夢と神は紛い物
ベッドサイドに伸ばした手が空を切った。読んでいた本から目を上げてお皿を見ると、あんなにあったクッキーは全部無くなっていた。食べ過ぎかな、夕飯少なくしてもらおう。
本を閉じて、腹ごなしにお散歩でもするかと伸びをしていると、部屋の扉が勢い良く開いて誰かが入って来た。……いや、誰かという表現は適切ではない。この部屋の主人だ。そしてここはこの国の王の部屋だ。
「お帰り若様」
私の言葉を無視してズンズンと一直線にこちらへ向かって来るドフィは怖い顔だ。ご機嫌斜めらしい。
ベッドサイドに本を避難させると同時に、長い手足が伸びて来て私をがっちりホールドする。そのまま鯖折りにでもする気かというぐらいぎゅうぎゅうに抱き締めて、ドフィはベッドに丸くなった。
「う、苦しい……」
「……ナマエ」
「若、様苦しい……」
「そのわざとらしいのをやめろ」
ムスッとした声に顔を上げると、サングラスの奥からこちらをジッと見る瞳と視線が合う。空気を和ませようとした私の冗談すら受け付けない気分のご様子だ。
「……ドフィ」
静かに呼ぶと小さく「それで良い」と返って来た。ぎゅっと抱きすくめられるとモフモフが顔に当たってこそばゆい。モフモフからなんとか抜け出そうともがいていると、ドフィはますます強く抱き締める。折れる折れる。
「今日はどうしたの?またご機嫌斜めだね」
こそばゆさから逃れるために目の前の広い胸に顔を押し付けて抱き締め返す。ドフィがいつも使っている香水の匂いがふわりと漂う。あと、女物の香水の匂いも。
「……ああ」
理由は言いたくないが慰めて欲しいらしい。精一杯手を伸ばして、目を覆うサングラスを取り外す。まつげの長い目が細められて私を見下ろした。
「よしよし」
頬を撫でてあげるとドフィは私をぐっと持ち上げる。私よりずっと背の高いドフィと目線の高さが同じくらいになって、ちょこんと鼻先が触れた。
「もっと」
平坦ない声でそう言うドフィの頭を胸に抱え込んで、後頭部を優しく撫でてあげる。きらきらした金色の髪を指先で弄びながらゆっくり耳元で囁いた。
「よしよし、頑張ったね」
するとドフィは満足そうに息を吐いて、私の腰に回した腕で背中を撫でてくれる。
私がこうしてドフィのよしよし係に任命されてから、かれこれ八年だ。
日本で平和に暮らしていた私はある日事故に遭い、気付いたら転生していた。所謂トラ転というやつだ。
前世の記憶を持ったまま生まれたせいで悪魔憑きと蔑まれ、周りから疎まれていた私が八歳の頃、村を襲ったのがドフィの海賊団だった。何やら村に永らく保管されていた何かを狙って来たらしいがその辺はよくわからない。あっという間に村は焼かれ、住民は大勢殺され、生き残った村人達の顔をぐるっと見回したドフィは私だけを残して全員殺した。後から聞いたところによると、「一番不幸そうな顔をしていたから」らしい。何じゃそりゃ。まあ確かに口が裂けても幸せな育ちとは言えなかったけど。
その後は身嗜みを整えられ、食事を与えられ、さて仕事も与えようかという話になった時、私は殺しや暴力の仕事は断固拒否した。前世の平和な世界での記憶が邪魔をしていたのもあるし、何より、荒んだ幼少期を送って来た私にとって唯一の宝物のような記憶が平和な前世の記憶であり……それを汚すようなことはしたくないと強く思った。
幹部達からは勿論、穀潰しの役立たずはさっさと放り出せと言われたが、ドフィは面白がって私を傍に置いた。最初はお世話係としてメイドのようなことをしていたが、ある時からドフィは私に、暴力や差別を受けずに育った私の前世の話をせがむようになった。その頃にはこの人の悲惨な生い立ちも薄らと耳に挟んでいたし、私の前世の世界はドフィにとって理想の世界なのかもしれない……と懇切丁寧に語って聞かせてあげた。毎晩思い出をひとつずつ寝物語として聞かせてあげていたのだが、ある時ドフィは笑って言った。
「その平和な記憶があるぶん、お前の今回の人生はより悲惨に感じただろう?」
私が黙ってドフィを見つめると、にゅっと伸びた手が私をベッドに引き摺り込んだ。三メートルはある巨躯に捕まった八歳の私は下からその意地悪そうな顔を見上げるしかできない。
「私の話を聞きながら、そんな風に考えてたの?性格悪っ」
「フッフッフッ……そう拗ねるな。おれはお前の歳に似合わず全てを悟ったような目を気に入ったんだ」
ドフィの手が服の下から入り込んで、私の体中に走るたくさんの古傷をなぞった。閉鎖的な村で疎まれるということは、勿論ただ放り出されて育っていたわけではない。私は悪魔憑きだったのだから。
「この記憶は私の宝物。どんなことがあったって汚させはしない。あなたにだって」
「だがその宝物のせいで、無垢でいられたはずのお前は蔑まれ、前世との落差で感じる絶望はより大きくなっただろう?」
違うか?と尋ねるその顔は笑いながらも、どこか縋るようだった。
まるで母親と逸れた子供のように。
「……よしよし」
私がドフィの顔へ手を伸ばして頬を撫でると、途端にニヤニヤ笑いが驚いたように引っ込む。眉を顰め、怒りを滲ませた声が地を這うように低く唸った。
「……何の真似だ」
「……慰めて欲しいのかと思って。私があなたと似てるから」
そう言うと、口をへの字に結んだドフィが黙り込む。図星だな。と思っていると、大きくため息をついた金髪が大人しく私の胸に収まる。ロリに慰められる三メートルの大人の図、結構やばい。
「こう見えても、精神年齢は私の方が上だからね。存分に甘えても良いよ」
「フッフッフッ!そりゃ良い!」
肩を大きく揺らしておかしそうに大笑いしていたドフィが急に黙り込んだかと思うと、しばらくして感情の抜け落ちた声でぽつりと小さく呟く。
「神はいると思うか?」
「さあ……いないんじゃない?」
「意外だな。前世の記憶なんてモンを持つお前は、そういうものを肯定するかと思ったが」
「あなたはどう思うの?」
「いるもんか。……いてたまるか」
そのまま黙り込んだドフィが眠りにつくまで、私は静かにその頭を撫で続けた。以降、私はドフィのよしよし係としてファミリーに在籍している。ディアマンテなんかは私のことが嫌いみたいだけど、当のドフィが良いと言うので直接何も言う気は無いようだ。
ドフィは嫌なことや辛いことがあると私のところへ来て、無言で私を抱き締める。私はそのたびにドフィを慰めた。ファミリーのボスとして、そして昨年からはこのドレスローザの王として人の上に立つドフィが弱みを見せるのは私の前でだけだ。私が、ドフィと似ているから。
「お昼寝する?」
腕の中の眉間の皺をむぎゅむぎゅと揉みほぐしながら聞くと、喉の奥でくつくつ笑ったドフィが私を抱き締めて額にキスを落とした。色素の薄い瞳がこちらを見上げる。
「ロリコンだー」
「お前は少女という年齢じゃあねェだろう」
「まだピチピチの十代ですぅー」
「あんなにチビでガリガリだったくせに、デカくなったもんだ」
「そりゃここに来てからいいもの食べさせてもらってますから」
しかも異世界転生特典なのかやたらに美少女だ。やったね。小さく笑ってみせると、ドフィも目を細める。
私の胸に顔を埋めて寝る体勢に入ったドフィに毛布をかけてあげようと身じろぎすると、腕が勝手に動いてドフィの頭を抱いた。
「風邪ひくよ」
「お前がいりゃ暖は取れる」
「私は湯たんぽか」
「早く大人になれよ」
「すけべ」
太い首筋を撫でながら私が吹き出すと腕の中でドフィも笑う気配がした。
――私はこの大きな子供のことを大事に思っているが、果たして相手が私に向けているそれは同じものなのだろうか。聞いてみたことは無い。
しばらく頭を撫でていると、静かな寝息が聞こえてくる。
「……おやすみ」
今日もあなたが悪夢を見ませんように。
私は腕の中の孤独な子供の額にひとつ、キスを落とした。
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ベッドサイドに伸ばした手が空を切った。読んでいた本から目を上げてお皿を見ると、あんなにあったクッキーは全部無くなっていた。食べ過ぎかな、夕飯少なくしてもらおう。
本を閉じて、腹ごなしにお散歩でもするかと伸びをしていると、部屋の扉が勢い良く開いて誰かが入って来た。……いや、誰かという表現は適切ではない。この部屋の主人だ。そしてここはこの国の王の部屋だ。
「お帰り若様」
私の言葉を無視してズンズンと一直線にこちらへ向かって来るドフィは怖い顔だ。ご機嫌斜めらしい。
ベッドサイドに本を避難させると同時に、長い手足が伸びて来て私をがっちりホールドする。そのまま鯖折りにでもする気かというぐらいぎゅうぎゅうに抱き締めて、ドフィはベッドに丸くなった。
「う、苦しい……」
「……ナマエ」
「若、様苦しい……」
「そのわざとらしいのをやめろ」
ムスッとした声に顔を上げると、サングラスの奥からこちらをジッと見る瞳と視線が合う。空気を和ませようとした私の冗談すら受け付けない気分のご様子だ。
「……ドフィ」
静かに呼ぶと小さく「それで良い」と返って来た。ぎゅっと抱きすくめられるとモフモフが顔に当たってこそばゆい。モフモフからなんとか抜け出そうともがいていると、ドフィはますます強く抱き締める。折れる折れる。
「今日はどうしたの?またご機嫌斜めだね」
こそばゆさから逃れるために目の前の広い胸に顔を押し付けて抱き締め返す。ドフィがいつも使っている香水の匂いがふわりと漂う。あと、女物の香水の匂いも。
「……ああ」
理由は言いたくないが慰めて欲しいらしい。精一杯手を伸ばして、目を覆うサングラスを取り外す。まつげの長い目が細められて私を見下ろした。
「よしよし」
頬を撫でてあげるとドフィは私をぐっと持ち上げる。私よりずっと背の高いドフィと目線の高さが同じくらいになって、ちょこんと鼻先が触れた。
「もっと」
平坦ない声でそう言うドフィの頭を胸に抱え込んで、後頭部を優しく撫でてあげる。きらきらした金色の髪を指先で弄びながらゆっくり耳元で囁いた。
「よしよし、頑張ったね」
するとドフィは満足そうに息を吐いて、私の腰に回した腕で背中を撫でてくれる。
私がこうしてドフィのよしよし係に任命されてから、かれこれ八年だ。
日本で平和に暮らしていた私はある日事故に遭い、気付いたら転生していた。所謂トラ転というやつだ。
前世の記憶を持ったまま生まれたせいで悪魔憑きと蔑まれ、周りから疎まれていた私が八歳の頃、村を襲ったのがドフィの海賊団だった。何やら村に永らく保管されていた何かを狙って来たらしいがその辺はよくわからない。あっという間に村は焼かれ、住民は大勢殺され、生き残った村人達の顔をぐるっと見回したドフィは私だけを残して全員殺した。後から聞いたところによると、「一番不幸そうな顔をしていたから」らしい。何じゃそりゃ。まあ確かに口が裂けても幸せな育ちとは言えなかったけど。
その後は身嗜みを整えられ、食事を与えられ、さて仕事も与えようかという話になった時、私は殺しや暴力の仕事は断固拒否した。前世の平和な世界での記憶が邪魔をしていたのもあるし、何より、荒んだ幼少期を送って来た私にとって唯一の宝物のような記憶が平和な前世の記憶であり……それを汚すようなことはしたくないと強く思った。
幹部達からは勿論、穀潰しの役立たずはさっさと放り出せと言われたが、ドフィは面白がって私を傍に置いた。最初はお世話係としてメイドのようなことをしていたが、ある時からドフィは私に、暴力や差別を受けずに育った私の前世の話をせがむようになった。その頃にはこの人の悲惨な生い立ちも薄らと耳に挟んでいたし、私の前世の世界はドフィにとって理想の世界なのかもしれない……と懇切丁寧に語って聞かせてあげた。毎晩思い出をひとつずつ寝物語として聞かせてあげていたのだが、ある時ドフィは笑って言った。
「その平和な記憶があるぶん、お前の今回の人生はより悲惨に感じただろう?」
私が黙ってドフィを見つめると、にゅっと伸びた手が私をベッドに引き摺り込んだ。三メートルはある巨躯に捕まった八歳の私は下からその意地悪そうな顔を見上げるしかできない。
「私の話を聞きながら、そんな風に考えてたの?性格悪っ」
「フッフッフッ……そう拗ねるな。おれはお前の歳に似合わず全てを悟ったような目を気に入ったんだ」
ドフィの手が服の下から入り込んで、私の体中に走るたくさんの古傷をなぞった。閉鎖的な村で疎まれるということは、勿論ただ放り出されて育っていたわけではない。私は悪魔憑きだったのだから。
「この記憶は私の宝物。どんなことがあったって汚させはしない。あなたにだって」
「だがその宝物のせいで、無垢でいられたはずのお前は蔑まれ、前世との落差で感じる絶望はより大きくなっただろう?」
違うか?と尋ねるその顔は笑いながらも、どこか縋るようだった。
まるで母親と逸れた子供のように。
「……よしよし」
私がドフィの顔へ手を伸ばして頬を撫でると、途端にニヤニヤ笑いが驚いたように引っ込む。眉を顰め、怒りを滲ませた声が地を這うように低く唸った。
「……何の真似だ」
「……慰めて欲しいのかと思って。私があなたと似てるから」
そう言うと、口をへの字に結んだドフィが黙り込む。図星だな。と思っていると、大きくため息をついた金髪が大人しく私の胸に収まる。ロリに慰められる三メートルの大人の図、結構やばい。
「こう見えても、精神年齢は私の方が上だからね。存分に甘えても良いよ」
「フッフッフッ!そりゃ良い!」
肩を大きく揺らしておかしそうに大笑いしていたドフィが急に黙り込んだかと思うと、しばらくして感情の抜け落ちた声でぽつりと小さく呟く。
「神はいると思うか?」
「さあ……いないんじゃない?」
「意外だな。前世の記憶なんてモンを持つお前は、そういうものを肯定するかと思ったが」
「あなたはどう思うの?」
「いるもんか。……いてたまるか」
そのまま黙り込んだドフィが眠りにつくまで、私は静かにその頭を撫で続けた。以降、私はドフィのよしよし係としてファミリーに在籍している。ディアマンテなんかは私のことが嫌いみたいだけど、当のドフィが良いと言うので直接何も言う気は無いようだ。
ドフィは嫌なことや辛いことがあると私のところへ来て、無言で私を抱き締める。私はそのたびにドフィを慰めた。ファミリーのボスとして、そして昨年からはこのドレスローザの王として人の上に立つドフィが弱みを見せるのは私の前でだけだ。私が、ドフィと似ているから。
「お昼寝する?」
腕の中の眉間の皺をむぎゅむぎゅと揉みほぐしながら聞くと、喉の奥でくつくつ笑ったドフィが私を抱き締めて額にキスを落とした。色素の薄い瞳がこちらを見上げる。
「ロリコンだー」
「お前は少女という年齢じゃあねェだろう」
「まだピチピチの十代ですぅー」
「あんなにチビでガリガリだったくせに、デカくなったもんだ」
「そりゃここに来てからいいもの食べさせてもらってますから」
しかも異世界転生特典なのかやたらに美少女だ。やったね。小さく笑ってみせると、ドフィも目を細める。
私の胸に顔を埋めて寝る体勢に入ったドフィに毛布をかけてあげようと身じろぎすると、腕が勝手に動いてドフィの頭を抱いた。
「風邪ひくよ」
「お前がいりゃ暖は取れる」
「私は湯たんぽか」
「早く大人になれよ」
「すけべ」
太い首筋を撫でながら私が吹き出すと腕の中でドフィも笑う気配がした。
――私はこの大きな子供のことを大事に思っているが、果たして相手が私に向けているそれは同じものなのだろうか。聞いてみたことは無い。
しばらく頭を撫でていると、静かな寝息が聞こえてくる。
「……おやすみ」
今日もあなたが悪夢を見ませんように。
私は腕の中の孤独な子供の額にひとつ、キスを落とした。
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