ヴァニラの純正
- ナノ -

無垢な春風

星のような輝きを放つ頂点に立つ者。
彼が踏みしめる会場。会場や中継を通して響く人々の歓声と熱気。
ガラルの娯楽となっているジムチャレンジ、及びガラルリーグのチャンピオンリーグ。
人々の注目や関心や期待を背負い、名前を轟かせるのはチャンピオン自身の活躍であり、そのリーグを国内外に広めるのは運営側の彼を支える周囲だ。

一等星の輝きを引き立てる紺碧。
太陽の輝きを引き立てる蒼穹。

そう、ありたいと願うヴァイオレットの瞳は輝く。
男の光を反射して。


白く染め上げる冬が過ぎ、そして春を迎えた。
ガラル地方の観光地として発展したシュートシティ。この時期の街は緑から差し込む光が零れ、どこを歩いても温かな風が花びらを運ぶ。シュートシティの風物詩であった。
門出という節目にする一歩を踏み出すのには素晴らしい季節。新しい一年。
だが、彼女の仕事は変わることはない。ただ、足取りは心なしか軽かった。

チャンピオンリーグの決勝戦等が行われる会場のシュートスタジアムや観覧車、有名なカフェやレストラン、巨大なショッピングモール等、多くの観光スポットが揃った街だった。
手帳を広げて、スケジュールを確認する。今日の予定の時間を確認して、腕時計で現在の時間を確認した女性はふと微笑む。
好きなことを職業にしているとはいえ、会議や資料作りが連日続くと気落ちしてしまうが、今日は少しだけ特別な日だ。
スマホロトムを起動してメッセージを確認すると数分前に「恐らくもう直ぐ着く頃だ」と連絡が入っていた。

「おいで、ガーディ。あっちのお店だよ」

ガーディを手招き、足元を歩いて楽しそうに鳴くガーディを見ていると笑みがこぼれる。
仕事を始める直前から一緒に居る彼は、小柄な体格と反して、落ち着いた内面と聡明な性格を持ち合わせていた。
ポケモンに詳しいとは言えないが、パートナーと呼べる存在だった。

これから始まる予定の打ち合わせはお互いにとって仕事ではあるのだが、気楽な気持ちで話しが出来るのは、打ち解けた仲の相手だからだろう。
大通りから外れた横道にある、赤煉瓦造りのカフェ。大通りのカフェテラスのあるカフェよりも混みあっていないが、コーヒーが美味しいことで有名だ。
芳醇な珈琲の香りが扉を開けた瞬間に鼻をかすめる。
店内に入って、顔見知りの店と挨拶を交わすと「何時もの打ち合わせですね?」と声を掛けられ、奥の席へと通される。
もう少し経ったら来るはずの有名人がよく来店することを知っていても、それを宣伝せずに使わせてくれるのは有難かった。

洒落たジャズが流れる店内でコーヒーを味わいながら待っていると、程なくしてガーディがぴくりと反応する。
顔を上げて入口の方に視線を向けると、待ち合わせをしていた青年が安堵した顔に変わる。
何度もこの店を指定している筈なのだが、彼の相棒に連れて来てもらわなければ迷ってしまう所は相変わらずだった。


「ダンデ君、お疲れ様。迷わず来られて良かった」
「何時ものカフェにすれば、リザードンが連れて来てくれるからな。そうでもなきゃ、俺はここに辿り着けもしない」
「確かに。一度来たことがあるはずの場所でも迷うからね」


褐色の肌に顎髭、金色の真っ直ぐとした光を宿した瞳。菫色の長い髪と、彼のお気に入りのスポーツキャップ。
スポンサー企業が描かれたマントを付けてきているのは、ダンデに会いに来た女性が一応そのマントの中央にシンボルを掲げてもらっている企業の担当であるからだろう。
その名はガラルの誰もが知る、無敵のチャンピオン、ダンデ。

多忙な彼が来てくれたことに感謝をしつつ、席に着いたダンデにメニューを見せる。
ダンデとオルハが頼んだコーヒーがテーブルに並べられていたコースターの上に置かれ、ミルクとシュガーのポットが並べられる。
ポットに入っていた白い角砂糖を一粒、珈琲に溶かしていく。


「そういえばダンデ君、この間の試合見たんだけど凄かったね。ふふ、流石ダンデ君とリザードン」
「応援ありがとうな、オルハ。だが、言ってくれたら席を用意したというのに」
「はぁ……その日は仕事があって。中継はオフィスで流してくれてたから見てたんだけど、出来ることなら生で見たかったかも」


ダンデの有難い提案に感謝しながらも、まだ試合前だというのに今回は彼が勝った後のプロモーションを考えなければいけなかった状況もあって、見に行けなかったことに肩を竦める。
リーグ戦ではなく、時折行われるエキシビションマッチとはいえ、それでもダンデの試合ならば生で見たいと思うのがファンの真理というものだろう。
試合観戦は好きだが、トレーナーとしてのポケモンバトルに詳しくないオルハにも、ダンデの凄さというものは伝わっていた。

(同じ歳なのに……本当に、凄いなあ)

純粋な敬意を抱かざるを得ない。
ガラル中だけではなく、他の地方でも有名な無敗のチャンピオン。その背に負っているだろう重圧を考えると、鉛を呑み込んだような気分になる。
彼が背負っているスポンサーの数が其れを示している。彼に集まる歓声と視線が其れを示している。
勝利を求められる偶像。太陽に手が届かないという、敬意とは別の、絶対的な隔絶。孤高と孤独は紙一重に違いない。
だが、彼はバトルへの探求心と、勝利への渇望を絶やさない。
観客がどちらかの敗北を願ってしまうと解っているからこそ、ストイックに、シビアに。己の炎を燃やし続けているのだ。

雑談を混じえながらも資料を取り出して、二人は定例となった打ち合わせを始める。
チャンピオンである彼は多忙であり、貴重な時間を割いてくれていることへの感謝が尽きなかった。
オルハが持って来たダンデへの広告依頼の数々に、彼は拒絶をするわけでもなく、殆ど二つ返事で同意をしていく。
それは何時ものことではあるのだが、オルハとしては心配になってくる。嫌だったら嫌だと言ってくれてもいいのだけれど。
そんな感情が表情に出ていたのか、ダンデはコーヒーカップを傾けながら「どうした?」と問いかける。


「……提案することの殆どを、ダンデ君っていいよって言ってくれるから、いいのかなって」
「オルハが提案してくるもので拒否したくなるようなものがないからだろう?もう付き合いも長くなるしな」
「確かに、上司とか先輩たちがダンデ君に突拍子もない要求してきそうな時はなるべく止めてるつもりだけど。……流石にダンデ君個人に行く各メーカーの要求までは介入する権利もなくて」


時々、ダンデが引き受けているコラボの商品等は首を傾げたくなるようなものもあることを思い出してオルハは苦笑いを浮かべる。
ガラルリーグのシュートシティ担当の広報であるオルハは、ダンデの担当を行って五年目になる。
初めは同い歳ということでダンデの意見を引き出しやすいだろうということで抜擢された。

社会人となってから初めての担当が若いチャンピオンの広告担当だなんて、嬉しさを感じる余裕もなく、胃がひっくり返りそうな日々だったことを思い出す。
同い歳とはいえ、オルハにとってはテレビで見ていた遥か彼方の人になる。そんな人に広告を打ち出すプレッシャーはポケモンを持たずしてワイルドエリアに飛び込むような物だと思っていたが。
彼は、気さくだった。緊張を解してもらえるどころか、器の大きさに、オルハは己の不甲斐なさに恥ずかしさを覚えたほどだ。


「ダンデ君は昔からあまり変わらないよね。地に足がついてる堂々とした様子が、凄いなと思ってたの」
「……いや、言われる程の男じゃないさ。だが、オルハは変わったな。何せ敬語じゃなくなった」
「ふふ。そんな頃も、あったね」
「二年位は敬語だったか。そろそろやめないかと言っても暫くは癖が抜けていなかったからな」


親しくなっていこうとも、広告塔になってくれている人だという意識以外にも、彼は遠すぎる人でチャンピオンなのだという意識をなかなか変えることが出来なかったのだ。
チャンピオンである前に、ダンデという一人の人であるとは理解している筈なのに。
彼に気遣わせて失礼なのだろうと、自分の頭の固さに悩んだ時期もオルハにはあったのだが。
ダンデとしてはオルハの性格が顕著に表れている真面目さが、新鮮な反応のように思えた。幼馴染のソニアとは軽口を叩くような仲で、キバナというライバルとは気さくに話す関係だ。
親しくしている友人たちとはそれ程距離感が無かったことを思い出す。オルハという女性はダンデが思い浮かべる友人たちと比べても、一般人の感覚や性格をしているだろう。


「ダンデ君はこの後はトレーニングの予定?」
「いや、取材で時間を指定されていてな。今日は都合が悪いと思ったんだが……ローズ委員長に言われてしまっては仕方がない」
「そうなんだ。あっ、ごめんなさい、無駄に関係ない話で引き留めて」
「そんな風に言わないでくれ。オレとしては、この打ち合わせは楽しい時間だからな」


ダンデの優しいフォローに、頭を下げたくなる想いだった。チャンピオンとしての業務でただでさえ忙しいダンデがこの時間を楽しいと感じてくれたことが、春のような温かい風を胸に吹き込む。
「ダンデ君に悪いからそろそろお店を出ようか」と声をかけて、オルハは書類をカバンの中にまとめ始める。
ただの気遣いで言ったという訳ではないのだが、仕事の時間を長引かせてしまって申し訳ないとオルハが思っているのはダンデにも伝わっていた。


「すまない。この埋め合わせと言う訳ではないが、今度、改めて別に誘わせてくれ」
「えっ、ダンデ君忙しいのにそんな」
「それこそ気にしないでくれ。それじゃあ、オレはお先に失礼しよう」


わたわたと荷物をまとめている間に、颯爽と席を立って出て行こうとしたダンデを見送ろうと考えていたのだが、オルハはテーブルが伝票が無くなっていることに気付いて青い顔に変わる。
店内の奥の席からはカウンターが見えず、慌てて立ち上がって確認すると、既にダンデが支払い終わった後だった。
目をぱちりと閉じて「またな」と口が動いたダンデを見送り、オルハは肩を落とす。
打ち合わせに付き合ってもらっているというのに、そんな相手に払わせるなんて何ということだろうか。


「私って本当にこういう所が駄目というか……」
「ガウッ!」
「励ましてくれてありがとう、ガーディ」


ガーディを腕に抱えると、励ますようにぺろりと頬を舐められる。
店内を出る間際、親しい店員に「チャンピオンのああいう所は本当に素敵ですね」と声を掛けられ、同意に首を縦に振る。
ポケモンバトルの話になると子供のように目を輝かせる所だとか、迷子になりやすい所だとか、案外完璧なチャンピオンではなく普通の青年らしい所も沢山あるダンデだが、尊敬されるべき人に違いない。

カフェを出てシュートシティの大通りに出ると、観光で賑わう人々が行き交う。
夫婦に家族、友人同士にカップル――様々な人がこの街には溢れている。ガーディと共にゆっくりと歩いていると、ふと或る少年の「チャンピオンだー!」という声が耳に届く。
その少年に視線を向けて、そして彼が見ている先に物を同じように見たオルハは綻んだ笑顔を見せる。

「うん。格好いいよ、ダンデ君」

シュートシティの巨大なモニターに流れたジムチャレンジの広告に、オルハは足を止める。
多くの観光客にも、もう一度ガラル地方に来てもらえるように、こうしてポスターだけではなく、ローズ委員長の指示もあり、各所で広告を打ち出している。
そのプロモーションビデオはダンデが試合をしている姿が映った後、勝利をした後に見せたリザードンポーズだ。
――チャンピオンとして活躍し続けるダンデの試合が好きだった。
勝利をもぎ取ろうとするその闘争心と熱量には心を揺さぶられる。観客を熱狂させるのはチャンピオンの務めだと彼は理解している。
ポケモンバトルに詳しくないと言える自分が、ダンデの試合を見るのが好きだと断言出来る程には、彼が活き活きとしている姿は、人の心に熱を灯す。

常に新たな挑戦の為に突き進む彼を見守り、支えられることが多少なりとも出来ているのなら、今の自分に胸を張れるのだ。