらもっと様になっているのにな、と思いながらかちゃかちゃと紅茶をスプーンでかき混ぜる彼を見る。……ん?

「罰って紅茶飲むだけ?」
「…味は保障しかねるが」
「私日本人だし紅茶にそんなこだわりないから大丈夫だよ」
「……」

無言でカップを手渡され、両手でそれを受け取る。なかなか良い香りが私の鼻腔を擽った。いい匂いだ。「いただきます」と小声で呟いてからカップに口をつける。カップを傾けて程よい熱さになったそれをゆっくり飲み込んでいく。少し飲んだところでカップを離すと、今までじっと私を見つめていた蜂蜜を色濃くさせたような綺麗な瞳を持つ彼に向き直る。

「美味しいよ。味も丁度いいくらいに濃いし。好みの味かもしれない」
「…そうか」

ランサーはにこりとも笑わないまま私からまだ紅茶が残っているカップを攫いとると、あろうことかごくりと自分も飲みはじめた。ああああ私の紅茶が!

×