三歩進んで二歩下がる

「ん……?」


いつもの時間に自然と目が覚める。上体を起こして伸びをすると、大きな欠伸が口から漏れた。
なんかだいつもより体が痛くない気がする……。ゆっくり起き上がると、肩から毛布が滑り落ちた。私の毛布はこんなに上等じゃない。目を擦りながら手に持った毛布をボーッと眺めていたが、突然意識が覚醒した。ここ、アーロンの部屋だ……!!
ぐるりと見回すと部屋の隅の大きなベッドに、これまた大きな体を横たえてアーロンは眠っていた。大きな背中と背びれがこちらを向いている。慌てて毛布を畳み、ソファから降りて部屋を出る。寝ているところを起こさないよう静かに扉を閉めると、そそくさと自分の部屋へ向かった。昨日は本を借りるだけのつもりだったから寝るような格好で出て来ちゃったし、髪もボサボサだ。こんな格好誰にも見られたくない……。


「……おい、何でお前がそっちから歩いて来る……?」


不思議なもんだなあ、人に会いたくない時に限って会っちゃうんだもんな……。不寝番が目を擦りながら驚いた顔で廊下の向こうからやってくる。


「そっちはアーロンさんの……」
「昨日本を借りに行ったらそのままソファで寝ちゃったの……お願い!誰にも言わないで……こんなみっともない格好をこれ以上誰かに見られたら困る……!」
「あ、あァ、何だそういうことか……おれァてっきり……殺されなかったのか、お前?」
「そしたら今ここにいる私は幽霊だよ……」


口外しないことを不寝番によく言い聞かせると、部屋に戻って朝の支度をする。朝の調理の時間には間に合いそうで良かった。あのふかふかのソファで二度寝せずに起きられた私えらい。


「……それにしても、アーロンが毛布をかけてくれるなんて思わなかった……」


独り言がポツリと部屋に落ちる。
人間なんか勝手に凍えてろ!って言うかと思ったのに。意外に優しいところがあるもんだ。……あ、慌ててたから本も置いてきちゃった……また後で借りに行かなきゃ。
支度を終えて食堂へ入る。今朝の分のパンケーキを準備していると、だんだんと船員達が集まってきた。


「おはよう」
「ああ、おはようなまえ」
「今日は何にする?」
「スフレにするかな」
「おれ、クラシック」
「はーい」


ひとりひとりのオーダーをいつも通りの手順で焼き上げていく。今ではフライパンも増え、全てのコンロを使用して一気にたくさんのパンケーキを用意できるようになった。私の努力が涙ぐましい……!
そうしてしばらく慌ただしい朝を過ごし、ほとんどの船員が持ち場に着く頃、朝食を終えたチュウがコーヒーを飲みながら食堂を見回した。


「アーロンさんはまだ起きてねェのか?」
「まあ確かにあの人は朝弱ェが……いつもならもう起きてくる頃だ」
「珍しいな。相談してェことがあったんだが……チュッ」


クロオビとチュウの会話を聞き、もしや私のせいではと思い至る。
昨日お邪魔したせいでイライラして眠れなかったのでは……。少しの罪悪感が頭をよぎった。


「あ、あの、私起こして来るよ」
「は?お前が……?」
「うん、ご飯食べてもらわないとこっちも片付かないし」
「まあそりゃ助かるが……」
「殺されねェように気を付けろよ、チュッ」
「怖いこと言わないでよ……」


さすがに殺されたりはしないでしょ……。多分。
エプロンを外して食堂を出る。今朝と同じ道を反対に進み、大きな扉をノックした。


「アーロン」


返事は無い、やっぱりまだ寝ているらしい。力を入れて扉を開けると、静かな部屋に蝶番の軋む音が響いた。窓から射す光は今朝と違いすっかり部屋の中を照らしている。


「……アーロン、朝だよ」


近付いて、今朝と同じ格好で眠っているアーロンに声をかける。……へんじがないただのしかばねのようだ。ベッドサイドにしゃがみ込み、大きな背中を眺めた。
――…………背びれってどんな感触なんだろう。
好奇心がムクムクと頭をもたげる。起きている時は絶対無理だけど、寝ている今ならチャンスかもしれない。そっと手を伸ばし、長い髪の間から覗く大きな背びれを手のひらで軽く撫でてみる。……反応は無い。もう少し大胆にさわさわしてみる。……なるほど、こんな感じなのか。


「……お前、いい度胸だな」
「ウワ!」


突然聞こえた声に慌てて手を離して立ち上がる。
そろりと見下ろした先でこちらをじろりと睨む瞳とばっちり視線が合う。挙動不審な今の私はどう見ても不審者だ。


「お、起きてたんだ。おはよう……今日は遅かったね」
「……誰のせいだと思ってやがる」
「わ、私……かな?」


エヘヘと誤魔化すように愛想笑いしてみるも、むくりと起き上がったアーロンは無表情でこちらをじっと眺め続けている。怖……。せめて何か言って……。


「あの……昨日はごめんね。ソファ借りちゃって……」
「あァ、お前のイビキがうるさくて眠れなかったぜ」
「えっ!?嘘だ!今まで誰にもイビキなんて指摘されたこと無いもん!ねぇ嘘だよね!?」


イビキかいてたなんて乙女(笑)の沽券に関わる……!!と身を乗り出して焦る様子を見たアーロンは意地悪く笑う。その笑いはどっちなのよ……!?


「さあ?どうだろうな?」
「結構重要なことなんですけど!?」
「いいからさっさと出てけ。そのうち行く」


そう言ってベッドから立ち上がり、なおも食い下がる私の背を扉の方へ向かってグイグイ押した。うう……気になるよぉ……。
仕方なく扉に手をかけてもう一度どっこいしょと押し開ける。


「そうだ、今日のパンケーキは何にする?」
「……何でもいい」
「じゃあ私と同じスフレにするね!焼き立てが美味しいから早く来てね!」


部屋を後にして来た道を引き返す――スフレを出すなら焼き上がりの時間を考えなきゃ――頭の中で時間を計算しながら歩を進めた。
食堂に着くと、額を寄せて何やら話し合っていたチュウとクロオビがこちらを向いた。


「殺されなかったのか?」
「この通り」
「ほお……」


チュウが目配せするとクロオビが片眉を上げて肩をすくめる。何その意味深なジェスチャーは……。
スフレパンケーキを焼きながらシンクを片付けていると、アーロンが気怠そうにやって来た。食堂に残っていた船員達が立ち上がり挨拶する。


「アーロンさん」
「おう、同胞達」
「アーロンさん。起き抜けにすまねェが、ちょっと相談事が……」


チュウの言葉にアーロンは席に着いた。三人で何やら海図を広げて話し始めたのを眺めながら、フライパンの蓋を開ける。うん、良い感じ。
皿に盛り付けコーヒーと一緒に出すと、アーロンがチラリと一瞥して文句を言った。


「コーヒーの気分じゃねェ」
「ええ……子供みたいなこと言わないでよ……」


仕方ないので紅茶を淹れることにした。コーヒーは私が飲もう……。自分のパンケーキを焼き上げて紅茶と一緒にテーブルへ運び、コーヒーと交換する。


「いただきます」


隣のテーブルで半分ほど食べ進めた頃、チュウとクロオビが立ち上がって出て行った。アーロンは考え事の素振りをしながらスフレパンケーキへ手を伸ばす。


「……萎んでる」
「アーロンがなかなか食べないからだよ」


不機嫌な顔でパンケーキを食べるアーロンは見ものだった。










「ノックしてもしもぉ〜し!」
「うるせェ」


ちゃんとノックしたのに怒られた……。
一日の終わり、昨日と同じようにアーロンの部屋を訪ねた。昨日の本の続きを読まねばならない(使命感)。


「……おい、なんだァ?そのふざけたモンは……」
「お気になさらず」


持参したクッションと毛布をソファに置くと、テーブルの上に置かれたままの本を取り上げた。はてさて、どこまで読んだかな……。流れるような動作で横たわった途端に声がかかる。


「お前、またここで寝る気か」
「今日は毛布持ってきたから……あ!昨日はありがとうね。それにクッションもあるから、これでイビキはかかないはず」
「そういう問題じゃねェ、自分の部屋に戻れって言ってんだ」
「えー……だって私の部屋暗いんだもん……。それにこのソファすっごい寝心地いいし……」


こちらを向く顔はまだ何か言いたげだったが、私は本に視線を落とす。しばくして諦めたようなため息が聞こえ、部屋に沈黙が落ちた。
最近のアーロン、優しい。……いや、私の図太さレベルが上がったのかな?










そんな生活がしばらく続いたある日の夜。
今日もふかふかソファで寝ちゃうぞーと、るんるんでスキップする私へハチが声をかけてきた。


「今日もアーロンさんの部屋で寝るのか?」
「え!?な、何で知ってるの?」
「みんな知ってるぞ。まあ、お前の部屋は環境最悪だしな」


みんな知ってるぞ!?マジか。あの後もやはり何人かの不寝番と会ってしまったのが悪かったようだ。一体誰がユダなんだ。……いや、多分全員か。裏切り者が多すぎる。


「それにしても、アーロンさんが人間を自分の部屋で寝かせるとは……変わったなァ」


ハチが嬉しそうな、寂しそうな複雑な顔でウンウンと頷く。
まあ確かに、一番の人間嫌いのアーロンがあんなに優しくしてくれるとは私も予想外だった。


「せいぜい潰されないように気を付けるんだぞ」


そう言って立ち去るハチの後ろ姿を見ながら違和感を覚える。
潰されないように……?ハッ!


「待って、待って!別に同じベッドで寝てるわけじゃないから……!」


そこんとこみんなに訂正して回って欲しい……!!

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