Violetta
- ナノ -
開催されたバトル大会に参加したグルーシャ君のバトルを眺めながら、ぼんやりと今後の方針について考える。
とはいえ、これから自分がどう生きていくかという方針は、基本的にこれまで考えていたことと変わらなかった。
ただそこに、何時か突然帰る日が来るかもしれないという期待や焦りを産むピリオドが無くなっただけだ。
見上げる空に羽ばたく鳥が普通の鳥ではなく、様々なとりポケモンであり、街中を見れば人とポケモンが歩き、共に暮らす世界。

フィクションではなくて、間違いなく『現実』であると。

グルーシャ君に慰めてもらって落ち着いて世界を見渡すように流れていく景色を眺めて。
やっと、実感するのだ。


バトル大会が開催されるテーブルシティは何時も以上に賑わう。
それは他の街からも観光目的で来る人も居れば、普段は各地を回っているアカデミーの生徒達が見物に来るからでもある。
チャンピオンクラスの生徒や四天王、手練れの先生達だけではなく、今ではこうして偶にジムリーダーも顔を揃える。

「グルーシャ様よ……!」
「ナッペ山以外であまり見かけることがないから貴重ね!」

グルーシャ君の試合が始まる前に、興奮した様子のファンの会話が聞こえてきた。
アルクジラ、チルットと共にグルーシャ君の立つコートと反対側の位置にスペースを見付けて、そこで観戦しようとしていた私は人の会話を聞きながら心の中で『グルーシャ君ってやっぱり凄いトレーナーなんだなあ』と実感する。
この世界においてのジムリーダーという職業が如何に尊敬されながらも、その強さを示し続けなければいけない重圧のある立場と仕事であるかは一年だけでも分かってきたつもりだ。
一日経っても少し腫れぼったい瞳を擦って、グルーシャ君の試合を目に焼き付ける。

──トレーナーの試合は、テレビや見るように勧められたナンジャモのチャンネルで位しか見ないけれど。
彼の試合はかなりの回数見てきたような気がする。
そんな私が思うのは『今日のグルーシャ君は本当に調子が良さそうで、生き生きとしているように見える』だった。
どうしてそう感じるのかは分からないけれども。
グルーシャ君が戦っている相手の方のコートに居るからか、気のせいかもしれないけれど、一瞬目が合ったような気がしたのだ。

「はあ……チルット、凄かったね。グルーシャ君の試合。オモダカさん相手に負けちゃったけど……やっぱり凄い人だよ」

トレーナーとしても。
そして、人としても。
昨日今日の出来事を振り返りながら、彼が凄い人であることを再認識する。

あの年齢にして"元"プロスケートボーダーという肩書であること。ジムリーダーの重圧を背負っていること。
立場としては人から羨まれる物を沢山持っている彼だが、きっとグルーシャ君も順風満帆とは言わず、悩みながら進んでいたはずなのに。
私の憤りのない悲しみを受け止めて、手を差し伸べてくれた人。
コートも来ていなくて雪山で遭難状態の怪しい人間を助けて助けてくれた人。

──私は、異性として好きだという感情の前に、一個人としてグルーシャ君という人間が好きなのだろう。
しかし、ファン心と名付けるには、少しだけ。
距離が近過ぎたのかもしれない。

「エヴァ。まだ残ってた」
「わっ!?グルーシャ君!も、もう色々終わったの?」
「……最後まで試合に残れなかったしね。閉会式だけ参加するけど、もう後は試合を見るだけだし」
「あはは……悔しそう」
「負けた相手が相手だけど、そりゃあね。……でも、ジム戦だけでは得られない体験だから、格上の相手と戦うのも大事な機会だなって思うよ」

クールな表情をしていることが多いけれど、グルーシャ君はやはり負けず嫌いだ。
結果に納得して貴重な体験だったことを理解はしながらも、悔しさが滲んでいる。
いい試合だったと言えるくらい拮抗しているように見えたけれど、彼はそれでは満足しない。そういう所がジムリーダー、そしてアスリートたる所以なのかもしれない。
アスリートなら当たり前、という言葉がよく使われているような気がするけれど、本気で悔しがる事が出来る人ばかりでないことを私は狭い会社という世界でだったけれども、よく知っている。
まあこれでいいか、だとか。手を抜けば楽出来る、だとか。
そうやって考えている人の方が実際多いのかもしれない。だからこそ、彼はジムリーダーとしてトップを走っているのだろう。

「ご飯食べに行くんだけど、エヴァもよかったらどう?……バトルあったからその直前食べてないんだよね」
「いいの?そうしたらグルーシャ君が食べたい所に行こう」
「そうだね、ピザが美味しい店があるらしいからそこにしようか」

テーブルシティで有名だというピザ店へ向かいながら、ふと思ってしまう。
この人、大勢の人に囲まれてバトルをしてた有名人なんだよなあって。

マルゲリータとビスマルクを一枚ずつ頼み、シェアしながら舌鼓を打って、美味しさを共有する。
昨日が私が失って。それからリスタートした日なら。
今日はきっと昨日の私よりも楽しかったと言える人生に近付いていると考えたい。
大切な人と時間を共有出来たことを、このピザのように、ふと食事を通して思い出せるようになるんだろうな。
そう思いながら、あっさりとしたトマトソースとチーズが口内に溶けていくのを堪能する。

泣きじゃくってしまった昨日のことには触れず、グルーシャ君はいつも通りの調子で、先程のバトルについての話だとか、なんてことは無い日常の話をしてくれる。
何も変わらない日々がここにあるような気がして、安堵する。

「暫く修行しなくちゃ。惨敗では無かったけど、惨敗も惜敗も、負けは負けなんだし」
「じ、自分に厳しい……見てた人もグルーシャ君の試合良かったって言ってたのに」
「苦手なタイプカバーしきれず負けるのは悔しいしね」

タクシー乗り場へと向かいながら、男性にしては華奢な方だけれども、自分にとっては大きなその背中を見てぼんやりと考える。
遠い、遠い世界の人。
この世界においても。私はポケモンというシリーズを知らないけれど、ゲームを通して見ていた人はもっとそうだろう。
なのに、手を伸ばせば届く位、こんなにも近くにある。

──今なら、聞き流してもらえるかな。

「グルーシャ君」
「なに。どうしたの」

この感情は『帰る時が来ることを見越して言わない』と決めていたけれど、このまま何も無かったことにすると後悔するんだろう。
伝えたい人に伝えるべきことを後回しにして。
些細なことでも今度会ったら言おうと機会を後回しにすると、二度と言えなくなることだって有り得ると、身をもって知っている。

身体こそは、この世界の人の物であるから完全な異物ではないのだけれど彼にとっては全く違う世界の人間であるという前提は変わらない。
成り行きで助けた訳アリの無知な一般人。彼にとってはそういう人間である自分に、感謝以上の感情を抱かれることは想定外で困惑される可能性だってある。
でも、これからこの世界で前に進んでいくためにも。
この感情にもピリオドを打って、結果がどうあれリスタートしたかった。

「昨日のことは本当にありがとう」
「いや、別にお礼を言われることでは……」
「それと、グルーシャ君のことが、好きです」
「……」

早口で、勢いのままに告げたかった彼への感謝の気持ちと、その感情から派生して育った恋い慕う感情。

今までの生涯、誰かに告白をしたことが無かった訳ではない。
しかしそれは学生時代の淡い感情だ。
大人になってから改めて。
それも自分は別の世界から突然やって来た人間で、相手はその世界では有名な人に伝える状況というのは、緊張して口から心臓が出そうだった。

グルーシャ君は目を開いたまま固まっていて。
心底驚き戸惑っている様子を見ると、段々と居た堪れない気持ちになってくる。
「困らせちゃってごめんね。また普通の友人として宜しくね」という言葉が頭の中の引き出しから用意して、咄嗟に震える口で口にしそうになった時。
口元を押えて言葉を失っていたグルーシャ君が、静かに声を発した。


「エヴァに居なくならないで欲しい、とか、この世界に残ってくれて良かったとか思ってたけど……そっかこれ、"好き"だったんだ」


今度は私が目を開く番だった。
これは、どういう反応なのだろう。

「……途中まで分かってたのに、どうして気付かなかったんだろう。僕から言えないなんて、サム過ぎ」
「あの……」

──執着が愛という名前であることを自覚していなかったグルーシャはエヴァに告白をされたことでやっと。
これが愛であり、そして彼女に自分は恋をしているという事実を漸く自覚する。
頭を押さえて、執着心の正体に気付いたグルーシャは顔を赤らめて浅く息を吐く。

「……もしかしてグルーシャ君、照れたの?」
「……うるさいよ」

照れている様子を可愛いなんて言ったら、怒るだろうか。
しかし、何時もは自分より大人びて見える彼が年相応に年下に見えて、思わず微笑んでしまう。
ねえ、これって期待しても。
いいのかな。

「これが好きだったってことなら、多分半年以上前からそうなんだけどさ。格好付かないから僕からも言うよ」
「は、はい」
「エヴァが好き。……昨日も言ったように、エヴァの帰る場所になるから。昨日より意味を自覚してるけど。…だからその、付き合って」

彼の口から発せられた好き、という単語に、嬉しさ以上に真っ先に動揺が自分の中に広がる。
多くのファンがバトル大会にも集まって来ていた有名人であるグルーシャ君が、本当に?と。
手を取られて温かい熱がじんわりと伝わり、またいい大人がぽろぽろ泣き出しそうになる。
あぁ、本当なんだ。

「エヴァが居なくならなくて良かったとか、悪いこと考えてると思ったけど、今なら本当にそうだったって実感するよ」

──居なくなってから、恋心だったことに気付くことにならなくて良かった。
失わずに済む、確かにここに在る熱を愛おしみながら、グルーシャは握った手に力を入れるのだった。
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