平和主義者は舌を噛む

「おうい、なまえ!今朝はおれもパンケーキを食うぞ!」


翌朝、昨日のようにテーブルの端でスープをすする私にハチがのしのしと近付いてきた。驚いた顔をする船員達を気にも留めず、近くのテーブルにどっかりと腰を下ろす。チラと目線をやると、満面の笑みがこちらへ向けられていた。


「さあ焼くんだ!昨日と同じのがいい!あれがもう一度食いてェ!」
「あの……まだ私食べてるんだけど」
「なら早く食え!それから明日以降もお前が生きてるならおれは毎朝パンケーキにする!」
「明日以降も生きとるわ……毎日パンケーキ食べさしてやるわ……」


勝手にギリギリの綱渡りさすな。食べ終わった食器をシンクに下げ、昨日と同じパンケーキの材料を用意する。今日はアーロンとハチの二人分なので昨日より多めに。
フライパンの生地が甘い香りをさせ始める頃、周りの船員達もソワソワとし始めた。


「はい、どうぞ」
「ニュ〜!これこれ、美味そうだ〜!」


ハチへ焼きたてのパンケーキを乗せた皿を出すと、周りから唾を飲み込む音がする。私が振り返ると幾人かが慌てて顔を逸らした。うん、そのスープよりはマシだと思う。


「ゥンまああーいっ!今日はバターが乗ってるな!これはいいぞ!」


幸せそうに顔を綻ばせてガツガツ食べるハチにひっそりと羨望の視線が集まる食堂へ、アーロンが気怠そうにやってきた。食堂の雰囲気を感じ取ったのかフンと鼻を鳴らす。


「何だ、人間……。ハチを手懐けたのか?」
「別にそんなつもりじゃないけど……」


鋭い歯を覗かせながらからかうように口の端を歪めるアーロンは、キッチン前のテーブルにどかりと腰掛ける。同じテーブルに着いていた船員が慌てて立ち上がった。


「さあ、作れ」
「はいはい……」


用意しておいた生地を温めたフライパンへ落とす手元を監視するような視線がじっと見る。あ、圧がすごい……。毒でも入れると思われているのだろうか。
アーロンへ出すパンケーキはより丁寧に焼き色を付ける。一応ね、命がかかってますから……。完成したパンケーキをお皿にそっと盛り付け、綺麗に見える角度を探してからサーブする。


「どうぞ」


焼き色といいバターの溶け具合といい、完璧な一品だ。プレッシャーがかかっているわりにはなかなかの出来栄えだと思う。
皿をぐるっと回し、料理漫画の審査員さながらの目つきでパンケーキを見るアーロン。ウッ、胃が痛い……。大きな手がカトラリーを取り、今日はきちんと切り分けた。その一口目が鋭い歯の間に消えていくのを祈るような気持ちで眺める。


「……なるほどな」
「な、何がでしょう」
「お前の実力は大体わかった。……対価としてはまあ、悪くねえ」
「て、て、てことは……!!」
「ああ、船に乗っている間の命は保障してやる。明日からも朝はお前が作れ」


マジっすかあ〜〜!!いやったあ〜〜!!私は生きるぞお〜〜!!!!
どっと気が抜けて安堵のため息が盛大に漏れた。勝訴の紙を掲げて船内一周したい気分だ。


「アーロンさん、本気ですか?」
「人間の作ったモンを食うのかよ!」
「ああ、味は悪くねェよ。お前らの作るマズい汁よりはマシだ」
「それを言われると何も言えねェ……」


むむ、と押し黙る船員達にアーロンは続ける。


「お前らも食うか?」
「えっ」
「おれ達は……」


えっ、いやいや……全員分なんて一体どのくらいの量を焼かなきゃいけないのよ……!?軽く見回しただけでも何十人もいる。冗談だと言って欲しい。


「……おれは食うぞ」
「お、おれも!」
「おれもだ」


ポツリポツリと声が上がる。人間の作ったものは嫌だが、それを上回るほどみんなあのスープには辟易していたらしい。確かに美味しくないもんね……だがしかし。


「ちょ、ちょっと待って、そんなに何人分も焼けるほどの材料も器具も無いでしょ?」
「そこをどうにかするのもお前の仕事だ」
「ヒエ〜理不尽」


え、残りの材料でこの人数は……何日分だろう?計算して節約しなきゃ……!
慌てて材料を確認する私に、アーロンは声を上げて楽しげに笑う。


「安心しろ、この辺は他の船もそれなりに通る海域だ。無ェなら、あるところから奪えばいい……だろ?」
「コッワ……」


マジモンの悪党じゃん。










「船だー!船が見えたぞ!」


大人数のパンケーキを焼くようになっておおよそ二週間後の昼過ぎ、見張り台から声が響いた。私はテーブルを拭いていた手を止めて顔を上げる。


「お!ついにか。海賊船か?それとも商船か」
「久々に暴れられるかもな、腕が鳴るぜ」


食堂で休憩していた船員達がにわかに色めき立つ。
この船に乗ってからの私は、毎朝のパンケーキ作りとそれに伴う材料の調整、食堂の掃除や昼夜の調理のサポートなどが仕事となった。初めは半分程度の船員が朝のパンケーキを食べていたのだが、そのうち人数が増え、今では全員のパンケーキを焼いている。毎朝早起きして延々とパンケーキを焼き続ける私の腕は少しだけ逞しくなってしまった……。この立派なパンケーキ筋は勲章だ……(ほろり)。


「よおなまえ、あの船に食料や道具があることを願うんだな」
「……うん、そうだね……」
「おい、行くぞタケ」
「ああ」


正直材料はギリギリだ。乗っている人には悪いが、何としても材料はもらってきて欲しい……。
その途端、ドンと大きな音がして船が揺れた。慌ててテーブルに捕まった私の耳に、甲板からの雄叫びが聞こえる。……戦闘が始まったのだろうか。緊張でドキドキと心臓が脈打つ。……何か、気を紛らわせられることをしよう。










「おい人間、いるか?」
「ん……ここにいるよ」


コンロの溝をひたすら丁寧に掃除していた私を呼びに来たのはクロオビだった。顔を上げて返事すると、親指で背後を指しながら言葉が続く。


「敵船は制圧した。今荷物を運び込んでる。すぐ使うものを選んで運ぶように指示しろ」
「あ、うん。わかった」


急いで手を洗うとクロオビの後ろに付いて甲板へ向かう。道中、甲板から大小様々な荷物を運び込む船員達とすれ違う。みんな一様に興奮した顔つきで生き生きとしていた。


「よう人間、これでお前も命拾いしたな」


甲板のベンチに腰掛けて船員達が荷物を運び込む様子を眺めていたアーロンは、私の姿を認めて楽しそうに笑った。
確かに私は命拾いしたが、これらはどこかの誰かから強奪した品なのだと思うと素直に喜んでいいのか……複雑な気持ちで曖昧に笑ってみせる。


「食料はそこだ。さっさと中身を確認しろ」
「うん……」


示す先には敵船から運び込まれたのであろう食料が山と積まれていた。これだけあれば、しばらくは調理に困らないだろう……小さくホッと胸を撫で下ろす。
近付いていくつかの袋を検めていると、突然大きな声が響き渡った。


「ちくしょう!この魚野郎どもめ!!ふざけるな!お、おれの船を……!!」
「おい黙れ、このくたばり損ないが!」


驚いてそちらを見ると、海賊帽を被った人間の男が頭から血を流して蹲っていた。
――この世界に来て初めて見た人間だ……。
その痛ましい姿に、暴力とは無縁の世界で生きてきた私の心臓がドキンと嫌な音を立てる。


「これはこれは船長、まだそんなに元気があったとは……。残念だがお前達下等種族じゃあ、おれ達至高の種族には敵わねェということだ。恨むんなら、おれ達に歯向かった己の間抜けさを恨みな」


大きな声で笑うアーロンに続いて他の船員達も大笑いする。
――怖い。
私は今ようやく……自分がいるこの場所が海賊船の上で、平和だった日本とは違うということを実感していた。ここは、命のやりとりが日常茶飯事の世界なんだ……。


「それじゃあ、船長……最後に何か言いてェことはあるか?」
「ッ……!!く、くたばりやがれ!!この薄気味悪い半魚野郎ども!!」


アーロンはその罵倒にスッと真顔になると、ひときわ低い声で吐き捨てるように言った。


「あァ……その言葉は聞きたくねェ。二度とな」


言い終わりゆっくり手を挙げると、銃を持った船員が近付き、そして……。


「ウッ!うえっ……」
「おい、どうした?」


突然口元を押さえて蹲った私に、隣にいたクロオビが驚いたような声を上げた。アーロンも手を挙げたまま何事かとこちらを見るが、喉が震えて引き攣り、言葉を返すことができない。


「は、は……」


――頭がガンガンする、喉の奥が焼けるように熱い、眩暈がする、痛い、怖い、苦しい……。
目の前が真っ白になり、私はそのまま意識を手放した。

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