追いかけて一番星

マッチの火が手の中で明るく灯る。船縁から夜の海を見下ろすおれの周りはほとんど真っ暗で、目の前の小さな光がやけに明るく見えた。咥えたタバコに赤く輝く火種を移すと燃えさしを指先で軽く弾く。海の暗がりへ消えていったそれを見るとはなしに目で追いながら大きく息を吸って肺を煙で満たした。マッチのツンとする残り香を吐き出した煙で上書きしながら視線を上に動かすと、細くなった月の周りに薄く雲がかげっていて、この様子だと明日は曇りだろうと当たりをつける。
と、甲板で一緒に飲んでいた連中から声がかかった。ほろ酔いのやつらの声は自然とデカくなり、波の音にも負けずにはっきりと耳に届く。


「チュウさァん、こっちで飲みましょうよ!!」
「いやおれァいい、お前らだけでやってろ」


――今日は最初からペースを上げすぎた……休憩を挟まなきゃやってられねェ。
軽く手を振ってからもう一度肺を煙で満たし、深呼吸するように唇の端からゆっくりと細く吐き出す。白い帯が夜の闇に溶けて消えた。
夜風に当たりながらぼんやりと船の揺れを感じていると、遠くからなまえの声が聞こえる。晩メシも終わって数時間、この時間帯にあいつがこの辺をウロついているのは珍しい。船縁に寄りかかってそちらに目をやれば、困ったような顔がすぐそこの角を曲がって姿を現した。


「チュウ!ここにずっといた?」
「数分くらいだな」


声の主はおれを見つけると近寄ってきて、探し物を見かけなかったか問う。ははあ、なるほどこの時間にここにいるのはそういうことか。いつもはもう寝に入ってる時間だってのにご苦労なことで。


「いーや、おれがここにいる間は見かけなかったぜ、チュッ」
「そっかあ……あーもう、どこ行ったんだろ……。見つけたら捕まえといて!」
「おー」


おれの気の抜けた返事を聞いたなまえはまた急ぎ足で去っていく。この船は広い、あいつの足で探し物はなかなか骨が折れるだろう。仕方ねェ、酔い醒ましに探し物に付き合ってやるかとタバコを海に放ったところで、背後からガタリと音がした。
振り向いて音のする方に視線をやれば、雑多に積み上げられていた空き箱のひとつからニョキッと足が生えて目の前をスタスタと歩いていくではないか。


「おいコラ。待ちやがれ」
「わあッ」


ヒョイと箱を掴んでひっくり返せば、中からはやはり探し物がコロンと転がり出てきた。灯台下暗しってやつだな。なおもコソコソと逃げようとする小せェ歩幅を一歩で追い越して正面から見下ろすと、気まずそうにこちらを見上げた顔がヘラリと誤魔化し笑いする。


「……なまえが探してたぞ。聞いてたろ」
「シーッ!!チュウくん静かに!ママが戻ってきちゃうでしょっ!」
「へーへー。そんじゃ、お前を部屋まで送ってやるから大人しくしてろよ……チュッ」
「……あのねえ、今ねえ、あたしママから逃げてるの。だからのーせんきゅうなの」
「まあ大方そんなこったろうと思ったぜ。今度は何やらかしたんだか」


ガキの首根っこを掴んで目の前に持ち上げれば、母親にそっくりなその顔と正面から目が合う。なまえにまるで生き写しのようなその目鼻立ちとは対照に、背中には父親譲りの背びれが伸びている――顔がアーロンさんに似なくて良かったとつくづく思うぜ――おれの問いに、ちびすけは丸っこい目をキラキラさせてこちらに顔をずいっと近付ける。


「聞きたい?聞きたいっ?」
「いーって。またろくでもねェことだろ、チュッ……」
「そんなに聞きたいなら仕方ないなぁー」
「お前おれの話聞いてたか?」


がきんちょのクセに額に手を当ててやれやれと首を振る様子は一丁前だ。どうやらおしゃべりしたくてたまらないらしい。子供体温を腕に抱え直して歩き出すと、さあ自分の考えを披露してやろうと声を顰めて鼻息を荒くする。


「あのね、あたし気づいちゃったの……」


神妙に囁く様子に、何を?と聞き返す前に、両方の人差し指で口の端をニッと持ち上げて自分の歯をこちらに見せてくる。そこには鮫の魚人らしい立派な歯が生えそろっていた。まあこいつは半魚人だが。


「ねーこれ!これ見てっ!!鮫の歯は生え変わるんだよっ!知ってた!?」
「たりめーだろ。だからァ?」
「あたしもね、生え変わるんだよ!!だからね、虫歯になったらね、新しい歯にすればいいんだよっ!……だから、歯磨きしなくっても平気なのっ!!」


――こいつはバカなのか?
自分の歯をイーッと指差しながら名案だとばかりに得意満面で言い切る様子に、そんな思いが一瞬脳裏に去来する。……いや、一理ある……のか?おれの歯は生え変わらねェからそんなこと考えたこともなかった。


「あー……なるほど、な……?」
「ねっ!頭いーでしょ!!だからね、歯磨きしなくてもいいんだよーって、チュウくんからもママに教えてあげて!」
「自分で言やいいだろうが、自分でよォ」
「言ったけど……すーっごく怒られたよ……。ねーねー、あたしの言ってること間違ってないよね?」
「チュッ……だァから逃げてたのか。でもよォ、虫歯になったらすっげェ〜痛ェんだぞ。パンケーキ食えなくなるぞ、いいのか?」
「大丈夫!ちょっとでも痛くなったらすぐ交換するよ!!すぐ!!だからパンケーキはちゃんと食べられるよ、そう思うでしょ?」
「ハイハイ……」


自分の考えがいかに素晴らしいかを熱弁するちびすけは、おれの足がどこへ向かっているのかを気にする様子はない。しばらくは適当に相槌を打ってやっていたが船内へ続く扉をくぐったところでようやく、どこか目的を持って移動しているらしいということに気付いたようだ。


「チュウくんどこ行くの?」
「おめーのママんところだよ」
「!!!!」


その言葉にクワッと目を見開きいかにも絶望したという顔をするちびすけ。大げさなリアクションは一体誰に似たのか推理するまでもない。突然腕の中で体を捻って抜け出そうともがき始めたので、慌てて両腕で抱え込む。ガキとはいえこういう時の抵抗力は侮れねェ。


「イヤだー!!離せえー!!チュウくんの裏切りものー!!!!」
「イテェ!コラッ、大人しくしてろ!!」
「だれかあ〜!!たすけてえ〜!!さらわれるう〜〜!!!!」
「よォ〜ちび!一体どこに攫われてくってんだ?」
「歯磨きさせられるうー!!助けてえーー!!」
「ガッハッハッ!!そりゃあ災難だったなァ!!」


「海賊に歯磨きはいらない〜!!」とジタバタ暴れながらデカい声で騒ぐさまを見た周りのやつらからどっと笑い声が上がる。いやだいやだと暴れるちびすけの力は思ったより強く、振り回された拳が当たって地味に痛ェ。


「お前いい加減に大人しく……」
「何騒いでやがる」
「あーっパパ!!」


騒ぎを聞きつけてか呆れたような顔でアーロンさんが歩いてくる。やっと真打ち登場だ。暴れるちびすけをポイと荷物のように手渡す。ったく、思いっきり引っ張りやがって髪がグシャグシャだぜ……。
乱れた髪を直している間、ちびすけは自分を受け止めたアーロンさんに向かって先ほどの持論を捲し立てている。ガキってのは本当に一日中喋り倒す生き物だ。


「……ね!?パパもそー思うでしょっ!!」
「シャハハハハ!!そりゃなかなか目の付け所がいいな」
「でしょ!でしょ!!歯磨きしなくってもいいよね!?」
「なまえにそれでいいか聞いてみろ」
「聞いてみたけどっ!さっき怒られたよ!!」
「気が変わってるかもしれねェだろ。もう一回聞いてみろ」
「そっかあ!うん!そうする!!」


いつの間にか上手いこと丸め込まれてやがる。小脇に抱えられたちびすけが先ほどとは打って変わってご機嫌で手を振るのにこちらも軽く手を挙げて応えてやれば、アーロンさんが「世話かけたな」と言って去っていく。やれやれ、ようやく嵐が去った。甲板へ戻って飲み直すか。
しばらく来た道を引き返していると、困り顔のなまえが小走りで駆けてくる。おっと、入れ違いだったな。


「いたいた!さっきチュウと一緒にいたって聞いて……!」
「歯磨きさせられるって喚いてた探し物ならアーロンさんに届けたぜ。チュッ」
「ありがとー!!助かる!本当、どうしてあんなことばっかり思いつくんだか……」
「一回試させてやっても面白ェかもな」
「ダメに決まってるでしょ……抱え込んででも歯磨きさせるよ」
「……ッフ、」


呆れたように額に手を当ててため息をつく様子がさっきのちびすけとそっくりで、思わず口から堪え切れなかった笑いが漏れた。それに訝しげに向けられた視線に何でもねェと答え、甲板へ向けていた足を動かす。


「チュウ!ありがとね!」


背後でパタパタと走り去る足音が遠のき、おれは結局歯を磨かされるであろうちびすけを想像してひとり忍び笑いをした。甲板で飲んでるやつらへの酒の肴にしてやろう。外へと続く扉を片手で押し開けると心地よい潮風が飛び込んでくる。
見上げた空はいつの間にか雲が晴れていて、月と、それから星が顔を覗かせていた。酔いは程よく醒めている。明日はきっと晴れだ。

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