シトラスの庭
- ナノ -

兄と妹

「何か起きそうだとは思ったが……ったく、こんなカンは外れて欲しかったんだけどなぁ」

ルーファスの旦那がクロスベル調印式を突如妨害した衝撃のニュースは、その日のうちに世界中に配信されることになった。
これは情報局のレクター・アランドールにとっても、鉄道憲兵隊のクレアにとっても想定外の事態だった。
クロスベル市は再び武装集団に占拠され、もう目の前まであったクロスベルの独立は、無残にも打ち砕かれた。

不可解な舞による市民の洗脳が広がり、難を逃れた市民たちを率いてアルモリカ村に避難した中に特務支援課のメンバーが居るという情報を得ていた。
ロイド・バニングスとリーシャ・マオを見つけた中で、帝国にとっても全くの予想が居であるこの状況を打破するためにお互いを利用しあう取引を持ち掛けた。
特務支援課が居たのなら、間違いなくワジ・ヘミスフィアと共にいるアリシアも居たことだろう。
アリシアなら無事だろうという確信はあったが、何処にいるかまでのカンは働かなかった。


――アイツは、俺と同じで空っぽだった。
俺が情報局に入り込んだのは十五年前。
アリシア・フルフォードという風変わりな少女に会ったのは今からおよそ十年前。

真っ白で、何にも期待していないように見えて。
に対しても絶望していない少女。
自分の人生さえもどうでもいいと手放した俺と違って、アリシアの空っぽさは無二の才能だった。
それこそ、鉄血の子供達足りえるほどの特殊能力だ。
俺から見ても、環境を受け入れて吸収する適応力が高いと言えた。
それも、やや異常と呼べる範囲で。

俺になろうとしても俺になりきれずに踏み外して落ちていく情報局の人間なんて沢山居る。
嫉妬されて疎まれたり。蹴落とそうと画策されたり。けれど、何時だって看破してしまう。虚しくなる位に、容易く。
そんな俺と同じ立ち位置で世界を見てくれたのが、アリシアだった。
アイツは俺という人間を吸収した。

けど、アリシアがこうなるだろうっていう未来までは俺も見通しきれなかった。
今は俺のスキルや性格を吸収しているけど、果たしてこの先、他の誰を吸収するか――それによって、アリシアが化けるだろうと解っていた。
その結果が、こうして目の前で見られるとは。

ツァオとガルシアを遠ざける様に槍を雨あられのように激しく降らせながら、宙に現れて着地するその姿がスローモーションで視界に焼き付く。

「リーシャ無事!?それに、レクター……!?」
「アリシア!とー、当然だが、保護者もやっぱいんのかよ」

古戦場の跡地で数に押されそうになったその時。
可愛い妹分であるアリシアが助っ人としてツァイトに続いて飛び込んできたのだ。

そして、アリシアが居るということは、当然居るのがワジ・ヘミスフィア。
守護騎士第九位の蒼の聖典。アリシアにとって最初で最後の主人。
言い方を変えれば、アリシアが初めて他人に自分の命を委ねて依存するのではなく、自由であれる居場所。
このピンチを打破しに来てくれたタイミングに思わず笑ってしまった。


「さすが、アリシアは頼りになるぜ」
「もう、何時もどうしてレクターって案外危ない場所に居るのよ」
「良い予感はしてたぜ?……まぁ、悪い予感も当たっちまったけどな」

──ツァオやガルシア、そして仮面によって行動が規定され、市民を洗脳した舞を披露したイリアが撤退して、古戦場からアルモリカ村へと戻る道中。

久々に再会するアリシアと戯れるレクターは、後ろから感じる視線に気づかないフリをする。
とはいえ、ワジも「今くらいはあのお兄さんとの再会を堪能したいのも仕方ないだろう」と考えていた。
立場も大きく変わってしまったが、幼少期のアリシアがレクターによって救われたというのは紛れもない事実であり、何時までも変わることなく兄のように慕っているのだから。
ヨルムンガンド作戦において、レクターが死を選ぼうとしたらしいという話を耳にしたのもあって、余計に心配になるのは無理もないと理解していた。

「しっかし、アリシアが俺の居場所をあそこに来るまでに感知できなかったってことは、また乱れてんのか」
「えぇ、霊脈が妙に乱れてて私の感知も機能してない状態。流石に瞬間移動は出来るけど」
「へぇ?そんなお前さんでも、クロスベル市内に単独で飛び込むのは危険と判断した訳か」
「私の空の力は瞬間移動は出来るけど、姿までは消せないから。顔も割れてる以上、黒の衛士に見つからずに街を駆け回るのは厳しいでしょうね」
「成程なぁ……もし万が一にも、人質が取られてた場合、そうやって刺激するのは危険だからな」

それは最悪の過程ではあるが、あの日にクロスベルに集まっていた人の多さを考えれば、中には逃げ遅れた人も居ないとは断言できないだろう。
その最悪の事態に動揺するわけでもなく、冷静に状況判断をして動いている所は相変わらずだとレクターは評価していた。

「……アリシアは、バニングスがルーファスの旦那に言われた言葉を覚えてるか?」
「……うん。逃げ延びる直前に言っていた言葉ね」
「ま、戻ったらそれとなくバニングスにも言っとくか。お兄さんのちょっとしたお節介ってやつでな」

レクターの指摘に、アリシアも心当たりがあったのか、後ろを歩くロイドとエリィに視線を送る。
特務支援課はクロスベル解放の象徴であり、常に先導してきた存在であるのは間違いないだろう。
市民の為ではなく、彼ら自身がその選択をして粘り強く、諦めずに足掻いた結果だ。
その姿に市民は共感を覚えて、彼らの活動を支持した。

彼らという存在を"英雄"として見ていた。

「……クロスベルの変革は、何も特務支援課が引っ張っていかなきゃいけないってことでは、ないのよね」

ロイド達が自分たちを英雄だと思っているわけではない。
しかし、市民からの期待を、背負っていることを自覚してしまっている。
純粋な希望なだけに、それは時として重くのしかかるのだ。

「多分、ワジも解ってると思うから。ロイドがもしも道に迷いそうだったら、言ってくれるわ。ワジは、そういう所はしっかりしてるから」
「……」
「……な、なによ?」
「いーや?随分お熱いことでと思っただけさ」
「かっ、かわからないでよね……!?」

俯瞰して冷静に見られるこの二人の存在は、特務支援課にとって準メンバーだろうと不可欠なんだろう実感すると共に、逆もまた然りであるのだろうとレクターは納得した。
あくまでも自分やアリシアは影を歩く存在であり、ロイド達のような光の射す道をひたすら真っ直ぐに進める訳では無い。

だからこそ、標となる。
この人を支えて、助けたいと思うのだ。

「……ねぇ、レクター」
「んー?」
「今更かもしれないけど。……私にとっては、確かにレクターも標だったから」
「……!」

虚ろで、空っぽな筈の自分が。
誰かの標になるなんて未来を、そもそも未来自体を諦めていたレクターには想像出来ないことだったが。
目の前の少女を救って、導いていたのだ。決して光とは呼べない道かもしれないけれど、彼女の標となったのだ。

「ったく、いつまでも可愛い妹分だよ」

もう大人と呼べる年齢になったアリシアの頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でる。
もう役割が終わったと命を捨てようとしたあの時を思い出して、手に感じる温かさに、レクターはそっと目を伏せるのだった。