出立の船

 サウラ海には今宵も陸と同じように夜が耽る。
 やや赤みがかった双子月の片割れがレイズヴァーグとウルディアスの国境の海をゆらりと照らす。
 二神に見守られた地上の世界は──このサウラ海は静かだった。

 ユージンは熱心なクレース教徒の信者ではなかった。
 聖書に目を通したのも、教会に足を運んだのもいつだったか知れない。覚えていない。
 敬虔なとはほど遠い体たらくだ。
 だからなのか。
 だから女神の怒りに触れ、セレスティアを"あんな末路"へと追い込んだのか。そんな愚かな考えが消えない。

 客室の窓辺に据えられた椅子に座り、設えの小窓から凪いだ夜の海を眺めていた。
 時おり、ルシアスの静かな視線を横顔に感じていた。しかし、その視線を受け止めることが出来ずにいた。
 国を支える騎士の隊長の一人であった、己の今の不甲斐ない不様な姿には、嫌悪感で吐きそうだった。
 小さな視線ひとつ、受け止めることが出来ずにいる。
 ルシアスは、寝台の上で眠る赤子の傍に寄り添うように座っている。
 さっきまでは赤子と一緒に遊んでいたが赤子が眠ってしまってからは、ずっと口を閉ざしていた。
 そうして、時おり物言いたげな視線をこちらに向けてきた。

 ふた月が経過しようとしている。その事実がユージンを圧迫していた。

「グレン隊長」

 ルシアスの静かな声が己を呼んだ。

「ユージンだ。……なんだ?」

 ユージンは瞳を一度閉じて、ルシアスに向き直った。

「ユージン。あなたに辛いなら、この子の名前はおれが決めてもいい」
「──ッ」

 ルシアスの予想だにしなかった言葉に、ユージンは瞠目した。ルシアスは青い瞳をひたと据えてくる。
 その瞳からは何も読み取れない。ただ、少し眠たげだった。
 ユージンは椅子から立ち上がると寝台に座るルシアスに歩み寄った。
 彼の目の前で膝を折る。
 ルシアスの目線と同じ高さで彼の瞳を見つめた。

「いや。──すまんな。俺は馬鹿だな。子供のお前に……」

 ルシアスに気を遣わせてしまった。
 まだ十をふたつ過ぎたばかりの少年に。


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