人間は二度死ぬ

「……っ、と、と!」


――危なく転ぶところだった。
私は体勢を立て直しながら、就活のために買ったばかりのパンプスを履き直した。こんな人混みの中でコケたら恥ずかしくて自尊心が死ぬ。慣れないパンプスはあんまり足に合わない。
と、カバンの中のスマホが震え、端に寄って中を探る。着信画面にはミカ≠フ文字があった。


「もしもし、ミカ?」
『やほ〜なまえ、今日の面接どうだった?』
「いやー……午前中は微妙だった……午後はもうちょっとなんとか手応えが欲しいかな……」
『あらまあ、前途多難だね』
「勝手に多難にしないでよ〜……」


新宿駅の人混みを眺めながら他愛も無い話をする。午後の面接の前に、伝線したストッキングを履き替えてどこかで軽食でも採ろう……と疲れた頭の隅でぼんやり考えた。


『じゃ、就活落ち着いたらまた遊ぼうね』
「うん、ありがとミカ。またね」


通話を終えて、目指していた山手線のホームへ向かう。
今日はあと一社、明日はまた二社。あーあ気が重い。










「ただいまあ……」


ヘトヘトで一人暮らしの部屋へ帰ってきた私は、カバンを床にぶん投げて冷蔵庫から発泡酒を取り出した。
勢い良く開けた缶の中身をグビグビと喉に流し込む。キンキンに冷えてやがるっ……!!一気に飲み干してぷはっと息を吐いた。


「あー……オッサン化が進む……」


ぐいっと口元を拭い、自分に一人ツッコミをしてフッと笑う。一人暮らしになってから独り言が増えて仕方ない。シャワー浴びてさっさと寝よ……。


「……ん?んん?」


脱衣所で服を脱いで鏡を見ると、見たことの無いものが現れた。何これ……手形?痣?
腰のあたりにまるで強い力で誰かに掴まれたかのようにくっきりと赤黒い痣が付いている。エッ怖……。しかも人間のサイズじゃなくない?何これ泣きそう……。
意味不明すぎて、慌てて半泣きでミカに電話をかけた。


『なまえ?どしたの?』
「ミカぁ……聞いてよ〜!」


電話に出たミカにべそをかきながら腰の痣のことを話す。一通り早口で捲し立てた後、改めて鏡で見ながらスマホの向こうに震える声で話しかけた。


「ねえ、これ何だと思う?まさか……お、おば……」
『あー……そんなところにまで……』
「何その意味深なセリフ!?」
『なまえには黙ってたんだけどね……それはこの間、私が某県の山奥の集落へ向かった時のことでした……』
「ちょっと待って!もしかしなくても今怖い話しようとしてるでしょ!?絶対ダメだからね!!」
『その村ではね、オヤシロ様っていう神様が信仰されてて……』
「ダメダメダメホントにやめて!私はなんにも聞こえな〜い〜!!あらっつぁっつぁ〜や!りびだびりんらばりったんりんだんれんらんどぅ〜!!」
『いやそれは古いって』


スマホの向こうでミカが笑う。
くうう……私がホラーが大の苦手だって知ってるのに悪い女だ……。これからお風呂に入るのにホントに勘弁して欲しい。


『嘘だよ、嘘。どっかにぶつけたんじゃない?』
「でもホントに手形なんだって〜……」
『そう思い込むからそう見えるんだよ』
「ううっ、何でこんな目に……今日のいいことは新発売のグミが美味しかったことくらいしかない……」
『怖いなら泊まりに行こうか?』
「うっ……ううん、大丈夫……。ありがとね」
『そう?ならいいんだけど……。明日の面接も頑張ってね』
「うん、ありがとう。遅くにごめんね……おやすみ」


パニックから少し落ち着いて、通話を終えてため息をつく。
改めて鏡の前で痣を見てみるがやっぱり手形にしか見えない。その大きな痣を手のひらでそっとなぞってみる。


「これ……消えなかったらどうしよう……」


ポツリと呟いた言葉は換気扇に吸い込まれていった。
……大丈夫大丈夫!おばけなんてな〜いさ!おばけなんてう〜そさ!
速攻でお風呂を終わらせて、その日は家中の電気を点けて寝た。










「疲れた〜!」


今日も今日とて帰ってきて早々に発泡酒を開けた。
っぷはー!やっぱ人生、この時のために生きているようなもんよね!まあ私が飲んでるのはエビスじゃなくて発泡酒ですけど……。
謎の痣事件から一週間経ち、腰の手形も三日程でスッキリ綺麗に消えた。ひと安心だね。
そして毎日ゾンビのような生活をしている私だが、今日はいつもよりちょっとだけ元気だ。なんたって明日はお休み!面接もなし!!束の間の休日だァ!よォ〜し積みアニメ消化するぞ〜!!
すると、るんるんでシャワーを終えた私のお腹が小さくぐうと鳴る。


「うーん、アニメの前に何か食べるか……」


久しぶりにお母さんのオムライスが食べたいな……。お正月に帰って以降、実家には顔出してないや。
冷蔵庫を開けてオムライスの材料を取り出す。まあ、私パンケーキ以外はホントに何にも作れないんだけど……とりあえずオムライスの形をしたものが食べたかった。


「あ……あれ?あれ?」


調理を始めて少しして、自分の手際の良さに思わず目を見張る。
記憶の中にある限り最後に作ったオムライスはケチャップライスはびちゃびちゃのチキンはパサパサで、上には卵焼きかと見紛うばかりの立派な厚焼き卵が鎮座していたはずだ。
それがどうだ。今目の前にあるオムライスは美術品と言っても良いくらいの完成度で、美しく黄金色に輝く立派な楕円形だ。


「おっかしいな……私ってこんなに料理できたっけ?」


――ま、食べられるものができたなら良いか……。
疑問を残しながらも、芸術品の如く完璧な姿のオムライスをワンルームのテーブルへ運んだ。マグカップにカップスープを作り、気持ちばかりの千切りレタスも皿に盛る。


「いただきまーす」


リモコンを操作してアニメを選びながらオムライスを口に運ぶ。お母さんのオムライスとは違う味だけどこれもかなり美味しい。あー、このアニメ何話まで観たかな……。
もぐもぐと咀嚼しながら再生ボタンを押すと、日曜の朝に相応しいハピハピな音楽が流れてきた。魔法少女頑張れ〜!
しかししばらく食べ進めていくうち、不意に頬に濡れた感触があった。


「ん……?」


驚いて顔を触ると……なぜか涙が頬を伝っている。
アニメはまだ始まったばかりで感動するようなシーンでもない。


「えっ、な、なに……?」


パニックになりながら顔を両手で押さえると、堰を切ったように涙がとめどなく溢れてくる。
ストレスで情緒がぶっ壊れてしまったのかと思って焦っていると、不意に頭の奥深くに引っかかりを感じる。まるで、忘れたことを思い出したがっているかのように……。
それが何なのかを考えていると、突然、存在しない記憶が走馬灯のように流れ出した。


「な、に……何なの……うっ……!」


頭を押さえてぎゅっと目を瞑る。
まるで誰かの記憶を隙間から覗くような、細い糸を必死に手繰り寄せるかのようなその心許無い映像はしばらく脳内を駆け回り……そして水の底へ沈んで消えた。


「う……うぅ……」


嗚咽の漏れる口を押さえて蹲る。
――今のは一体なに?
あそこで笑っていた私は誰?
あの記憶は何なの?
どうしてこんなにも悲しいの?
何で、何で、何で……。


「わた、し……死んだの……?」


口に出すとそれが突然、現実味を帯びて背中にのしかかる。
私は、あの記憶の中の私は、あの時海に落ちて死んだ……?


「あ、う、う……」


泣きじゃくる息継ぎの合間にはくはくと口が動く。
――思い出せ、思い出せ、思い出せ……忘れちゃいけないこと、大事な人の、名前……。


「……あ、」


喉の奥から空気の掠れた音が漏れる。


「アー、ロン……」


その瞬間、足りていなかったパズルのピースがぴたりとはまった時のように、朧げだった記憶が鮮明に甦った。大海原での鮮やかな思い出の数々が脳裏を駆け巡る。


「アーロン、アーロン……!あぁ……」


強い喪失感が胸に込み上げてきて、腕に顔を押し付けてわんわん泣いた。
――……思い出した、思い出してしまった、思い出せて良かった、思い出したくなかった、こんな、こんな気持ちになるなら。
しばらくそうして泣いていると、テーブルの上のスマホが震えて着信を告げる。顔を拭ってしゃくり上げながら画面を見ると、ミカからだった。なるべく呼吸を整えて通話ボタンを押す。


「……も、しもし……」
『もしもし、なまえ?』
「ミ、カ……」
『うわ、どうしたの?泣いてる?』
「ミカ……」
『何かあったの……?』


私はひとつ深呼吸すると、ハッキリ声に出した。


「ミカ、あなたは誰なの……?」


失った記憶を取り戻して、もう一つわかったことがある。
私には、ミカという友達はいない。





『……ふふ、』

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