わたしの視線の先に、ふたりの男がいる。数十年ぶりの邂逅を果たした彼らは、無言のうちに歩み寄り、黙したまま無骨な手を堅く握り合う。
 わたしには、彼らの行動の意味は分からない。何ひとつ。


 約三十年前に終結した第四次世界大戦は泥沼の様相を呈したという。二十世紀の高名な物理学者が予言したとおり、人的兵力がほぼ介在しない第三次世界大戦によって地球の文明は灰塵に帰し、第四次世界大戦は人間同士の原始的な争い――撃ったり斬ったり爆発させたりなど――が主な内訳となった。一度世界中が更地になったことで、焼けた森に芽吹く新芽のごとく、その後の科学の再発展が著しい速度を見せたのは皮肉と言うべきか。
 いま、わたしは中世の宮殿を模した建造物の一室にいる。見上げるほど高い天井には神話の世界が描き込まれ、壁は大戦の戦功者の肖像画で埋まり、床は毛足の長い豪奢な絨毯が敷き詰められている。巨大な窓の外では灰色の立体的な雲が渦巻いていた。ここは、種々の会談に臨む者が控え室として用いる部屋だ。
 重厚な扉を開けて入ってきたのは、銀髪を短く刈り込んだ男だった。厳然とした雰囲気を纏う姿は、凍てついた氷瀑を思わせる。胸に勲章をたくさんぶら下げた軍服姿で、右目は義眼、右手と右足は義肢、太い杖をついている。片方しかない鷹のような目で、「護衛はひとりだけか」と言わんばかりにわたしの方を一瞥した。
 次に入ってきたのは、まだ黒くつややかな髪を後ろに撫でつけた男だった。泰然とした身のこなしは、どっしりと節くれだった古木を思わせる。こちらは民族衣装らしいシンプルな長衣をまとっていた。皺が刻まれた顔の左側は大きく抉れ、耳はほとんど残っていない。両足ともに義足である。その目は先に入室した男だけに注がれていた。
 二人とも、年の頃は同じであろう。彼らの素性は既に聞き及んでいる。国境を接する町で育った彼らは元々無二の親友だったが、四次大戦では敵国の兵士となり、何度も戦場で相まみえた。殺し合いをしたのだ。大戦終結後に紆余曲折あり、今年になってふたつの祖国は併合して新たな国となることに決まった。彼らは国の代表として、調印式に出席するためにここにいるのだ。
 すべてはよくある戦争の悲劇で、よくある戦争の後日談である。
 堅く握り合った手を離し、ふたりの男は同じタイミングでにやりと不敵に笑い合う。部屋には撞球台もチェス盤もあるのに、まるで相手しか視界に映らないかのようだ。

「お前、老いたな」

 氷瀑に似た銀髪の男がしみじみと言う。

「貴様こそ」

 古木に似た黒髪の男が鷹揚に返す。
 わたしは直立不動の体勢のまま、ふたりの様子を注視し続けている。彼らは何度も激戦地で対峙したのだという。何らかの因縁で繋がれているように。
 国同士の運命に搦め取られ、幾度となく殺めようとした相手と、平和な世になってから顔を合わせる。それは一体どのような心模様か。
 男たちは目を細め、機械に一部が置き換わった互いの体を、値踏みするような視線で見る。いや、睨み合う。

「お互い、よくこれで生きているものだな」
「まったくだ。私はいつも本気で殺すつもりだったのだが」
「俺とてそうよ」

 鋭い刃物で切り結ぶがごとき、冴えざえとした言葉たち。わたしはちりちりとした空気を頬に感じ、人間を安全に制圧するための電流を右手に纏わせた、のだが。
 しばしの沈黙ののち、

「……フッ!」「ハハッ」

 ふたりはさも可笑しそうに噴き出した。その腹から出た笑い声は部屋じゅうに響き渡り、しばらくやむ気配がなかった。
 男たちは笑みを残した表情のまま、無造作に革張りのソファーへ腰を下ろす。膝を突き合わせるような近さで。

「俺たちはよく殺し合ったものだった」
「ああ」

 銀髪の男は一転して愉快げな顔つきで、自分の義眼が嵌まった右目を指し示す。

「なあ、お前は覚えているか、この傷。この傷だけじゃない、俺の体の傷はすべて、お前が刻んだものだ」

 黒髪の男は深く、深く首肯する。

「覚えているとも。いつどこの戦場で体のどこを傷つけたか、その深さ……私が貴様につけた傷も、貴様が私につけた傷もすべて、覚えているさ」
「ほう? それはまことか」

 黒髪の男は小指が欠けた手を相手の軍服の袖に伸ばし、ぐいと布地をまくりあげた。金属製の義手の、無機質な輝きはごく鈍い。

「この右腕だ。私が初めて貴様に負わせた傷は。……刃が骨に当たる感覚もまだ手に残っている。あの時は私も未熟で、切り落とす直前に少しだけ躊躇してしまった。一思いに振り抜いていたら、もっと綺麗に切断できたのだがな」
「そのとおりだ。……俺がお前に初めて負わせた傷は、左耳であったな。撃って耳のほとんどを吹き飛ばした。その後――の森で戦った際に、手榴弾で顔の肉をえぐり取ったから、最初の傷痕はほとんど残っていないようだ。勿体ないことに」
「ああ、至極勿体ない。私は未だに貴様を恨んでいる」
「致し方のないことだ。俺だって過去の自分を恨むよ」

 その後も男たちは交互に相手の傷口を示し、古傷を眺め、なぞりながら、欠損した人体に関する思い出を静かに、時に熱っぽく語り合う。チェスの対局のような知的さも、プリミティブな野蛮さも、同時に内包したやり取り。彼らの二対の眸(ひとみ)はいきいきと生のきらめきを放っていた。
 それら一連の行為には如何なる意味があるのだろう。わたしには理解できない。
 ふと、銀髪の男がやや神妙な表情をつくる。

「なあ、お前にひとつ頼みがあるのだが」
「言ってみろ」
「俺には一箇所だけ、誰にも見せてこなかった傷痕がある。傷口が塞がってからは自分でも見ていない。そこをお前に見てほしい。そして、そこがどんな色をしているか、俺に教えてほしいのだ」
「構わんとも」

 黒髪の男は浅く頷いた。気軽な仕草だった。
 銀髪の男は義足を外し、緩衝材を外し、巻かれた包帯を外していく。普段決して人目に曝されない場所。これまで一度も人目に曝されてこなかった場所。
 傷痕は膝のすぐ下だった。そこがすっぱりと切断されているのだ。 確かに鏡に映しでもしない限り、自分では確認できない場所だろう。わたしは視界を閉ざすべきか迷ったが、銀髪の男は抜け目なく、こちらの死角に脚を持ってきていた。

「さあ、見ろ。どんなに疼いても、医者にも看護師にも義肢装具士にも、決して見せてこなかったのだぞ。そうしてきた理由が、今日の俺にははっきりと分かる。お前に見せるためだ。そう、お前だけに……」

 黒髪の男は絨毯の上に膝をつく。まるで騎士が跪(ひざまず)くように。

「どうだ。お前だけの傷痕は、どんな色をしている」
「そうだな、綺麗なものよ。淡い肉色をしていて、柔らかそうだ。これが、私だけの傷痕なのだな」
「ああ……そうか」銀髪の男は長々と息をついた。その眉根を寄せた表情は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
「ありがとう。聞けてよかった」
「貴様からの礼など要らん。気色が悪い」
「今のは失言だ。忘れてくれ」

 ふたりが不遜な笑みを交わし合う。きっと、ここで行われるべきことはすべて済んだのだろう。男たちは再び義肢を身につけていく。
 黒髪の男が立ち上がってぽつりと漏らした。

「私と貴様は、この日を過ぎればもう会うことはないかもしれんな」
「それでいいさ。会おうが会うまいが、俺たちにとっては同じことだ。どちらでも変わらんよ」
「ああ……そうだな。違いない」

 形式的だが盛大な式に出席するため、ふたりは部屋を出ていった。
 彼らの行為には如何なる意味があったのだろう。わたしにはきっと、永遠に理解できない。一介の警護アンドロイドであるわたしには。
 お前だけの傷痕、私だけの傷痕、という響きが、しばらく体内のメモリの中を駆け巡っていた。


――それは誰(た)がための傷痕


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