▼波止場の夜



酒場の帰りだった。その日は少し飲みすぎて、エースにしては珍しく、家族を酒場に残してひとりモビーへと戻っていた。
夜道の風が涼しい。今頃兄達は今夜のお相手の物色をしている頃だろう。エースはあまりそちらには積極的ではないが(そんなことよりも食欲が勝る)、兄達の気持ちも理解はできる。海はもちろん最高だか、陸は陸での楽しみ方というものがある。

顔を撫でる海辺の風の中に、ふと馴染んだ匂いがした。それは極々わずかなもので、エースも気のせいかと首をかしげた。
しかしそれとは別に、エースをここまで押し上げてきた勘のようなものがこれは違うと警告を鳴らした。まずここを離れるべきだという気持ちと、知らないふりは出来ないという気持ちが混ざり合う。エースは自分の直感は信じるべきだと思っていたが、何故ふたつの気持ちが混ざるのか分からなかった。今まで、道はいつだってひとつだった。真っ直ぐ前を見て進めばよかった。
しかし道を進んでこそのポートガス・D・エースある。ここで退くという選択肢はエースの中にはない。

歩みをとめず、道を進むとエースは自分の直感が正しかったことを知った。そして警告も。

「あんた、何してんだ」
「エースじゃねえか」

朗らかに笑う名前に、エースは顔をしかめる。良い夜だなと挨拶をするような雰囲気でもなかった。名前は己の武器を出していた。白ひげの家族ですら見ることは稀だった、彼の能力。ぐちゃぐちゃと音がする。名前がお嬢と呼ぶその両腕の食虫植物のような大きな口が、何かを咀嚼している。血の匂いがむわりと濃くなった。
名前の笑顔は変わらない。エースに会えたことが心底嬉しいと笑う顔だ。それはいつもエースに向けられる笑顔と全く同じだった。

「なぁ、あんたのお嬢は何を食ってるんだ」
「お前が気にするもんじゃねえよ。ちょっとばかしお嬢が“気になるやつ”がいてな」

デートに付き合ってるんだよと笑う。これのどこがデートなんだと、笑って言うことでもないだろうと視線を向けたエースは一瞬、身体を強張らせた。
路地に横たわるのは小さな子供の死体だった。首から上はない。名前が纏う血の匂いから、きっと相手は生きていないということは察していた。殺す殺さないでとやかくいうほどエースは子供ではなかった。この世の道理だって分かっている。海賊なのだから、殺さなければ殺されることもある。だが、あの名前が殺すほどの相手なのだから、よっぽどの事をしたのだろうと思い込んでいたのだ。圧倒的弱者である子供を殺すなど、そんなことは思いもしなかった。

「あんた、なんでガキ殺してんだ」
「あ?あー…だぁら、言ったろ?お嬢のデートに付き合ったって」
「そのお嬢が何かは分かんねえけどな、ガキ殺していい理由にはなんねぇだろ!」

エースの言葉に、名前は困ったような顔をしただけだった。それがなおエースを苛立たせる。お嬢とやらは、そんな二人の会話なんて知りやしないとばかりにまだむしゃむしゃと口を動かしていた。
あれは名前の手だろう、何がお嬢だ、人格でもあんのかよ、意味がわからない。問い詰めたい事は山のようにあったが、エースの口から漏れたのはなんでだよ、という一言だけだった。

「エース」
「なんだよ」
「この子はもう駄目だったんだよ」
「はぁ?」
「俺の仕事へのけじめだよ」
「お前の仕事は海賊だろ」
「こちらではほぼ見かけない。力も弱い。ただ、「流れて」来てしまっただけだろう」
「だからなんの話だよ、だってあんたいつも若い奴は生きろって、」


「エース」

呼ばれた声に顔を上げれば、目の前に“お嬢”がいた。

「なぁエース、お前は「違う」だろ?」
「なにが、」

子供を食い切ったのか、血が滴る“お嬢”の口元に、目はないはずのそれに見られているような気がして、エースの足に力が入る。

「うん、お前は大丈夫だな。エースだ」
「俺はエースだよ」
「分かってる分かってる。確認しただけだ。お前はエースだよ」
「意味わかんねえよ…」
「だろうなぁ」
「認めんなよ。自分がやった事分かってんだろ。モビーのやつらには黙っててやる」
「そうか?エースは優しいな」
「優しい優しくないじゃねえよ」

訳がわからなくて泣きそうだった。ありがとうな、とだけ言った名前は、エースの肩をぽんと叩いて街の方に戻っていった。きっとまた酒場かカジノにでも行くのだろう。残されたエースは、死体すら残らなかった子供のために、そっと目を閉じた。




2019/03/10
ごく稀にこの世界に迷い込んだアクマがいるから頭が痛い名前と、ご飯の匂いが何となくわかる程度のお嬢。エースがアクマかどうか臭っていただけ。


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