愛するあなたへ
 あなたがそちらへ行ってから、早いもので丸三年が経とうとしています。
 ミナはまだ、お父さんが遠いところに行ったんだよ、と言ってもあまりよく分かっていないみたいです。地球が核戦争で汚染されて、だから人間はみんな火星に移り住んだということも……。

 こちらの生活はなんとか順調にいっています。子供たちも元気ですよ。時々元気すぎて私の手に負えません。
 あなたが地球の再開発計画に携わると言い出したときは驚きました。まだ小さい子供たちを火星に残して、どうして? と思うこともありました。
 けれど、あなたが誰でもできるわけではない仕事に取り組んでいること、今では誇りに思っています。こっちでは、惑星再開発計画の従事者は英雄みたいに言われてあます。
 サヤトなんて、普段は無口なのに「将来はお父さんみたいな仕事をしたい」なんて言うんですよ。あの子も大きくなったんだなあって感慨深いです。

 地球の様子はどうですか?
 毎日三食ちゃんと食べていますか?
 体の調子を崩したりしていませんか?
 仕事も大事だけれど、私にとってはあなたの健康が一番大事です。

 そういえば、手紙になるとどうして口調が敬語になってしまうんでしょうね。不思議です。
 忙しいでしょうけど、またお返事を貰えたら嬉しいです。体は労(いたわ)って下さいね。

 あなたの妻より

* * * *

 妻からのその手紙を読んだとき、私は不覚にもぼろぼろに泣いてしまった。目頭が熱を持って、いけないと思ったそばから涙がとめどなく溢れてくる。火星からワープホールを経由して届けられる家族からの手紙は、娯楽のない地球生活の数少ない癒しだった。火星では四六時中――火星の一日はおよそ二四時間四十分だから、こう表現しても大きな間違いではないはずだ――家族と一緒にいて、気に障ることもないではなかったが、離ればなれになると妻や子供たちの大切さが身に染み、愛しさが募る。
 私が小さい頃、この惑星では大国同士の睨み合いの末、均衡が崩れて核ミサイルの応酬が勃発した。たくさんの人が亡くなったし、たくさんの野生動物や植物が巻き添えを食らった。残った人間たちは生まれ育った星を見限り、隣の惑星である火星に安寧の地を求めた。その頃はまだワープホールが発見されていなかったから、何の訓練も受けていない民間人の移住は簡単なものではなかった。
 そんな過(あやま)ちから数十年経った、ちょうど今から三年前のことである。防護服があればどうにか地球で活動できそうだと科学者がゴーサインを出した。地球を故郷とする私たち大人も、青い地球を知らない若者も、その知らせに沸き立った。大々的な惑星再開発計画が立ち上げられ、私は作業員募集の知らせを聞いて応募し、今ここにいるというわけだ。
 私が志願した理由はひとえに使命感からである。――と言えば聞こえはいいかもしれないが、自分は元来じっとしていられない質で、子供たちが将来帰還する地球を居住可能な状態にする、その事業に自分が従事できると思ったら体の方が先に動いていた。この性格のせいで、妻にはこれまで多大なる苦労をかけてきたに違いない。
 ぶち上げられた惑星再開発計画はとても華やかで、そこには「もう一度美しい地球で手を取り合おう」「地球は、未来へ。未来は、地球へ。」「甦(よみがえ)った惑星(ほし)が我々を待っている」などの明るく清潔なイメージの言葉が躍っていた。計画立案者のはきはきとした口調。自信漲(みなぎ)る表情。地球の未来は明るいのだ、と思わせてくれる彼らのエリート然とした立ち居振る舞い。
 けれど、私たち現場の人間の仕事はそれはもう地味なものだ。地味を形にしたような仕事に私は日々立ち向かっている。
 一度まっさらになってしまった大地に、未来的なビル群を建設するため、基礎がどうなっているか調査する。地盤を固める。地中の機能しなくなったパイプを取り除き、新しいものを通す。地下の状態を記録した資料はほぼ全て消失してしまっていたため、全部が文字通り手探りで進められた。重機も入れられず、防護服を着たままの重労働。私の仕事はほとんど地下の作業で、毎日日の出前から夜まで泥だらけになって土砂を掻き出し、防護壁の内側の家で寝るときも泥のように眠った。華々しい都市計画を支えているのがこのような地道な作業だと、私は地球に帰ってきて初めて知ったのだ。
 仲間は私より年長者が多かった。「あんたと違って俺は老い先短いからな! 若いもんは体壊さんようしっかり休んどけ」と休憩を多めに取らせてくれるオサカベさんや、博識で休憩時間中に地質や鉱物の話を聞かせてくれるミツダさんの存在に、日々助けられている。
 今日もくたくたに疲れ、二重の防護壁に囲まれた特別居住区域に帰宅する。防護服は壁と壁のあいだで脱ぎ、専門の人が廃棄してくれる。割り当てられた家のドアを開け、続いて小ぢんまりしたダイニングの扉を開くと、暗がりから突然パンパンパン! という破裂音が鼓膜を叩いた。
 何事かと肩がびくっと震える。固まる私をよそに部屋の照明を点けたのは、
「パパー!」
 持っていたクラッカーをそこらへんに放って抱きついてくる七歳の娘、そして私、両者をほほえましそうに眺める我が妻であった。
「え……どうして?」
 首をぎゅうぎゅう締めてくる娘の腕と格闘しながら目を白黒させる。娘は別人のように身長が伸び、重たくなっていた。紙テープを巻き取って歩み寄ってくる妻の後ろに、所在なげに突っ立っている息子すらいる。脳が追いつかない。なぜ家族全員がここに、地球にいるんだ?
「うふふ。あなた、びっくりした?」
「いや、そりゃもう……心臓が止まるかと……」
「ついこの前ね、作業員だけじゃなくて一般人も地球に滞在できることになって。一泊だけなんだけどさ。あなたずっと忙しいみたいだから、知らないかもなって思って、驚かせたくて黙って来ちゃった」
 妻は満面の笑みである。どうやら、滞在基準が緩和されたため、妻は子供たちと共に火星からワープホールを通ってここまでやってきたらしい。それも私に知らせずに。彼女はこういう、いたずら好きなところがあった。
「ほら、サヤトもお父さんに何か言ったら」
「……久しぶり」
「おお、久しぶり。声変わりしたんだな、サヤト」
「……うん」
 十二歳の息子も会わないうちにずいぶん背が高くなり、声は低くなっていた。久しぶりと言ってくる割には全然目が合わないし、なんだか不貞腐れたような無愛想な態度だ。早めの反抗期なのかもしれない。そんな態度の息子が私みたいな仕事をしたいと言っている、と思うと胸の内が温かくなってくる。
「ほらほら、あなたがここに来て三周年の記念にたくさん料理作ったんだから! 着替えてきて食べましょ!」
 妻が私の肩を叩き、首に引っついていた娘を引き剥がす。家族が急に現れた衝撃で視界に入っていなかったが、ダイニングテーブルには縁ぎりぎりまで料理の皿がひしめき合っていた。全て私の好物だ。三年間忘れずにいてくれたんだな、と涙腺のあたりがじんと熱くなる。
「おー、これはすごいな……」
「でしょう! 火星から食材を持ってくるの大変だったんだからー」
「ありがとう。――僕は君と一緒になって、本当に良かったよ」
「え……何、いきなり! もう!」
 火星にいた頃なら面と向かっては到底言えなかった、素直な思いが口を突いて出る。
 妻がストレートすぎる言葉に照れたのか、拗ねたような表情をしてぷいと顔を逸らす。その反応は火星の中学校で彼女と出会った頃から変わっていない。隠しきれずに口元が緩んでいるのも。
 床に下ろされたミナが、いけないものを見るみたいに、芝居がかった仕草で「きゃー」と言いながら掌で顔を隠している。指の隙間からくりくりした目が私たちを見上げているのが可笑しい。サヤトは呆れたと言わんばかりに肩を竦めて、けれど口の端に妻とよく似た形の笑みを浮かべていた。
 私は三年ぶりに家族と食卓を囲むため、着替えを取りにリビングへ向かう。

――再会は地球(ふるさと)で
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