「おい坊主、何してるんだ?」

 軽く笑みを含んだ、低く響く声。聞きなれた日本語に、はっと顔を上げる。右目を眼帯で覆った大柄な男性が、穏やかな顔で開いたドアからこちらを覗いていた。

「もう大丈夫だ。外に出てこられるかい?」

 男性は日本語を繰っているけれども、彫りの深い顔立ちからして外国人のようだった。彼に促され、おそるおそる車外に出る。
 見たことのない、木立の中だった。不意に現れた車のライトから外れたところは、濃密な闇が空間を塞いでいる。ライトに照らし出されているのは、山羊頭の男たちが縛りあげられ、三人一緒にぐるぐる巻きにされている姿だった。全員、微動だにせず沈黙している。気絶させられていたのだろう。
 突っ立っていると、眼帯を着けた男性に、何かされたか、と静かに問われる。そういえばまだ生きているな、と喉に手をやりつつ答える。口の中で蠢く太い指の感触を思い出し、気道が狭くなり、うえっとえずきそうになる。絞り出す声は存外にかすれていた。

「さっき、何か、飲まされ、て……」
「そうか。シューニャ」

 男性は不思議な響きを口にして、背後を振り返る。釣られてそちらを見ると、まだ幼さを色濃く残した、驚くほど整った容貌の少年が、暗がりからゆっくりと姿を現した。
 息を飲む。年の頃は俺より少し上くらいだったか。雪に似た純白の髪に、長く伸びた睫毛に縁取られた、薄い灰色の瞳。感情が抜けたような、冷たく無機質な表情。白い布を何枚も重ねた大仰な服。まるで精緻な人形だった。シューニャというのが、彼の名なのだろうか。
 俺に歩み寄ると、彼はわずかに硬い面持ちを緩める。

「少年よ、怖かったろう……おや、泣きやんだのか。見かけによらず強い男子(おのこ)じゃな。ところで少年よ、少し口を開けてくれんかのう」

 子供の容姿なのに、その言葉遣いはまるで老人だった。
 彼らが何者か分からないながら、俺は素直に従うことにした。現実感が薄すぎて、嫌がる理由を考えることすら頭になかったのだ。
 シューニャという少年は、細く小さい棒――綿棒だったろうか――を眼帯の男性から受けとると、手を伸ばし、それを俺の口にそっと差し入れた。棒はすぐに口外へと出され、大柄な男性が持つ箱めいた機械の、金属のシートのようなところへ、棒の先が押し当てられる。
 二人が何やら難しい顔をして機械の液晶部分を見やっているのを、俺は他人事のように眺めていた。大柄な男性と白い少年とが囁きあう。

「ううむ……ただの視察のつもりだったのにな……こいつら、余計なことをしてくれる。だが、命にかかわることではないんだな?」
「うむ。じゃが……こんな年端もいかぬ少年に、酷なことをするわい」
「そうだな……」

 その言葉たちの意味は分からなかったけれど、俺は無意識のうちに、それらの響きを脳に刻みこもうとした。
 乗ってきた車に箱形の機械を仕舞ってきた眼帯の男性は、気を取り直したように俺に微笑みかける。

「君は、茅ヶ崎龍介くんだね?」

 俺は仰天した。どうして、見ず知らずの外国の人が、自分の名前を知っているのだろう。

「どうして、僕の名前……あ、警察のひと?」

 そんなわけはないと思いながらも俺は問う。男性は口を弓形(ゆみなり)に歪ませて、頭(かぶり)を振る。

「いや。そうじゃないが……我々はね、君自身のことを、君よりもよく知っているんだよ」
「え……?」

 噛んで含めるような語調。その意味がさっぱり分からず、ずいぶん高いところにある彼の顔をぽかんと見つめる。薄い茶色の理知的な瞳が、俺のことをじっと見ていた。

「まあ、今すぐには分からんだろうがな。そのうち分かる日も来るかもしれんよ」
「……?」
「少年よ、この道をまっすぐ行くとよい。お主のお友達がじきに迎えに来てくれる。そうそう、わしらのことは誰にも言わないでくれると助かるのう」

 内心で首をひねっている俺に、少年が話しかけてきた。これから起こることが既に分かっていて、しかもそれが当然のような話しぶりだった。
 もやもやと渦をなす俺の疑念は意に介さない様子で、白い少年が大袈裟に重ねた服の懐からごそごそと何かを取り出す。

「そうじゃ、お友達を待つあいだ、これを食べているとよい。少年はこの菓子は嫌いでないかの?」

 掌に乗った箱は、きのこのお菓子のパッケージだった。
 思わず目をしばたかせる。あまりに雰囲気にそぐわないそれの登場に。

「えと……うん」
「それは良かった。わしは日本の菓子が好きでの。ただのう、わしはたけのこ派じゃと何度言ってもこの男が覚えんのじゃ。いつも両方とも買ってきよる。これは戦争だと言うのに、嘆かわしいのう」
「戦争って、大袈裟な……どっちも小麦とチョコレートには変わりないだろう」

 男性の呆れ声に、少年はふんと鼻を鳴らして答える。どうも信じられないが、少年の方が地位が上のようだった。

「まったく。そんなことじゃからいつまで経っても彼女の一人見つからんのじゃ」
「子供の前でそれを言ってどうするんだ……」
「甲斐性を身に付けよということじゃ。……まあそれは、今はどうでもよいことか」

 おほんとひとつ咳払いして、少年はまともに俺の目を覗きこんだ。整いすぎた顔立ちにはある種の凄みがあり、俺は猛々しい獣にでも遭遇したかのように、そこから一歩たりとも動けない。

「茅ヶ崎少年よ。運が良ければ……いや、運が悪ければ、と言うべきか。また相見えることもあろう。さらばだ、少年」
「できたら、我々のことは秘密にしておいてくれると助かる。それじゃあな、茅ヶ崎くん」

 不思議な二人組だった。うん、とこくりと頷いたあと、ありがとう、と慌てて付け足す。その小さい感謝は二人に届いたかどうか、分からなかった。車のエンジン音が遠退いていく。
 車の走り去っていった方へ向かうと、そこには確かに道があった。舗装されていない砂利道だ。言われたとおり、きのこのお菓子を食べながら道をたどっていたところ、果たして途中で未咲と鉢合わせたのだった。未咲は泣きじゃくっていて、服から膝からみんな泥んこだった。自分を探すためにそんな身なりになったのだ、と考えると申し訳なかった。

「龍介くーんっ!」

 俺の顔を認めた未咲がぱっと走りよってくる。俺の胸に体を預けてえぐえぐ泣くから、ぎこちなく手を上げて、頭を撫でてあげた。これではどちらが慰めているのやら、分かったものではない。
 腕の中で震えている彼女の体は温かく、俺は心から安心できた。
 その夜から、俺はきのこ派になった。
 そして俺は、いまだに山羊が苦手である。
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