よお、とぶっきらぼうな声がして、背負っていたランドセルが乱暴に後ろに引かれる。
 次の瞬間に龍介が見たのは、茜に染まりかかった空と雲、そして二人のクラスメイトのにやついた顔だった。
 仰向けのままじっとしている龍介を、二人はひっくり返った昆虫を観察するような目つきで覗きこんでいた。

「あれえーあたまのおかしい龍介くん、今日はひとりで下校してんの?」
「おまえ今日も算数のじかんにすうじに色がついてるとか言ってたよな」
「すうじに色なんてついてないっての。こくばんのは白だし、きょうかしょのも黒しかないっての」
「変なやつー」
「変なやつー」

 囃し立てられても龍介は黙っていた。数字に色が付いていない、と言われても、自分には付いて見えるのだからどうしようもない。

 小学校に上がってからほとんど毎日こんな調子だった。最初の算数の時間にそのきれいな色の数字はなんですか、などと先生に訊ねたのが原因のようだった。担任の先生は困惑したように龍介を見、クラスメイト達は一斉に龍介を見た。皆、奇異の目を向けていた。

 ――龍介くんは、自分には見えないものが見えてるんだ。
 ――龍介くんは、変な子なんだ。

 己に向けられた視線は、そう言っていた。
 龍介はそこで初めて、数字が色んな色に見えているのは、どうやら自分だけらしいと気づいたのだった。

「つーかさおまえさー、なんでずっとウソついてんの?」
「ウソついたら駄目って先生も言ってたじゃん。ウソついたらごめんなさいしなきゃいけないんだよ」
「すうじに色がついて見えるなんてウソでしたごめんなさいって、謝れよ」
「そうだよ謝れよ」
「……嘘じゃないよ」

 そこで初めて、龍介は口を開いた。なぜ本当のことを言って嘘つき呼ばわりされるのか、意味が分からなかった。思い返すと、それは人生で初めて理不尽さを感じた瞬間だったように思う。
 それまでにやにやしていた二人の顔が、さっと怒りに染まった。

「……は? なにくちごたえしてんだおまえ」
「はやく謝ればいいんだよ、謝んないと――」

 一人が足を振り上げた。おなかを蹴られる、と直感して、龍介はぎゅっと目をつぶる。だが、覚悟していた痛みが来る前に、

「こらっあんたたち! 何してんのよ!」

 聞き慣れた声が龍介の耳に届いた。
 ゆっくりとまぶたを開けると、二人はあらぬ方向を見て後退りしているところだった。

「ちぇっ、未咲かよ」
「よかったなおまえ、女子にまもってもらえて」
「女子にまもってもらわないと何にもできない龍介くん、じゃーな」
「じゃーな」

 二人は捨て台詞を吐いてぴゅうっと逃げていった。逃げ足だけは速い二人だ。

「こらーっ、覚えときなさいよー!」

 未咲が二人の背中へ叫ぶ。龍介はその間におもむろに立ち上がって服の砂を払った。ふうと息をつく。
 こちらに歩み寄ってきた未咲の表情は明らかに憤慨していた。

「なんなのよあいつら。体が大きいからっていばっちゃってさ。こんど会ったらぜったいにゆるさないんだから」

 龍介は俯いて足先で小石を蹴った。
 まただ。また、未咲に助けられてしまった。

「ねえ龍介くん、あいつらがまちぶせしてるかもしれないから一緒に帰ろうって言ったじゃん。なんで、先に行っちゃうの?」

 龍介は顔を上げて未咲を見た。既に怒りの色は消えていた。代わりに、心配そうな表情が浮かんでいた。
 どうして一人で帰ろうとしたのか。未咲には関係無いから。これは自分の問題だから。 
 巻き込みたくない、という言葉を、まだその時の龍介は知らなかった。

「だって……僕といたら、未咲ちゃんも変な人だと思われるかもしれないし」

 自分で思っていたより、弱々しい声が出た。
 未咲は小首を傾げて、龍介の左手首を掴む。

「だいじょうぶ。わたし、なに思われたってへいきだし。それに龍介くんはべつに変じゃないって」

 帰ろ、と未咲がにっこり笑って言った。
- 1/2 -

back


(C)Spur Spiegel


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -