やわらかい風の吹く町で

「お前……今何て言った……」


ルフィが手に持った肉をゆっくり下ろし、低い声で呟いた。私はその様子に複雑な気持ちになりながらも、騒ぎになる予感がして慌てて止める。


「ルフィ……いいのよ、別に」
「いやよくねェ、ナミ。お前の故郷のことだぞ」
「面倒起こさないでって言ってるの……!」


痛む頭を押さえるが、こうなるともうルフィは止まらない。立ち上がって隣のテーブルへ向き直る後ろ姿を不安な気持ちで見つめる。
――なんっっでいつもこうなるのよ……!!
隣でジョッキを傾けるゾロに目線をやるも、肩をすくめられただけだった。


「お前、もういっぺん言ってみろ」
「何だ?お前ェ……」
「おれはルフィ!!海賊王になる男だ!!!!」
「海賊王?そりゃいいぜ、シャハハハ!!」


ルフィの目の前のテーブルに着いた魚人が見下したように笑い、周りの魚人達もつられて笑う。酒場の中は一気に剣呑な雰囲気に包まれ、周りの客が数組、立ち上がってそそくさと店を出た。


「ああ、何度だって言ってやるよ。あいつも下手を打ったな、こんな人間のガキにやられるなんざァ」
「……」
「ココヤシ村と言ったか?結構なことじゃねェか……人間なんてのは海の中で呼吸すらできねェ、魚人に劣る脆弱で下等な種族だ。おれ達の支配下に大人しく収まっていればいいのよ……!!」


ギロリと睨み付けるその目は、かつて私の故郷を支配していた恐ろしい魚人と同じ光を宿していた。
そもそもの発端は、私達の後にこの店に入ってきた魚人の一団を見て思わず動揺してしまった私にあるんだけど……。店を出るか?と声をかけてくれたゾロの言葉を聞きつけて、隣のテーブルに着いた鮫の魚人が吐き捨てるように人間を見下す発言をし、故郷のことを思い出した私が思わず言い返してしまった。


「……なるほどなァ?お前の故郷を支配していたやつは、おれと同郷だ。そいつのことはよく知ってるぜ」
「えっ……」
「シャハハハハ!!下等種族どもを支配して帝国を築く?ああ、いい考えだ!!おれも航海に飽きたらそうするか……」
「何ですって……!?」
「おい!!お前……」


その言葉を聞いて、人一倍仲間思いのルフィが見過ごすはずがなく……こうして一触即発の空気ができ上がっている。


「ナミに謝れ!!」
「謝れだと?誰にクチきいてんだ?クソガキが……!!」


グッと立ち上がったそいつは見上げる程の大男で、ずっと上から恐ろしい視線がルフィを見下ろす。二人の間にピリッとした空気が流れ、あわやというところで酒場の扉が音を立てて開いた。


「アーロンさん、悪い!なまえとはぐれた……!!」
「……何だと?」


慌てた様子で入ってきた魚人に、アーロンと呼ばれた鮫の魚人は睨み合っていた視線を素早くそちらへ動かした。不機嫌そうな低い声が唸るように続く。


「チュウ、おれは付いてろと……」
「本当にすまねェ……!!あいつ小せェから市場でフラッと見失っちまった……!」
「チッ……おいクロオビ、他のやつらも連れて探しに行け」
「ああ」


慌ただしくする大男はもはやルフィへの興味を失くしたようで、周りの魚人へ指示を出し始めた。詰めていた息をホッと吐き出していると、隣のゾロも刀の柄から手を離す。
しかしルフィは憤った様子で大きな声を出した。


「おい!!話は終わってねェ!!」
「……命拾いしたな、人間。おれの気が変わる前にさっさとどこへでも行け」
「おれは謝れって言ってんだ!!」
「ルフィ!もういいから……」
「……今おれは手前ェらに構ってる程、暇じゃねェんだよ……!!」


ルフィの言葉についにアーロンが肩を怒らせて凄んだその時、再び酒場の扉が開いた。触れれば破裂しそうな空気の中、入店を告げる間の抜けたベルの音がカランコロンと響く。


「あ!いたいた、良かった〜!チュウはぐれちゃってごめんね〜」
「あっ、ナミすわぁ〜ん!!頼まれてたお菓子の材料、買ってきたよ〜ん!!」
「ルフィ、こっちの用事はもう済んだぜ」
「サンジくん、フランキー!」
「なまえ……!!」


サンジくんとフランキーが一人の女の子と一緒に入ってくる。それを見て魚人の一団がホッとするのが空気でわかった。どうやらこの子がはぐれたというなまえらしい。先程は人間を嫌う発言をしていたのに、驚くことに、探し人は人間だった。


「……え?何この空気……?」
「……ああ?魚人がナミさんに何の用だよ?」


サンジくんが私達の前に立ちはだかる大柄な魚人を見て顔を険しくする。なまえと呼ばれたその子はそんなサンジくんとアーロン、私達を見て困ったように眉尻を下げた。


「……アーロン、何か変なこと言ったんでしょ」
「……言ってねェ」
「うそだー……どうせまた人間は下等だとかなんとか言って、ケンカふっかけたんでしょ?」


それを聞いたアーロンはムッとした表情で椅子に腰を下ろす。周りの魚人達も気まずそうな顔で席に着いた。今度はサンジくんが、キョトンとした顔で隣に立つ女性と目の前の魚人を交互に見る。


「……え?なまえちゃん、探してたのってこいつら?」
「うん、ありがとうサンジくん、フランキーさん。道案内してもらったうえに荷物まで持ってもらっちゃって」
「いや、それはいいんだが……」
「子供が困ってたら助けるのが大人ってもんよ」


荷物を手渡しながら言うフランキーに、くすくすとおかしそうに笑いながらなまえが返した。


「やだ!私、もう三十だよ」
「えっ!?」


私達の声が一斉に重なる。
――どう見ても私と同じくらいか少し年下にしか見えない……!
言われた当の本人はその反応に慣れているのか、アーロンの向かいに立つルフィへ近付いて困ったような顔をした。


「ごめんね?アーロンが言ったことなら、私が謝るから……」
「おれじゃねェ、うちの航海士にだ!!」
「そうなの?航海士さん、ごめんなさい」


鼻息を荒くしたルフィが勢い良く指さしたこちらに向かって小さな頭が下げられる。突然話題の中心に戻ってきた私は、目の前の女性に向かって慌てて両手を振った。


「い、いいのよ。私も過剰に反応して悪かったわ……」
「おい、もうそいつらに構うな」


不機嫌そうなアーロンが唸るように言いながら細い肩を抱き寄せて隣に座らせる。その光景にますます驚いた。先程の発言といい、これではまるで恋人のようだ。


「アーロンさァ〜ん!!」
「あらみんな、ここにいたのね」


また扉が開き、店内に響く間の抜けた音とは対照的に慌ただしい様子で新たな魚人が入ってくる。道案内してきたのか、その後ろからロビンも現れた。


「うるせェなァ……ハチ……」
「ごめんよお〜!!はぐれっちまった!!」
「えっ!?」


またもや誰かとはぐれたらしい。今度はアーロンと、なまえも驚いた顔をする。ハチと呼ばれた大男は魚人の一団に近付くと半泣きで話し始めた。


「途中で何か見つけたらしくて、思いっきり手からすっぽ抜けて弾丸みたいに走って行っちまった……!!途中まで追いかけたんだが、チビだからあっという間に撒かれちまって……!!」
「チュッ……ったく、お前の腕は一体何のためにそんなにあるんだよ!?」
「なまえとはぐれたお前が言うな、チュウ」
「た、大変……!!どうしようアーロン!」
「どの辺ではぐれた?」


顔色を変えたなまえが焦ったような顔で隣を見上げる。にわかに騒がしくなる隣の席を横目で見ながら、ロビンがこちらのテーブルへ着いた。


「ロビン、何があったの?」
「あの魚人さん随分慌てていたようで支離滅裂の説明だったんだけど……一緒にいた誰かとはぐれてしまったらしいわ」


「あんなに慌ててかわいそうに……」と続けながら眉尻を下げるロビンを見て、顎に手を当てて何事か考えていたルフィが、よし、とアーロンに声をかける。


「おい、おれ達も探すの手伝ってやるよ」
「ルフィ、わざわざ面倒ごとに首突っ込むこたねェよ」
「クソマリモの言う通りだぜルフィ。ナミさんのこともある、おれは魚人は好かねェ……」
「でも困ってんだろ?町の探検も終わっちまったし、おれやるよ」
「全く、うちの船長はどうしてこうも……」


ニシシと笑いながら言い切るルフィにフランキーが肩をすくめて仕方ないといったふうに呟いた。その一連のやりとりを見ていた丸い目が驚いたように見開かれる。


「えっ……本当に?すっごく助かる、ありがとう!!」
「……まあ人手は多い方がいい」
「そこは素直にお礼言って!」


舌打ちでもしそうなほどありありと顔に「不本意だ」と書いてあるアーロンをなまえが嗜める。その様子を見ていたロビンが頬に手を当てて言った。


「確か、町の外れの商店街のあたりでそちらの魚人さんと会ったわ」
「ニュ〜、そのあたりで見失った……」
「そっち方面には……ウソップ達が行ってたな?」
「ええ……私達の仲間が見かけてるかもしれないわ。電伝虫で連絡を取ってみるから、どんな人なのか特徴を教えて」
「う、うん。確かここに写真が……」


そう言って慌ててカバンを探る。すると、またもや例の間の抜けた音が三度目の来店者を告げた。


「おうルフィ!ここにいたか」
「ウソップ!ちょうど今連絡を取ろうと思ってたところだ」
「そうなのか?いや実は、おれ達も困ったことになってな……」
「ヨホホホ、可愛らしい拾い物をしてしまいました」
「拾い物?」


首を傾げる私達に、ブルックが腕に抱えた何かを持ち上げて見せる。そこには、白目を剥いたチョッパーをぎゅうっと抱き締める小さな女の子の姿があった。


「チョッパーが幼女に捕まっちまって、このままじゃお持ち帰りされちまう」
「……あっ!!」


隣のテーブルからいくつもの声が聞こえて、涙目の女の子がそちらに顔を向けた。


「ママ!!」










「ごめんね、大丈夫だった?」
「ああ……こんなに小せェのに、随分力が強いんだな……」


冷や汗をかいたチョッパーがロビンの膝の上でやれやれと息を吐いた。女の子は今、なまえに抱きついたまま泣き疲れて眠っている。
あの後、迷子になった不安が爆発したのか女の子は大泣きし、落ち着いたかと思えばチョッパーと離れたくないと大泣きし、なだめる魚人達にうちの船に乗ると大泣きした後、突然スイッチが切れたように眠った。子供ってパワフルだわ……。チョッパーの言葉を聞いたなまえは苦笑する。


「半分魚人だからね……生まれつきすごく力持ちなの」
「ウフフ、とっても可愛らしい寝顔ね」
「……あなたの子供なのよね?」
「うん、そうだよ」


私はなまえと、隣のテーブルで何やら集まって話をしている魚人達とを見比べた。子供の頬に付いた乾いた涙の跡を擦ったなまえは、優しい目でアーロンを見つめる。


「……それじゃ、あなたは魚人と結婚したんだ」
「うん。ナミはその、魚人が嫌いなんだよね……?」


少し困ったように眉尻を下げるその様子に複雑な気持ちでグラスのジュースを飲んだ。店に入ってすぐに注文したそれは氷が溶けてすっかり薄まってしまっている。


「魚人がみんな嫌いってわけじゃないわ。私の故郷を支配してたやつが嫌いなだけ。……だけどあなたの旦那さんは、私の故郷にいたやつと同じ考え方をしてるみたい……」
「……私がこんなこと言うのも変だけど……みんな、人間を嫌いになるだけの理由と経験があるの……。許してって言うつもりは無いけど……」


最後は小さくなった言葉を聞きながら口の中の氷を噛み砕く。私より年上なのに、まるで叱られる前の子供みたいな表情をするなまえがおかしくて、思わず口の端から笑いが零れた。


「……いいわ!あなたには優しいみたいだし。きっとあの人達はそのうち、人間と歩み寄れるようになるんだわ……きっと……」
「……ナミ」
「それに、この子は人間と魚人のどっちからも愛されて、今よりもっと広い世界を見て回れるのね」


細腕に抱かれてすやすや眠る頬をツンと突けば、小さな口からムニムニと寝言が漏れた。その愛らしい様子に私とロビンの口元に思わず笑みが浮かぶ。


「そうなるといいな……。差別の無い世界に、この子が生きやすい世界に、いつか……」


眠るその背に伸びる小さな背びれを撫でながら穏やかな声が呟いた。その瞳の中に揺れるのは、いつかベルメールさんが私に向けてくれたものと同じだった。
懐かしいその色をジッと見つめていると、隣のテーブルから声がかかる。


「おい、行くぞ」
「あ……うん。それじゃ、私は行くね」


立ち上がった夫に倣ってなまえもよいしょと腰を上げる。その様子を見て、アーロンが無言で腕を伸ばして子供を抱き上げた。一瞬むずかった小さな手が、背中を叩く大きな腕にしがみついてまた寝息を立て始める。


「じゃあ、また」
「うん。またね」


手を振る私達に軽く頭を下げて、なまえはアーロンの後ろから店を出た。他の魚人達もそれに続いてゾロゾロと出ていく。扉がカランコロンと音を立てて閉まった瞬間、酒場の主人が小さくホッと息を吐いたのが視界の端で見えた。


「……あの人が羨ましい」
「どうして?」
「魚人をちっとも怖がってなかった……。きっと、ずっと優しくされて生きてきた人なんだわ……」


脳裏にココヤシ村のみんなの顔と、ベルメールさんの顔が浮かんで消えた。頭を振って気持ちを切り替え、目を細めてこちらを見るロビンと視線を合わせる。


「私達もこれから先の旅で、優しい魚人と出会うのね」
「ええ……そうね、きっと」
「……あ〜あ!何だか疲れちゃった。今日は特別に甘いものが食べたい気分!」
「んナミすわぁ〜ん!!今日はナミさんリクエストの、甘〜くて美味し〜いデザートですよ〜ん!!」
「ウフフ、楽しみ!じゃあ、私達も船に戻りましょうか」


サンジくんが鼻の下を伸ばしながら近付いてきて、私はひとつ笑って席を立った。


「ふう……今日は酷い目に遭った。おれも甘い物を食べてゆっくりしたいよ」
「ウフフ。チョッパー、今日は特別頑張ったものね?」
「笑い事じゃないよ、ロビン!あの子まるでぬいぐるみみたいにおれを抱き締めて……」


その言葉に私達の間に笑いが漏れる。きっとあの小さな女の子は目を覚ました後、チョッパーがいないとまた大泣きするんだろう。それを慌てたようにあやす体の大きな魚人達の様子を想像して、おかしくなって私はまた大きく笑った。

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