ナイフとフォークで朝食を

「パンケーキ……パンケーキが焼けます……」


絶体絶命のタイミングでパンケーキスキルをアピールする女はまあいないんじゃないかと思う。
学生時代に私の中で空前絶後の大ブームが巻き起こり、極めに極めたパンケーキに命を救われることになるとは思わなかった。……まあ、正確に言えばパンケーキに命を救われたというよりは、あまりにもバカバカしいアピールに殺す気も失せたというところだろうけど。


「なまえ」
「おはようクロオビ。いつものでいい?」
「ああ」
「おう、なまえ」
「チュウおはよー。今日は昨日と違うトッピングだよ」
「いいな」


寝起きの良いクロオビがいつも通りの格好で挨拶をする後ろから、あくびを噛み殺したチュウが髪を撫で付けながら食堂へ入ってくる。二人が起きてきたってことはもうそろそろ……。


「ニュ〜、おはようなまえ〜」
「おはよハチ」


予想通りハチが入ってきた。他の船員達も続々と起き出してくる。
あらかじめ準備しておいたパンケーキを焼き上がりと同時にそれぞれの皿に乗せて手渡していく。うわっ……全員の好みの種類と焼き加減を覚えている私のお母さんスキル、高過ぎ?
ここはパンケーキ食堂。朝から全員分のパンケーキを焼くのが私の仕事である。……なーんちゃってそんなメルヘンな始まりじゃあないんだな。ここは海賊船だし船員は全員魚人である。しかしいかつい顔の船員達はみんなパンケーキが大好物だ。パンケーキ海賊団。ウケる。
あらかじめ言っておくと私はパンケーキしか焼けない。大学時代の料理スキルをパンケーキに全振りしたお陰かそれ以外の料理はザ・男料理みたいな感じである。


「……うん、やっぱり一番はクラシックだな」
「何だと?ハワイアンパンケーキと生クリームのハーモニーを知らないとは哀れなやつだ」
「いやそんなことで喧嘩しなくていいから……」
「おれなまえのパンケーキは何でも好きだぞ〜」
「ありがとハチ」


ガヤガヤと騒がしい食堂をぐるっと見回すも、ひときわ大きな姿が見えない。フライ返しで狐色の生地をぽんとひっくり返しながらため息をつく。


「ま〜た一人だけいつまでも寝てるの?困ったさんだなうちの船長は」
「……あの人をそんな風に言うのはお前だけだぜ、なまえ」
「怖いもの知らずというかなんというか……」


クロオビとチュウが顔を見合わせて呆れた顔をする。
いやまあ確かに困ったさんとかいう可愛い風貌ではないけれども。


「起こしてくるね。お皿空いたらシンクに下げといて」


エプロンを外しながら言うと、ハチが了解と手を挙げた。
体の大きな船員達が暮らすシャーク・スパーブ号は船内も広い。平均サイズの人間である私にとっては大きな廊下、重い扉。
小走りでたどり着いた廊下の奥には一段と大きな扉が佇んでいる。――この船の中でこれが一番重いんだよね……――気合を入れて腕まくりする。


「どっ……こい……しょ!」


掛け声に色気は求めないで欲しい。
だだっ広い船長室の隅のこれまた大きなベッドで、部屋の主は窓から射す光も意に介さず寝こけている。


「アーロン、朝だよー」


一声かけるが起きる様子は無い。この巨体の魚人はどうも朝に弱い。
どうでも良いけど海賊ってどうして上半身裸で寝るんだろ?今は春島の航路に入っているとはいえほどほどに寒いのに。そういや他の船員もみんな薄着だ。海賊にはまさか風邪の概念が無いのだろうか……いやそんな馬鹿な。今度聞いてみよう。


「アーロン」


近付いて肩を突いてみるもやはり起きる気配はない。いつもはこれで不機嫌そうに起きるのに、今日は根気が必要な日のようだ。
放り出された腕を軽くタップする。私とは違う青い肌は、やっぱり私とは違って厚くて頑丈、そして少し冷たい。寝顔は普段の意地悪そうな悪人顔と違って穏やかだ。いつもこんな顔してれば良いのに。


「おーい、そろそろ起きませんかあ」


……起きないな。以前急にバーンと起き上がられて死ぬほどビビったのでそれ以来静かに起こすことにしている。
ベッドに腰掛けてアーロンの片手を取り、膝に乗せる。手ェめっちゃ大きいな、うちわかな?私の両手でようやく覆える手のひらの中央を指関節で指圧する。こいつは眠気を覚ますツボの労宮ってヤツだ。
水かきのある手のひらをマッサージしながら今日の予定を頭の中で整理する。と言っても、いつも同じ内容なんだけど。
――朝ご飯の後は食堂の掃除と貯蔵室の整理、食料品のストックの残量も確認しておかないとなあ……みんなよく食べるし、食事当番と今週の配分のペースを相談しないと。あ、明日は曇りの予報だし、今日のうちに洗濯物もしておかなくちゃ。水かきって思いの外柔らかいというか薄い?もっと硬いのかと思ってた。あー窓から見える空が快晴。早くまた暖かい島に行きたいなあ。次に降りた島で新しいワンピースを買うんだ……。
とりとめのないことを考えながらアーロンの顔をチラリと見やると、こちらをジッと見る目と視線が合った。


「びっ!……くりした……。起きたなら言ってよ……」
「いやなに……いつも通り間抜けな面だと思ってな」


起き抜けに人の顔面をディスるんじゃない……。上半身を起こしたアーロンが気怠げに欠伸をするのを立ち上がって見ていると、不意に声がかかる。


「おい」
「ん?」


無言でこちらに伸ばされた手をうっかりチベスナ顔で見てしまう。引っ張り起こせって?無茶言うな……あなた二百キロ以上あるでしょたぶん……。
しぶしぶ両手を掴んで力を入れた瞬間、逆方向にものすごい力で引っ張られる。


「ぎゃ!」


ぐんっとシーツが眼前に迫ってきて、受け身を取る暇もなく顔面からダイブする。放り投げた張本人はというと、投げた勢いをそのままに入れ替わるように立ち上がった。


「〜〜ッ、アーロン!!」
「シャッハッハッハ!!」


高笑いしながらアーロンがつんのめった私のお尻をひと叩きする。やめなさい!!
立ち上がってお尻を庇いながら抗議の視線で睨むも、あちらの視線は既に別の方向を向いていた。


「さっさと行け。飯の用意が済む頃行く」


クローゼットへ向かいながらシッシッと追い払う仕草をされる。きさま覚えてろよ……。
部屋を出て食堂へ足を向ける。向かう先からは、朝食を終えた船員達が持ち場へ移動するために続々とやって来るところだった。


「ん、アーロンさんもうすぐ来るのか」
「今日は時間かかったな」


すれ違う私を見て船員達はアーロンの動きを把握するらしい。食堂に入ると残っていた者は慌てて残りをかき込む。……別に誰か残ってたってアーロンは怒ったりしないと思うけど。
エプロンを着け直し、作っておいたメレンゲを生地に混ぜ込む。何枚もの生地を一度に焼くための大きめのフライパンを火にかけ、生地をスプーンで落とした。しばらく焼いたり蒸したりしていると、ニュース・クーから受け取った新聞を持ってアーロンが食堂へやって来た。キッチンに一番近いテーブルに腰を下ろすと新聞を広げる。行動は完全に休日のお父さんだが、目の前にいるのはれっきとした賞金首だ。
コーヒーを淹れてテーブルに出すとあからさまに微妙な顔をする。今日はコーヒーの気分じゃなかったらしい。悪いけど今日はそれ飲んでください。
シンクの洗い物もあらかた片付いた頃、アラームが焼き上がりを知らせる音が響いた。蓋を開けると……うーん、幸せの香り。私はふわふわのスフレパンケーキが一番好きだ。
膨らんだ二人分のパンケーキをそれぞれ皿に乗せてテーブルへ出す。自分のコーヒーを淹れて席へ着くと、アーロンは新聞を読みながらパンケーキを既にひとつ食べ終わっていた。


「いただきます」


静かな食堂に二人分の食器の音と、時々新聞をめくる音だけが響く。甲板からは遠く波の音と仕事に励む船員の声が聞こえる。窓の外には雲ひとつ無い。


(……船上生活、慣れるもんだな)


思いがけず海賊船に乗ったパンピーの感想としてはズレているだろうか。こちらに来てから自分の神経の図太さには何度も助けられた。

遅ればせながら、私は今流行りの(?)異世界転移者だ。名前はみょうじなまえ。
一年前、私がチート特典もハーレム属性も無くトリップさせられたのは、世界観はファンタジー、世はまさに大海賊時代という、治安最悪の世界だった。

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