「体洗ってあげるねー」

 歌うように言い、向かい合って俺の上半身を洗い始める。これは良くない。ほとんど摩擦のない手の感触が、縦横無尽に腕やら胸やら腹やらを撫で回す。視線が合ってしまうのもあり、耐えられないほどに恥ずかしい。

「あ、あの、後ろからお願いできますか……」

 掌で口元を押さえつつ、声の震えを我慢しながら懇願する。サツキさんが「んー? いいよお」と安く請け合ってくれたのでひとまずホッとした、のも束の間。
 ――どっちにしろ良くない!
 反転させた背中に、サツキさんの肉体の気配がぴったりとくっついている。こんな状況でリラックスできるわけないし、相手の顔が見えないことが余計に想像を逞しくさせる。首筋に息遣いが当たるのも、器用な指先が下腹部の際どいところをさわさわとまさぐってくるのも、生殺しにされているみたいでもどかしい。
 もういっそ、一思いにやってくれないだろうか。
 その願いが通じたように、泡に包まれたサツキさんの指先が、ついに俺の股間に触れた。途端に背すじを痺れるような快感が走る。そのままぬるぬるした掌が俺のそれを握りこみ、前後運動を始める。

「ふふ。ちょっと固くなってるねえ。体を洗ってるだけなのに」
「いっ、言わないで、下さ」

 息が簡単に熱くなる。洗ってるだけなんて、言い方が意地悪だ。こんなのは前戯と変わらない。それとも、サツキさんにとってはこれが普通で、感じている俺の方がおかしいのだろうか。
 不意に、首の後ろでふうう、と深く息を吐く音がする。

「ごめん、哲くん。やっぱり何もしないのは無理かも」
「え……」

 疑問を呈する間もなく、サツキさんの体が背中に密着してくる。しなやかで健康的な、それでいて野性を秘めた彼の肢体。その圧倒的な存在感の中で、いっそう異彩を放っているもの。
 サツキさんの昂りが、俺の腿の付け根に当たっている。
 知覚してしまうと、もう駄目だった。その先をイメージしてしまい、浴室で彼に貫かれる光景が目の前に展開する。腹の奥がきゅう、と締め付けられるような感覚があった。

「約束破ってごめん。でも、哲くんが可愛すぎて無理……」
「サツキさ、ん……」
「嫌なら言って? 我慢するから」
「や、じゃないです。俺も……してほしい」
「哲くんっ」

 言葉尻を待たずに後ろから抱き締められ、ぬめった肌と肌がいっそう重なる。サツキさんの体は火照って熱かった。それと同時に、ぬるぬるした太くて固いものが股のあいだへ入ってきて。
 なんだ、これは。セックスは何度もしているのに、今までのと全然違う。

「ゴムつけられないから、挟んで擦(こす)るだけね?」

 余裕が薄れた、しかしそれでも優しい声で、サツキさんが囁く。
 昂りは股のあいだをぐりぐりと刺激しながら反復運動を繰り返す。そこには何もないはずなのに、セックスじゃないのに、セックスと同等かそれ以上の快感が生まれている。
 謎めいた官能の存在は不安でいて、それに翻弄されるのがすごく、気持ちいい。

「ん、あぁ、サツキさん……」
「ここね、会陰っていって、内側に前立腺があるんだよお。外から弄るのも気持ちいいでしょ?」

 与えられる刺激は徐々にリズミカルになっていく。俺の中の本能が比例するように高められ、箍(たが)が外れたみたいに腰が揺れてしまう。
 みっともなくて泣きそうなのに、気持ちいいのが欲しくて我慢できないのだ。

「哲くん……そんなに腰揺らしたら、弾みで入っちゃうかもよ?」
「ンッ、うう……」
「声、抑えなくていいのに」

 脳髄がとろとろに溶けているみたいだ。サツキさんのことしか考えられないのに、恥の感情は残っていて、はしたない喘ぎ声を出すまいと俺は唇を噛み締めている。
 出し抜けに、肩にびりりとした軽い痛みが走り、「アッ!?」と反射で仰 (の)け反(ぞ)る。今のは、まさか。

「ふふ、おっきい声出たね。さっきのお返し。これでおあいこだね」

 サツキさんが肩口を食(は)んだのだ、とその台詞で思い至る。彼の声にはからかう響きがあったけれど、怒っている様子はない。それが俺を安心させる。
 いつしか俺は壁に手をつき、口の端からだらしなく涎を垂らしながら、猫のように甘くとろけた声で喘いでいた。淫らに腰が蠢くのを止められないけれど、サツキさんが気持ちよくなってくれるなら俺も幸せだ。
 体の奥深くから巨大な快感がせり上がってくる。気持ちが通った相手との情交は、こんなにも体だけの関係と違うものなのか、と圧倒された。

「サツキさ、もうっ、出そ、です」
「うん、好きなタイミングでイくといいよお――哲成」
「ぁ……!」

 名前を呼ばれた瞬間、何かが閃光を放って爆ぜた。高い波に全身がなぶられ、拐(さら)われて、もみくちゃにされる。と同時に、どこまでも堕ちていくような感覚があって、頭の中が真っ白になった。
 昂りがどくり、どくりと白濁を吐き出していた。その痙攣が治まるころ、自分の息が驚くほど荒くなり、心臓が早鐘を打っているのに気づく。

「ふう……それじゃ、綺麗にしたら上がろうか?」
「待って」

 離れようとする体を、手首を握ることで引き留める。上半身を捩って振り返ると、目を丸くしたサツキさんがいた。

「サツキさんはまだ出してないですよね? 達(い)くまで使って下さい、俺の体……」

 少しかすれ始めた声でねだると、相手は「哲くん……! もうっ」と少し怒ったように唇を尖らせる。

「使うとか言っちゃだめ! あとそういう顔、ぼく以外に見せたら危ないよ」
「危ない、って……?」
「可愛すぎて危険ってこと」

 サツキさんは言いながら、俺のいいところを正確に抉った。さっきより激しく、ちょっとだけ乱暴に。そのほのかな粗雑さが興奮に薪をくべ、情欲の炎がさらに燃え上がる。

「見せ、ませんっ、俺には、サツキさんだけ……だから」

 揺さぶられながら絶えだえに宣言する。後ろから手が伸びてきて、顎を捕らえられた。歯が当たるほどの勢いで口づけされ、舌が絡み、唾液が混じり合う。

「ふッ、好きだよ……哲成」
「サツキさん、俺も……好き」

 名前を呼ばれるのが、依頼人に使った偽名でない名前で呼べるのが、こんなにも嬉しいなんて。
 首の後ろを熱い息づかいがくすぐった。股の薄い皮膚が、サツキさん自身の収縮をダイレクトに感知する。内腿を生ぬるい流体が伝い落ちていくのが、情事の熱に浮かされる脳でもはっきり分かって。
「哲くん、続きはベッドでしよ?」
「はい……」
 再び唇を重ねながら、好きな人からの甘い誘惑にこくこくとうなずいた。


「哲くん、水どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 下着だけ身につけたサツキさんが差し出すコップを受け取る。俺たちはベッドに並んで座り、ごくごくと水を飲み干した。
 正直なところ、くたくただった。心地よい疲労感という次元はとうに通り越している。サツキさんに求められるのが嬉しくて必死に応えていたのだけれど、明らかに自分のキャパシティを超えていた。それでも後悔はない。好きな人と気持ちが通じ合い、その先の関係へと進めたのだから。
 サツキさんはというと、ヒートアップして気が済むまで俺を付き合わせてしまった責任を感じているらしい。またしょんぼりしているのが伝わってくる。その姿をちょっと可愛いと思っているなんて、彼には秘密だ。

「哲くん、仕事のことなんだけど」居ずまいを正してサツキさんが切り出す。「今の形のまま続けてくれる? それとも抵抗感があるかな。嫌なら言ってくれれば別の形を――」
「今のままで大丈夫です。あなたの相手になる人間は、俺だけがいいので」

 きっぱりと言い切ると、サツキさんは照れたようににひひと笑った。

「なんか、哲くんから独占欲を向けられるの、新鮮で楽しいなあ」
「どっ!? 独占欲なんてそんな……大層なものじゃないですし畏れ多いです。ただ俺は、サツキさんの役に立ちたいので。……俺、今まで役に立ってましたか?」

 にわかに不安の雲が胸腔内に広がって、隣にいる大好きな人に問う。

「役に立つどころか――」サツキさんは数秒言葉を溜め、「哲くんはぼくの救世主だよお」

 そう大袈裟に言って抱きついてくる。髪をわしゃわしゃと混ぜられ、一旦引いた熱がぶり返しそうになった。

「きゅ、救世主だなんて、そんな」
「ほんとだよお。だって、ぼくだけじゃ虫には対処できないもん」

 ――虫?
 ああ、虫か。そうだよな、俺がここに存在する意味なんてそこにしかないのだ。高揚した気持ちがずうんと沈む。

「あ、そう……いうこと、ですよね。もちろん分かってます、自分の役割は」
「あー! ごめんごめん、今のはジョークだから! 今のはぼくが悪かったよお。哲くんが救世主っていうのはほんとだよ」

 サツキさんが俺を抱き寄せ、宥めるように頬に口づけをしてくれる。

「ごめんね、許して?」

 そう見つめられると俺は弱い。そもそも別に気にしていないのだから、許すも許さないもない。でも、まだひとつ気がかりが残っているのは確かだった。

「じゃあ、ひとつだけ教えて下さい。そしたら、許します」
「うん、なんでも訊いて」

 交換条件を付けたことで俺の心がちくりと痛む。生意気な物言いをするようになったものだ、と思われていたらと想像するととても怖い。自分が相手と対等の立場で発言することに、まだ罪悪感があるのだ。けれど少しずつ慣れていかねばならない。サツキさんの負担をなくすために。

「サツキさんの、本当の名前を知りたいです」

 言った。言ってしまった。大きな秘密が隠されているのかもしれない場所に、踏み込んだ。
 ドキドキしながら尋ねたのだが、当のサツキさんは不可解そうに目をぱちくりさせている。

「本当の名前……? サツキは本名だよ。あそっか、いつも依頼人には偽名を使ってるもんねえ。でも、相棒になる子相手に偽名なんか使わないよお」

 さらりと言ってのけるサツキさんの前で俺は拍子抜けした。意図的に隠しているのでは、という疑念は完全に勘違いだったらしい。

「そうなんですか? なんか神秘主義的な信条があるのかと……どういう字なのか、聞いてもいいですか?」
「あは、特別な信条なんてないよお。でもそっか、説明してなかったか。字はねえ、はやてって字に季節の季。それでサツキって読むよ」

 サツキさんは空中に「颯季」という文字を書いてくれる。颯季。颯季。それが、この人の本当の名前。

「格好いい名前ですね……! そっちが名前ってことは、名字の方は?」

 それは自然な会話の流れ、だと思ったのだが。
 颯季さんはいきなりぴたりと静止すると、どこか遠いところを見る胡乱な目つきになる。
 ――あれ? 今の、失言だった?
 地雷を踏んだかと静かに慌てていると、突然わっと颯季さんが両手で顔面を覆った。そして、呻くように言う。

「名字はね、ももたり……百の足って書いて、ももたりだよ……」
「百の足ってことは……え、ムカデってことですか」
「あー! やめてえ! ぞわぞわする」

 サツキさん改め、百足(ももたり)颯季さんはその身を抱き締め、悶絶するように苦しんでいる。ムカデは彼が最も苦手とする生き物だ。なんせ、足がものすごく多いから。

「地球上で一番苦手な生き物が自分の名字って、つらいんだよお……」
「それは、その、難儀ですね」
「うう、一人だった時代に事務所にどでかいアイツが出没したときのこと思い出した……あれはトラウマだよお」

 颯季さんはぷるぷる震えている。よっぽど怖かったようだ。俺だって、何十cmもあるムカデと対峙したら震えてしまうかもしれない。でもきっと、颯季さんのためなら立ち向かえると思う。ムカデに、だけじゃない。颯季さんの忠犬になろうとするのではなく、二人三脚という形で、これからは彼を支えていきたいと思った。
 もっと場数を踏んで、自分を卑下するのをやめて、颯季さんの隣に立つのに相応(ふさわ)しい人間にいつかなりたい。こっそりと決意を固める。

「大丈夫です。次からは俺がなんとかします。なんたって俺は、颯季さんの救世主ですからね」
「うっ、やっぱり気にしてる? ごめん……それにありがとう。哲くん。これからも改めてよろしくね」
「よろしくお願いします」

 泣き笑いと下手なほほえみを交わし合って、俺たちはもう一度強く抱き合った。
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