夜、森の中で、赤々とした焚き火の光に照らされながら、狩りに使う道具の手入れをする。
 火に炙られた何かがぱちぱちと爆ぜる音。鼻をくすぐる木の焦げる匂い。
 火は好きだ。形の定まらない高温の揺らめきを見ていると、懐かしいような、安心するような、そんな不思議な気分になって、落ち着くから。けれどあたしは、人の手を離れ、制御が利かなくなった炎がどれだけ恐ろしいか、身をもって知っている。
 毒を塗った槍の本数が、だんだんと少なくなってきているのに気づく。夜が明けたら、ドクトカゲを探しに出かけなければならないだろう。
 共に旅をしている竜のジーヴは、いつになく機嫌が良かった。焚き火の炎の中に無意味に枯れ枝を投げ込んだり、不思議な旋律の歌を口ずさんだり。人間の何十倍、何百倍も生きているくせに、やけに子供っぽいことをする。
 今日は仕掛けた罠に大きなイノシシが二頭もかかった。規格外の竜の胃袋を満たすのにも充分だったのだろう。二人旅を始めてもう半年経つ。行方不明の兄の消息はいまだ掴めないが、あたしの狩りの腕前と手法の豊富さは、着実に進歩しつつあった。それを喜んでいいのかどうか、判断はつきかねた。
 倒木に腰かけるジーヴの鼻歌に耳を傾ける。穏やかで少し哀愁を帯びた、深い森を思わせる曲調。こんな夜にぴったりだ。竜の世界にも歌があること。それがなんだか不思議に思えた。
 あたしは人間で、ジーヴは竜。
 それは決定的な違いだが、人型になった竜は、外見だけは人間とさほど変わらない。爪と耳の先が細く尖っていて、口を開けば鋭い牙が覗く。差違はそのくらいだ。
 どうして竜は人に似ているのだろう、という問いがふと浮かんでくる。
 どうして、犬でも猫でも馬でも鷲でもなく、他でもない、人間なのだろう?

「竜はなぜ、人型になれるの」

 疑問が口をつく。ジーヴは鼻歌を中断し、真っ青な片目をあたしに向けた。もの悲しい調べの代わりに聞こえてくる、葉が擦(こす)れるさわさわという音。宝石のかけらを暗い水底にちりばめたような夜空の下、彼の瞳だけが真昼間の青空みたいに鮮やかだった。
 ジーヴは気分を損ねた風もなく、体ごとあたしに向き直る。

「他の動物ではなく、なぜ人を選んだのか、と聞きたいのか? そんなことは知らんよ。ご先祖様に聞くしかないが、そのご先祖様はもういないのでな」

 予想した答えではある。素直に分からない、と言えないのが竜らしいところだ。
 ジーヴはお得意の胸を張る姿勢をとり、後を続けて滔々と言い募る。いつにも増して饒舌だ。

「竜が人間を真似たのか、竜の別の姿を人間が真似たのか――それはつまり、神が作りたもうたは竜が先か人間が先か、そういう問いになるだろう。そんな議論に意味はない。太古の出来事を知ることなど不可能なのだからな」
「でも、姿を変えられるからには何か意味があるんでしょう」

 あたしは食い下がる。気になったら納得できるまで満足できない。諦めが悪い性分なのだ。
 この好奇心の強さは、きっと血筋なのだろうなと思う。一人きりのきょうだいである兄も、自然への好奇心が高じて、ついには学者になった。その好奇心がなかったらあるいは、兄が失踪することはなかったかもしれない。なんとなく、あたしはそう思っている。
 好奇心が猫を殺す、と言ったのは誰だっけ。
 ジーヴが、ああ、と鷹揚に頷く。

「この姿は生殖用だ」
「は……?」

 さらりと放たれた言葉。あたしは凍りつく。
 ゆったりした居心地のよい夜がぶち壊しだ。
 ジーヴは顔色ひとつ変えず、なんでもないことのように続ける。

「もともとこの姿は、竜の雄と雌が出会って交尾するときのためのものだ。竜のままでは、爪や牙や棘でお互いを傷つける恐れがあるからな。――なにを呆気に取られている。そんなことも知らなかったのか? やれやれ、世間知らずな小娘の教育係を買って出た覚えはないんだがな」
「……聞かなきゃよかった……」

 あたしはげんなりして項垂れた。人の姿はつまり、"そういうこと"専用というわけだ。目の前にいる男のあれやこれやを想像しそうになり、頬が熱くなりかける。反して肩のあたりがぞわぞわした。その寒気を右腕でさすって振り払う。
 ジーヴは涼しい顔で小首を傾げている。

「生殖用の姿がなぜ人間なのか、確かに言われてみれば不思議ではあるな。考えても詮なきことだが。ちなみに、この姿でなら人間とも交われるようだぞ」
「そんなことは聞いていない!」

 あたしは叫び声一歩手前の悲鳴を上げた。何なのだこの男は。どうしてしれっと、大地を揺るがすような問題発言ができるのか。
 あたしが身を引くと、ふざけた竜の口が意地悪く弧を描く。
   
「なんだ、見かけによらず初(うぶ)だな。――あまりそう警戒するな。この姿で過ごしているのは、こちらの方が体力を温存できる、それだけの理由だ。他意はない」

 そうのたまって、からからと笑う。
 しばし凄味のあるジーヴの面立ちを睨んでいたあたしは、ある可能性に気づいた。

「でも、その、こう……ができるってことは、竜と人間の子供も生まれ得る、ってこと」
「そういうことになるな」

 あっさりと肯定され、あたしは押し黙る。今までそんな話は聞いたことがなかった。
 竜と人間の混血。
 それはなんだか、信仰心の薄いあたしにも、誤って神の領域に踏み入れたような、悪魔の支配する領域に迷い込んだような、うすら寒い感情を呼び起こす概念だった。
 そこにいる竜の表情は曇っている。

「竜と人間が、種族を超えて愛しあう。普通、あってはならぬことだ。しかし、例がないわけでもない」

 さも恐ろしいと言わんばかりに、ふるふると首を振って、

「不幸なことよ。当人たちにとっても、子にとってもな。愛情は月日を超えられない。竜と人間が生きる時間軸は、まったくの別物だ。時の流れは、無情に竜と人間の仲を引き裂く。そして竜でもない、人間でもない子供は、どちらの集団にも馴染むことができない。先天的で、絶対的な孤独を背負うことになるのだ」
「……まるで身に覚えがあるみたいね」
「気になるか?」
「別に」

 本当は気にならないこともなかったけれど、ジーヴの沈んだ瞳を見ていたら、それ以上踏み込んではいけないと胸が騒いだ。
 隻眼の底にちらつくのは、慈しみと物憂さ。過去も未来も、あらゆるものを超然と見はるかす透徹。見たことのない顔つき。
 あたしはその時、自分とこの竜(ひと)は絶対に相容れない存在なのだと、強く感じた。
 ジーヴはほほえむ。

「だから忠告しておこう、人間の小娘よ。どうか俺に、惚れてくれるなよ」
「……誰があんたみたいな男に惚れるもんか」
「そうか、ならいい」

 ふんと鼻を鳴らして突っぱねると、ジーヴは安心した様子であたしから目線を逸らした。
 彼が鼻歌を再開する。
 細く頭上へ伸びていく旋律が、星空に溶けていく。その光景が、見えた気がした。
(続く)

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