梅雨入り前には屋上に放置していたソファを、先日、屋上へ続く階段の傍らに移動させておいた。雨が降るといけないからだ。
 教室からのそのそと歩いてきた俺は、その上にごろりと横になる。屋上ほどの開放感は無いが、人がいないだけ教室よりましで、ドアのガラスから外が見えるだけ、保健室よりましだった。
 目を閉じる。教室という場所が苦手なのはずっと前からだ。同じデザインの机と椅子がずらりと並び、皆が同じ服を着て、同じ教科書を開きながら同じ内容のノートを取る。狭い箱に同じ年齢の子どもを集めて押し込め、行動を時間で管理する。画一的で特徴のない人間を生産するための養殖場みたいだと思っていた。
 クラスメイトたちは何の疑問も持たない様子で、毎日時間割のとおりに過ごしている。きっと、俺の感覚のほうがおかしいのだろう。
 教師たちは個性が大事と繰り返す。あんなところで個性なんて育つのか。そもそも、教師たちの言う個性とはおそらく、創造力とか協調性とか寛容さとかリーダーシップとかの"優等生的な"個性のことであって、教師にしてみれば、俺が持っているのは"個性"の枠組みから外れた、ただの厄介な性質にすぎないだろう。
 みんなには当たり前のことが、俺には苦痛でしかない。
 考えても仕方ないことを考えていると、すたすたと近づいてくる足音に気づいた。幼なじみかつ学級長の未咲であれば、ぱたぱたと駆けてくる音がするはずだ。
 先生かな、桐原先生以外に見つかったら面倒だな、と暗鬱な気持ちを抱きながら目を開けると、赤目赤髪の彫りの深い顔が、鼻先30cmほどの距離にあった。うわ、と口に出してしまう。反射的に上体を起こし、ソファの上で後ずさる。

「やあお坊っちゃん、浮かない顔だね。恋患いかい?」

 派手な外見のその男、ヴェルナー・シェーンヴォルフは、俺の顔を覗き込む体勢で、厚い雲でも払えそうな、明るい笑みを作った。
 欧米人だからなのか――欧米人が皆そうなのかは分からないが――ヴェルナーは人に対する距離が近い。自分の領地にずかずかと立ち入られるようで、少し恐怖感があった。
 能天気な彼の問いに、俺はむすっと答える。

「……そんなんじゃねーよ。なんであんたが、ここに居るんだよ」
「あれ、違うの? 俺はお坊っちゃんがどこへ行こうと着いてくよ、君を守らないといけないからねェ」

 ヴェルナーは唇を横に引き伸ばして笑う。揃った白い歯の中で、肉食獣のように尖った犬歯が目立つ。何度見ても気障(きざ)ったらしい笑顔だ。

 俺の命は狙われているらしい。

 数日前にそんな話を聞かされてから、この調子の軽い外国人が護衛に就いた。いまだに実感は無く、以前と比べて変わったのは、至るところでヴェルナーの姿をちらちらと見かけるようになったことくらいだ。
 もし本当に危険な目に遭ったとき、この人が助けてくれるのかどうか、俺は怪しんでいる。

「誰かに見られたらどうすんだよ。説明すんのが面倒くせぇだろ」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと人の気配は避けてきたから。でも今は授業中だろう。こんなところに来るなんて、さてはお坊っちゃん、不良だな?」
「……だったら何?」

 ヴェルナーがしげしげと見てくるのを、俺は下から睨み返した。明らかに面白がっているのが気にくわない。彼の台詞には、見れば分かることをわざわざ明言する、あの不可思議な英語の例文に似た趣があった。
 他人はいつもそうだ。表面上の要素で判断して、分類して、自らがいる領域ではないところに勝手に押し込める。あいつは自分とは違うのだと安心する。俺はいつでも分類される方だ。だからそんなことには慣れきっている。
 視線が交錯して、にわかに訪れた沈黙を、ヴェルナーの薄笑いが破る。

「君は違うように見えるけどなァ」
「違うって、何が」
「君は不良を気取りたいわけじゃないだろ? 人が多いところが苦手なんじゃないのかい。君は人と関わるのを怖がってるように、俺には見えるね」
「……」

 一瞬、呼吸を忘れた。冷たい風に頬を撫でられたかのように、すっと顔が冷える。心臓をぎゅっと握られたみたいに、胸が苦しくなる。
 どうして分かったのだ、と声なき声を漏らす。触られたくないところを触られた。この人は、物事を横目で適当に眺めているようで、実際はじっくり観察しているのだ。
 俺は、他人が怖い。
 その恐怖心を、"面倒だから"という言い訳で、何重にもくるんで見えないように隠していた。自分でも忘れていた本当の理由を、ヴェルナーは容易く暴(あば)いたのだ。
 嘘の鎧(よろい)を失って丸裸にされた本心が、ぶるぶると小刻みに震える。
 何も言えないでいると、俺の内心を察してか、ヴェルナーが柔らかく破顔した。
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