海の片隅で目を閉じる

「はい、スフレお待たせ」
「ああ、ありがとう」


焼き上げたパンケーキを皿に乗せてテーブルへ運ぶ。お礼を言って受け取った船員は早速、昨日島で買ったメープルシロップの小瓶を手に取った。
秋の航路を抜け、春島を通り、今は冬島の冬に停泊している。冬島の冬は流石に寒い。背筋に走った寒気を逃すように身震いすると、新調した厚手のワンピースの襟元をきゅっと締めた。船員達は相変わらずみんな薄手である。魚人つおい。


「ん、これいけるな」
「でしょ?メープルシロップはこの島の特産品なんだって。昨日島で食べたパンケーキにかかってて、すっごく美味しかったからつい買っちゃった」
「お前、外出してもパンケーキ食うのか……」


昨日はこちらの世界へ来て初めての雪に大はしゃぎして子供のようにめちゃくちゃ遊んだ。街へ行って服を買った後、港でハチと雪合戦したのだ。すっごく楽しかった……だけどそのせいか、起きてから若干体調が悪い気がする。いやそんなところまで子供じゃなくて良いです。
今日は食料の補給に関して食事当番と相談があるから、それが終わったら静かに寝てよう……。


「ごちそうさま。美味かったよ」
「お粗末様。そこに置いといて」


朝食を終えた船員達が仕事のために次々と食堂を出て行く。
食堂に一人になってしばらく。シンクの片付けがあらかた終わる頃、アーロンが欠伸をしながら起き出してきた。


「おはよ。何にする?」
「何でもいい」
「じゃ、私と同じのにするね」


いつもの返事に自分の分と二人分の生地をフライパンに流し入れた。ふんわり焼き上がったパンケーキを乗せた皿を紅茶とともに運ぶと、他の船員と同じようにメープルシロップの小瓶を勧めた。


「……それでね、ちょっと高かったんだけど……やっぱり食べてみて美味しかったからこっちのゴールデンがオススメ……」
「お前、体調悪ィのか?」
「え?」


話を遮って唐突に言われた言葉についキョトンとすると、伸びてきた手が私の額を触る。ひんやりと心地良い感触に、ほうっと息を吐いて目を細めた。


「熱がある」
「あ、そう?ちょっと寒気がするかなーって感じだったけど……」
「飯食ったら大人しく寝てろ」
「ん、でも今日はちょっとやることあるから……そんなに体調悪くないし、それが終わってから寝るよ」


誤魔化すように自分のパンケーキにメープルシロップの瓶を傾ける。
アーロンはそんな私をしばらく眺めていたが、やがて諦めたように自分の皿に手を付けた。










「じゃ、おれ達はこれから買い出しに行ってくるから」
「よろしくねー」


甲板を降りる当番達を見送るとコートの袂を押さえて身震いする。……何だか、だんだん体調悪くなってきた気がする。
若干のふらつきを覚えながら自分の部屋へ戻ると、ラフな格好に着替えてベッドへ入った。船医が戻ってきたら診てもらわなきゃ。
……そうしてどのくらい時間が過ぎたのだろうか、喉の渇きを覚えて微睡みから覚醒する。上半身を起こすと頭がガンガンして世界が揺れていた。あー……これは完全に風邪ですわ……。
フラフラと起き上がって上着を羽織ると、なんとか部屋を出て壁伝いに食堂へ向かう。停泊しているので大したことはないはずの船の揺れが、グラグラと脳を振り回す。ウッ、吐きそうかも……。


「大丈夫か?」
「ちょっと風邪みたい……移るといけないから部屋で寝てるね。ご飯手伝えなくてごめんって、当番に伝えておいてくれない?」
「ああ、わかった」


ピサロが声をかけてきたので努めて明るく返事をした。変に気を遣わせても悪いしね……。食堂で水差しを調達して部屋へ戻るとまたベッドに潜り込んだ。朝は寒気がしていたのに、今となっては大汗をかいている。ヤバい風邪とかじゃないと良いんだけどなぁ……。こっちの病気訳わかんないの多いし。
心の中で昨日の自分を叱りながらまたゆっくり目を閉じた。










「……!」


不意にひやりとした感覚で目を覚ます。
ぼんやりした頭で部屋を見渡すと、窓の外はもうすっかり暗い。違和感を覚えて額に手をやると濡れたタオルが指先に触れた。


「うん……?」
「まだ寝てろ」


ベッドサイドから聞こえた声に顔を向けると、アーロンがソファで本を読んでいた。
寝ている私を気遣ってか、倉庫時代からの相棒であるオイルランプで手元を照らしている。


「あれ、今何時……?」
「もう夜中だ。だから寝てろと朝言ったろ」
「ご、ごめんなさい……」


本を閉じたアーロンが近付いてきて私の頬を触った――火照った体にひんやりした手が気持ち良い――大人しく目を閉じてその手に顔を寄せる。


「アーロンの手……気持ちいい……」
「何か食えるか」
「んー……お腹すいてない……」
「船医は季節風邪だろうと言ってた。食って薬飲んで寝ろ」


そう言うと、テーブルからいつものスープの入った器を取り上げた。上半身だけ起き上がった私に有無を言わさず押し付けてくる。お腹が空いていないところにいつもの味気無いスープを食べる気にはならない……。


「食べたくない……」
「ワガママ言うな」
「やだ……」


唇を引き結んで顔を背ける私にアーロンは無言になったかと思うと、突然ぬうっと伸びてきた腕に顎を掴まれる。驚く間も無く力ずくで口を開かされた。


「んァ!?」
「おれの言うことには従えと言ったろ」


そう言うが早いか、匙を口の中に押し込まれる。出汁も効いていない薄い野菜スープの味が口の中に広がった。仕方なく咀嚼して飲み込むと、また次の匙が突っ込まれる。


「じ、自分で食べられる……」
「黙ってろ」
「ム、……」


そのまま最後まで口に匙を運ばれ続けた。まるで親鳥に餌をもらう雛の気分だ……。薬まで口に突っ込まれたら堪らないのでそちらはすぐに受け取って飲み干す。
再びベッドに横になりシーツを肩までかけると自然と眠気が襲ってきた。季節が急に変わるこの海で、やはり溜まっていた疲れが出たんだろう。


「アーロン今日優しいね……」
「おれはいつも優しいだろうが?」
「……」


本から視線を上げずに返されたその言葉は本気なのかツッコミ待ちなのか……私にはわからないよ……。
小さく笑いが漏れたのを咳払いで誤魔化すと話題を変える。


「風邪移ると大変だからさ、部屋戻ってていいよ……」
「お前ほどヤワじゃねェよ」
「……じゃあ私が寝るまでそこにいて……」
「ああ」
「……あと、手握って……」
「……」
「……それと、暑いから一緒に寝て……」
「お前今日は注文が多いぞ」
「……怒った?」


こまでワガママを聞いてくれるか試してみると、アーロンはため息をついて本を置く。
ちょっと言い過ぎたかな?と思った私のシーツを引っ剥がすと、その大きな体を隣のスペースに押し込んだ。


「わ」
「狭ェ、詰めろ」
「もう端っこだよ」


ベッドに全身が収まらないアーロンは膝を丸めて私を抱き抱えるようにして横になる。その巨躯には小さ過ぎるベッドの上で、アーロンの冷たい脚と私の熱い脚が絡まった。


「お前熱いぞ」
「熱あるから……」


急に恥ずかしくなってきて目を伏せる。熱の行動力怖い。いや、いつもこの状態で寝てるけど。
自分の心臓の音に耳を澄ましながら目を閉じていると、不意に冷たい手が伸びてきて私の手を掴む。驚いて目を開けると、感情の読めない顔がこちらを見下ろしていた。


「お前が繋げと言ったんだろうが」
「……う、ん。そう。……そうです、ふふ」
「何だ」


思わず小さく笑うと怪訝な声が問いかけた。今度は溢れる笑いを誤魔化さずに続ける。


「心配してくれてありがとう」
「…………誰がするか」


もう寝ろ、とシーツを頭まで被せられる。私はなおも小さく笑いながらアーロンの胸にぴったり額を押し付けた。
ゆっくり脈打つ心臓の音が聞こえる。いつものように私の髪を梳く指の感覚と、規則的な心音が子守唄のように眠りへと誘った。

……何も持たず放り出されたこの広い世界の真ん中で、私にとっていつしか、ここが一番安心できる場所になっていた。

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