明かりを灯して歩けよ乙女
その日はアーロンが航海士と針路について話し合うために部屋を出て行ったので、寝るまでの話し相手を失った私も部屋を出て船内をふらふらと散歩することにした。夕食から数時間の船内はまだ明るく、みんながそこかしこで思い思いに過ごしている。
目的も無くふらりと甲板へ出ると、夏の生ぬるい風を全身で浴びた。
「ぷはー!湿気がすごい!」
潮風で絡まる毛先を解しながら船首へたどり着くと船縁から夜の海を見下ろす。今日は半分ほどの大きさの月が登っていて、真っ黒な波が立つ海面を明るく照らしていた。
こちらの月は元の世界よりも少し大きい気がする。潮の満ち引きは引力と何か関係があると聞いたことがある。海が大きいのが原因だろうか。そうなってくるともちろん星座も違ってくるもので、私の知っている星座はひとつも見つからなかった。
「あれがデネブ・アルタイル・ベ〜ガ〜君は指差す夏のだいさんか〜く〜」
鼻歌を歌いながら空を見上げてみるがやはり夏の大三角は見当たらない。北極星に近いものはあるらしくそれは南に位置しているらしいが、元の世界とは比べ物にならないくらい星が多すぎてどれだかわからん。
指先で明るい星を突いてみながら探していると後ろから声がかかる。
「何してんだ?こんなところで」
「シオヤキ!おつおつ〜」
「風邪ひくぞ」
「少ししたら中に入るよ。シオヤキは今日は不寝番?」
「ああ、これからが本番だ」
シオヤキはそう言ってぐびりと酒瓶を呷った。お酒飲んだら眠くなっちゃうんじゃないかな……と思ったけど、まあこの人の場合通常運転だったわ。
「ねえねえ、どれが北極星?」
「北極星?……南の星のことか?」
「そうそう」
「それなら……あれだな」
シオヤキが指差す先にはひときわ大きな明るい星があった。ひときわ大きくて明るい……気がする。やっぱり私には航海術の才能は無いかもしれない。
「なるほど……じゃああっちが南なんだ」
「そういうことだ。お前、突然星に興味持ったのか?」
「ていうか、星座かな?どれが何座?」
「星座かァ……おれも詳しくねェんだよな……」
しばらくシオヤキが多分あれが何座でこれが何座と教えてくれて、最終的にはそこの星を繋ぐとたい焼きに見える……などと盛り上がってしまった。そうして遊んでいるうちに夜風に晒された体は冷え、背筋がぶるりと震えた。
「へぶしっ」
「うお、汚ェな。……お前もう中入れ」
「うん……邪魔してごめん。不寝番頑張ってね」
「ああ」
シオヤキに別れを告げると手を挙げて応えてくれる。船内へ足を向けた私は食堂に向かうことにした。冷えた体を温めるために、寝る前にホットミルクでも飲もう。
食堂へたどり着くと、端っこのテーブルを数人が囲んでカードゲームに興じていた。この船ではよく見る光景だ。
近付いてコインとカードが散らばるテーブルを覗き込む。
「何してるの?」
「おうなまえ。ポーカーだ、お前もやるか?」
「んーん、今日はいいや」
ちなみに私はポーカーがめっぽう弱い。ルール覚えたての初心者にもみんな容赦無いんだよね。酷だ、残酷です。
キッチンへ立つとミルクを鍋にかけて温める。少しのお砂糖も入れて甘くしてしまおう。へっへっへ、この背徳感が堪りませんなあ。
「誰か他にホットミルク飲む人いる?」
「いいや、おれ達にはこれがあるからな」
と、掲げられたのは酒瓶だった。ここにもまたお酒を飲んでいる人がいる……海賊ってやつは……。
でき上がったホットミルクのカップを持って近付くと、クロオビ、船医、カネシロがテーブルを囲んでいる。珍しい組み合わせだ。
「どういうメンツ?」
「酒がしこたま飲めるやつ。ホントはシオヤキも誘ってやりたかったが、あいつは今日不寝番なんでな」
「ああ、さっき甲板で会ったよ」
どうやら賭けポーカーらしい。それぞれの目の前にはグラスが置かれており、勝った人にはお金が行き、負けた人はそれでテキーラをキメるらしい。うへえ。
「誰が勝ってるの?」
「おれだよ」
船医がニヤリと笑って目の前のコインの山を指差す。なるほど他の二人よりひとまわりほど大きな山だった。
私はしばらく、三人がお喋りをしながらポーカーをする様子をボーッと眺めながらホットミルクをちびちびすすった。
「早くカジノのある島に行きてェな」
「ああ。もう半年もご無沙汰だ」
「なまえ、お前はカジノに興味あるのか?」
「行ったことないから、一回くらいは遊んでみたいかなぁ」
「お前、弱そうだけどな」
「違いねェ。カモにされるなよ」
三人が顔を見合わせて笑う。うーん、私もそう思う!意見の一致!
反論できない言われように、マグカップに口を付けながら小さく苦笑いした。
「上がりだ」
「またお前か……ってことは、トータルで最下位なのは……」
「おれだ」
クロオビが肩をすくめる。カネシロがニヤリと笑って酒瓶を差し出すと、クロオビの持つショットグラスに並々とテキーラを注いだ。
ちなみに魚人サイズのグラスなので、私から見るとマグカップサイズだ。クロオビはそれを呷って一気に飲み干すと顔を顰めて笑う。
「効くな」
「全然顔色変わってないじゃん……」
「お前も飲むか?」
「遠慮します……!」
お誘いに慌てて手元のホットミルクを飲み干して立ち上がった。このままではなし崩しでゲームに参加することになるかもしれない。
シンクへ赴いてカップを洗うとそそくさと食堂の入口へ向かう。
「じゃ、そろそろ行くね」
「ああ」
立ち去る私を三人は手を振って見送ってくれた。
シャワーと歯磨きを終えてさて寝るかと思いながら廊下を進んでいくと、窓を開けてタバコを吸っていたチュウとタケがこちらを振り返って声をかけた。
「よう、寝るのか?」
「うん。また珍しい組み合わせだね」
「そうか?」
「タケとは時々つるんでるぜ。チュッ」
「あはは、二人ともスフレパンケーキ好きだもんね。趣味似てるのかも」
笑いながら言うと、二人も確かにと笑いながら返す。
しかし続く何の話をしていたのかという問いに二人は顔を見合わせて言葉を濁した。なに、気になるじゃん……。
「あー……」
「……女の前ではしづれェ話だな」
「あーわかった、オッケー」
「物分かりが良くて助かるぜ」
「大人ですから」
そう言った私の答えに二人はまた顔を見合わせ、プッと吹き出した。ちょっとちょっと、失礼ですよお二人さん……。
「そうかい、大人か」
「ぎょほほ……まあ、自称成人だからな」
「自称じゃないし。成人だし」
「そうかそうか……それじゃ、大人のなまえよ、試してみるか?」
チュウが差し出したのはシガレットケースだった。なるほどそう来たか。確かに、海風に煙を棚引かせてタバコを吸う大人の女性……かっこいい……。けれども私は首を振って遠慮する。
「パンケーキを食べる舌が鈍っては困るので」
「ハハハハ!そうかよ」
「そもそもパンケーキが好きな時点で子供舌だなあ?」
「みんなだってパンケーキ好きじゃん!」
思わずむくれると、チュウが私の頭をワシワシと撫でた。せっかくお手入れした髪がぐしゃぐしゃにされる。コラコラ女の子(笑)の髪はもっと丁寧に扱わんか〜い!
「お子様はもう寝る時間だ」
「チュウそんなに歳変わんないじゃ〜ん〜!」
「おれのが歳上だろ」
ぐりんぐりんと揺らされる頭から手をどけて手櫛で髪を直すと、タケがおやすみと言った。その手には既にもう一本新しいタバコが用意されている。
「うん、おやすみ。吸い過ぎには気を付けてね」
「ああ。……アーロンさんによろしくな」
「な、何で私に言うの」
やばい、つい声が上ずってしまった。
若干挙動不審になりながらそそくさと立ち去る私の背中を、二人の笑い声が追いかけるのだった。
「あれ、アーロン戻ってたんだ」
「ああ。どこに行ってきたんだ?」
「お散歩。楽しかったよ」
「そうか」
部屋の扉を開けるとアーロンがソファで本を読んでいた。
ソファの隣に腰掛けて、本を読む横顔を眺める。視線に気付いたアーロンがこちらを向いたので、私はポツリと静かに零した。
「……私って、ずっとここにいられるのかなぁ」
アーロンは目を細めると私の顔をジッと見て、もう寝ろと一言だけ言った。
その視線から逃れるように目線を下に向けてソファに横になる。体は素直なもので、そうすると欠伸が口から漏れた。
「アーロンまだ起きてる?」
「もうすぐ寝る」
「じゃあそれまでここにいる……」
ウトウトしながらそう言うと、アーロンは小さく笑って本に目線を戻す。
――このままソファで寝ちゃったらちゃんとベッドまで運んでくれるかな。
そう思いながら、くっ付きそうになる瞼としばらく戦っていたが、結局そのままそこで寝落ちした。
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