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 ルネは瞼を伏せ、水滴がぽつりぽつりと落ちるように、静かに語りはじめた。あくまで、淡々と。

「こんな生活をしておいて、信憑性がないかもしれないが、私はな……男が怖いんだ」
「怖い?」
「ああ。まだ"罪"との戦闘が常態化する前の話だ。向こうのとある麻薬製造拠点を、私を含む4人のエージェントで制圧する作戦が立てられた。それが私の初めての実戦だった。そこでトチってな、私は敵の手に落ちた」
「……」
「情報課が立てた作戦計画が、私が女であることを考慮すると、かなり無理がある内容だったというのもある。しかしまあ、それは言い訳になってしまうだけだがな。……"罪"の連中は、3、4人はいたかな。みんな薬でキまっていてね、獣(けだもの)のように本能丸出しになっていたその野郎どもに、順番に手籠めにされたんだ」
「……!」
「連中は薬で痛覚が麻痺してたのか、私が暴れて殴ったり蹴ったりして抵抗しても、ぜんぜん意に介さなかった。気を失ってしまったら楽なのにと、早く終わってくれと、それだけを考えていたよ。そのまま影に見殺しにされても仕方ないと思ったけれど、仲間は助けに来てくれた。――全部が終わってからだったけどね。私はもう心も体もぼろぼろになってた。自分の体液と連中の体液で、体の表面も中もぐちゃぐちゃのべたべたに汚れていた。人生であんなに惨めだったことはない。もう、昔の話だが」

 そこで一度言葉を切るルネに、私は何も声をかけられない。
 語り口は穏やかだったが、組んだ彼女の手の甲には節が白くなるほどに浮き出ており、精神的な苦痛に耐えているのが嫌でも分かった。

「私は自分の性を呪った。なぜ男に産まれなかったのかと思い悩んだ時期もあった。けれど、自分ではどうしようもないことについて、思案する時間など自分にはないと思い直した。私は強くなろうと決心した。男より、もっと。二度と仲間の足を引っ張らないように。自分の身を自分で守れるように。口調も変えて、短かった髪も伸ばしてみたりして、そして変わろうと思った私が行き着いたのが今の自分さ」
「……そんなことが……」
「男と言葉を交わすのは問題ないが、深層的にはまだ恐怖心があるし、触られるとどうにもね……反射的に反撃してしまうんだ。昨日の君への凶行もそのせいというわけだ」

 これで私の話は終わり、とルネは締めくくる。
 彼女が背負っているものに打ちのめされて、私は口の利き方を忘れてしまった。慰めの言葉ひとつ浮かばない。
 ルネの過去。その凄惨な出来事を乗り越えるため、どんなに苦労しただろう。どんなに努力しただろう。想像を絶する道を歩んできた彼女に、力に訴えることだけが取り柄の私が、かけるべき言葉など持ち得るはずがなかった。私は恥じ入って俯いた。
 
「すまない、悪いことを聞いた。何と言えばいいのか分からない」
「いや、言い出したのは私の方だから。私こそ、君を良くない気分にさせてしまったかもしれないな……。でも今、なんとなくすっきりした気分なんだ。この話を他人に伝えたのは初めてだ」
「そうなのか……。それが私で良かったのか……」
「もちろん、君で良かったよ。……君と話していると、不思議と心が落ち着く。他の人にはない、安らぎを感じるんだ。なんとなく、私はずっと前から、君を知っているような気がしている」

 私は驚いて、目を見張った。ルネのその印象が、私が内心に抱えていた気持ちと、まったく同じものに他ならなかったからだ。
 ルネの隣にいることに、パズルのピースがきっちり嵌まるのにも似た、自然さと必然性を感じる。まるで、こうなるのが初めから定まっていたかのように。そうするのが自然の摂理であるかのように。
 私たちは見つめ合う。ルネの瞳、通った鼻梁、薄い唇、細い顎、輪郭を縁取る銀の髪。私はその時悟った。この目の前にいる人に、とっくに惹かれていたのだということを。

「なあ、錦」

 不意に、ルネがゆっくりと呼びかける。

「何だ?」
「君さえよかったら、練習相手を引き受けてくれないかな。男性恐怖症を克服するための。どうにか、苦手に打ち勝ちたいと思っていたんだ」

 その顔は真剣そのものだった。
 その申し出に是と回答するのに、しばし逡巡する理由はひとつ。

「それは、私でいいのか?」
「君がいいんだ」

 ルネが大きく頷く。それに私も頷き返した。ルネのためになることなら、当然何でもやりたいという心境だった。
 ルネは滑らかな動作で自分のすぐ前に跪くと、流麗な仕種で、私の片手を掬い取る。その様子はまるで、麗しい中世の騎士だった。

「では、これからよろしく頼むよ、錦」

 ルネはそこで完璧な笑みを浮かべてみせる。
 頬の熱さを感じつつ、疑問を投げかけずにはいられなかった。

「……なあ、これ、逆じゃないのか?」
「まあ、どっちでもいいだろう」

 彼女がそう笑い飛ばすので、私もつられて笑った。

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