ツイッターの #創作スタンプラリー企画 で書いた作品です。
チェック項目は「見つける」「話しかける」「懐かしむ」「約束を破る」の4つです。



 偶然の再会ってのは、本当に思わぬところに転がっている。
 日本語に「降って湧いたような」という表現があるけれども、その日の再会はまさにそれだった。


 早春のプラハはまだ肌寒いが、自分が暮らしているベルリンに比べればまだ暖かさを感じる。休日ということもあってか歩道は観光客でごった返し、かたや道路では自動車と路面電車がひっきりなしに行き交っている。マフラーに首を埋めている観光客は皆一様に、百塔の街と称えられるプラハの、降り積もった歴史そのもののような街並みに目を輝かせていた。俺にも彼らの気持ちはよく分かる。プラハは子供の頃から度々訪れているけれど、何度来たって見飽きないのだ。
 ぶらぶらと道沿いの店を冷やかしているとき、上着の内ポケットが振動して携帯端末へのメッセージの到着を知らせる。送り主は一緒にプラハへ来て、今は昔の友人と会っている恋人からだった。

『ヴェルナー、退屈してない?
17時には待ち合わせ場所に着くから。
あなたも遅れないでね』
『仰せのままに、お姫様。
早く君に会いたい以外は問題ないよ。
お姫様の下僕より』

 それだけを打ちこんでまた端末をポケットに戻す。律儀に約束のリマインドを送ってくれる真面目な相手が、俺のメッセージを見て呆れる顔が目に浮かぶ。
 恋人であるシャーロットと俺は今朝ベルリンを発って、プラハに到着してから昼食を共にした。現在彼女はカフェに行っていて、俺は一人で時間を潰しているところだ。これから合流して少しいいところでディナーをとる予定なので、俺の心は跳ね回るカンガルーくらい弾んでいる。好きな人を待っている時間もいいものだ。
 街歩きを再開して、人の流れのただ中へ入ってゆく。こういった観光地に来ると、自分がいつもしてしまうことがある。それは、忙しなくすれ違う人々の横顔をそれとなく観察し、それぞれがどんな理由でこの場にいるのかを想像することだ。
 彼らの中には地元の人や、近場からふらっと来ている人もいれば、何ヶ月も前から時間をかけて計画を立て、それこそ地球の裏から来ているような人もいるだろう。今日この日、世界中からここに集った人々は一瞬だけ群衆を形づくって、あとはもう二度と同じ地に立つこともない。様々な年齢、様々な人種、様々な国籍、様々な立場の人間の「人生」という名の直線が、一点で一瞬だけ交差して遠ざかっていく。
 言葉にすると当たり前の事実だけれど、改めて考えるたびに不思議な気分になる。旅先でほんの少し肩が触れ合うような関係性は、偶然という言葉で片づけてしまうには、あまりに勿体ない巡り合わせではないかと。
 こういう心境や状況を表した言い回しが、確か日本語にあったと思うのだけど、今すぐぱっと出てこない。1年半ほど前は故(ゆえ)あって頻繁に使っていた日本語も、一旦離れてしまうとすぐに語彙が錆びついてしまう。寂しいことだ。
 大通りから外れて、気ままに角を90度折れる。その先は落ち着きのある洒落た飲食店が並ぶ通りのようで、大通りの喧騒をバックに、身綺麗な大人たちが店構えを頼りに夕飯の吟味をしていた。そこでふと、道端に立っている黒髪の男性に、なんとなく目が留まる。
 見つけた、という意識より先に、その人影に目が吸い寄せられた。
 落ち着いた色合いのコートに身を包んだ、俺ほどではないがアジア人にしては背が高く、俺ほどではないが整った面立ちが凛々しい男。右手にお土産のものらしい紙袋を提げていて、空いている腕をあげて時刻を確認する。
 その仕草を見て、俺は思わず笑ってしまいそうになった。かつて自分が日本にいたとき、毎日のように眺めていたのと寸分違わず同じ動作だったから。男はトレードマークとも言えた黒縁眼鏡をかけていないが、間違いない。俺が見間違えるはずがない。

「ねえ、おにーさん。いま暇かなあ?」

 俺はつかつかと歩み寄って、わざと粘着するような声音で話しかけた。もちろん、長らく使っていなかった日本語で。
 異国の地で急に母国語を聞かされた男は、はっと顔をあげて警戒の態勢になる。すぐに俺の顔を認めたらしく、目をまん丸くして絶句したあと、眉根を寄せて訝しげな表情をつくった。瞳の中の色が目まぐるしく移り変わるのを、俺は愉快な気持ちで見届けていた。

「……なぜ貴様がここにいるんだ? ヴェルナー」

 そう言って俺を睨むのは、桐原錦。
 日本人で、十年近く前から俺の知り合いで、旧友と呼ぶには共通の記憶が苛烈すぎ、腐れ縁と切り捨てるには関わりが深すぎる男だ。一昨年、日本に長く滞在していた頃、俺はこいつの家に厄介になっていた。
 ヨーロッパに戻ってきてからとんと連絡をとっていなかったのに、まさか互いの居住地である日本でもベルリンでもなく、プラハで会うなんて。
 この場にいる理由を問われ、思わず肩を竦める。

「どの口が言うんだよ? それはこっちの台詞だっての。こんなタイミングでお前の姿を見るなんて腰が抜けるかと思ったぜ。久しぶりだね、錦くん」

 仏頂面を崩さない錦に不敵な笑みを向けるも、相手は案の定にこりともしない。

「……質問の答えになっていないが」
「えー、知らなかった? ベルリンからプラハまでは特急で半日もかからず来れるんだぜ。逆に訊くけど、なんでお前がここにいるんだ?」

 それは単純な問いのはずで、返答がすっと出てきてもよさそうなものだが、錦はなぜか、ばつが悪そうな表情をして目を逸らす。言いにくいことをどう言ったものかと逡巡する時間が数秒あり、結局視線を外したまま、彼はぼそりと呟く。

「……新婚旅行だ」
「へええ」

 俺は反射的に口笛を吹きそうになった。
 錦が結婚したことは当然知っていた。相手の女性とも面識があるので、結婚式用のビデオメッセージを送ったことはまだ記憶に新しい。しかし錦の結婚生活を窺い知れるような情報は全く受け取っておらず、かつて「一生結婚はしない」と宣言していた彼が結婚するとどうなるのかも想像できなかったから、目の前の男が既婚者なのだと思うと新鮮な気持ちになった。この夫婦はかなりの紆余曲折を経てくっついており、「新婚旅行」なんて言葉を片割れから聞けば、にやにやしたくなるのも無理はないというものだ。
「何を笑っている?」錦は咎めるように語気を強める。

「いやいや、なんかいいなあと思って。そういえば彼女はどこにいるんだ? 旅行中に喧嘩でもしたか?」
「まさか。自由に買い物して、ここで待ち合わせしてるんだ。ヴェルは一人か?」
「いんや、ロッティちゃんと一緒に来てるよ。今友達と会いに行ってるけど。それにしても……そっかあ、あの錦くんが結婚して新婚旅行かあ。そっかそっかあ」
「何が言いたいんだ」
「別に、ただ感慨に耽ってるだけだよ。ていうか、お前が結婚できたのは俺のおかげなんだから、感謝してほしいもんだね。お前たちの恋のキューピッドは俺だろ?」

 恩着せがましく冗談めかしてみる。二人の紆余曲折にはかつて、俺も一枚どころか百枚くらい噛んでいた。凸凹(でこぼこ)した他人の恋路を整えるために、なぜこんなに身を粉(こ)にしているのか?と疑問が浮かぶほどにだ。
 どうせ嫌味で返してくるだろうと思ったのに、錦は再会して初めて、花がほころぶような柔らかい笑みをふ、と浮かべた。

「ああ……そうだな。ありがとう」

 素直にそう言って寄越すものだから、俺は隙を突かれた気持ちになり、柄にもなく少しだけうろたえた。なんだそれ、得意の皮肉とひねくれ顔はどうした? そういうことされると、逆にこっちが恥ずかしくて照れるわ。
 俺が知っている錦は馬鹿がつくほど真面目で、融通が利かなくて、冗談もあまり通じず、時々しか笑わない奴だったのに、だいぶ雰囲気が丸くなったようだ。結婚してまだ間もないのに、愛の力は偉大ってことだろうか。ひゅーひゅー。
 そんなことを考えていると、人生で一番錦と関わっていた時分のことを思い出す。一昨年、8年ぶりに再会したときは、殆ど詐欺みたいな手順で家に転がりこんだから、相当頭に来たらしく憤慨してたっけな。
 それから連想ゲームみたいに、様々な思い出が甦ってきた。色んなことがあった中でも、錦と本気で喧嘩するのは実を言うとけっこう好きだった。追想に浸っているのは相手も同じらしく、話の方向性が過去話に向かう。

「日本にいた頃はお前の手料理がいっぱい食えて良かったな」
「そうか? 私はあんなのはもう二度とごめんだ」
「んだそれ。まるで俺が迷惑かけてたみたいじゃねえか」
「みたいじゃなく実際迷惑の塊だったろう。相変わらずお目出度いな、貴様の頭は」

 そこでお互い自然に、目を合わせてぷっと噴き出す。以前はこんな会話も喧嘩腰でしかできなかったのに、二人とも年を食ったなあと感じる。
 同じ過去を懐かしめるなら、年齢を重ねるのも悪くない。

「いやしかし、過ぎてみると懐かしいもんだなァ」
「そうだな……本当にそうだ」

 しみじみと呟いてほほえむ錦の目尻に、うっすら笑い皺が浮くのを俺は見逃さなかった。きっと今の生活ではよく笑っているんだろう。良かった良かった。
 しかしそこで、早々に突っ込むべきことだったことにはたと気がつく。

「でもさ、ヨーロッパに来るなら連絡してくれれば良かったんじゃないの? ロッティちゃんだって二人に会えたら喜んだのに」

 そう唇を尖らせて文句を言う。ここで偶然の偶然に出会(でくわ)さなかったら、近くまで知り合いの夫婦が来ているとは夢にも思わず、ニアミスに終わっていたのだ。
 錦は指摘を受けて、気まずそうに表情を曇らせた。

「……予定を立てるときに、二人のあいだでそういう話がまったく出なかったんだ。忘れていた、というわけでもないんだが、なんというか――」

 彼にしては珍しく、歯切れ悪く語尾を濁らせる。あーはいはいそういうことね、と俺は親切に察してやる。

「思いっきり二人の世界に入ってたってことね。ご馳走さん」

 茶化して言うと、錦は機嫌を損ねたように難しい顔つきになる。だが俺には分かる。それが単なる照れ隠しということが。
 彼の言い分は分からんでもなかった。新婚旅行なのだから、そりゃあ二人きりで思う存分楽しみたいよな。計画を立てるのに夢中で、旧知の仲の人間の顔が思い浮かばないのだって、無理はないことだ。こういうとき、日本では俗になんと言うんだったか。ああそう、末永く爆発しろ! だったな。
 旧知の日本人に会って少し日本語を話しただけで、クローゼットにしまいこんだシーズン違いの服を取り出してくるように、眠っていた言葉が生き返ってくる。さっき雑踏の中で思い出そうとしていた言い回しも、あとちょっとで掴めそうだ。振り返ってみれば、日本語について考えた直後に日本の知り合いと再会するなんて、なんだか運命的ではある。
 せっかく日本人が隣にいるのだから、正解を訊いてしまおうか。

「そういえばさ、あれなんて言うんだっけ。道ですれ違うだけの関係でも、深い巡り合わせがあるみたいなやつ」

 脈絡のない問いに、錦は理由を尋ねるでもなく小首を傾げ、「袖振り合うも多生の縁、か?」すぐに正答を口にする。

「ああそう、それだ。いい言葉だよな」
「なんだ、いきなり……」
「いやいや、こっちの話。しかしまあ、袖が触れ合うだけでもそういう巡り合わせなら、俺たちはずいぶん深い縁で結ばれてるってことかね」
「そんな縁は要らない」
「そう冷たいこと言うなよ。……さて、お前の愛しい人が来る前にお邪魔虫はそろそろ退散しようかね」
「なんだねその言い方……彼女とは顔を合わせなくていいのか?」
「だって会ったら色々話したくなっちゃうもん。また今度にするよ。それに、俺もロッティちゃんと待ち合わせしてるんだわ」

 どうせなら4人で会いたい気持ちも無きにしもあらずだが、新婚旅行は1回きりなのだ。ここは気を利かせてやるとしよう。
 それに、今日会わないでおくことが、次回の機会への足がかりとなるかもしれないのだし。
 束の間の再会のあと、俺から別れを切り出した。

「それじゃあな、錦くん。顔見れて良かったよ。たまには連絡寄越せよな」
「そうだな。気が向いたらな」

 またふふっと笑い合う。その場から立ち去ろうとして、俺は一度踵を返した。

「それと、あの子に愛想尽かされないようにな。気をつけろよ」
「……分かっているよ。貴様もな」
「あは、そうだな。お互い気をつけようぜ」

 やはり錦の口が減らないところは変わっていない。たぶん、一生変わらないことだろう。ひらひらと手を振ってやると、相手も左手をすっと掲げて応える。その薬指に嵌められた指輪が、きらりと淡く輝いた。
 大通りではまた、人々が人生で一回きりの邂逅を果たしている。そちらへ向かいながら腕時計を見やると、恋人との約束を破ってしまうことが確実な時刻となっていた。電話したらまた「早めに連絡しなさいよ」と怒られるかな、と思うけれど、俺の足取りと心持ちは羽のように軽い。今しがた誰に会ったかを伝えたら、彼女は驚いたあとに屈託なく笑ってくれるだろう。
 遅刻を詫びるために携帯端末を取り出しつつ、待ち合わせ場所へ歩み始める。

――袖振り合うも

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