君はルギアに愛された
- ナノ -

恋路


凪いだ海に、紅葉した紅葉がひらりひらりと落ちて、静かな波紋を起こす。
エンジュシティという生まれ育った場所を離れる自分が寂しくならないように、マツバが戻って来た時に約束をしてくれた過去が、大人になってから揺り起こされた。

二週間の期間を貰いながらシロネはアサギシティに借りている部屋に戻って、ジョウトに戻ってきてからこれまでフィールドワークで収集していた内容を整理していた。
疲れては膝の上に前足と身体を乗せて眠そうにするオオタチの柔らかな毛を撫でながら、ぽつぽつとこれまでのことと、これからのことを考えていた。

──マツバのことをどう思っているか。
冷静に考えて、思考して、言い訳をしがちな考えを排除して素直に考えてみる。

「オオタチ、私ね」
「タチ」
「……、……やっぱり、マツバ君のことが好き、なんだと思う」

それが、やはり色んなフィルターを外して考えた結果、残った澄んだ感情だった。
彼が本来選べたはずの別の運命を潰してしまったのではないかといった後ろめたさや、ルギアと共に生きていることへの後ろめたさがあって、濁していた。
しかし、それを全てはぎ取れば純粋な気持ちが水底に沈んでいた。

子供の時に淡く抱いていた友愛とも恋とも明確にしがたい感情がその後、これは好意なのだろうという結論に至ったのは再会してからマツバに触れ合ってからだろう。
頷きながら、まるでシロネの悩みも結論も分かっていたようににこやかに笑うオオタチを撫でた。
外に出たシロネは潮風を受けながら、人目につかない岩場へと移動してプレミアボールを開く。

ルギアは穏やかな目でシロネを見つめ、シロネがこの数日物思いにふけていた様子を見透かしていたように話に耳を傾ける。

「ねえ、ルギア。私が……エンジュシティに戻ることになったらどうする?」
『私達が生きていく場所に海がなければいけないことは無かっただろう。偶然、シロネが暮らしていた場所に海があったというだけだ。気を遣わせてしまっていたかもしれないが』
「あ――」

出会った場所は海の上の船であり、そこからルギアはクチバシティで暮らすようになった。しかし、シロネも常にクチバシティに居た訳でもない。
オーキド博士と共にフィールドワークをする際に、色んな町に滞在することも多く、常に海が近くにあった訳ではない。
それでも、シロネとルギアは常に共に居た。
海があろうと、なかろうと大切な存在と一緒に居ることに関係ないのだ。

「私にとって、ルギアのことも大切だから……貴方が自由に居られない場所を拠点にするのはどうなのかなって思ったの」

モンスターボールに入ってもらった時点で、ルギアの考える自由について今更案じるのは考え過ぎだったことを、ルギアの表情を見て納得する。
自分の選択が、相手にとってマイナスとなるだろうと考えてしまうことは失礼であるということをルギアにも、そしてマツバにも教わったのだ。
ルギアは広げていた翼を畳んで、シロネと同じ視線に首を下げる。

「私は何時も手を伸ばすのが、少し遅れるね。余計なことを考えて、考え過ぎて手を伸ばすことを躊躇うの」
『だが、シロネは常に、手を伸ばしてきただろう。私がここに居るように』
「……ふふっ、そうだね」
『君の選択を、尊重するよ』

何時だって最終的に手を伸ばして、大事な人生の選択をしてきていたのだ。
人らしい葛藤も含めて、ルギアは何時如何なる時もシロネを見守ることを当の昔から決めていたのだ。

――フィールドワークをまとめ終わり、データをオーキド博士へと向かって、研究者としての仕事もひと段落付けさせたシロネが連絡を入れたのは一週間後だった。
大事な話をする日と言っても、化粧の仕方や服装を特別大きく変えることもなく、あくまでも自然体で。
スズネのこみちに来て欲しいとマツバへ連絡を入れて、エンジュシティへと足を運ぶ。

一歩一歩踏みしめる葉の音が耳にリズミカルに入ってきて、無意識にその音でこれからの緊張を和らげる。
小さな時にエンジュシティを離れる間際に最後、マツバと話したのもこの場所だった。
先に着いていてマツバが来るのを待とうとしていたシロネだったが、塔が見える林道にその人は待っていた。

「シロネちゃん」
「マツバ君……」

モンスターボールから出て何時も一緒に行動していることが多いゲンガーの姿もなく、マツバだけがそこに待っていた。
静かに、運命の時を待つかのように。
カントー地方に引越しをしなければいけなくなった時も、こうして彼は待っていた。
懐かしさを感じながら、ぎこちなくマツバに手を振り「エンジュジム開けさせちゃってごめんね」と声をかける。

「あの、マツバ君。これまでずっと濁していた件の返事なんだけどね」
「……!うん」

耳元で鼓動の音が煩く、この一言を口にするだけでも緊張する。
何時も運命を大きく変えそうな選択をする時に、一歩後ろに下がりかける。
臆病な自分が逃げ道を探しかける。

けれど、真っ直ぐと感情を伝えてくれたマツバは再会してから今日まで、たくさん時間をくれていた。
ルギアに出会って共に過ごしているという勝手な後ろめたさから戻って来ても連絡を入れず、エンジュシティも避けていたというのに。
戸惑うばかりだった自分を、待ってくれた人。
小さい時から、彼のそういう所を尊敬していた。
ホウオウに認められる為に、ジムリーダーとしての実力を高める為に、厳しい修行を欠かさず繰り返して来た人。

こればかりは彼の目を見て、言葉を伝えなければいけないのだ。

「マツバ君。……私は、ひたむきに真面目に、自分の夢とか役目の為に努力して進もうとするマツバ君を尊敬してるし、そういう所が好き、なの」

この歳にもなって、"好き"という言葉を口にすることがこんなに怖いと思うことはなかった。
マツバの目が大きく開かれていき、感情が表情として分かりづらい彼が穏やかな笑顔に変わり、シロネに手を伸ばして手を取る。
小さな時の手の大きさとは変わり、成長した大きな手で包まれる。

「あぁ、認められるって、受け入れられるってこんなに嬉しいんだね。自分でも嬉し過ぎて驚いてるよ」
「マツバ君……」
「シロネちゃん。改めて言わせてもらうよ。……僕と結婚して欲しいって」
「ふふ、付き合おうって言われる前にそう言ってもらうなんて」
「ごめん、気が早いと言われても仕方がないかな。でも、すぐそう言いかねないと僕も思ったから。君には、僕の隣に居て欲しいんだ」

付き合おうではなく、初めからシロネと添い遂げるつもりだというマツバの強い意志と想いを改めて向けられたシロネは、頬に熱が集まっていくのを感じながらも、今度は逃げなかった。
マツバがこの恋こそが運命だと強く思った意思を尊重して、否定をせず。
「今すぐじゃなくて少し期間は欲しいけど……でも、そういう前提でマツバと付き合って行きたいな」と答えた彼女の身体を、マツバはふわりと抱きしめる。
マツバが口にした受け入れられることと認められることの重みを、この瞬間に初めて悟り、背中にそっと手を回すのだった。


──後日、アサギシティからシロネの荷物をエンジュシティに移しているのを手伝うマツバやゲンガーの姿が彼の家にあった。
故郷のエンジュシティを避けて、ルギアと過ごす環境として一番拠点にするにはいいだろうと選んだ場所だったが、もう避ける理由もない。
ミナキにエンジュシティに戻る旨の連絡を入れたら、そこは察しがいいのか『マツバとのことはもう昇華出来たのかな?』と返ってきたのだから流石は幼馴染といった所だろう。

「シロネちゃん、荷物はここでいいかい?」
「ごめんねマツバ君、ありがとう。……知ってはいたけど、マツバ君の家って大きいよね……」
「エンジュの家だから少し古いけどね。でも、ポケモンも自由に使ってるこの庭は気に入ってるよ。シロネちゃんももし研究で捕まえたポケモンが居たらここを使ってくれていいからね」
「ふふ、早速オオタチがジュペッタと走り回ってる。あんまりはしゃがないでねー!」

マツバの家――今日からはシロネの家にもなる広い庭で、オオタチは子供の頃に来たことがある記憶を思い返しながら楽しそうにはしゃいでいた。
頻繁に遊びに行くほどではなかったけれど、かつて数回遊びに行ったことがあったマツバの家に自分も行くことになるとは。
未だに不思議な感覚を覚えながらマツバの家を眺めて、光に照らされて反射するルギアの入ったプレミアボールを取り出す。

「うちの庭ならルギアが出ても羽が伸ばせるけど、海がある場所を考えると、素直にコガネシティとかアサギシティの方に行った方がいいかもね。シロネのフィールドワークもあるだろうし」
「私の仕事も尊重して貰っちゃって申し訳ないなぁ。ありがとうね、マツバ君」
「シロネがしたいことをして欲しいからね。それを制限するようなことはそもそもしないけど、そんなことしたら今度こそルギアに怒られそうだ」
「確かに最初は怒ってたけど……今は、全然違うよ」

ルギアが『あの者は、それを承知の上で運命と思った道を選ぶ決断をしているのだろう』とマツバのことを語っていたことを思い出し、最初に彼のことを警戒して威嚇していたことが懐かしいとシロネはくすくす笑った。

「そっか。君が好きだっていう誠意が伝わっていたなら、なによりだよ」
「マツバ君にストレートに言われるたびに、照れるなあ」
「これ位で照れていたら今後大変だと思うんだけどな」
「え?」

照れたように頬を染めるシロネの頬に手を添えて、そっと軽く触れるような口づけをすると、固まったシロネの顔は耳まで朱色に染まっていく。

──僕も彼女も、もういい大人になった。子供の冗談や、青い青春とは訳が違う。
そう自覚しながら再会出来たら結婚しようと言っていた一歩を踏み出せたことを実感しながら、マツバはシロネの手を取る。
ルギアに愛されて導かれたシロネに認められて、受け入れられて――手を取って歩める未来に期待して、光射す前へ足を運ぶ。
運命として根付いてたシロネが自分の隣に居てくれるということは、マツバにとって幸福だと断言出来ることだった。
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