羊の肉は聞いた通り美味しかった。変わった香草を利かせてあり、なんとも形容しがたい魅惑的な風味を持つ。しかしながら、対面に座るジーヴの前に山と並ぶ肉料理の皿と、それをものすごい速さで腹に収めていく様が、あたしの食欲をごっそり持っていった。
 竜の食事風景は、羊の美味しさを相殺するに余りある負の影響を有していた。だからこの男と向かい合ってものを食べたくないのだ。あたしは気分の悪さを覚えながらジーヴを睨む。黒竜の生き残りはまったく意に介さず、豪快な夕食を続ける。
 皿を半分以上空にしたところで、ようやくジーヴは口火を切った。

「お前は俺が、一族の生き残りのことしか頭にないと思っていただろうが、俺はずっと、竜の里に忍びいってきた不逞の輩について考えていたんだ」
「……普通に言ってよ」
「そう睨むな。俺のなかで、一応の答えは出せた。だが――お前が下手人を憎くてたまらないと思っているのなら、話さないでおこうと思っていた。新たな憎しみを生み出したくはないからな。しかし、そうではないようだから話すことにしたのだ」
「だから普通に言ってってば……」

 ジーヴはあたしの質問が唐突で疲れる、とのたまっていたが、あたしだって、ジーヴとの会話は回りくどくて疲れる、と釈然としない思いを抱える。竜がみんなこうなのか、ジーヴだけが特別なのか、それはあたしには判断がつかない。
 でも、どうやらあたしの心情をかんがみ、結論を話すか決めたらしいところに、何やら思いやりのようなものを感じる。すごく気味が悪い。
 ジーヴが鉤爪の生えた指で、光を失った右目を示す。重々しい声が、ギザギザの歯が揃った口から流れ出した。

「黒竜の一族を滅ぼし、俺の目から視力を奪った元凶。俺はその姿を見なかったが、そもそも姿などなかったのだと思う」
「……どういうこと?」
「つまるところ、その何者かは、毒性を持つある種の気体ガスを使ったのではないか、ということだ」
「つまりそれって、毒ガス……?」

 声が震える。こんなところで、これほど汚らわしい響きの言葉を口にする羽目になるとは。あたしは二の句を継げない。騒々しく人いきれで暑いほどの料理店にあって、背筋がぞっと冷え、身震いした。
 周りをそっと見回す。旨い肉に舌鼓を打っている誰も、こんな物騒な話が同じ店内で交わされているなど想像だにしていないだろう。

「お前も知ってのとおり、黒竜が住む里は窪地になっていた。空気より重い気体ならば、窪みの底に溜まる。咎人はそれを承知だったのだろう。穏やかな眠りに就いていた我々の一族は、撒かれた毒ガスによって、何が起こったのかも分からぬままに、苦しみのたうちまわって死んでいった。それが俺の達した結論だ」

 重苦しい語りのあいだ、ジーヴの片目の奥に怒りは見えなかった。そこは無風の湖面ぐらい滑らかで、穏やかで、張りつめた静けさが逆に怖かった。

「でも、窪地全体に行き渡るほどの毒ガスなんて、途方もない量だろう。そんなものを誰が……?」
「少しはその立派な頭を使え、人間の小娘よ。そんなものを自由に扱える人間など、ごく限られているだろう」

 試すような鈍い目の光に曝され、額がひりひりする。
 数秒ののち、あたしの中で明るい火花が弾け、信じがたい真実を思考にもたらす。

「まさか……王立学術協会アカデミーか?」

 厳めしい顔つきのまま、ジーヴは深く首肯した。
 科学の徒である学術協会の会員。
 例えば彼らが、害獣を駆除するために毒ガスの研究をしていて、作成法や現物を所有していた、そんな事実があってもおかしくはない。けれど、それを竜相手に使う理由が考えつかない。竜に手出しをしよう、という発想そのものが常軌を逸している。というか、端的にイカれている。
 それに、兄も協会の人間だ。竜の研究にも熱心に取り組んでいた兄の姿と、竜の里に毒ガスを撒いたという科学者の像は、結びつかないどころか乖離しすぎている。
 しかも、あたしの街を焼いた奴らは明らかに科学者ではなかった。訳が分からなくなってあたしは頭を抱える。

「でもジーヴ、兄さんだって協会の人間なんだ。それに、協会に所属してるのは学者だけ。あたしの街を焼いた人間は武装していたんだ、あんな風に」

 あたしは窓の外、ちょうどすぐそばにいた騎士たちを指差した。馬の手綱を握る屈強な男たち。腰から提げた銃と剣の装備。遠くからでは見えなかったが、革製の胸当てに紋章が焼き付けられている。それが、日暮れの弱い光のなかでも分かった。
 羽ペンを象った紋章。
 あの日の甲冑の外観が脳裏に甦る。
 思わずあっと声が漏れた。窓枠に取りついて、騎士をまじまじと見る。視界がきゅうと狭まって、心臓がどきどきと強く脈打っていた。

「あれだ……」
「どうした」
「あの騎士だよ、あたしたちの街を襲った奴らは! あの焼き印、間違いない……どうしてこんなところに……」

 ぎらりと碧眼をきらめかせ、ジーヴが窓に顔を寄せる。彼らに冷たい視線が送られる。

「ふむ……あれは、イゼルヌ教団の紋章だな。彼らは教団お抱えの聖騎士たちだ。お前はそんなことも知らないで、よく今まで生きてこれたものだ」
「……どうしてあんたが人の事情に詳しいの」

 ジーヴはこちらに向き直り、お得意の姿勢をとる。つまり、腕を組んでふんぞり返り、ふんと鼻を鳴らす。

「イゼルヌ教の教義を、お前は知らんのだろうな。あそこの教えでは、人間こそが神の祝福を受けた大陸の支配者ということになっている。つまり、人以外の知的生物の存在を認めていないのだ」
「え……」
「嘆かわしいことよ。人に言葉を教えてやったのは竜だというのにな。お前も知らなかっただろう。人の驕り高ぶりにはほとほと閉口させられる。――イゼルヌ教団の聖騎士に遭遇してもさすがに攻撃はされないが、あまり顔を合わせたい相手ではない。向こうは我々の知性を否定しているのだからな。竜のなかでは常識だ」

 あたしは窓から離れて椅子に深々と座り、考え込む。
 あたしとジーヴの知る情報をまとめる。竜の集落でもあたしたちの街でも、実行犯は竜の知性を認めないイゼルヌ教団の騎士だった。その背後には協力している科学者がおり、毒ガスを提供していた。協会と教団。両者が手を組み、何かを企んでいた。
 そこまで考えるが、共謀の意図は、いくら頭をひねっても分かりそうになかった。

「真相を暴くにはもっと情報が必要だな。イゼルヌ教団について街で聞き込みをしよう、ジーヴ」

 皿に残る肉の塊をむしゃりと頬張り、テーブルに手をついて立つ。あたしはいても立ってもいられなかった。
 対する竜の男は目を丸くし、珍しく驚いた顔をする。

「もう夕刻だぞ。それにお前の話が真実ならば、あの騎士たちが街を焼いた張本人ということになる。奴らがいる状況で、聞き込みをするのはまずいのではないか?」
「このまま湯船に浸かって寝床に直行、なんてできる気がしない。あんたは宿に行ってれば。あたしだけでもやるから」

 黒髪の大男を今は見下ろしながら、あたしは宣言する。目と鼻の先に真実がぶら下がっているかもしれないのに、目を逸らして黙(だんま)りを決め込むなんてできない。
 ジーヴは二、三度目をしばたかせ、本気か、信じられん、とごちる。それでも、結局はあたしの後に続いた。聞こえよがしに嘆息を漏らしながら。
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