魚心あれば水心

私がこの船に拾ってもらってから、実に半年の月日が経った。
その日は船医による簡易的な健康診断の日だった。陸に上がらない船上生活では壊血病をはじめとする様々な病気に気を付けなければならないため、こうして定期的にチェックする必要があるらしい。聴診器を仕舞いながら船医は小さく頷いた。


「うん、大丈夫そうだな」
「ありがと」
「おれ達はともかく、人間のお前もパンケーキばっか食ってるわりには丈夫だな」
「パンケーキばっかりじゃないですぅ〜。ちゃんとスープも食べてますぅ〜」
「ハハハ」


笑いながら私の言葉を聞き流していた船医だったが、問診票を書いていた手を止めてふと微妙な表情をする。その様子に首を傾げると、微妙な表情のまま顔を上げて問診票との間で何度か視線を往復させた。


「あーそういや……いや、そうだな……」
「なに?」
「全員終わったか?」


歯切れの悪い言葉に疑問符を浮かべていると、医務室のドアが開いてアーロンが入ってきた。振り返った船医は後頭部のひれをかきながら言葉を続ける。


「なまえで最後ですよ。……それよりアーロンさん、これどうしましょう?」
「なんだ」


問診票を書く手元を覗き込んだアーロンが、先ほどの船医と同じように私と問診票の間で視線を往復させる。一体なんだというのか。
大人しく待っていると、少し考える素振りをした後にこちらに問いかける。


「お前何型だ?」
「何型?」
「血液型だ。輸血が必要な場合が出てくるかもしれねェ」


船医が驚いたような表情をしている。なんで。もしかして魚人と人間の血液型って違うのだろうか?異世界で輸血が必要なほどの出血なんて考えるのも恐ろしい……。


「B型だけど」
「B……?」
「B……?」


あっ珍しい、アーロンが驚いてる(笑)気分が良いゾ(笑)
……などとほくそ笑んでいた私だったが、二人揃って怪訝な顔をしているのでさすがにおや?と思っていると、アーロンが小さく呟く。


「B型なんてのは聞いたことねェ」
「えっ」


今度は私が驚く番だった。B型が存在しない可能性が微レ存……どころではない。最近はすっかり馴染んだ気になっていたがここは異世界だった。


「ABO式でしょ?人間と魚人は違うの?」
「いや、人間もおれ達もXFS式のはずだが……」


船医が頭をかきながら続ける。XFS式……だと……!?
もしかして私、こっちで輸血が必要になったらドナーが見つからなくて死んじゃうやつ……?


「まあとにかく調べてみよう。採血するから腕を出せ」
「ウッ……痛くないようにしてね」


腕を差し出し目を逸らす。注射が嫌いなので見るのは勘弁だ。
スーハーと深呼吸しながら精神統一する私の後ろでアーロンが小馬鹿にしたように笑うのが聞こえた。邪魔だからどっか行ってくんないかな。


「何だお前、その程度もダメなのか?ほら、今刺さるところだぞ」
「や〜め〜て〜!実況しなくていいから!」
「おい、もっとゆっくり刺してやれ」
「アーアーキコエナーイ!ゼンゼンイタクナーイ!」










「……ってなわけで哀れにも血を抜かれた私はこうして自棄パンケーキしているところ」
「なるほど」


新聞を読みながらコーヒーを飲むチュウは何となく複雑そうな顔をしている。クロオビもパンケーキに生クリームを塗り広げながらいつもより固い表情だ。ハチだけはいつも通りニコニコでパンケーキを頬張っている。


「……さっきも思ったけど、何でみんな血液型の話で変な雰囲気になるの?」
「……お前ってホント、なーんも知らねえんだなァ、チュッ」
「おれ達魚人と、人間の間にある歴史がそうさせる。それに……」


クロオビが途中で言葉を切った。パンケーキを一口分、時間をかけて咀嚼してからゆっくり飲み込む。まるで言いづらいことを言うかどうか迷っているみたいに。


「……タイガーさんのこともある」
「タイガーさん?」
「本当に世間知らずだな……。まあいいや。その方が気が楽だ、チュッ」


よくわかんないけど、あんまり触れてほしくない話題みたい……と思ったところで思い出す。
以前、魚人は被差別種族であったと聞いた……今もなお、場所によってはそうであるとも。それに関係するのかもしれない。もしかすると、魚人の間では人間に輸血をするのはタブーなのかも……。それならみんなの反応も納得だ。
結局血液型がどうであれ、この船の上で大量出血した場合、私は失血死することになる。そうならないよう気を引き締めて参る所存。


「おいなまえ、結果が出たぞ。やっぱり呼び方の違いみたいだな。お前はF型だよ、良かったな。……一応」
「F型!F型かぁ。ありがとうドクター」
「ニュ〜、アーロンさんと同じだな」
「そうなんだ。ハチは何型?」
「おれはS型だぞ」


多分O型のことかな。血液型と性格の関連性なんて占い程度にしか信じてないけど、何となくそんな気がする。
船医は手元の問診票に書き込みながらやれやれと首を振る。お手数おかけしました。


「よし、問診はこれで終わりだな……ん、そういやお前は何歳だったかな?」
「フン、十五歳だろ」
「いーや十二歳だな、チュッ」
「ニュフフ、流石に十六歳くらいだろう!」
「は?二十歳越えとるわ」


どうして全員そんなビックリした顔なのよ。










「アーロン」
「入れ」


んっとにもうこの扉は……重すぎる……。
力を入れて押し開けた扉の先では、アーロンが本を読んでいた。え、意外だ。


「本読むんだ」
「バカにしてんのか?」
「してないしてない。イメージじゃなかっただけ。それより、血液型F型だったよ」
「そうか……」


勧められてはいないが、以前ここで話をした時と同じ椅子に座る。本に戻しかけていた目線を呆れたようにこちらへ向け、無言で何だと問いかける。


「ねえアーロン……タイガーさんって誰?」


本を捲っていた手がピタリと止まった。その様子を見て少しだけ気まずい気持ちになる。
――……やっぱり、私には触れられたくない話題……なのかな。


「ごめん、言いたくなかったらいいんだけど……」
「……いや、いい。話してやるよ」


長い沈黙の後、ため息をついたアーロンは本を閉じるとこちらに向き直り……静かな声でゆっくりと話してくれた。
魚人と人間の歴史のこと、出身地の魚人街のこと、みんなのまとめ役だったタイガーさんのこと、奴隷解放とタイヨウの海賊団のこと、コアラという人間の女の子のこと、そして……。


「……タイの大アニキは……結局…………人間に輸血を断られて死んだ」
「そうだったんだ……」


思ったとおり……いや、それ以上の深い溝が、魚人と人間の間には横たわっていた。そして話を聞いた限り、その溝の深さは私にはとうてい窺い知れない。


「……言いづらいこと聞いてごめんね」
「いや、構わねェ。これでお前もわかったろう……おれ達は人間を愛さねェ。人間がおれ達を嫌うようにな」
「アーロン……」
「おれを見ろ。おれの、目を」


俯いていた顔をゆっくり上げると……アーロンの目は、暗い怒りで鋭く輝いていた。
こんな険しくて辛そうで……悲しそうな光を宿す瞳は見たことがない。私を見定めようとするかのようなその目からつい視線を逸らしたくなる。


「わかるか?……おれが、魚人族の怒りだ」


――それでも、それでも私は。


「……それでも、私はみんなのことが好きだよ」


ジッと見つめる圧力に負けないよう、私の気持ちが少しでも伝わるよう……しっかり見返して返事をするも、その目は嘲るように細められただけだった。


「ハッ!……人間が今さら何を言ったところで変わりゃしねェ。お前達には偏見がある、それは今までの積み重ねだ。お前一人が何か言ったところで何が変わる?……既に満たされた器を満たすことはできねェ」
「……私の器は空っぽだよ」


小さく呟くように答えるとアーロンは一瞬……本当に一瞬だけ困ったような顔をして、すぐさまいつものように口角を上げて皮肉気に笑って見せた。


「あァ……そうだったな、お前は……。世間知らずで、物知らず……間抜けで、お子様な……」
「ちょ、ちょっと!そんなに言うことないじゃん!」
「シャハハハ!まるで三歳の子供だよ、お前は。いったい本当はいくつなんだ?」
「二十歳越えとるわ」


アーロンもビックリした顔をした。なんなんだよもう……。










「よおなまえ、暇だったら一緒に釣りするか?」


アーロンの部屋を出て船内を取り留めもなく歩いていると、タケとピサロが釣竿を持って話しかけてきた。
この二人はよく釣り勝負をしているが、結果はいつも悲しくなるほどの圧倒的な差でタケに軍配が上がっている。


「やるやる!」
「これで最下位は決まったな。あとはおれとお前の勝負だ、ピサロ」
「今日こそ負けねえェぞ」
「ちょっとちょっと、始める前から勝手に最下位にしないでよ」
「だってお前、釣竿もまともに持てねェだろ」


ムッとして不貞腐れる私を指差した二人がゲラゲラ笑う。意地悪だ。確かに重たい釣竿をやっとで押さえている私の釣りスタイルはお世辞にも優雅とは言えないけど……。


「ぎょほほほ……冗談だよ、冗談。これはカネシロに作ってもらった釣竿だ。お前も持てるくらい軽いよ、ほら」
「えっそうなの?……ホントだ、持てる!」


笑い疲れたタケが渡してくれた真新しい釣竿は片手で振れるほど軽い。両手でぎゅっと握ってみると、魚人に比べるとずっと小さい私の手にもしっくり馴染んだ。


「ってことは……これ、私専用?」
「ああ、そうなるな」
「最初から誘ってくれるつもりで私を探してたの?」
「……あー……」


二人は言わなくて良いことを言ったという表情で顔を見合わせた。
その様子を見て、なんだか胸の奥がじわっと熱くなり無意識に頬が緩む。……嬉しい。


「まあ、暇つぶしだよ」
「そっかぁ……暇つぶしかあ……!ありがとう!」
「後でカネシロに礼を言っとけ」
「うん!」
「じゃ、行くぞ」


甲板へ向き直った二人の後を付いて歩く。
……まだまだ時間はかかるかもしれないけど……私もいつかみんなに、本当の仲間だって認めてもらえるようになりたいな。

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