恋歌とピエロ
- ナノ -



Aller-retour


数年前の自分はどうだったのか。
時々思いを巡らすことがある。あの時の自分はと言えばそれはもう酷い状態だった。少年少女のように今を突っ走っていた青かった自分が居た、と言うわけではない。むしろ逆。前が見えない状態でただ闇雲に前へ進もうとしていた自分。

別に、チャンピオンになるのが目的だったわけじゃない。

なっても、何か物足りなかった。他人からしてみれば私は全てにおいて充実していたように見えたかもしれないが、自分にはない何かを渇望し続けていた。チャンピオンの座を引き継がず、何かを希求しホウエンからカントーに移って旅をした後も特に変化はなかった。

ただ、あの男に会うまでは。そしてあの時からもう一年以上経っている。


「ねぇ、ワタル」

声を掛けるとカイリューの世話をしていたワタルが振り返る。

カントーリーグ本部の一室でもあるワタルの部屋はやけに綺麗だった。と言うよりも、物が少ない。
四天王になった当初はワタルと顔を合わせることすら嫌だったというのに、時の流れは怖いものだ。いや、時の流れのせいではなくて彼の人柄に触れて私が彼に対しての誤解を解いただけなのだけど。


「改まってどうした、またバトルの申し込みか?」
「違うわよ、というかそれ何時まで引っ張り続けるつもりなの!」
「四天王成り立て一ヶ月は毎日のように申し込まれてたからな」
「……事実だから否定はしないけど」


抑えるわけでもなく笑い声を零すワタルを見てナマエは頭を抱える。確かに、毎日のようにワタルにバトルを申し込んで、受けてくれた度に惜しくも負けていたけれど。
あぁ、そういえばリーグ内で名物みたいになってたってシバ辺りが言ってた気がする。今なら恥ずかしく思うのだが、当時は周りの視線など気にもしていなかった。


「私が一番最初にワタルに負けたのはいつ?」
「確か、一年くらい前だな。……あぁ、そういうことか」


ワタルは手を休め、ナマエをじっと見据える。
ワタルに負けた時、私が初めて誰かに負けた時、交わした約束。約束というよりも賭け事だったのだが、その期限は一年。

一年間、カントーリーグの四天王を勤めるというものだった。

当初は強制的にやらされたこの座に、自分を圧倒したワタルに激しい嫌悪感と焦燥感を抱いた。だからこそ成り立ての一ヶ月、幾度となく再戦を申し込んでいた。
彼には自分にないものが沢山あるような気がして、羨ましかった部分もあるのかもしれないけど。


「もう期限の一年が経ったし、出て行かなくちゃいけないと思ってね」
「……いや、俺としては期限に関係なく残ってもらいたいけどな」
「え?」
「当初のナマエはとてもこのリーグを任せられるような状態じゃなかった。何かに渇いてその何かが分からないまま求めて暴走していた、それは自分自身一番分かっているだろ?けど、今のナマエは違う」
「……」


迷いがないといえば嘘。

抱いていた嫌悪感は今や消え失せ、むしろカントーリーグ本部は居心地のいい場所となっている。自分が挑戦しに来た時の四天王のうち二人は辞めてしまったけれど、新しく入ったカリンやイツキ、前から居るシバ、そしてワタルとは良い友好関係を築いている。
それに普段は滅多に挑戦者が来ないため、自然と一緒に居る時間が多かったのだ。シバのように普段から修行をしている場合はリーグに居ない時もあるのだけど。(それにワタルも放浪する癖があるし)


「それに、今すぐ止められるわけじゃない。本部がその辺り喧しい、」
「もう次の人に声掛けてある」
「……何時の間に……」
「ワタル、私は確かに変われたけど……旅をもう一度することでまた何か新しい発見があるような気がして。あの時は見えなかったものが見えると思うの。確かにリーグを出ることになるのは残念だけど」
「……ナマエがそこまで言うなら俺は止めない、勿論残念だけどな。それにこのリーグが少しつまらなくなる、毎日ナマエのお陰で騒がしかったからな!」
「な、そんなに笑わなくても」


ぽんと乗せられた大きな手で頭をぐしゃりとされる。荒っぽい手つきで髪の毛が乱され、大人な筈なのに子供っぽく笑うワタルにこちらの怒る気も失せてしまった。
毎日のように交わしていたこんなやり取りももう出来ないのだと思うと寂しいけれど。


「別の地方じゃなくてホウエンに戻るのか?」
「そのつもり。けど……実家に帰るのはホウエンを旅した後にしようと思って。あ、でもジム戦は出来ないのか……」
「そうか……なぁ、ナマエ。嫌かもしれないけど、一回ホウエンリーグ本部に顔を出したらどうだ?」
「え、ホウエンリーグ本部?またどうして……」
「向こうの本部も一度殿堂入りしているトレーナーなら通してくれるだろう。俺からも本部に連絡しておくよ。それに、今のチャンピオンに会って話してみるのもいい刺激になるかもしれないぞ」
「確かに……ワタルはそのチャンピオンに会ったことある?」


提案してくるくらいだからそのチャンピオンを知って居るだろうと思ったのに、ワタルは首を横に振った。
カントーリーグに対して他の人とは違う強い熱意を持っているワタルだが、それ故に別の地方に行っている姿をそういえば見たことがない。リーグは地方ごとに独立しているために他の地方と個人的なものを除いて交流は特にないから。


「もう荷物もまとめてあるし、明日くらいにはここを出る。ちなみに後任にキョウさんを指名しておいたからよろしく」
「……本当に、何時の間に色々と話を進めてたんだ?まぁ、向こうでも頑張れよ、何時でもこの本部に顔出しに戻って来てもいいからな」
「ワタルが寂しくなった時くらいに顔出しに来るよ」
「言うようになったな!」


またしても髪の毛がかき乱されて、思わず眉をしかめてしまう。
大きな手が離れたかと思えば、次はワタルの横に居たカイリューが抱きしめてきたものだから思わず顔が緩んでしまう。
カントーに居る友人にも、連絡しておかなくちゃいけないな。


(もしもし、グリーン?)
(お前から電話なんて珍しいな、どうかしたのか?)
(明日からホウエンに行くから)
(は!?)
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