高慢と偏見とパンケーキ

よく晴れた日の午後、病院の中庭を一人で散歩する。
昼の問診でそろそろ退院できると言われた私は、ご機嫌で鼻歌を歌いながら色とりどりの花が咲く庭園へと足を向ける。


「こんにちは〜」
「こ、こんにちは……」


中庭ですれ違う人達に挨拶するが、ぎこちなく返されてしまった。そそくさと去る背中を見ながら首を傾げる。
しばらくして現れたベンチに座って休憩する。春の陽気が眠気を誘う……と思いながらボーッとしていると、遠巻きに私を見ていた周囲の人達の囁き声が聞こえてきた。


「……ほら、あの人でしょ、魚人の……」
「奥の一人部屋の?……あんなに若い人なのね……」
「……毎日魚人が病室を訪ねて来て……」
「怖いわあ……早く退院してくれるといいんだけど……」


あ〜〜…………そういうやつね……。
この島でもやっぱり魚人は怖い種族だって思われているらしい。見た目は怖いかもだけど、優しい人もたくさんいるのに……。これから少しずつこの世界の人間達と魚人達の仲が改善していって欲しいけど……きっと長い時間がかかるんだろう。
小さくため息をついた時、目の前にボールが転がってくる。それを拾い上げるとボールを追って十歳頃の男の子が走ってきた。
目を上げると一緒にキャッチボールをしていたであろう数人の子供がその子の向こうに佇んでおり、さらに向こうにいる親らしき女性達が「やべっ」という顔をしてこちらを見ていた。


「はい、どうぞ」


なるべく人が良さそうに見えるであろう笑顔でボールを手渡してあげると、男の子は引ったくるようにそれを奪い取った。そのまま私の顔をジッと見る。


「どうかした?」
「お前……」
「お、お前?」


初対面の子供にお前って呼ばれた……。とちょっとショックを受けていると、ボールを持った男の子は思い出した!という顔で言い放つ。


「やいお前、人間のくせに魚人の情婦なんだろう!この淫売め!」
「……はっ!?」


衝撃的なセリフに思わず驚いて固まっていると、大人の女性がバッと近寄って来て「すいませんすいませんすいません」とコメツキバッタのように頭を下げながら子供を引き摺って去って行った。遠巻きに見ていた他の人達も慌てて蜘蛛の子を散らすように立ち去る。
後には呆然とした私だけが残された。










「最悪だ……最悪、最悪……」


その日の夕方頃に病室を訪ねて来たアーロンの膝に縋り付いて泣きべそをかいていると、理由を聞いたアーロンはフンとつまらなそうに鼻で笑った。


「ガキの言うことなんざいちいち真に受けてピーピー騒ぐんじゃねェ」
「だって……だって……子供があんなこと言うなんて……」
「大方、親の方が言ってるんだろう」
「そうなのかな……そうかも……そうだとしても……」


確かに意味はよくわかってなさそうな顔だったけど……。グズグズと鼻をすする私の頭を撫でながら面白そうな声が言う。


「そんなに悔しかったなら、言い返してやれば良かったろうが」
「うう……子供の口から出るセリフとしてショッキングだっただけで……言われてる内容自体は間違ってないし……」
「…………あ?」


頭を撫でていた手がぴたりと止まり、アーロンが短く声を上げた。
どうしたのかと視線を上げた私を複雑な顔で見返しながら、アーロンは絞り出すように言葉を紡ぐ。


「お前ェ…………おれのイロのつもりだったのか…………」
「えっ…………ち、違うの……?」


絶句したアーロンがしばらくして、珍しくうーんと唸りながら考え込むように拳を額に当てる。
え、ちょっと待って、私って愛人以下だったってこと?この間の男に言われたように、奴隷とかペットみたいな扱いだったってこと?それって結構……かなり、本気で、ショックだ……。
一人で静かに沈んでいると、アーロンが私の顔を黙って眺めた。少しして、言い聞かせるようにゆっくり口を開く。


「お前……おれが人間嫌いの海賊だってこと忘れてねェか?」
「え、忘れてないけど……」
「おれのこと優しいと思うか?」
「思う……」
「ならおれが、何の理由も無く、人間に、優しくするようなやつだと思うのか?」


ジッと見つめる視線に目を合わせながらその言葉の意味を考える。……そうしてたどり着いた結論に、首までじわじわと熱が上がってきた。


「あ、れ……え?え?なに?そ、そういう……?」
「……お前もそれをわかってて、こっちに戻って来たんだとばかり思ってたんだがな……」
「えっ、だ、だって、え?ア、アーロン……私のこと……好きなの……?」


自分で言った言葉に耳まで痛いほど熱くなる。そんなことって、だって、アーロンは人間が嫌いで……。
心臓は今にも破裂しそうなほど大暴れしていた。


「惚れた女にでもなきゃ、優しくなんざするわけがねェ」
「う、そぉ……だって、さ、最後にした時……」


弱々しく言った言葉にアーロンはうっと気まずそうな顔になる。しばらく黙って目線を泳がせた後、観念したように私と視線を合わせた。


「あれは…………クソ、おれが悪かったよ……お前に八つ当たりした……」
「また謝ったあ……」
「うるせェ……」


ばつの悪そうな顔を帽子で隠すように俯いたアーロンに、私の口から自然と笑みが溢れる。アーロンのこんな姿を見られるのは世界中探してもきっと私しかいない。


「ふふ……そっか、八つ当たりするほど私に気を許してくれてたんだね」
「あァ?ふざけたこと言うんじゃねェ……」
「だってそうでしょ?……アーロンは私に甘えてるんだ」


太い腕にぎゅっと抱きついて下から覗き込むと、アーロンは拗ねたような顔でこちらを見ている。そんな顔初めて見た。
揺れる青い瞳に視線を合わせて私は口を開いた。


「……これからも甘えていいよ。私……私も…………アーロン、大好き」


やっと言えた言葉に胸がぎゅうっとなり、恥ずかしくなって目を伏せる。私、今なら死んでもいい……いや、それは勿体ない。まだこの幸せな気持ちを味わっていたい。
溢れてくる感情を必死に処理していると、抱きつく私を引き剥がしたアーロンにベッドへ押し倒された。


「わ、なに……」
「お前、刺青欲しがってたな」
「え、う、うん……」
「痛ェのは嫌だろうと思ってやらないでいたが……。決めた、くれてやるよ」


唇を撫でながら言われた言葉に目を見開く。私があれやこれやと考えていた理由とは全然関係なくて……なんだか一気に気が抜けて、つい笑いながら返事をしてしまう。


「そ、そういう理由だったんだ……」
「他に何があると思ってたんだ?」
「いや……人間だから、仲間として認めてくれてないのかと……」
「……そうか」
「何で突然?」
「そりゃお前……自覚が足りてねェようだったからな……。わからせてやらねェと……」


こちらの目を真っ直ぐ射抜きながらそう続けたアーロン。その瞳の奥には確かに独占欲がちらりとその色を覗かせていて、私は無意識に息を呑んでいた。


「なまえ……お前が、誰のモンかハッキリ刻み付けてやるよ」
「ん、ぅ……」


がぶりと唇に噛み付かれて呼吸を食べられる。歯列を割って口内を犯す舌に必死で応えていると、ひやりとした手が顎を撫でた。しばらくして唇を離したアーロンに、息も絶え絶えになりながら問いかける。


「はぁ、は……ど、どこに入れるの……?」
「そうだな……彫り師以外には、おれしか見られねェ場所にするか……」


耳元でそう囁く声に、背中を甘い痺れがぞくぞくと駆け抜ける。手のひらが生き物のようにするすると体を這って膝を割り、内腿をそっと撫でる。


「……あ、」
「シャハハ……いい顔するようになったじゃねェか」
「……アーロン……」


涙目の私を見下ろすその瞳が、ギラリと捕食者の輝きを湛えた。










「先生、お世話になりました」
「いえ、いえ……無事に退院できるようになって何よりです。まだしばらくは、傷が塞がるまで安静にしていてくださいね」
「はい。それじゃ、失礼します」


頭を下げてお礼を言ってから病院を後にする。ずっと怪我を見てくれていたあの人の良さそうな医者と、世話をしてくれた数人の看護師が見送ってくれた。


「歩けるか?ニュ……船まで抱えて行こうか?」
「大丈夫だよ、歩けるって」


たくさんの手に私の荷物を抱えたハチが心配そうに声をかけてくれたので、体調の回復をアピールするためにぶんぶんと大きく手を振って歩く。


「ほらね?」
「おい、無理に動かすな。また傷が開くぞ」
「心配性だなー」
「当たり前だろ、死ぬところだったんだぞ……チュッ」


両脇を歩くクロオビとチュウも呆れたように言う。幹部三人に連れられて船まで歩く私はさながら、黒服に囲まれたセレブだろう。壁がぶ厚すぎる。


「……んふふ、みんな心配してくれたんだね、ありがと」
「……ニヤニヤするな」
「だって、私のこと仲間って認めてくれたんでしょ?ニヤニヤもするって」
「おれはずっと仲間だと思ってたからな!ニュ〜!」
「ありがとね、ハチ」


嬉しくて今にもスキップしそうな私に向けて、隣を歩くチュウが思い出したようにそういえばと声をかけた。顔を上げて視線を合わせると、ニヤリと笑みを作った顔がこちらを見下ろす。


「刺青もらったんだろ?良かったな……チュッ」
「うん!これで堂々とみんなといられるね」
「ほう……どこに入れたんだ?見えるところにはねェようだが……」
「あー……その……丸見えのところに入れると、外でケンカふっかけられて困るかもってことで、外からは見えないところに……」
「なるほどな!お前ェ、ケンカはからっきしだもんな。ニュフフ」
「で、どこに入れたんだよ?背中とか?」
「え、ええっと……」


先ほどまでの勢いは何処へやら……立ち止まりしどろもどろ言葉に詰まってぐっと押し黙った私を、前を歩いていた三人が不思議そうな顔で振り返った。


「……あ?何だその反応は」
「どこに入れたらそんな反応になるんだ……」
「ニュ……人に言えねェようなところなのか……?」
「あの……」


顔が赤くなるのが自分でもわかる。
三人が戦慄したような顔でこちらを見ているのもわかる。


「おい……」
「おいやめろ……そういうオーラを出すな……」
「おい……」
「おい……」
「おい……!」
「なっ……内緒!!」
「あっ、コラ、走るんじゃねェ!」


駆け出した私の後ろから慌てたような声が追いかけてくる。
それがすごくおかしくて、笑いながら船までの道を駆け抜けた。

明日からも私は、あの暖かな場所でパンケーキを焼く。
毎日、毎日、たくさん焼いて、そのうち違う料理も作る。
大好きなみんなが美味しいと言ってくれるところを想像して、きっと毎日練習する。
そんな未来を想像して、そしてそれはきっと、そう遠くない未来の話だ。

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