ひとつ世界の話をしよう

「……ん」


次に目を覚ましたのは自分のベッドの上だった。硬い木箱の上で寝返りもしていなかったのか、背中が痛い。
人が殺されそうになって……私、それを見て気を失って……。今、何時だろう?窓から射す光はまだ明るく、そう時間は経っていないと思うんだけど……。
置き時計を確認しようとした時、部屋の扉が開いた。


「お、目が覚めたのか」
「タケ……今何時?」
「今はまあ、三時過ぎってところだ。それよりお前、気分はどうなんだ?丸一日ぶっ倒れてたんだぞ」
「ま、丸一日!?」


数時間じゃなくて、丸一日経ったの!?そりゃあ体も痛いはずだ。慌てて上半身を起こしてタケに向き合う。居候の分際でガッツリ仕事を休んでしまった。


「起き上がれるならアーロンさんのところへ行け」
「う……私、殺されるのかな……」
「知らねェよ。でも、今朝はすこぶる機嫌が悪かった」


そう言って肩をすくめたタケはそのまま部屋を出て行った。
途端、口の中がカラカラに渇いていることに気付く。枕元に誰かが置いてくれたのであろう水を飲むと、ゆっくり立ち上がり最奥の部屋を目指す。気分はまるで死刑台へ歩を進める囚人だ。
人が死ぬのを見過ごすことすらできない私は、この世界ではきっとお荷物なんだろう……次の島に着く前に、面倒な人間は殺しておこうということかもしれない……。
廊下の奥の一段と大きな扉の前で立ち止まる。……気が重いが行くしかない。深呼吸をひとつして、震える拳で三度ノックした。


「入れ」


許可の声に扉を開け……重っ!めっちゃ重!
結構な力を入れてようやく開いた扉から中に入ると、アーロンが大きなデスクに座って海図を眺めていた。


「何やってんだ?お前」
「いや、扉……すっごく重たかったから……」
「非力だな。いかにも人間らしい」


デスクの向かいの椅子に座るよう指示されたので大人しく従った。
しばらく無言の時間が続き、私は居心地の悪さを感じながらおずおずと問いかける。


「あの……昨日の人は?」
「…………ああ、乗組員とともに船へ戻してそのまま海へ逃してやったよ」


絶対嘘だ……。あの状況だ、きっと……いや、よそう。
それより、どうしてアーロンが私を気遣うような嘘を言うのかわからない。


「おい」
「うん?」
「服を脱げ」


……何……だと……?


「なっ、な、何言ってんの突然!?ナニする気なの!?」
「何を勘違いしてんのか知らねェが、大人しく……」
「やめて! 私に乱暴する気でしょう? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」


胸の前で両腕をクロスして断固拒否の姿勢を示すと、目の前の大男は心底嫌そうな顔でため息をつく。……そんなに嫌そうな顔をされると流石に少し傷付くんですけど。


「バカが、おれが人間なんぞに欲情するわけねェだろ」
「えっ……そうなの?」
「さっさとこれに着替えろ」


そう言って投げつけられたのは女物の洋服。新品ではないが、手触りの良い生地でできた質の良いワンピースだった。どうしてこんなものがこの船に?


「これって……」
「昨日の船から掻っ払ったモンだ。前の船は……また他の船から奪ったモンだろう」
「何でこれを?」
「いつまでもそんな見すぼらしい格好でうろつかれちゃ目障りなんでね」


アロハワンピース(笑)のことだろうか。これを着てろと指示したのはそっちでしょうが。異議あり!あなたのその発言には、大きなムジュンがあります!
とは言え、新しい服は嬉しいのでありがたく頂戴する。


「ありがとう、嬉しい……。じゃあ私、部屋に戻……」
「まだ話は終わってねェ。いいから着替えろ」
「ええ……ここで?」
「文句あるのか?」
「大アリだわ!嫌だよ!何でアーロンの前で着替えしなきゃなんないわけ!?……せ、せめて後ろ向いてて……」


私がしどろもどろにそう言うと、アーロンはめんどくさそうに椅子を回転させて視線を窓の外に向けた。その隙に急いで服を着替える。
質の良いワンピースはとても着心地が良い。久しぶりのちゃんとした服に安心してホッと息が漏れた。


「終わったよ」
「それじゃあ聞くが……お前、どこの島の出身だ?なぜあの島に一人でいた?」
「あっ、うーん……その話かあ」


つい言葉に詰まると、見覚えのある合皮のカバンから取り出されたスマホがデスクに置かれる。久々に見たスマホは、アーロンの手の中にあるとやたらに小さい。私の手にはやや大きいぐらいの機種だったのに……改めて、元の世界と比べて目の前の人物が規格外の大きさなのだと認識する。


「この小せェ板のような機械だが……こんなもの見たことがねェ。他にも使い方のわからねェモンや、おれ達の知っているものとは形が違うモンもいくつか……」


そう言ってワイヤレスイヤホンやボールペンを次々と並べる。久しぶりに見た元の世界の品々に懐かしくなり、つい目を細めてそれらを眺めてしまう。


「さあ、言え。お前はどこからどうやってあそこへ来た?」
「……あの……上手く、言えないんだけど……」


私は可能な限り噛み砕いて元の世界のことを話した。ところどころつっかえながら話す言葉をアーロンは黙って聞き、時々質問した。
それは私の中の残酷で狡猾な海賊のイメージとは違い、とても理知的な反応だった。


「……なるほど、そうか」
「……信じてくれるの?」
「半分程度はな。もう半分は、お前が自分を別の世界から来たと思い込んでいるイカれた人間だって可能性もある」
「いや、うん……普通に考えたらそっちだよね」
「だがまあ……海賊船に乗せられてんのに全く危機感のねェお前の反応や、あの程度のやり取りでぶっ倒れたことを鑑みるに、相当平和ボケしたところから来たってのは確かなんだろう」


それだけ言うと口を噤んだアーロンは、私の顔をジッと見て何かを考え込む。大人しく次の言葉を待っていると、しばらくしてゆっくり口を開いた。


「お前は、魚人をどう思う?」
「ぎょ……じ、ん?」


聞きなれない単語についキョトンとすると、アーロンはやや拍子抜けしたような表情で続ける。


「ああ、おれ達の種族だ。お前の世界にはいなかったのか?」
「……ああ、なるほど!魚人!」


――人魚じゃなかったか!
私は思わずポンと手を打った。うん、魚人。人魚よりそっちの方がしっくりくる。てことは魚人とは別に人魚もいるのだろうか。
考えが明後日の方向へ行ってしまった私にアーロンの険しい視線が突き刺さる。


「おい」
「ご、ごめんってば……。うん、私のいたところにはあなた達のような種族はいなかったよ。どう思うか、かあ……そうだなあ……」


顎に手を当てて考え込む私から鋭い視線は外れない。
魚人族は確かに初めて出会った種族ではあるが、そもそもファンタジーな異世界にトリップしたのだから人間以外の種族に出会った程度では驚かない。オタクの適応力をなめないでほしい。


「うーん……私、魚人のことよく知らないんだよね……なんか人間より頑丈なのかな?って感じ。もしかして、水の中で呼吸ができるの?」
「……ああそうだ。魚の能力分、お前達人間より優れた種族だ」
「やっぱりそうなんだ!すごい!私泳ぐの苦手なんだよねぇ……羨ましいな。そうだなあ……別に言葉も通じるし、食べるものだって同じだし……特に種族の違いを意識したことはなかったかも……」
「フン」


え、なに?笑われた?呆れたように、だけど皮肉げに口角を上げたアーロンは背もたれに深く背を預けた。どうやら気に障るような回答ではなかったらしい。


「能天気だな。だがそうか……まあいい」
「なに?全然伝わってこないんだけど」
「何でもねェ。……お前、故郷に家族はいるのか」
「……それ、考えないようにしてたんだけど……」


途端に喉がグッと締め付けられるような感覚に陥る。両親や友人の顔が次々に浮かんでは消えていった。
ひとつ大きなため息をついて気持ちを落ち着けると、モヤモヤする気持ちを押し込めて言葉を紡ぐ。


「……うん、いたよ。両親、それに友達も。だけど……多分、もう帰れないから……」
「そうか。ならこの船を降りても行くところはねェんだな」
「ん……うん、そうだね。でも、どこか人間のいる島に降ろしてもらえたら、後は自分でなんとかするよ……」
「ハッ!お前のような甘ったれが、たとえ人間の町に降りたところでまともに暮らせるとは思えねェがな。今の世は大海賊時代、おれ達のような悪党が跋扈してる世界だって分かってんのか?」
「だ、大海賊時代?」


何だその穏やかでないワードは。
アーロンは地図を取り出すと、この世界の大地と海の関係や偉大なる航路について、それから海賊王のことなどを話してくれた。なるほど、確かにそれは大海賊時代だ。


「……てことは、現状私はどこに行ってもいいカモのクソザコナメクジってことか……」


この世界の人達生まれた瞬間からハードモードじゃん。というか、それじゃあこの船を降りた後はどうしよう……。
うんうん唸っているこちらの様子を見ていたアーロンは静かに続ける。


「……まあ、お前の気が済むまでここにいればいい」
「えっ?いいの?でも人間嫌いなんじゃ……」
「それには違いねェ。嫌なら降りろ」
「ううん、嫌じゃない!ありがとう!アーロン」


突然の提案に驚いたけど、行く当てが無い身にはありがたい話だ。アーロンのデコピンひとつで死んでしまうであろう私に、多少は憐れみを覚えたのかも。


「ねえ、でもどうして気が変わったの?もしかして……私のパンケーキがそんなに気に入った?」


身を乗り出して聞くと面白そうに片眉が吊り上げられ、次いで大きく高笑い。開かれた口からずらっと並んだ鋭い歯が見えるが、パンケーキが好きなのかと思うとなんだかそれも怖くはない……気がする。


「シャハハハハ!ああそうだな、毎日三食あの味気ねェスープには飽き飽きしてたとこだ」
「やっぱりね!顔に似合わず甘党なんだ」
「そういうことだ」


へえ〜、なんだ、可愛いところあるじゃん。おっかない悪党だとばかり思っていたけど、急に親近感湧いてきたかも!
私は身を乗り出した姿勢のまま矢継ぎ早に質問する。


「それより、私もっと魚人のこと知りたい!どこで生まれたの?あなたは何の魚人なの?それから、人魚って……」
「ああうるせェ、そういうのは他のやつらに聞け」


話は終わりだと言わんばかりに大きな手を振って私の言葉が遮られる。
しぶしぶ立ち上がって扉の方へ歩き始めると、後ろからアーロンの声がした。


「なまえ」
「え、私の名前覚えてたんだ」
「うるせェ、いいからこっちを見ろ。おれの目を見ろ」


言われた通り正面に立って目を見る。眼力がやばいよお……。
ジッと覗き込むようにこちらの目を見たアーロンは満足気に口角を上げ、今度こそ本当に出て行けと言った。今のは一体何だったんだろう?
兎にも角にも、こうして私は異世界にてようやく居場所を見つけたのであった。

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