最果てに沈む

私の問いかけにスマホの向こうはシーンとなった。点けっぱなしのアニメの音だけが二人の間に流れる。
しばらくすると、ミカの笑いを含んだ声が聞こえた。


『……ふふ、』


楽しそうに……というよりは、困った時に誤魔化すような笑いだった。私が怪訝そうに「ミカ」と名前を呼ぶと、咳払いをしたミカがおそるおそる問う。


『あ、いや……その様子だと、思い出しちゃった……ん、だよね?』
「……全部」
『そ、そっかあ……久しぶりで腕が鈍ったかなぁ……』
「答えて、あなたは誰?私に何したの?」
『あー、あー。答えるからちょっと待って……』


電話の向こうで頭を抱えるミカが目に浮かぶ。いや、ミカの顔は知らないんだけど。こちらの咎めるような言葉に慌ててページを捲るような音が聞こえた。


『えっとこの場合……第一九六条第三項の二……今時紙の規約なんて時代遅れだよね……。と、ここだ』


ミカがしばらく黙ってページを読み込む。よくわからないが私もしばらく黙って静かに返事を待っていた。少しして、うんと小さく呟くような声がする。


『この場合は、解説の義務が生じる、か……。うん、はい、あの……ご説明いたします』
「……はい」


私は背筋を正して聞く姿勢に入る。ミカが気まずそうにまたひとつ咳払いをして、どう説明するか考えながら……と言った様子で少しずつ話し始めた。


『まず、この世界には並行世界というものがあってね……』


ミカの説明によるとこうだ。
まず、この世界には並行世界という対になるもう一つの世界の概念がある。地球にとってはそれが、あの広大な海を擁する世界だった。
それは地球と同じ根源を持つが、地球とは違う発展を遂げた世界で、そちらとこちらは持ちつ持たれつな関係にあるという。これは地球とあの海の世界との関係だけではなく、人が認知していないだけで他にも無数の共生する世界があり、神々はそれらを管理しているらしい。


「……ミカは神様、なの?」
『ま、中堅どころって感じだけどね』
「神様にも新米とかベテランとかいるんだ……」
『そうなのよね〜。最近持ってた新人のお世話が終わって久々に一人の案件だったんだけどさ、これがまた大変で……』
「急にくたびれたOLみたいになるな……」


疲れたようにミカは続けた。
共生関係にある世界は数百年に一度、エネルギーの循環が必要になる。その方法とは、それぞれの世界の人間を同時に双方の世界に行き来させることで生じる時空の流れに乗せて、莫大なエネルギーを移動させるらしい。ミカに言わせると、この行き来させる人間を選ぶ作業が一苦労だとか。


『根源の形が近くて、行き先の世界のエネルギーの形に適応できる魂の柔軟さがあり、健康でさくっと死んだりしなさそうな人間をそれぞれ選ばなくちゃいけなくてさ……それ、私が一人一人のデータを見て選ぶんだよ?もうホントしんどすぎる……』
「か、神様も大変なんだね。もっと万能なのかと思ってた……」
『万能になるには出世しないといけないのよ……。で、それでこちらの世界から適合したのが……』
「……私?」
『正解です』


なるほど、そういうことなのか。……そこでふと、ある疑問が浮かんだ。


「待って、ということは……向こうの世界からも一人、こちらに来てる人がいるってこと?」
『ご名答。なまえと同じ年頃の女性が、交換するような形でこちらに来ていたよ』
「そんな……その人も、私みたいに突然放り出されたの?」
『いや、その……それは私のミスで……』
「え?」


しどろもどろになるミカについ素っ頓狂な声が出た。待って、今聞き捨てならない言葉が聞こえたような……。ミカの、ミスで……?嫌な予感がする。


『本当は……仕様書の送付と……転移に関する説明の義務があったんだけどぉ……久々の案件でてんやわんやしちゃって、す、すっぽ抜けちゃったっていうかぁ……』
「ミカ……?」
『本当にごめんなさい!本当はあの後すぐ気付いて向かおうとしたんだけど、なまえ、タッチの差で現地の民と接触してて……そうなるともう、こちらから接触しちゃいけないっていうルールがあって……重ね重ね、ごめん!!』


怒りで痛むこめかみを押さえながらなんとか返事する。すっぽ抜けちゃったで済まされたこちらはたまったものではない。
……とりあえず、あんな大変な思いをした人が他にいないと聞いて少し安心した。


「……じゃあ、こっちに来た人にはちゃんと説明があったんだね?それなら良かった……」
『うん……。こちらで身分を用意して、残りの人生を過ごしてもらうことになってたよ』
「残りの人生……そういえば、転移した先でやらなきゃいけないことって、何かあったりしたの?」
『いや、それは特に無いよ。こちらとしてはエネルギーの交換に媒体となる人間が必要となるだけだから、その後の過ごし方までは指定してないんだ。……本当は転移の際に希望すれば、それに沿って身分や、所謂特典の用意はできたんだけど……』
「ポンコツなの?」


ポンコツなのミカ……!?心の中で思わずもう一回突っ込んじゃったけど仕方ないよね!?私は身一つで放り出されて危うく死ぬところだったんだから……!


「……それで、何でそれがこっちの世界に戻ってくることになったの?」
『……なまえと交換でこちらに来てた女性が亡くなったからだよ』
「え、」
『特異な力を持つ人が多いあちらの世界の出身だけど、転移した後のことも考えて一般的な人間の女性を選んだんだ。こちらの生活にも馴染んでたんだけど、先日、事故で……』
「そ、そっか……」


会ったことも無かったけど、私と同じように異世界で頑張って生きていた……同じ境遇の人。故郷でもないところで事故で亡くなるなんて……言葉が見つからない。


『なので今回のエネルギー交換はキャンセルになったんだ。エネルギーの交換があった後はそれが世界に馴染むまで最低でも三年、生きててもらわなきゃいけなかったんだけど、そうもいかなくなっちゃったからね』
「いや私、転移して早々結構危なかったけど……」
『ご、ごめんね……?それで、エネルギーを引き戻す際になまえもこちらに戻すことにしたんだ。なまえ、こっちに帰りたいって言ってたから』
「それは……」
『……それに、先日は酷い目にも遭っていたみたいだったし……』
「……」


私はグッと唇を噛み締め、既に消えてしまった痣のあった場所を撫でた。
確かに怖い目にあったし、辛い思いも、痛い思いも……。


「……でも、私、それでも……」
『……あっちに帰りたい?』
「……」
『こっちには親も友達もいるのに?』


確かにそうだ。こちらにいればもう、あんな怖い思いをすることは無い。普通に就職して、普通に結婚して、普通にこの平和な国で死んでいける。
……それでも、私の頭に浮かぶのはみんなと過ごした時間だった。
陽気な船員達との何気無いお喋り、料理を褒めてくれるみんなの笑顔……私を優しく呼ぶ静かな声、最後に見た、傷付いた悲しそうな瞳……。


「……私、それでも……。アーロンを一人にしておきたくない……」
『……』
「私に何かできるとは思ってないけど、それでも、アーロンのそばにいたい……私、私……」


止まったはずの涙がまた頬を伝う。
頬が、胸の奥が、喉が焼けるように熱い。


「ア、アーロンのこと……愛してる……の……」


――言葉にすると簡単で、とても重い言葉だった。
ミカはそれを聞くと小さくため息をつく。


『それがなまえの願いなんだね?』
「そ、う……」
『わかった……じゃあ、なんとかしてみる』
「ホ、ホント?あっちの私、死んじゃったんじゃないの?なんとかできるの?」
『本当は後腐れなく戻って来てもらうために、あのまま死んでもらうつもりだったんだけど……』


ミカは一度言葉を切った。何やら含みのあるような物言いだったが……それは本題とは関係無いと踏んだのか、話題は移る。


『……それに、もともとはこちらの都合で押し付けちゃったことだしね、なんとかする手段が無いわけではないし……。でもちょっと横紙破りな方法だから、ただでとはいかないんだ』


思案するようなミカの声を聞いた私は涙を拭って食い気味に返した。


「やる、何でも、何でもする!」
『まあまあ落ち着いて。……初めに転移させる時は、こちらの都合だからもちろんきちんと保護して、場合によっては特典を付与して送り届けるんだけど、今回はなまえの都合で世界間を移動することになってしまうの。その場合それに伴う対価が必要になってくる』


壁時計が時間を刻む音がやたら大きく部屋の中に響いている。点けっぱなしだったアニメは、いつの間にかエンディングを迎えようとしていた。


『……本当は世界を越えるにはそれなりの対価が必要で、大昔は生贄を何人か……』
「い、生贄!?」


思いもよらなかった答えに、自分だけの命ならどうとでも頑張るが他人の命がかかってくるのはちょっと……と戸惑っていると、ミカが安心させるような声色で言う。


『大丈夫、今回なまえがまた移動してくれることで、実はキャンセルになったエネルギーの循環がまたできることになるんだ』
「そうなの?」
『うん。だからなまえがこちらからあちらに行く分には、循環の作用と相殺になって対価は必要無い。だけど、あちらからこちらにエネルギーを循環させるためには対価が必要になる。その分を支払ってもらわなきゃいけない……んだけど、私の方でなんとか負荷を減らすようにしてみるよ』


あ、もちろん上の人には内緒ね、とミカは悪戯っぽく笑う。思わずつられて小さく笑うと、ミカが「笑ってくれてよかった」とおどけたように言った。


「……それで、対価って何が必要になるの?」
『多分、身体的機能の何かになると思うよ。私が負荷をどこまで減らせるかで変わってきちゃうけど……。半分くらい減らせれば、全身麻痺程度で済むと思う。もっともっと減らせれば、視力の喪失程度で済むかも』


言われた言葉にゴクリと唾を飲み込む。……それは、あまりにも重い選択だった。
しばらく黙り込んでいると、ミカが静かにもう一度問いかける。


『……それでも、行く?』
「……い、…………行く……」
『……わかった。本気なんだね』


私の意志が変わらないとみるや、ミカはため息をついて小さく呟く。
……もしかしてミカなりに心配してくれているんだろうか?


『……じゃあ明日の夜、転移の手続きをするね。……その間に、こちらでやり残したことが無いように過ごすといいよ。……自分の都合で世界を渡るということは、自ら望んで存在を消すということだから』
「つまり……」
『あっちに行ったら最後、こっちに二度と戻って来られないし、こちらの世界でのなまえの存在も無かったことになる』
「……!」
『今後何かあったとしても今回のように何事も無かったように再スタートすることはできないし、死んだらあちらの世界の法則に則って導かれることになるよ。……つまり、輪廻転生の輪には入れないってこと』


私はしばらくして、小さく「わかった」と言った。
声は、震えてはいなかっただろうか。


『……じゃあ、明日の夜同じ時間にまた連絡するね。……それじゃ』
「……うん、また明日」


友人とするような挨拶を交わしミカとの電話を切った後も、しばらく呆然と座り込んでいた。テレビはとっくに再生を終えている。
テーブルの上の食べかけのオムライスを眺めながら、指先はおもむろに連絡先を辿っていた。


「……あ、もしもし、お母さん?うん、久しぶり……突然ごめんね……」










「……もしもし、ミカ?」
『うん、昨日ぶり。……今日は一日どう過ごした?』
「ん……実家に帰ったよ。お父さんとお母さんの顔見て、オムライス食べて、友達と連絡取って、部屋の掃除した」
『おー、めちゃ活動したね』
「あと、一番お気に入りの地元のパンケーキ食べ納めた」
『あっちの世界に糖尿病が無いからって、甘いものばっかり食べ過ぎちゃダメだよ……』
「あ、あっちって糖尿病無いんだ」


いいこと聞いた、と笑うとミカもつられて笑った。これで心置きなくパンケーキ三昧の生活ができるってもんですよ。
ひとしきり笑ったミカがさて、と続ける。


『……それじゃ、準備はいい?』
「……うん」


私はスマホを耳に当てたままベッドに横になった。緊張で早くなる心臓をなだめるように、胸に手を置いてぎゅっと拳を握る。深く息を吐いてミカの声を待った。


『次に目が覚めたら、なまえは向こうにいる。……あっちの体は死んではいないけど、最後に大怪我してたから弱ってる。さらにそこに何かしらの欠損があるはずだから、かなりダメージは大きいと思うけど……』
「……うん、大丈夫。お願い」
『……わかった』


ミカは静かに、聞き慣れない言葉をいくつか囁いた。
ゆっくりと眠くなってくる頭で私は最後にミカに聞く。


「ミカ……って名前、どこから来たの?」
『神様、神、カミ……ミカ、かな?』
「連想ゲームじゃん……」


目を閉じた私の耳に、電話の向こうでミカがうふふと笑うのが聞こえた。

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