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 防音質のピアノの前で、ルカとマシューくんがやりあったあとのこと。
 ぼくはルカを伴って、呆然としているマシューくんを残し、その部屋から立ち去った。そして、扉が背後で完全に閉じるのを感じてから、背伸びをしてルカの耳元に口を寄せる。

「いい子にはご褒美を、悪い子にはお仕置きをあげないとね。そうでしょ、ルカ?」
「……はい」

 ぼくの囁きに、一息遅れて肯定が返る。ルカはもちろん、これから起こることを理解しているはずだ。気丈にしっかり頷きながらも、彼の長身にぎくりと緊張が走るのを、ぼくは見逃さなかった。


 ほの明るいルカの居室。そのベッドの上。
 部屋の主がシーツを乱し、荒い呼吸を漏らして、首筋に冷や汗を浮かべながら、ぐったりと総身を横たえている。ぼくは彼の様子を、冷然と見下ろしている。
 毛布や掛け布団の類(たぐい)はない。睡眠を取らなくてもいい体になったとき、ルカが処分したのだろう。こういう時でもないと、ベッドの出る幕はないということだ。
 剥き出しになったシーツは、寝床で乱闘でも起こったみたいに、たくさんの波を作りだしている。その波濤の中心に横たわるルカの表情は苦痛に耐えるかのようで、眉根は寄せられており、顔色は青ざめていて、じわりと脂汗が浮いた額には黒髪の一束が貼りついていた。ぼくが与える痛みによって、先ほどまで身悶えしていた彼の衣服はやや乱れ、今は抑えようとしてもなお漏れるふーっ、ふーっという荒い息遣いと、全身が呼吸のたびに上下する様が"お仕置き"の名残りとしてルカの体を苛(さいな)んでいる。彼のその様子は、ぼくの中の嗜虐心を大いにくすぐった。
 苦痛のからくりはこうだ。
 今ぼくの掌に握られた小さなデバイスのスイッチを押すと、ルカの両耳に着けられたピアス状の受信機が信号を受けとる。そして、ルカの全身に張り巡らされた神経に、ピアスからの電気信号が直接作用して、耐えがたい痛みを生みだすのだ。"罪"(ペッカートゥム)のメンバーのピアスには、すべてこの機能を持たせてある。
 万が一にも"おかしな気"を起こさないように。
 通常なら痛めつけるだけで仕置きとするのだけれど、今夜は少し趣向を変えてみようと思った。なぜならぼくはいつもより怒っていたからだ。
 ぼくは密かに、ルカのピアノとマシューくんのヴァイオリンが奏でる二重奏に耳を傾けていた。先ほどのドルドラの「思い出」だけではない。その前から、ずっとだ。
 音楽のセッションとは、言葉よりももっともっと根元的な部分での魂の交流だ。ぼくは楽器が弾けない。そんな主を差し置いて、ぼくよりも深いところで、ぼくよりも熱い手段で、他人と交感するルカが許せなかった。彼らの演奏は美しく、その美しさがぼくの怒気をよりたかぶらせた。他人なんてどうでもよいはずなのに、無性に腹が立ったのだ。
 この静かに煮えたぎる怒りを、ルカに思い知ってもらう必要がある。
 ベッドによじ登り、ルカの体に馬乗りになった。形が崩れたネクタイをさらに緩ませてから上に退(の)け、黒シャツのボタンを外していく。焦らすように、ゆっくりと。絞った照明の下で、ルカはもの問いたげな目をしていた。その困惑した顔には見おぼえがある――ぼくとの夜を買い、いざぼくに乗られたとき、自分が下なのだと悟った何人もの男の表情。それらに少し似ていた。そういう顔は嫌いじゃない。
 ルカの目線を無視し、シャツの前を寛げると、薄暗い中に白い肌が浮かび上がる。
 思わずため息が漏れそうになった。美しい肢体だ、と思う。なめらかな肌に点在する、赤紫色に盛り上がったいくつもの痛々しい手術痕。主人であるぼくに、ぼくだけに、文字通り身を捧げてきたことの証左。
 それらのひとつに指を這わせ、軽く爪を立てる。

「ん、……っ」

 くすぐったさを感じたのか、ルカが身を捩(よじ)り、彫像のような顔に表情が生まれる。
 その様が契機であったように、ぼくの中に色々な想像が展開した。もしルカに、ぼくがかつて売ってきたような目眩(めくるめ)く夜を与えたら、どんな反応を見せてくれるのだろう。彼女ら、または彼らは、多種多様な反応をぼくの下で見せてくれたっけ。ルカは……どの型(タイプ)だろう?
 苦痛と境目なく混じり合った快楽に、ひたすら歯を食い縛って耐えるだろうか。
 許して下さいと泣きながら乞うだろうか。
 尊厳を踏み躙(にじ)られたことに憤り、ぼくに鋭い目を向け怒りをあらわにするだろうか。
 それとも、感じたことのない嬌声を漏らし、全身で悦楽を表現するだろうか。
 ぼくは重ね合わさったそれらシュレーディンガーの猫を、生かしたまま心に飼っておく。決して殺すことなどしない。彼の体はぼくのものなのだから、人間としての尊厳をぐちゃぐちゃに凌辱して汚(けが)して打ちのめしたって構わないのだけれど、その方が愉しいし、反応をひとつに収束させてしまうなんて、そう――勿体ないからだ。
 ぼくの中の底意地の悪さが、握ったデバイスのスイッチをそこでオンにさせる。
 瞬間、ぼくの下でルカの長身が跳ねた。痛みをこらえ、色んなところの筋肉がびくびくと痙攣している。それらの小刻みな動きが、ぼくの太ももへと余すところなく伝わってくる。彼の反応を一頻り観察してから、今度は十数秒でスイッチをオフにした。
 ルカの息は絶えだえだ。血の気の引いた彼の頬をそっとひと撫ですると、再び電流が走ったかのようにぶるりと全身が震える。ルカの肌は冷や汗のためにひんやりとしていた。
 すべてをぼくのために擲(なげう)つ青年の耳に唇を寄せ、ねえルカ、と囁く。

「君はさっきぼくのために怒ってくれたのに、マシューくんの誘いに乗ったからという理由で、こんな目に遭っている。つまりこのお仕置きは彼のせいなんだ。マシューくんは酷い人だね」

 ルカは息を喘がせながら、それでもしっかりと首を横に振る。常にはない、ある種の強情さがそこには滲んでいた。

「いえ、責任は……すべて私にあります。私が、彼の誘いを断らなかったから……」
「へえ? どうして庇うの?」
「庇っている、わけでは」

 怒りの火花が脳裏にちかちかとまたたく。ルカの思考の体積を少しでもマシューくんが占めていること。その事実が伝わってきて、無性に腹が立つ。
 ルカはぼくの言葉にも、そしておそらくは己の言葉にも、戸惑っているようだった。その様子は驚くほど人間じみていて。

「ぼくに反論するんだ、こんな状況で? 君も意外に友達思いなんだね」
「友人では……ありません」
「そう? 口答えしなくなるように、この悪い舌を取ってしまおうかな?」

 意識するより早く体が動いていた。少し空いていたルカの咥内にぬるりと指を突っ込ませる。中は濡れていて、温かかった。舌の中央より少し奥あたりをぐにぐにと押して刺激すると、ルカの表情が苦しげに歪む。神経が集中した指先へと、彼の肉感がダイレクトに伝わってくる。

「……ッ」

 どんな仕打ちをされても涙を決して見せないルカの両目が、生理的な涙でじわりと潤む。

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