―ある男子高校生の会話

「なあ、廃工場の幽霊の噂、聞いた?」
「ああ。めっちゃ校内で回ってるよな、今。どこまで本当か知らんけど。廃工場って、××橋の向こうにあるやつだろ。寂れてる感じだし、いかにも出そうだよな、あのへん」
「マジらしいよ。中に誰もいないはずなのに、明かりが動いてるのを見た人がいるんだって」
「へえ」
「覗きに行った奴の話によると、山羊の頭の人間みたいなのが何人もいたらしい」
「山羊ねえ……この時期だし、ハロウィンの仮装とかじゃなくて?」
「さあね。今度、確かめに行こうって話になっててさ――」

* * * *

 "英雄"。
 その呼び名に、私は憎しみしか感じることができない。


 夏休みが明けると、世間はめっきり秋めいていた。
 学校が休暇であっても私たち教師には毎日出勤する義務があるから、溜まりに溜まった書類仕事を片付けるなどしていて、結局通常の学期中と変わらぬ生活サイクルではあった。が、学校に生徒たちが戻ってくると、やはり校内の雰囲気ががらっと変わる。ここ数日は急激に朝晩の風に涼しさが混じってきており、学校は俄然、文化祭モードに入っていた。
 文化祭まではあと一か月半ほどだ。
 祭は土日を使って盛大に行われ、体育館での各種イベントやステージの他、各クラスでも何かしら出し物をしなくてはならない。生徒と職員、外部の来場者からの人気投票もなされる予定で、上位だったクラスには景品も用意されており、生徒たちの熱の入れ込みようは目を見張るものがあった。その熱意を少しでも勉学に回してくれと思うのが教師の性(さが)だが、水を差す真似はさすがにできずに黙っていた。
 放課後、クラスに残って大道具めいたものを作っている者も多く、私の受け持つクラスでは深海カフェなるものを催すらしい。立案者はクラス長の篠村だった。こういうことには可能な限り口を挟まないのが自分の信条なので、私はただ生徒が作るものを見守るだけだ。
 放課後、職員室の自分の机で日誌への返答を書き込んでいると、隣から声をかけられた。

「桐原先生のクラスは、ミスコンの代表の子決まりました?」

 そちらを見ると、興味津々といった様子で、同僚の水城先生が幼く見える顔を私の方に向けている。その瞳は好奇心で輝いている。
 ここで言うミスコンとは、文化祭の主要なイベントのひとつである、遍高校ミス&ミスターコンテストのことだ。クラスから男女一名ずつが代表として出場するが、普通のコンテスト内容ではないところが肝だろう。
 今日のホームルームで、その代表を決めたクラスが大半に違いない。
 自クラスのその時間を思い返し、少々気の毒に思いながらも口の端が持ちあがる。

「私のところは、篠村が自薦で、茅ヶ崎が他薦で選ばれましたよ」
「まあ」

 水城先生が驚きつつも掌を口にあてて目を細める。それだけで、周りの空気がぱっと明るく華やぐようだった。

「茅ヶ崎くん、よく了解しましたねー」
「決める時間に寝ていたんですよ。自業自得というやつでしょう」

 ミスコンのコンセプト。それは、女子が男装を、男子が女装をする、というものだ。
 茅ヶ崎はその内容を知らぬまま、自分には関係ないだろうと、ホームルームの時間に端(はな)から突っ伏して寝入っていた。司会の篠村が立候補すると異論は皆無で、それなら相手は茅ヶ崎しかいないだろうという流れに自然となった。当人の与(あずか)り知らぬうちに、決定は揺るがぬものとなり、叩き起こされた茅ヶ崎は、篠村のねっ、いいでしょ、の念押しに迂闊に頷いた。
 コンテストの内容を聞かされた茅ヶ崎は顔を青くしたり赤くしたりして篠村に反論したものの、一度決まった事項を覆すのは難しいのが世の常で、私も心は痛んだが、ずっと眠っていた茅ヶ崎に非があるだろうと何も言わずにおいた。少なからず彼の反感も買ったかもしれないが、それはそれで致し方ない。

「文化祭、楽しみですねえ。今年の生徒会長の子が、実行委員の子たちをぐいぐい引っ張ってくれてるから、どの学年も士気が高いらしいですし。クラスの出し物は、私のところはミュージカルみたいな、ダンスと劇を混ぜたのを体育館でやるんですよ。先生を驚かせたいって、私に練習も見せてくれなくて。意地悪ですよね」

 そう言う水城先生の目元は、まるで自分のクラスの生徒が目の前にいて、彼らを慈しむように、優しげに緩んでいる。
 自然と彼女の表情につられ、自分も頬がほころぶ。

「力が入ってるんですね、当日が楽しみでしょう。うちは深海カフェというものをやるらしいです。教室を暗幕で覆って、深海生物の模型を作って」
「それも面白そうですね! 長谷川先生のところは、仮装写真館っていうのをやるんですって。生徒が仮装して、お客さんにもちょっと仮装してもらって、一緒に写真を撮るみたいです」
「面白いアイディアですね」
「ですよねー、ハロウィーンも近いし、時期的にぴったりですよね。あ、仮装といえば」

 そこでふと、水城先生が何かに気がついたように人差し指を伸ばす。目線がやや上を向く。記憶を探る顔つきだ。
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