商品が乗った棚の影、他の人には見えないところで、ぼくはそっと哲くんの指先を握る。

「ふふ。実はぼくたち、恋人なんだよ。恋人なんだから恥ずかしくたっていいでしょう。それにね、恥ずかしいことをたくさんするのが恋人ってものなんだよ」
「そういう、ものですか」

 格言めいた物言いをしているが、もちろん誰か歴史上の有名人が言ったことでも書いたことでもない。自分がなんとなく思いついただけの意見だ。ただ、その持論は概ね間違ってはいないのではないか、と思う。周囲から見た恋人なんて、恥ずかしさを振りまいて歩いている恥の塊みたいなものだ。
 ぼくの適当な発言に、哲くんは真摯な目をしてうなずく。除霊技術を教わった師匠から「君ね、詐欺師だけにはならないでよ。適性がありすぎるから」と言われたことのあるぼくだが、彼のあまりの従順ぶりを見ていると、詐欺師の資質がない人間でもころりと騙せそうだと心配になってしまう。ぼくがしっかりして哲くんを守らねば、と息巻く気持ちになった。

「哲くんはつけるならどれがいーい?」
「うーん……これかこれか、こっちですかね。颯季さんはどうですか?」
「ぼくは、そうだなあ」

 あれこれとピアスを見繕いながら、ぼくは胸の内が満たされていく感覚に浸っていた。哲くんとお揃いで身につけると考えたら、ホールをあける痛みなんて取るに足らないものだと思えてくる。
 世界一恥ずかしい人間ランキングがあったとしたら、この瞬間のぼくはきっといの一番に名前が挙げられていたことだろう。
 ピアスを手に入れたぼくらはいい時間になったところで逍遙(しょうよう)を終える。シネコンへと舞い戻り、ぼくがフード・ドリンクの販売口に並ぶと、哲くんがひそひそと疑問を囁いてきた。

「あの、映画って確か二時間くらいですよね? そんなに食べたり飲んだりするんですか」
「あー、ポップコーンとドリンクを買うのはねえ、もう儀式みたいなものだから。夏祭りで買う焼きそばとトウモロコシみたいな」
「夏祭り……聞いたことはあります」
「あっ……ごめんね。今度夏祭りも一緒に行こうね……」

 失言をしたぼくの前で、哲くんは気にした風もなくへにゃりと笑ってみせる。そういえば、お祭りもデートの定番のひとつだったか。夏祭りはその性質上、生者と死者が混ざり合うことが多く、余計な厄介事を避けるためにもう何年も足を運んでいなかった。ともあれ、お守りがあれば哲くんと行っても危険は少ないだろう。それに彼はきっと、浴衣や着流しが抜群に似合う。白い首筋に提灯の光が映えて――いやよそう、煩悩まみれの妄想は。
 何か問いたげな哲くんの視線に素知らぬ振りを決め込み、ポップコーンとコーラを抱えながらぼくらは目的のスクリーンへと向かう。
 選んだ映画はアクションもののシリーズの続編で、あまり小難しく考えず、頭を空っぽにして観られる作品だった。前作のダイジェスト的なものが冒頭に入っていたから話についていけたし、何より映像が派手だ。画面作りに全力を注ぎ込んだ感があって話運びはごく王道、仲間と力を合わせ危機を乗り越えたあとには当然のようにハッピーエンドが訪れた。ちらりと横目で哲くんの表情を見ると、視線は食い入るようにスクリーンに向けられており、その双眸はきらきらとしていた。彼が楽しめたのなら何よりだ。初めての映画館体験として、悪くない作品だったようだ。
 アップテンポに朗々としたボーカルが乗った主題歌とともに、スタッフロールが粛々と流れていく。なんとはなしにそれを眺めていると、肘掛けに置いていた手の甲に何かがそっと触れた。はっとして見ると、隣から伸びた掌がぼくの手に優しく覆い被さっている。
 そのまま目線を上げれば、はにかんでこちらを見つめる哲くんと目が合って。
 こんなのは聞いていない、と思う。脈拍がにわかに増加して治まらない。彼の方から触れてくれるだなんて、事前に言ってくれないと衝撃が大きすぎる。ぼくはこんなにも、君が好きなのだから。
 ――帰ったら絶対抱く。
 スタッフロールが終わるまではそう決心していた、のだが。
 照明が灯されて照れた様子の哲くんが視界に飛び込んでくると、もうむらむらと突き上げてくる衝動を抑えきれなくなった。空(あ)いた方の手で彼の袖口を引っ張り、無言のまま映画館を後にする。「あの、颯季さん?」という声を置き去りにするように歩みを進め、人波を掻き分けてそのまま夕暮れ迫る街へと出ていった。
 ここらは土地鑑があるから、ホテルの場所は概ね分かる。人通りが疎らになったところで、ぼくは出し抜けに振り返った。

「哲くん。少し休憩していかない?」

 困惑顔の哲くんの表情が、一度驚きに上塗りされ、そこからじわじわと恥じらいに染まっていく。
『休憩』の意味は、過(あやま)たず彼に伝わったみたいだ。
「……はい」というか細い返事を、もちろんぼくは聞き逃さなかった。


 そういう目的のホテルへ来たのはいつぶりだろう。
 部屋のドアが閉まるなり、ぼくはボディバッグを放り投げて哲くんの体を抱き寄せた。焦(じ)らすなんて考えられず性急にキスをする。腰を引き寄せ互いに密着しながら、唇を食み歯列をなぞり舌を絡ませる。すぐに哲くんの腕も伸びてきて、ぼくの首の後ろに回された。わざとらしい水音を立てながらそうやって交わっていると、下腹部にぐりぐりと当たるものがある。ぼくのと哲くんのは、早くも固さを得てさらなる刺激を欲しているのだった。

「ごめんね、哲くん……家まで我慢できなくて」
「いいんです。俺も、けっこう限界だったので」

 本当に? 嬉しい。酸素が足りなくなるほど相手を貪ってから、ぼくらは体を離した。まだキスしかしていないのに、百メートルの全力疾走をしたみたいに息が上がっている。哲くんの髪に覆われていない左目が爛々と輝いているけれど、きっと同じくらいのぎらぎらした光が自分の瞳にも宿っていることだろう。
 このままセックスするのはおそらく拙(まず)い。独り善がりの欲望を、好きな人にぶつけかねないからだ。ぼくの中の辛うじて冷静な部分がそう警告してくる。
 ぼくは髪を無造作に掻き上げ、ふ、と浅く息をつく。

「ぼくが先にシャワー浴びてきてもいい? このままだと暴走しちゃいそう。ちょっとクールダウンさせて?」
「それは、はい。もちろん、大丈夫です……」

 とろんとした目の哲くんを巨大なベッドに導いてから、ぼくはいそいそと脱衣場に向かった。服を脱ぎ捨て、やたら豪奢なバスルームに足を踏み入れる。両想いだと判明した日、何もしないと言っておきながら、お風呂場で肌を合わせてしまったことが五感に甦る。あれでぼくは信用を失ってもおかしくなかった。
 バスルームは二人で入るにしても広すぎる空間だったが、いま哲くんといたら確実に襲ってしまうので、手早く体を清めるだけにしておく。
 さっきはぎりぎりのところで理性を失わずに済んだ。哲くんと出会い、想いが通じてから、己を律しきれない事態が増えていた。ぼくは自分が年下だという事実に胡座をかいて、なんでも受け入れてくれる彼の包容力に甘えているのかもしれない。こちらが一方的に寄りかかっていたら哲くんだって嫌気が差すし、そのうち愛想を尽かすはず。なあ、一番大事にするべきはなんだ、百足(ももたり)颯季。哲くんの体と気持ちだろう? そのことを一時(いっとき)も忘れちゃいけない。すごくいい匂いのするボディソープで体を洗いながら、ぼくは自分に何度も言い聞かせた。
 バスローブを身にまとい、部屋へ舞い戻る。ベッドに座る哲くんはそわそわと落ち着かない様子で、先ほどより頬の赤みが増しているように見えた。
 彼の隣に腰かけ、スラックスに包まれた腿に手を置く。布の下の筋肉がぴくりと震えるのが分かる。

「ぼくがシャワー浴びてるあいだ、何かあった?」
「あ、その……部屋をあちこち見て回ってたんですけど」
「あー、大人のオモチャとか見つけた?」

 歯切れの悪い哲くんにずばりと切り込むと、相手は「うっ、うう……」と真っ赤になって唸る。初心(うぶ)な反応に胸の奥がざわざわと鳴る。可愛い。今すぐどうにかしてしまいたい。

「使ってみたい?」息を多く含ませた声を哲くんの耳に吹き込む。
 彼の体は敏感に反応して、びくりと肩が揺れた。

「あっあの、どっちでも大丈夫、です……颯季さんの好きなように……」
「そう?」

 内心でふうん、と意外に思う。焦りながら拒否するかと予想していたから、健気な言葉は別の予想をぼくにさせた。

「哲くん、使ったことあるの?」
「っ、その、それは」

 哲くんは口をぱくぱくさせる。そのうち皆まで言ってしまいそうな彼の髪を出し抜けに撫でた。

「ごめんね、答えなくていいよ。プライベートなことだもんねえ」
「い、いえ……」
「哲くんもシャワーどうぞ。ゆっくりしてきてね」
「……はい」

 恋人をバスルームに送り出し、ぼくはぼふんとベッドに身を横たえた。哲くんはまっさらな雪原のようでいて、降り積もった雪の下に何が隠れているか分からないような、底の知れないところがある。もしかしたら彼は、底無し沼みたいにぼくを取り込むかもしれない。もちろん、彼自身も自覚のないうちに。そんな予感が全身をぞくりと貫く。
 ぼくは身を起こして下半身を見下ろした。ガチガチになったそこはさっきから臨戦態勢のままだ。一回抜いた方がいいかなあ、でも途中になったら……と悩んでいるうちに、バスルームの扉が開け閉めされる音が耳に届く。仕方ない、タイムリミットだ。
 やがてバスローブ姿の哲くんがおずおずとやってきた。ただでさえ色白の肌が抜けるような透明感を持っており、ほどいた黒髪はしどけなくその肌を這っている。湯上がり美人という言葉がこれだけ似合う人もそうそういまい。
 ベッドの上に胡座をかいたぼくは、彼に向かって手招きをする。

「哲くん、おいで」
「はい……失礼します」

 こちらへよじ登ってきた哲くんに、ぽんぽんとジェスチャーで自分の膝を示した。乗っていいよという合図だ。

「えっと、こう……ですか?」
「そうそう、いい子だねえ」

 自分と同じボディソープの匂いがふわりと香る。哲くんはぎこちなくぼくに跨(また)がりながら、視線は斜め下あたりに逃がしている。よほど恥ずかしいようだ。
 ぼくは目の前にある肉体の腰に手を回して抱き寄せる。元々身長差があるから、鼻のあたりが哲くんの胸元に埋まる格好になった。

「ん、颯季さん……」
「哲くん、バスローブ似合うねえ。色っぽくて興奮しちゃうよ」

 正直な感想を言えば、哲くんが「いろっ……!?」と目に見えて慌てる。まるで初めて言われたかのような反応だ。

「他の人からも言われたことあるでしょ? 色っぽいとか、湯上がり美人とか」
「そんなの……あるわけないですよ」

 ほんの少しだけ唇を尖らせて哲くんは言う。ちょっと拗ねているみたいな様子が散歩を拒否する犬を彷彿とさせた。とても可愛らしい。

「そう? それじゃあ、思っても言わなかったのかな。そういえば、哲くんはこういうところは初めて?」

 問いかければ、返るのはこくりと小さいうなずき。

「もちろん初めてです。颯季さん以外の人と、付き合ったことないですから……。今までのも全部、初めてです」

「えっ」ぼくの口から間の抜けた声が漏れる。
 付き合ったことがない、全部初めてということは――。もしかして、とうっすら考え、その度にまさか、と否定してきた憶測が事実だったってこと?
 なぜ否定してきたかと問われたら、ぼくはあまりに彼に無体を働いてきたので、直視するのが怖かったからだ。だって、初対面で最後までしてしまったし、外でのセックスも数えきれないほどしたし、無垢な体にそれらを教え込んできたということに……。数々の不埒な行為が走馬灯のように脳裏を流れる。

『あの俺、こういうの初めてで……』

 出会った日、肌を重ねようとしたときの哲くんの言葉は、本当に何もかもが初めてという意味だったのだ。

「そのっ、なんか、ごめんね!?」

 焦りすぎて言葉が軽くなってしまう。哲くんはきょとんと目をまばたいた。

「? どうして颯季さんが謝るんです?」
「いやだって、これまで色々無理させたし……。初めての子にあんなことやこんなことをさせた責任を今さら痛感してる……」
「俺は、初めての相手が颯季さんで良かったと思ってますよ。じゃなきゃ今、こんなことしてないです」

 哲くんがふっと笑み、腕をこちらの背に絡ませてくる。そのまま唇が重なった。先ほどの激しい口づけとは違い、いたわるような優しく慈しみ深いキスだ。互いの好き≠ニいう感情が、唾液とともに境目なく混じり合う。湿り気を含んだ黒髪を後頭部から混ぜるようにすると、上に乗った哲くんの総身が、ため息するように身動(みじろ)いだ。
 ぼくの腹にぐり、と当たるものがある。哲くんのも大きくなっている、そのことに安心を覚えた。しかし、なんだか違和感がある。もしかして、この感触は。
 唇を離して視線を落とす。哲くんのローブの腰紐はほどけかけていて、胸元がはだけ、そして。
 乱れた裾の袷(あわせ)から、色が濃くなった彼の昂りが、先走りを滴らせながら覗いているのだった。
 待って、理解が追いつかない。「て、哲くん」と呼ぶ自分の声が震える。

「下着、穿いてなかったんだね……?」
「ん……穿いてもまた、すぐ脱ぐと思ったので」

 キスで蕩けた表情のまま、素直に答える。
 ぼくはそこで、なぜだか笑いだしそうになった。なんてすごいんだ。この子はぼくの想像を軽々と超えてくる。

「はは……。無自覚って恐ろしいね」
「っは……颯季さん……」

 哲くんのはだけた袷からするりと指先を差し入れれば、上にある体の震えがダイレクトに伝わってくる。彼の存在はぼくにとって、興奮のポイントを的確に突き、燃え上がらせる薪(たきぎ)のようだ。その度合いといったら凶悪と言ってもいい。
 哲くんの首筋から鎖骨にかけて舌を這わせると、彼の吐息が荒くなっていく。片手で胸を弄りながら、湯上がりのおかげでいつもより鮮やかな色をしている胸の尖りを、舌先でつんつんとつつく。そこは最初ふわふわとしていたが、やがてぷっくりと起ち上がって固くなっていった。
「ん、ん……ふあ……」と漏れ出る哲くんの声も甘く高くなり、感じ入っていることをこちらの鼓膜まで伝えてくれる。キメが整った彼の肌はぴったりと吸いつくようで、いつものようにとても気持ちがいい。
 ぼくはもう痛いくらいに起っている自分のそれを下着から取り出した。互いに濡れた昂りと昂りとが擦れ合っている。初めて見る光景だ。ごくり、と生唾を飲んだのはどちらだったのか。

「哲くん、触ってみて? そう、一緒に……」

 哲くんの強ばった指先を二本の屹立へと導く。彼の掌が震えるように上下運動を始める。ぼくは目の前の肉体に抱きつくようにしながら、相手の後ろへと指を伸ばした。そこは慣らされて柔らかくなっていて、つぷり、と到達するなり指先を熱い内側へ簡単に迎え入れる。もう、準備万端のようだ。

「颯季、さん……そこっ、だめ」
「どうして? これからもっと太いのが入ってくるのに。ほら哲くん、手が止まってるよ? 気持ちよくなりたいでしょ?」
「ふ、う……っ」

 二重に聞こえるくちゅくちゅという淫猥な音。肩に当たる哲くんの呼気の温度がどんどん高まっていく。彼の後ろはぼくの指二本を簡単に咥えこみ、うねりながらもっと奥へと淫靡に誘っている。思わず舌なめずりをしそうになるほど、哲くんの体は魅力的だった。
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