以降、鞠と僕は暇さえあれば会い、言葉を交わした。学科では僕らが付き合っていると認識されているようだが、そのような事実はない。僕と鞠はカフェや喫茶店で待ち合わせして、延々とお喋りをし、時には夕食を共にし、店の前で別れる。それだけだ。僕は鞠の住んでいる家も知らないし、それは鞠も同じだろう。
 鞠はキャラメルマキアートを美味しそうに味わっている。とはいえ、傍から見れば無表情にしか見えないだろう。僕は相当な時間を鞠と過ごして、感情の変化が分かるようになっていた。

「ねえ鞠」

 僕は鞠の姿を見た瞬間から気になっていることを問うことにした。

「なんでそんな黒ずくめなんだい?」
「ああ、これ?」

 鞠は肩が大きく開いた黒いカットソーに、アラベスク柄が転写された黒いスキニーパンツ、尖ったスタッズが配われた黒いパンプスという出で立ちだ。鞄も黒のエナメルという念の入れようだった。
 鞠は待ってましたとばかりににやりと笑う。

「巽、今日なんの日か分かる?」
「え、土曜日」
「そういうことじゃなくって」

 僕は袖をまくって、腕時計の日付表示部分を見る。6月19日。
 ああ、と得心が行った。

「桜桃忌か」
「正解。さすが巽」

 鞠はにっこりと満足げに微笑んだ。
 今日6月19日は、太宰治が愛人とともに入水自殺した日だ。ちなみに太宰自身の生誕日でもある。
 鞠は黒ずくめの格好をして、喪に服しているつもりらしい。

「もしかして河童忌もそうするの?」

 芥川龍之介の忌日について尋ねると、そうね、するかもね、と鞠は返事をした。

「なかなか殊勝な心がけで」
「それは皮肉?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
「ふうん。ま、どっちでもいいんだけど」

 そこで鞠はまたキャラメルマキアートに口をつける。
 僕はコーヒーのお代わりをもらうことにした。このカフェはホットコーヒーだけはお代わり自由となっている。コーヒーだけで何時間も居座るのは悪いので、チーズケーキも追加注文することにした。
 鞠は目線を手元に落とし、僕が店員に話しかけるのをじっと聞いている。あ、これは何かあるな、と閃くように思う。僕は鞠が口を開くのを待った。

「私ずっと、不思議に思ってることがあるの」

 時計の秒針が優に2周するくらいの沈黙の後、不意に鞠がぽつりと言った。その声は、凪いだ湖面に水滴がそろりと落ち、輪を作る様子を思わせた。

「なんだい」
「巽のこと。どうして巽は、文学科に進んだの。巽に文学科は似合わないと思う」
「そうかな? 鞠ほどじゃないと思うけど」
「それは外見の話でしょ。そうじゃなくて、考え方が。巽はもっと打算的な人が多い学部の方が合ってると思う」
「それはつまり、法学部とか経済学部とか?」

 鞠はこくりと頷いた。
 笑ってしまう。鞠の考えが的外れだからではない。その逆で、打算的という言葉があまりに僕に合いすぎていたからだ。
 僕の主観だが、文学部というのは実に純粋な人間が集まってくるところで、就職とかいう将来を見据えた実利的なことを考える人間は皆無に等しい。そういう実利を重んじる、鞠の言葉を借りれば"打算的な"人間は、法学部や経済学部に在籍することが多い。彼らに会うと、確かに自分と同じような空気感を纏っているのが分かる。
 打算的な人間である僕が、法学部や経済学部ではなく文学部文学科に在籍しているのはおかしい。鞠はそう言いたいのだろう。

「ああ、俺、将来の仕事は決まってるんだよ」

 僕が微苦笑して言うと、鞠はちょっと驚いた顔をした。

「そうなの?」
「実家が書店でさ。その仕事を俺が継ぐって、だいぶ前から決まってるんだ」

 文学部に進学したのには、それなりの理由がある。もしも就活をして、仕事を自分で決めねばならないのだったら、鞠の言葉通り法学部または経済学部に進学していただろう。

「家業を継ぐ決心ができなくて、こうやって親の脛をかじって大学に通ってるってわけさ」

 僕は首をすくめる。

「単なるモラトリアムの延長だよ。決断の先伸ばし」

 別に書店を継ぐのに高卒では都合が悪いことはない。ただ、その前に文学について学ぶのも一興かな、と思ったのだ。
 鞠は虚を突かれたような表情を浮かべていたが、しばらくしたあと、ふうん、と小さく漏らした。

「いいわね、実家が書店って。今度行ってみたいな」
「全然いいよ。そんな大層な店じゃないけど」

 謙遜ではなく、事実だった。
 先ほど注文したチーズケーキを、店員が運んできた。それを受け取る僕を、鞠は全く見ていない。幾分減ったキャラメルマキアートの器を両手で持ち、器の中に目を落としていた。その様は、あたかも器に入っているのが彼女の決意で、両手でその決意を温めようとでもしているように見えた。

「鞠は?」
「え」
「鞠はどうして、文学科に入学したの」

 僕はまっすぐに鞠の目を見た。鞠もまっすぐ僕を見つめ返した。その瞳に揺らぎはなかった。
 おそらく、僕にさっきの質問をぶつければ、僕が同じ問いを返すのは鞠も分かっていただろう。僕はそれを見越した上で、今の発言に至ったのだ。
 鞠が文学部に進学した理由。実は以前、同じことを尋ねてはぐらかされたことがある。しかし今は、言いたがっているのだ。鞠自身が。

「……知りたい?」
「とっても」
「……私ね。小説家になりたいの」

 へえ、と僕は間抜けな返事をした。
 鞠の答えは意外だったとも言えるし、当然のようにも思えた。

「私が作家になりたいなんて、びっくりでしょ。まだ誰にも言ったことないんだけど」
「俺には言うんだ?」
「だって巽は特別だから」

 にこりともせずに鞠は言う。
 大学生のうちにデビューしたいのだ、と鞠は語った。大学生は時間をもて余すほど持っているし、在学中にデビューすれば話題になりやすいから、というわけだ。
 面白いな、と思った。つくづく彼女は興味深く、底が知れない。僕が彼女と一緒にいる理由は、彼女を面白いと思っている、ただその一点に尽きる。そしてそれは彼女も同じなんだと思う。僕と鞠は互いに互いを面白がり、観察し合っているのだ。おそらくこの関係は純粋なものではないだろう。真っ当な人間は歪んでいると言うもしれない。だとしても特段どうとも思わない。

「笑う?」
「なぜ。笑わないよ。良いと思う」
「良いと思う、って何なの。その漠然とした感想は」

 鞠はわずかに唇を尖らせた。
 彼女にとっても、自分の夢を語るのは少々勇気の要ることだったらしい。

「じゃあさ」

 僕は思いつきで口を開いた。
 あまり熟考せぬままに自分のアイディアを述べるのは、僕の悪い癖だ。

「俺が書店を継いだら、鞠の本を並べてあげるよ。それもたくさん」
「たくさん?」
「うん」
「それは素敵ね。とても素敵」

 鞠が今度は目を輝かせて、唇を弓形に歪ませた。
 僕はチーズケーキをフォークで切り分けて、一口食(は)む。外の空とは対照的な、爽やかな味がした。

――不純と戯れる

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