阿鼻叫喚の夜の後でも、変わらず夜明けは来た。
 朝日はいつものように真新しく、徐々に白んでいく空は清々しく、すべてはまっさらだった。けれど風には焦げ臭さの名残が混じり、変わり果てた街は覚めることのない悪夢として、そこに沈黙していた。
 傷の痛みに歯を食いしばって耐えつつ、どこが何かも分からなくなった街を歩く。残念ながら、街には生存者はいないようだった。
 兄はどこに行ったのだろう。
 街の中で、ひときわ炭化度がひどい場所を見つける。そこだけは、何が存在していたのか明白だった。
 図書館だ。広大な床面積を誇っていた図書館は、骨組みを残して見るも無惨に跡形も無くなっていた。本の一冊すら残すまい、という邪悪な執念が伝わってくるほどだった。
 この街には昔から、王立科学協会(アカデミー)に所属する学者が多数住んでおり、図書館は学者の要請に従って増築を繰り返し、巨大化していったという。兄もその学者の一人で、昨夜も文献を探すために図書館に赴(おもむ)いていた。しかしこの有り様では、手がかりが残っている期待は持てそうになかった。
 炭になった何かの上に腰を降ろす。海から吹いてくる潮風が、つんと鼻を刺した。
 街は海から切り立つ崖の上にあって、少し内陸に入ると豊かな森が広がっている。さらに奥には、皿に似た地形のくぼんだ草原が広がっており、黒い鱗を持つ竜たちがうようよしていた。ジーヴもそこから出てきたのだろう。研究の対象には事欠かない立地だった。
 訳も分からないまま亡くなっていった人たち。彼らのことを考えると、胸が締め付けられる。どんなに無念だっただろう。どんなに苦しかっただろう。とめどなく涙があふれてきたけれど、自分が今泣いていても何の意味もない、と目元をぐいと拭って立ち上がる。
 歩きながら、兜の隙間から覗いた双眸を思い出す。あれは、確かに魂の宿った人間の目だった。自分と同じ人間が、こんな惨(むご)たらしい殺戮を行い得るなんて信じがたかった。しかし、これが現実なのだ。
 2、3日は廃墟と化した街の脱け殻に留まっていたが、兄はもう近くにいないのでは、という予想は次第に確信に変わっていった。あたしはある決心をした。
 森の合間で、罠にかかっていた兎を見つける。それをジーヴに手渡すとき、話を切り出すことにした。

「ジーヴ。あたしは旅に出ようと思う。兄さんが行方不明なんだ。兄さんを捜したい」

 兎を受け取ったままの格好で、ジーヴは一度、ゆっくりと瞼をしばたかせる。

「ふむ。で?」
「あんたにも着いてきてほしい」

 一笑に付されることを覚悟の上で、あたしは単刀直入に言い放った。
 予想と異なり、ジーヴはくすりとも笑わなかった。あたしの目を、ひとつだけ残った青が鋭く射抜く。

「なぜ人間のお前に、竜である俺が協力せねばならんのだ――と言いたいところだが、実をいうと俺も捜したい者がいる」
「え……そうなの」
「俺の一族はな、お前の街が焼かれたのと同じ夜に滅んだんだ」
「は?」

 脈絡も突拍子もない言葉が返ってきて混乱する。
 滅んだ? 頑強な体と、長大な寿命を持つ竜が? そんなことがあり得るのか。
 ジーヴが、鋭い爪の生えた指で森の奥を示す。

「この向こうの平原に、黒竜が住んでいたのは知っているだろう。俺はその黒竜の部族の長(おさ)だった。あの晩――敵意を持った何者かが集落に忍び込んできて、俺以外の一族を滅ぼした。俺も右目から光を失った。竜は夜目があまり利かんし、気温が下がると動きが鈍くなる。そこを狙ったのだろう。卑劣な奴らだ」

 語り口はあくまで静かだ。しかし、ジーヴの左目の中には、激情としての青白い炎が燃え盛って見えた。
 竜は、この大陸で一番の膂力(りょりょく)を誇る生き物だ。彼らの雄々しい姿を見たら、どうこうしようなんてとても思えないし、手出しできる生き物がいるとも思えない。しかし、右目の視力を失ったジーヴは、まさに事件の生き証人なのだった。

「街が焼かれたのと同じ夜に……無関係とは思えないけど」
「俺もそう考えている。だが推論の材料が何もない。今は何とも言えん」
「――それにしても、竜が殺されるなんて……信じられない。本当に、黒竜はあんたしか生きていないのか」
「竜は嘘をつかない。人間と違ってな」
「……それじゃ、捜したいのって、その犯人なの」

 黒竜の集落にそっと侵入した何者か。
 それが人間なのか、同胞たる竜なのか、はたまた別の生き物なのか、それは分からない。しかし、その凶悪な姿を明るみに曝(さら)した何者かが、ジーヴの爪と牙で八つ裂きにされ、血祭りに上げられる。ひどく鮮明な光景が脳裏に浮かぶ。
 けれど、ジーヴはかぶりを振ってあっさりと否定した。

「そんな者を探してどうする。見つけて腹にでも収めるか? そんなことをしても、死んだ者は還らない。竜の中に、人間が持つような憎しみという感情はない。竜は常に、前方だけを見据えている」
「じゃあ、誰を」
「黒竜の一族の生き残りだ。探せば大陸には別の黒竜の集落があるかもしれん。俺は同族を見つけたい。そして俺は、我が一族を復興させる」

 迷いの一切ない口調で、ジーヴが言いきった。あたしは彼の、まっすぐな視線に圧倒された。
 一族の仲間と、自身の右目。全てを失ってなお、その碧眼は強く輝いていた。
 ジーヴが持っていた兎をそこらに放って、仁王立ちする。
 
「では、取引の内容を変更しようではないか。お前は俺の右目となり、俺はお前の左腕となる。そしてこれから、お前は兄を捜すため、俺は同族を捜すための、いつ終わるか知れない遠路へ旅立つ」

 あたしはジーヴに気圧されないよう見つめ返し、深くうなずく。

「着いてきてくれる」
「逆だ。俺がお前に着いていくのではない。お前が俺に、着いてくるのだ」
「どっちでもいい。いつまでになるか分からないけど、これからよろしく。ジーヴ」
「せいぜい俺の足手まといにならんよう励めよ、小娘」

 傲岸不遜な竜の男は、胸を反らして高らかに旅路の始まりを宣言した。
 あたしは無論、彼に手を差し出すなんて愚行はしなかった。無駄なことだと分かっていたから。
 これ以上失うものなど何もない。澄みきった空に陽はきらめき、あたしたちの行く手を照らしていた。
 それがあたしとジーヴの、旅の始まりだった。
(続く)

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