永遠に近しいことばで

※「指先の記憶」の続編、先にそちらを読んでいただくことをおすすめします


どんよりお茶会の翌日、立ち並ぶ店先を覗き込みながら街を歩く。三日後にはこの島を出発するので、買い忘れたものは無さそうかぼんやり考えながら足を動かしていた。


「なるほどなァ……形に残せるもの、か……」


昨日のことを相談した私の言葉にうーんと唸りながら、今日も買い物に付いてきてくれたシオヤキが顎をさする。その隣のタケも頭をかいて考え込む様子だ。


「そうさなあ……お前も写真を撮ればいいんじゃねェか?」
「うーん……今のところそれが一番現実的だよね。ハチあたりにでも撮ってもらおうかな」
「ぎょほほ、ハチさんなら喜んで撮ってくれそうだな」
「むしろ私より上達しちゃったりして?……でもなあ、それでアーロンは安心するかなあ……」


なにせ、消えようとしているみたいだとまで言われてしまったのだ。写真があったところで、果たしてこれで安心と感じるだろうか。……もし逆の立場だったら、何があれば安心するだろう?街を見回す視界に、一組の家族連れが映る。


「……家族、とか?」


独り言のつもりで呟いた言葉は両隣の二人の耳に入ったらしく驚いたような顔が二つ、同時にこちらを見下ろす。途端に恥ずかしくなって口を手で覆った。


「あ、いや、ごめん今の無し……」
「なに、別に悪い事じゃねェよ」
「家族ねえ……おれ達にゃ縁のねェ言葉だ」


誤魔化すように小さくモゴモゴするこちらに向かって肩をすくめたタケは、「そこんとこ、アーロンさんはどう考えてるかはわからねェな」と続けた。


「家族なんていらねえと考えてるかもしれねェし……」
「……アーロンの、重荷にはなりたくないな……」
「ああいや、脅すつもりじゃねェよ」


タケの手が背中をぽんぽんと叩き、こちらを安心させようと笑顔を作る。水かきのある大きな手は他の船員達と同様、やはり大小様々な古傷が付いていた。水仕事で荒れただけの私の手とは全く雰囲気が違う。


「単純にいい思い出がねェってだけさ。お前はそうじゃねえんだろう、そりゃいい事さ」
「家族かあ……どんなもんなのかねえ」
「うーん……一緒にいると安心できて、困った時に助け合えて、ずっとそばにいたいって思える相手……かな?」


遠くを見ながらポツリと呟いたシオヤキになるべく言葉を選びながら返す。少なくとも私は、元いた世界での家族のイメージはそんな認識だ。それを聞いた二人が顔を見合わせて笑う。


「そりゃおめェ……そんならおれ達はもう家族さな」
「あっ……そっか」


自然にそう言ってくれる二人に心の奥がジンと温かくなるのを感じる。思わずつられて笑った私の思考は結局、それならこれ以上はどうしたらいいんだろう?と最初に戻ってきてしまった。それを見透かしたようにタケが続ける。


「そんならあとは……子供か?」
「なるほど……なまえ、お前聞いてみろよ。ガキは何人欲しい?って」
「え!?そ、そんな直接的な……。あ、えーと……そうだっ、あのお店見てみようかな!」


かーっと顔に熱が集まるのがわかり、慌てて話題を変える。幸い二人はそれ以上深追いせず私が指差した店に顔を向けたので、その背後でホッと小さく息を吐いた。


(子供、かあ……)


――あんまり深く考えたことはなかったけど、そういう選択肢もあるのか。……というか、種族が別でも子供はできるのか、知らなかった。
アーロンはどう考えているんだろう?子供や……結婚、なんてことは。海賊として生きる上ではやっぱり重荷に感じるだろうか……。いや待てよ、そもそも海賊に結婚という概念はあるのか?そういえば異世界生まれの私はこちらの世界に籍が無い。アーロンにはあるのだろうか?それに、こちらの結婚も入籍という形なんだろうか……。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る疑問に、やはり良い答えは出てきそうもなかった。










「何だ、神妙な顔をして」


ベッドのスプリングが軋む音に、開かれていた本が閉じられる。急がば回れ、当たって砕けろ、聞くは一時の……とにかく、頭の中でいくら悩んでいても答えは出そうにないので、本人に直接聞くことにした。私ってそういうところあるよね。頑張れ私。いけどん私。
昼間の会話を思い出しながらモジモジするこちらの様子をしばらく観察していたアーロンは、手を伸ばして指の背で私の頬を撫でる。


「なまえ」
「……アーロン、は……どう思ってるのかなって……その、将来のこととか……」


緊張してたせいか質問がちょっとざっくりし過ぎたかな……?顔に触れる指を横目で見やりながら紡ぐと、しばらく間が空いた後小さく問いが返ってくる。


「……孕んだのか?」
「ち、違うけど……違うんだけど……もしそうなったら、どうなのかなって、思ったの……」


ひと呼吸置いて、言葉を続ける。心臓は音が外に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどドキドキと大きく脈打っていた。気持ちを確認するための作業はいつも、不安で押しつぶされそうになる。


「アーロンの重荷になりたくないから……それが負担になるなら、ちゃんと対策しなきゃって……」
「……」
「でももしそうじゃないなら、そうなってもいいなら……そうなったら、私は嬉しい……」


途切れ途切れになってしまったが、言い切った。……何と返ってくるのか想像が付かなくて怖い。顔を見られなくて俯いていると、頬を撫でていた指が顔にかかる髪を掬い上げて耳にかける。


「…………おれァ、お前のような環境で育ってきたわけじゃねえ。お前にとっては当たり前のことでも、おれにはさっぱり理解できねェこともある」
「う、ん……」
「もしそうなったら……そうだな……この船で親ってモンをマトモに知ってんのはお前ェだけだ」
「……うん」
「お前の思う通りにばっかりはいかねえかもしれねェが……まあ、努力はする」


その言葉に伏せていた顔を上げれば、呆れたように笑った顔が「何て顔してやがる」と言った。その反応に一気に気が抜けて、いつの間にか詰めていた息を吐いて大きな胸に額を押し付けた。


「よ、よかった……迷惑って言われるかと……」
「シャハハハ!そんなに心配したのか。……本当に孕んだわけじゃあねェんだな?」
「うん、違うよ」
「そうか」


その言葉と同時にトンと肩を押されてベッドへ横になる。突然のことに目を白黒させて見上げる目の前の顔が、歯を見せてニヤッと意地悪そうに笑った。


「それじゃあ、さっさとお前の願いを叶えてやらねェとな」
「お、お手柔らかに……?」
「どうだかな」


がぶりと唇に噛み付くアーロンの首に、そっと両腕を回して抱き寄せた。










「おい、ちょっとツラ貸せ。チュッ」
「お金なら持ってないけど」
「ダアホ!違ェよ」


出港が済んで後片付けの作業も一段落した三日後のお昼前、朝の仕事を終えて一息ついていたところへチュウが声をかける。古のヤンキーのようなセリフだがカツアゲではないらしい。


「なら何用で?」
「いいから付いてこい」


スタスタと歩き出すチュウの後ろを慌てて付いていく。何かやり残した仕事でもあったかな?と午前中の作業を思い出しているうち、目の前を歩くチュウは甲板に続く扉へ足を向けた。


「よし止まれ」
「うん?」
「目閉じて大人しくしてろ」
「え?何?何?」
「いいから黙ってろ」


困惑しながらも目を閉じる私の頭を何やら触る感触の後、手を引かれておそるおそる足を進める。――いくら慣れているとはいえ、揺れる船の上で目を閉じたままなのは地味に怖い――頬を撫でる潮風と瞼の上からでもわかる太陽の光から、扉を通って甲板へ出たようだ。


「まだ?」
「もう少し…………よし、いいぞ」


その言葉に目を開くと、太陽の光が眩しくて思わず数度瞬きする。目が慣れた頃に見えたのは、甲板に集まる船員達だった。みんな一様にニヤニヤ……じゃなくてニコニコ……いや、やっぱりニヤニヤしている。
状況が掴めずキョトンとしているとチュウが背中を軽く押し、戸惑いながらも数歩進むと人垣が割れて船首まで道が開けた。その先にはこちらを見て呆れたような顔をしたアーロンと、やはりニコニコ顔のハチが見える。


「そういうことか……。ったくお前ェら……」
「何これ?どういうこと?」


首を傾げる私に向かって、アーロンのそばに立つハチが六本の腕を大きく広げて言った。


「結婚式だよ!アーロンさんとなまえの!!」
「…………っへえ!?」


言葉の意味を頭が理解した瞬間、喉から間抜けな声が漏れた。
――けっ、結婚式!?めちゃくちゃ普段着だが!?って、そんなことは今どうでも良くて……!
驚いて周りの船員達を見回せば、サプライズが成功したみんなに口々に囃し立てられる。頭に手をやるとベールがかけられていた。アーロンの様子を見るに、あちらも知らずに連れて来られたようだ。そんなことを考えているうちにだんだんと状況に思考が追い付いてきて、途端に気恥ずかしさと嬉しさでぎゅうっと胸がいっぱいになる。


「これ……って、みんなが用意してくれたの?私達に内緒で?」
「ああ、全然気付かなかったろ?」
「うん……」
「ホラ早く行け」
「わ、」


再度背中を押されて前に向き直ると、船員達が口を閉じる。足下をよく見ると綺麗な貝殻や小石が左右に一直線に敷かれていて、船首までの道を作っていた――どうやらバージンロードのようだ――緊張を紛らわせるためにひとつ大きく深呼吸する。みんなが優しい顔で静かに注目する中を、そっと小さく一歩踏み出した。
一体これは誰の発案なんだろう?先日話した二人だろうか。何かにつけて宴会をしたいシオヤキと、企画を立ち上げるのが好きなタケならやりそうな気がする。この足元の貝殻や小石、ベールなんかもみんながこの三日で急いで準備してくれたんだと思うと、緊張で力が入っていた顔が緩んだ。


(そっか、私……結婚するのか)


そう思うと胸がぽかぽかと温かくなり、色んな感情が込み上げてないまぜになり思わず涙腺が緩む。慌てて、今度は逆に顔に力を入れて前を向いた。
讃美歌もワーグナーもメンデルスゾーンも無いけれど、波の音とうみねこの鳴き声をBGMに、手作りのバージンロードをアーロンのもとまでゆっくり歩く。バージンロードは歩きながら今までの人生を振り返るのだと聞いたことがあるが、こうして静かに歩いていると自然と今までのことを思い出してしまうから不思議だ。異世界へ突然来てしまい途方に暮れていたところをこの船に拾われたこと、みんなと少しずつ打ち解けたこと、いつの間にかアーロンのことを好きになっていったこと、元の世界と別れを告げたこと、この世界で生きていくと決意したこと……。それから、思い出せる限りの家族や友人達との思い出。今ではもうすっかり昔のことのような気さえするが、それらも今の私を作る大事な思い出達だ。
取り止めもなく考えているうちにいつの間にか船首まで歩き切り、足を止めて隣に立つアーロンを見上げる。と、こちらを見つめていた目とバチリと視線が合い、気恥ずかしさから慌てて顔をハチに向けた。


「それでは……オホン!えー、本日は大変お日柄も良く……」
「ハチさんそれは省略って話でしたよ!」
「ニュ、そうだった。そんじゃ……二人とも、驚いただろ!みんなで内緒で準備したんだぞ」


ニュフフと笑うハチの顔は悪戯が成功した子供のそれだ。他の船員達も背後できっと同じような笑顔なんだろう。緊張で力が入っていた肩がちょっぴり楽になる。


「正式には色々あるんだろうけど全部省略だ!アーロンさん、なまえを嫁さんにすると誓うか?」
「……こういうのはガラじゃねェんだが……」


ひとつため息をついたアーロンがこちらに顔を向け、優しげに目を細める。その視線はいつか見た時と同じように、ただ静かに凪いでいた。大事なものを見つめるみたいに……。


「……ああ、誓う」


かーっと耳まで赤くなるのがハッキリわかった。胸がぎゅうっと苦しくなって、目頭まで熱くなる。視界が潤み始めるのを顔に力を入れてなんとか堪えた。


「じゃあなまえ、アーロンさんを旦那にすると誓うか?」
「ち、誓い、ます……」


喉から出てきた声は震えていた。鼻をすするとハチが笑顔で頷き、背後でみんなが割れんばかりの拍手をする音が聞こえる。嬉しいけど恥ずかしい、なんとも言えない幸福感で足元がフワフワとするような感覚が全身を包み込んだ。


「そんじゃ、指輪の交換を!」
「指輪?」
「ニュフ、おれ達で石探してな、カネシロが作ってくれたんだぞ」


ハチが取り出した二つの指輪には、シンプルな台座にそれぞれ真珠があしらわれている。みんなが苦労して作ってくれたというそれは、素朴ながらも温かみのある輝きを宿していた。
アーロンが小さい方を取り上げ、それを見て慌てて差し出した左手の薬指にゆっくり嵌めてくれる。震える指に収まった少し緩いそれを見て、ハチが「ありゃ、もう少し小さかったか」と言った。続いて私ももう一つを手に取ったが、そちらには輪っかの部分が無い。そういえば魚人はどうやって指輪を着けるんだろう?


「これ、どうすれば……?」
「アーロンさん指輪嵌めらんねェからな」
「後で埋める」
「埋め……!?そ、そっか」


とりあえずアーロンの左の手のひらに乗せて拳を閉じさせた。それを見たハチが頷いて「そんじゃ、最後にキスを」と言い、その言葉にまた首から上が熱くなる。さっきからずっと顔真っ赤だ……!!


「いや、人前じゃ恥ずかしいからそれはカットで……!」
「ニュ!?今更そんなこと恥ずかしがるやつがあるか?」
「そうだー!キスしろー!!」
「キース!キース!」
「ええ……」


周りがやんやと囃し立て、困ってアーロンを見上げた。なんとかして……とアイコンタクトで助けを求めるこちらの気持ちを知ってか知らずか、視線の先の顔は意地悪そうに口角を上げ、伸ばした片手で私を抱き上げる。


「わ!?ちょ……」


ぐんと高くなった目線に思わず目の前の首に抱きつくと、楽しげな声が耳元で「腹括れ」と小さく囁いた。ストップをかける間もなく空いている手でベールが上げられ、思わず目を瞑る。
……すると、予想に反してキスは額に降ってきた。周囲から飛び交うブーイングにホッとして目を開けてみれば、至近距離で絡み合った視線は悪戯っぽく細められている。


「っ……!!」


次の瞬間、気が緩んだ私の後頭部を大きな手のひらが押さえつけて今度こそ唇にキスされる。驚きに硬直する私を見て、甲板は歓声に包まれた。


「いいぞー!」
「もっとやれー!!」
「二人ともおめでとう〜!!」


そんな言葉も耳から耳へ抜けていく。しばらくして唇を離されるが、恥ずかしさで全身の力が抜けていた。こうかはばつぐんだ!
ヘナヘナとアーロンの肩に額をくっ付けると髪の上から耳のあたりを優しく撫でられる。


「意地悪……」
「シャハハハハ!!まあたまには見せつけてやるのもいいだろ」
「人前ではもうこれっきりでお願いします……」


さあ宴だ!とは宴会部長のシオヤキの声だ。次々とジョッキをぶつける音が聞こえて顔を向けると、船員達はあちらこちらですでにお酒を飲み始めていた。この様子だと三日三晩は続きそうだ……。


「アーロン……大好き」


抱きつく腕に少しだけ力を込めて囁けば、応えるように大きな指先が背中をなぞった。それがくすぐったくて笑っているところへ、クロオビが私達の分のジョッキを持って近付いてくる。
甲板に下ろしてもらってそれを受け取ると、船員達がやんややんやと乾杯しにやって来た。もみくちゃにされたら潰されてしまうので、そちらはアーロンに任せて船縁へ避難することにした。頬に潮風を受けながら揺れる海面を眺める。


(アーロン、安心してくれたかな)


これで私達は名実ともにハッキリと家族になった。盛り上がるみんなの声を背中で聞きながらそっと左手を目の前にかざす。アーロンと、それからみんなとの家族の証が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。


「おうい、なまえ!写真を撮るぞ!」


後ろから呼ぶ声に振り向くと、カメラを持ったハチが手招きしている。これからは私の写真もきっと増えていくだろう。
ニッコリと満面の笑みを浮かべて、大好きな家族達のもとへ一歩踏み出した。

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