ディープ・ディープ・ブルー
「あ゛っっづい……」
夏島の夏、暑過ぎる!!外に出ると、ジリジリと照り付ける太陽が甲板を焦がすのが見える。私は干からびそうになりながらキッチンに立っていた。火を使うキッチンはさらに暑い。死んでしまう。
「何だなまえ、顔色が悪ィぞ」
船に残っている数少ない船員達が朝食のために食堂へとやって来る。目の前のテーブルに座ったカネシロが憐れむように眉を顰めた。その顔色はいつもと同じように見える。
「おはよう、カネシロ。夏島の夏がこんなに暑いなんて知らなかった……みんな平気なの?」
「ああ、問題無い。人間は貧弱だな」
今日はいつもより仕事の量が少ないのが幸いだ。熱中症になる前に引き揚げられそう。バターを乗せたいつものクラシックパンケーキをサーブすると、休憩のためにお茶を淹れた。
「あー……冷たいお茶が気持ちいい……」
「おい、行儀が悪いぞ」
「海賊にお行儀を注意されたぁ……」
テーブルにベタッと突っ伏すとカネシロに嗜められる。今日だけは見逃してほしい……。
ふと、本日の仕事のひとつが未完なことに気付いて周りを見回す。
「あ、そういえば今日アーロンは……」
「昨日は街の宿に泊まったようだ」
「そっか、起こしに行かなくていいなら今日はゆっくりできるや……」
朝食の片付けを終えるとふらふらしながら部屋に戻った。
何度も言うがこの部屋にはカーテンが無いので直射日光ガンガンである。でも食堂や甲板よりはマシだ。せめてもの足掻きで毛布で窓を塞ぐ。
「あー、汗かいちゃった……起きたらシャワー浴びなきゃ……」
とりあえず横になろうと木箱に寝転ぶ。暑さから来る疲労からかすぐに眠りに落ちた。
「おい、いるか?」
部屋をノックする音で目を覚ます。――今、何時だろ?
時計を見るとお昼を過ぎていた。やばい、昼食の手伝いすっぽかしちゃったかも。
「ごめん寝てた!お昼終わっちゃった?」
「今日は人数も少ないしそれは構わねェよ。……それより大丈夫か?」
扉を開けるとシオヤキが立っていた。私の顔を見てカネシロ同様顔を顰める。そんなに酷い顔してるかなぁ……。額に手を当てる私に頬をかきながらシオヤキが心配そうな声を出した。
「まだ平気。何か用だった?」
「ああ、アーロンさんが呼んでる。甲板にいるが……断ろうか?」
「ううん大丈夫。ありがとう」
シオヤキが部屋を立ち去ると自分の格好を見下ろした。寝汗でベタベタする……。けどシャワーを浴びている時間は無いだろう。急いで服を着替えて甲板へ向かった。
「アーロン、おまたせ」
「遅ェ」
うわ、この暑い中甲板で寛いでる……。魚人タフ過ぎィ。
日陰から一歩出ると、太陽が体をジリジリと焦がし始める。これは早いところ用事を済ませて戻らないと。
「ごめんごめん……。何か用?」
「昨日出かけると言ってたろ。いつ行くんだ?」
「あー……それなんだけど、今日は無理そうかな……太陽がキツ過ぎてお出かけする元気無いや……。明日は曇りの予報でしょ?明日の朝食が終わったら出かけるよ」
確かこの島にはしばらく滞在すると言っていたはず。予定を多少後回しにしても大丈夫だろう……。アーロンはふらふらの私を上から下まで眺めると口を開いた。
「貧弱だな」
「酷い……部屋の環境が悪過ぎるんだよ。この世界クーラー無いの?」
文明の利器に慣らされたモヤシっ子ボディでは、この世界の過酷な環境に慣れるまでまだまだかかりそうだ。キンキンに冷えた部屋が懐かしい。
「お前、どこの部屋を使ってると言った?」
「えっと……倉庫の隣の窓がある部屋……。せめてカーテンが欲しいんだけど……」
「あァ?カーテンも無ェ部屋で寝てんのか?」
「ベッドも無いよ。木箱で寝てる」
木箱?と繰り返したアーロンがドン引きした顔でこっちを見ている。いや、その部屋を与えたのはあなたでしょうが。ツチノコでも見たかのような目は今すぐやめるんだ。
「一年もそんなところで生活してたのか?」
「そうだけど……」
「……」
「それより、船内に戻っていい?ここ、すごく暑い……。汗かいたしシャワーも浴びなきゃ」
「……顔が赤ェぞ。酷ェ面だ」
「うそ、ホント?」
「ああ」
額の汗を拭いながら問うと、アーロンが熱を測るように私の額に手を添えた。
その手が触れた瞬間、あまりの心地良さに思わず目を見開く。
「アーロン……!めっちゃひんやりするじゃん……!!」
目の前の腕をがばっと両手で掴んで顔を寄せる。
――つ、冷たい!体温が低いなーとは思っていたけれど、夏の猛暑においてこんなに気持ち良いとは……!
突然のことにびっくりした顔のアーロンは無視してそのひんやり感を堪能した。これ、夜寝る時も欲しいひんやり感……!さ、最高だ!
しばらく夢中になってひんやりしている私を見ていたアーロンが不意にニヤリと笑う。あっ、これ意地悪を思いついた時の顔だ。
「そんなに涼みたいか」
「いや!もうこれで十分です!」
「まあ遠慮するな」
逃げようとするも即座に捕まり小脇に抱えられる。もうこの一年で米俵スタイルにも随分と慣れたよ……。
ズンズンと船縁へ歩を進める足はスピードを緩めない。
「な、なに?どこ行くの?」
「涼みたいんだろ?ひと泳ぎして来い」
「は!?無理無理無理足が付かない水の中で泳げない……!てか、この服水着じゃないし!」
「そうか」
「そうかじゃない!全然わかってない!」
とうとう船縁へたどり着いたアーロンは下を覗き込む。
魚人はみんな大きい。つまりこの船もとても大きい。ということは……おわかりいただけただろうか……水面までは結構な距離があるということを……。
「ほら、水面はすぐそこだ」
「な……すぐそこじゃないって!この高さから落ちたら普通に怖いって!!ま、まっ、落とさないで!落とさないでね!?」
――いくら下が水とはいえこの高さから落とされるのは絶対勘弁……!!
顔面蒼白になって必死にしがみ付くと、念が通じたのか思いのほかあっさりと引き下がる。
「そうか、ならやめとくか」
「そ、そうそう、今日はいいよ。部屋に戻るから……」
「おっと」
「イ゛ッッ……!?!?」
気を緩めた一瞬、浮遊感の中へ放り出される。咄嗟にぎゅっと体を縮こめた瞬間、着水の衝撃が全身を襲った。
――いっっったぁーー!!普通に痛い!!!!そして!足!足が付かない!溺れる!!
パニックを起こした私の隣にもうひとつ着水の衝撃があり、それは腕を掴みグイッと引き上げたかと思うと顔を水面へ押し上げた。
「あ……アーロン〜〜!!」
「シャーッハッハッハッハッ!!どうだ涼んだか?」
「死んだかと思った!死んだかと思ったじゃん!」
涙目でアーロンの肩を殴るがぜんぜん堪えてない。堪えていないどころか水中で手を離そうとする。オイオイオイちょっと待って何してんのマジでやめて!?!?
「さあ泳げ」
「や……!無理!無理!!離さないで!死んじゃうから!!」
「シャハハハ……水中で呼吸できねェとは、憐れな種族だぜ」
「憐れな種族でいいから!離さないで!!」
手を離そうとするアーロンの首へ縋り付くと満足そうに笑う声が聞こえた。なにわろとんねん……。
半泣きで睨み付ける私の顔を楽しそうな目がじっと見つめる。
「息止めてろ」
「えっ……、!?」
言うが早いか水中へ引き込まれる。慌てて息を止めると、ギュッと目を瞑り腕に力を込めた。水が体を撫でては後ろへ去っていき、移動しているのがわかる。
しばらくゆっくり水中を移動する感覚の後、おもむろに動きが止まった。
「……いつまでそうしてる?」
アーロンの声は不思議と、水中でも地上と同じように聞こえる。なぜだかそれに無性に安心して、閉じていた目をゆっくり開けた。
……目を開けると、地上からは見えなかった水底の景色が広がっていた。水面から太陽の光が射し込み、砂浜に波模様を踊らせている。色とりどりの熱帯魚はサンゴ礁の周りで思い思いに戯れていた。
(とってもキレイ……!)
「シャハハ、聞こえねェよ」
振り返ってジェスチャーで伝えようとするが意地悪そうに笑われた。
しばらくその光景を楽しむ私をジッと見ていたアーロンだが、私の息が切れる頃を見計らって水面へ戻る。
「……ぷはっ!ハァ、ハァ……あの、すっごくキレイだった!」
「そうか。なら船に戻るか」
「待って!もう一回!もう一回お願い!」
「さっきは嫌がってただろうが?」
「もうここまできたら同じでしょ?お願い!」
大きく息を吸い込んで呼吸を止めた私を見て口角を上げたアーロンはまた水へ潜った。今度は初めから目を開いて海中を観察する。
アーロンは水中を滑るように移動した。これは泳ぐとかそういうのとはまるで違う。陸と同じように、水の中をどこまでも自由に歩いて行けるんだ。
(魚人は海に愛された種族なんだ……)
そう思うと……途端に、この神秘的で美しい種族のことを愛おしく感じる気持ちが溢れてくる。この海ばかりの世界において、確かに魚人は人間より優れた種族なのかもしれない。
先ほどと同じポイントへ着くとアーロンが目線で周りを見るよう促す。私はまた同じように、大きな腕に抱き抱えられたまま周りを見渡し景色を楽しんだ。
――この美しい景色も、人魚や魚人だけしか知らない特別な景色なんだ……。
そんな大事な場所へ私を連れて来てくれたことがすごく嬉しい。
アーロンの方へ振り返ると、こちらを見つめる視線と目が合う。
(……どうしてそんな目で私を見るの?)
その視線には険しさがまるで無く、ただ澄んだ水底のように凪いでいた。大事なものを見つめるみたいに……。
問いかけた私の言葉は、口から泡になって消えて行った。
「聞こえねェよ」
[ 14/59 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]