(2/5)□□
「あなたの言い方、『俺はルカと仲がいいからボスが嫉妬したんだ』と自慢してるようにしか聞こえなくてよ」
「そう聞こえたなら悪いね。なんたって俺はルカの唯一の友人なわけだし。ま、向こうにはフラれたが」
「嫌なひとね、あなたって。そんな方法、あなたしか使えないって分かっているくせに」
「嫌な人間だって、もちろん自覚してるさ。でも弱点は弱点だろ? ……さて、そろそろ対価を貰いたいんだがね」
「……本当に嫌なひと」

 拗ねたように言いながら、ポーラはマシューの両手を引く。どこか東洋を思わせる、奥深い香水の匂いが漂ってくる。体の密着を強いられ、もはやマシューは彼女の膝の上に乗っているも同然だった。視界のほとんどを迫力のある双丘が占めている。主導権を握られるのは趣味ではないが、この光景は壮観で悪くない。
 両腕を伸ばし、背中から細い腰へと掌を滑らせ、ポーラのシルエットを指先で味わう。太ももから動きを上へ向け、とうとうふたつの丸みを下部から鷲掴みにした。文句は飛んでこなかったから、先に進んでもいいということなのだろう。魅惑的な手応えに、マシューの興奮は否応なしに高まっていく。存在感を増した胸の尖りを服の上からかり、と掻くと、ん、と甘さを含んだ声が漏れた。
 ――やばいな。久しぶりに、その気になってきたかもしれない。
 ポーラの腕が伸びてきて、マシューの首の後ろに回される。吐息を含んだ艶っぽい声が、耳に吹き込まれる。

「あなたもお好きな人ね……」
「は、煽っといてよく言うぜ」
「ふふ、良くってよ。お好きに、存分に堪能なさいませ」

 余裕がなくて、駆け引きなどする気も起きなかった。色事からはだいぶ離れていたから、一度火がつくと止められそうにない。昂る欲望そのままに、ポーラをベッドに押し倒す。ふわっと立ち昇る甘やかな香りは、まるで男を狂わす媚薬のようだった。
 女は身をよじらせ、誘うような、それでいて見透かすような目をする。本当はこういうときに相手の泣き顔を見るのが趣味だが、ポーラ相手にはきっと無理だろう。
 仰向けになっても、ポーラの胸は本当に大きかった。マシューはいつも疑問に思っていたことをふと口にしてみる。

「なあ、姐さん。なんだっていつもこんな格好してるんだ?」
「だって、一番上のボタンが留まらないんですもの」

 ややずれた受け答えに笑いそうになる。就寝時の格好を訊かれて香水の種類を答えた、かの有名な女優のようだ。袷(あわせ)が閉まらないのなら、中に何か着ることだってできるのに。
 ポーラはマシューの耳元で「本当かどうか、お試しになる?」と囁く。

「いいや、俺はあんたに服を着せるより、脱がす方が断然いい」
「……ふふ、お上手ですこと」

 言葉尻を待たず、手を服の内側に滑りこませ、さらさらした素肌に直接触れた。胸を触っているだけで気持ちよくなるなんて、ティーンエイジャーのようで気恥ずかしいが、しかし仕方ない。これだけ大きい胸は初めて触るのだから。掌にも余る魅惑的な感触を荒々しく揉みしだきながら、マシューの息は熱くなっていく。

「……なあ、姐さん」
「なあに」
「胸……舐めてもいいか」

 こちらを見上げるポーラのなめらかな頬も上気していた。裸でなく、上着を肩に引っかけたままなのがよりいっそう艶かしい。女は目元を笑ませながら、細い指先でマシューの膨らんだ股間をつう、と撫で上げる。

「……ッ、おい」
「私にしてほしいことが別にあるのではなくって? ふふ、もうこんなに大きくして……慎みがありませんこと」
「っは、慎みがないのはあんたの体の方だろうが……」

 ポーラの指が股間に伸ばされたまま、長い脚が下から絡んできてひやりとする。まるで蜘蛛の足のようだ。さしずめ毒蜘蛛の足といったところか。
 死の気配が近づいてくることを感じながら、ゆるゆると揉まれる快感で脳内はショート寸前になっていた。喉を緩めたらみっともない声が漏れそうだ。
 忌々しく思いながら、しどけなく寝そべる女を睨み付けると、してやったりと言わんばかりに喜色が顔全体に広がる。

「きちんと言葉にして下さいませ、マシューさま。そうすればちゃんと可愛がってあげますわ」
「……下、触ってくれ。ひとつ言っておくがな、可愛がるのはあんたじゃない、俺の方だ」
「口の減らないひとね。いいですわよ、嫌いじゃありませんわ」

 二人のあいだに不敵な笑みが交わされる。
 互いに呼気を熱くしながら主導権争いをするなんて、あまりに不毛で、不純だ。だが何も生まない無意味で爛れた関係はどこか心地好くもある。口の端に薄笑いを浮かべ、ただひたすらに快楽を求めるくらいの退廃的な夜が、自分たちにはお似合いだ。
 マシューの茹だった脳での思考は、視界がすべてぱっと白く染まり、快楽の中に散り溶けるまで、続いた。


 数日後。
 マシューがいつものようにラボに向かうと、ドアの前が人だかりになっていた。そこには明らかにマイナスの感情が渦巻いており、肌がぴりっと緊張する。不安げなざわめきに負けじと「おい、どうした」と声を張り上げると、集団が弾かれたように一斉にこちらを向く。一様に憔悴した顔が揃っており、あまりの光景に肝を冷やした。

「ああ、マシューさん……」「大変です」「俺たち抗議に行こうかって今話してて」

 切実な声を掻き分けてドアの前まで到達し、マシューはははあ、と納得する。内部で光が行き交うドアの表面に、一枚の紙が無造作に貼りつけてあった。そっけないフォントで「マシュー氏に反逆の疑いあり。よって異端審問の場に召喚する。期日通り来られたし」との旨が印刷されている。誰がやったのか知らないが、連絡したければ電子メールで十分なのに、これ見よがしにアナログでアナクロな手法をとった相手に思わず笑いが込みあげる。最新技術の実験室のドアに、申し渡し書を貼る誰かの姿は、想像すると滑稽であり間抜けでもある。
 異端審問への召喚それすなわち死刑と同義なので、まあ事態としては笑い事ではないのだが、マシューにとってはいつ連絡が来てもおかしくない内容ではあった。"反逆の疑い"なんて、ディヴィーネがこの地に来た当初から持たれていたことだし、実際その意志を持ち続けてもいる。本人よりむしろ、マシューが実験の指導や助言をしてきた同僚たちの方が動揺していた。
 事によっては異端審問官のひとりであるポーラも、近々マシューの忌日が決まると知っていて、あの日部屋を訪れたのかもしれない。

「まったく、食えない女だな。姐さんは――」

 若干の苦々しさとともに恨み言が飛び出る。だがここは、最後にいい思いをさせてもらったから良しとするか。最後の晩餐としては悪い味ではなかった。
 そんなことをつらつら考えていると、

「マシューさん……」

 意を決したように名前を呼ばれ、振り返る。同じ班(チーム)として研究を進めてきたメンバーが揃って自分の傍に集っていた。皆、告別式に臨むような深刻で悲痛な表情を浮かべている。
 マシューは沈痛な空気を払いのけようと、努めて茶化すような明るい声音を作る。

「おう、何だ? また実験でうまくいかないところがあったか?」
「マシューさん、僕たち……あなたがいなくなったらどうすればいいか……」
「組織だって、困るはずです……! 私たちじゃマシューさんみたいにはできないのに」
「こんなの間違ってます!」

 彼らは途方に暮れつつも、それぞれ一対の瞳の奥に熱情の炎を灯(とも)していた。詰め寄ってくる人波を何とか押し止めようと両手で制止する。

「そんなに心配するなって。大丈夫だよ。必要な技術も知識もあらかた教えてあるし、研究者としての立場は確かに非合法だけど、お前たちの腕は本物だ。この俺が言うんだから間違いないぜ」

 はは、と笑ってみせるが、期待していたように笑いは広がらなかった。研究員たちは皆同様に目元を赤くして、見間違いでなければぐっと泣くのをこらえている。実際に、我慢できずはらはらと涙を流している者もいた。
 マシューは面食らった。確かに技術指導は熱心にやっていたけれど、よもや自分がいなくなることで、泣く人間が出るほど彼らに慕われているとは思っていなかったのだ。普段、彼らは"罪"に属する人間らしく、あまり感情を見せずごく淡々と研究を進めていた。ここにいる時点で、人間性には多かれ少なかれ欠落を抱えている人物ばかりだと思っていたのに、そんな侮りを彼らの涙がすべて吹き飛ばしてしまった。
 すすり泣きはどんどん感染していく。まるでもう自分が死んでしまったような気になる。まだ死んでないぞ、最後に生きてる俺を見ろ、との思いを込め、一番手近な二人の頭を乱暴にわしわしと撫でる。二人はわっと堰(せき)を切ったようにマシューの体に抱きついてきた。それが契機だったように、群衆がこちらに殺到してくる。上も下も分からなくなるほど揉みくちゃにされながら、マシューは幸福感が胸の内に生じていることに、少なからず戸惑っていた。
 自分が正しい道を歩いてきたとは決して思わない。真っ黒に汚れた資金で非合法な実験を行い、表立って公表することのできない研究を進めることが、世間一般的には悪だという事実を否定するつもりもない。科学的好奇心という名目の元ですら、倫理的に許されるはずのない探究行為だと分かっている。科学の道そのものに悖(もと)る行いだということも分かっている。
 ただ、日々研鑽を積んで磨いた彼らの実験の腕と情熱とを、自分一人くらいは純粋に認めてやりたい。そうマシューは思うのだ。

back


(C)Spur Spiegel


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -