僕の最愛の奥さん
- ナノ -
これまでのトレーナー人生において、平坦だったとは言えなかった。


ホウエン地方からこのガラル地方へと移り、あと一歩の所でチャンピオンの座を逃して。
マイナーリーグに降格して苦汁を飲んだ時期もあって、チャンピオン・ダンデとの試合を経て勝つために何でもするスタイルをやめて、ようやく数年前にジムリーダーに復帰をして。
死ぬまで修行。
そんな信念を元に、勝利に飢えた獣のように、貪欲に自己研鑽と勝利という成果を求める。
その歩みは、天才の前では小さな歩みなのかもしれない。
それでも、努力し続けるという才能はあった。
人一倍悔しさを噛みしめて、折れることなく研鑽を続けるという才能はあった。
だからこそ、いまこの年齢になっても第一線でジムリーダーであり続けられるのだろう。
何事にも全力で炎を燃やし続けるあり方に、ありがたいことに共感してくれるファンも多い。

ただ、そんな自分が息を抜いて落ち着ける場所がある。
おかえり、と言ってもらえる、自分の家だ。
そう、僕には、最愛の奥さんが居たのだ。



──赤い煉瓦の家が立ち並ぶ、ガラルの中でも伝統的な街並みで、その街並みの中にもリフト等の近代的な技術が溶け込んでいるのが特徴的なエンジンシティ。
シュートシティやナックルシティのスタジアムと同じ位に大きなスタジアムが設置されており、主要な大会やジムチャレンジの開会式の会場になっている。
このエンジンシティで今日開かれていたのは、今週末の大会に関するジムリーダーとチャンピオンが顔を合わせる会議だ。
勿論、運営自体をジムリーダーが行う訳ではないが、それぞれが連携を取ることもあり、こうして会議が定期的に開催される。
街への集まりやすさの利便性を考えて、大体三都市のどこかで開催されるのだ。



「今日はこんな所でいいだろう。お疲れ様」
「お疲れーいやぁ、真面目な会議って疲れるよな」
「キバナらしいですね……」
「どうしたんですか、カブさん。じっと資料を見て……気になることでもありましたか」


会議も終わってそれぞれが立ち上がろうとする中、サイトウ君は資料を見たまま何かを考えこんでいる様子の僕に声をかけてくる。
その一声で視線が集まるが、別に大したことを考えていた訳ではなかった。


「いや……ぼくの奥さんも見に来る予定でね。より一層いい大会にしたいなと思っただけなんだよ」
「カブさんの奥さん、ですか」
「シュートシティでの試合はテレビ観戦も多いんだけど、エンジンシティでの試合は見に来ることが多くてね」
「話聞いてる限り、おしどり夫婦って感じですよね」
「あぁ、キバナ達は会ったことがなかったんだっけ?ふふ、穏やかな子だよ」
「へぇ、メロンは会ったことあるのか」


メロンさんの旦那さんが大会に毎回見に来る訳ではないように、僕の奥さんも毎回来るわけではないから、ジムリーダー達も、彼女のことを知っているのはメロンさん以外にはポプラさん、それにダンデ君位だろう。
普段あまり自分から話すことはないプライベートな話だが、若い彼らは案外食いついて話を掘り下げて聞いてくる。
それでも、若い彼らにとってじじいだろう自分との話を、こうして楽しんでくれるのは純粋に嬉しかった。


「穏やかな子だよ。あたしより全然年下だけど、落ち着いててまったりしてるっていうか」
「カブさんみたいに熱い人、ではないんですね」
「雰囲気だけでいえばヤロー、あんたに似てる雰囲気かもね」
「ぼくですか?」
「ヤロー君みたいなら、それは随分穏やかな人ってことですね……」


熱い人だと思われているだろう自分に対して、確かに彼女は穏やかで落ち着いている人だと言えた。まるで満月が輝く月夜に静かに吹く秋風のような人だった。


「ポケモンバトルの観戦はするけど、自分がするってことにはさっぱりな人でね。だけど、毎回楽しんで見てくれるよ。皆の試合も見てるそうだよ」
「ありがとうございますってお伝えください」
「はは、ありがとうダンデ君」


ほのおタイプのポケモンに彼女も愛着を感じているためか、ダンデ君のリザードンをいたく気に入って試合を見ているということは、言わないけれど。

そして迎えた大会開催当日。
朝は大会の時に必ず食べるカレーを前日のうちに作ってもらって、ゲン担ぎをするように英気を養う。
朝早く家を出ていく際に「行ってらっしゃいカブさん。今日は頑張ってくださいね。私も見に行きますから」と声をかけてもらい、ウインディは撫でてもらって、エンジンスタジアムへと駆け出すのだった。


──カブが朝早くスタジアムへと向かった後、ミナは一通りの家事をこなして、一枚のチケットを手に、自宅を出る。
全ての試合を生で観戦できる訳ではないけれど、エンジンシティでの試合は見に行くことにしていた。
ユニフォームは着ないけれど、せめてカブのファンが身に着けているタオルを首にかけて、ミナは自分のポケモンであるウールーと、キュウコンと共にスタジアムへと足を運ぶ。


「見て、キュウコン。カブさんと同じユニフォームとかタオル着けてるファンの人が沢山いるね」
「コン、コン!」
「ふふ、嬉しいな。今日の試合は二試合あるから、ほかのジムリーダーのファンの方も居るんだろうけど……この街はカブさんのホームグラウンドだもの」


駅からエンジンスタジアムへ向かう人の流れを見ながら、赤いユニフォームが見えるたびに嬉しくなって、同じように嬉しそうに微笑むキュウコンの首を撫でる。
スタジアム前のリフトに乗り込み、止まったその瞬間、ガタンという振動で上下した為か、ミナの足元に居たはずのウールーがそのまま転がっていく。


「ぐめー」
「わっ、ウールー!?」


そのままスタジアムまでの道のりをころころと転がっていくウールーに焦ったミナはキュウコンと共に追いかけていくが、自分の走るスピードと同じ位で転がっていくからか、追いつけずに行きだけが上がる。

「はぁ……カブさんと一緒にランニングした方がいいのかな……」

確実に年齢とともに低下している体力の少なさを悲しく思いながら追いかけるが、このままでは誰かにぶつかってしまうと焦って、キュウコンを先行させようとしたのだが。


「あっ、キバナさん」
「ん?おっと」


転がっていくウールーを目撃したのは、丁度、スタジアムの前でファンサービスをしていたキバナとルリナだった。
走って来るミナに状況を察したのか、キバナはジュラルドンに指示をして、転がるウールーを止める。
「ぐめめ」と呑気に鳴くウールーに、追いついたキュウコンは呆れた顔をして、後ろから追いかけてくる主人に視線を向けた。


「はぁ……はぁ……ごめんなさい、止めてくださってありがとう。ウールーが転がって行っちゃって」
「いーえ、どうってことないぜ。そのタオル……もしかしてカブさんのファンか」


ナックルジムのジムリーダー、キバナが止めてくれたことに申し訳なさを抱きつつ、足を止めて、息を整えながら彼にお礼を告げる。
そんなウールーのトレーナーであるミナの姿に、キバナとルリナはすぐに『彼女はカブさんのファンで、今日の試合を彼を応援するために来たのだろう』と察する。



「カブさんのファン……そうね、カブさんのファンですね」
「?」
「あなた、キバナ君ね。それとあなたがルリナさん」


二人の予想は当たっていた。
ミナ自身、カブのファンであることに間違いない。
ただ、曖昧なニュアンスの同意だったことに疑問を抱いた二人に、ミナは彼らにとっては衝撃的な自己紹介をするのだった。


「あなた達の話はよく聞くから。申し遅れましたが、私、カブさんの妻のミナです。よろしくお願いしますね」
「!?カブさんの奥さん!?」
「話には聞いていましたが……!」
「ふふ、何時もカブさんがお世話になっています。今日の試合、お二人も頑張ってくださいね。ウールーを止めてくださってありがとうございました。この子マイペースでして……」


ウールーの頭をそっと撫でて、穏やかに笑うミナに、キバナとルリナはぱちぱちと瞳を瞬かせる。
少し会話した印象だけで言うのなら、カブの普段の穏やかな物腰のようだろう。
再度頭を下げて立ち去るミナを見送った二人は、呆然としながら突然の出会いの感想をぽつりと零す。


「綺麗な奥さん……メロンさんも言ってたけど、カブさんより若そうなのね」
「カブさんみたいに熱い人って訳じゃないんだな。驚いたぜ」
「……自分と全く逆の人と縁があるっていうのはよくあるけど。それ言ったら、キバナさんとエスカだってそうじゃない?」
「あーそうだったな……それ言われたら納得しちまうな」


自分が片想いをしているライバルという位置づけの彼女も自分と全く違う性格だったことを思い出して、キバナは納得した。
ジムリーダーとして活躍する夫のファンと迷いなく言える二人のおしどり夫婦の雰囲気は理想的で、キバナとルリナは参考にしたいと思うのだった。
まさか先ほど話していた二人に自分の話をされているとは思わず、ミナはスタジアムの中を歩きながら、指定された席へと熱気を感じながら向かう。


「二人とも素敵な子たちだったな。ウールー、もう転がって行っちゃだめよ?」
「ぐめー……」
「ふふ、そんなに落ち込まないで。応援して、今日はカブさんの好きな夜ご飯を準備しようね」
「コン!」


ホウエン地方出身のカブは、ガラルに移住して長くなることもあってガラルの料理にも慣れたようだが、やはり故郷のホウエン地方の料理が好きなのだ。
そして、結婚してもう十年程が経つミナも、ホウエン地方の料理に作りなれていた。
今日はご馳走を用意しようと意気込みながら、彼の試合をファンの一人として楽しみするのだ。
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